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 辺境伯とポラーレたちが帰還したタルシスは、混乱の様相を深めていた。
 なずなやしきみといった、未だ傷の癒えぬ者たちがいる中……レオーネが抜けた穴は大きい。そして、会談の決裂がもたらす未来への暗雲が、冒険者たちを足早に仕事へと歩かせる。
 セフリムの宿もまた、行き交う冒険者たちでごった返していた。
 そんな中、グルージャもまた忙しく書類の束を抱えて走る。だが、そんな彼女は友人の部屋の前で、ふと脚を止めて振り返った。
「ラミュー、わたくしですの! ドアを開けてくださいな。ラミュー!」
「これ、よさないかリシュ。……今はそっとしておいた方がいい」
 ラミューの部屋の前では、ドアをとんてんと叩くリシュリーと、その保護者の姿。半べそでラミューを呼び続けるリシュリーを、姉にして叔母のエミットが抱き寄せ諌めている。
 話には聞いていたが、どうやらそうとうラミューは重傷(コテンパン)らしい。
 怪我がではなく、心が……それで彼女は、ずっと部屋に閉じこもりっきりなのだ。
 グルージャは「リシュ」と声をかけ、その頭をぽんと撫でた。
「大丈夫だよ、リシュ……クアンさんを探してきてくれる?」
「クアンにーさまを?」
「そう。さっきヨルンさんの手術が終わったから、パッセロさんと一緒にいる筈」
「……はいですの! 必ず見つけてお連れしますわ!」
 ようやくいつもの笑顔を取り戻したリシュリーが、慌てて走り出す。その後を追うエミットも、グルージャに目礼を投げかけると行ってしまった。待機組だった彼女にも、疲れの色が見て取れる。……無理もない、日頃エミットはよくレオーネと親しく、姉弟のように鍛錬に汗を流していたから。
 一人きりになったグルージャは、ドアに背を持たれてその場にずるずると座り込む。
 板切れ一枚向こうには、確かに友人の気配と息遣いが感じられた。
「……ラミュー、聞こえてる?」
 返事は、ない。
 ただ、周囲の喧騒を遠ざけるような無言だけが、沈んだ空気となってグルージャを満たした。
 会話のきっかけが掴めないまま、背中はそれでも涙の(したた)る音を聞いたような気がした。
「メテオーラは、おさんどん。ずっと厨房で鍋かき回してる。こんな時こそ食べなきゃダメだ、って」
 へえ、とも、そう、とも言わない扉の向こう。
 普段のように軽快に笑い飛ばす友の顔は、今は見えない。声も聞こえない。
「父さんも、さっきまでタンスの下。ぺたーんって平面になっちゃって……引っ張りだしたけど。なんだかラミュー、前から思ってたけど。あなたと父さん、少し似てるのね」
 口に出してみたら、なるほどと自分でも納得してしまった。
 唯一の家族である父ポラーレに、ラミューはどこか雰囲気が似ていた。だから二人は仲がよかったし、時には気心の知れた友人同士のよう。そんな時グルージャは、父の若く幼い一面を垣間見て苦笑してしまうのだ。
「サジタリオさんたちが今、気球艇の改良を話し合ってるよ? あの水道橋(すいどうきょう)を飛び越える高度が取れなければ、帝国本土には行けないもの」
 帝国の都は、東西を横断する巨大な水道橋の向こうへと広がっている。
 今、冒険者たちは巫女やファレーナの救出のため、帝都を目指して活動を再開しているのだった。だが、犠牲を前に立ち止まる者もいたし、ラミューのように(うずくま)ってしまった者もいる。現実は過酷で、真実は残酷だったから。


 それでも、グルージャは静かに言葉を選んで語りかける。
 ラミューには立ち上がって、また颯爽(さっそう)と歩き出して欲しいから。
「あたしたちは多分、帝国と戦うことになる。と、思う……望まぬ戦いでも、振りかかる火の粉は払わざるをえないもの」
 そうポラーレは言っていた。(うつむ)きながら、普段にもまして白い顔で。
 大事な友は重傷で、大切な人だったと気付かされた女性は壁の向こう……それでも、グルージャの父は諦めてはいないのだ。
「ラミュー、あなた……計画種(プランシーダー)とかっての、気にしてる? 随分沢山、妹がいたって話じゃない。……それだけの話じゃないことは、あたしにもわかる」
 返事がなくとも、グルージャは言葉を続ける。
 思えば、こんなにもラミューへと語りかけたのは、初めてな気がした。
 いつもはラミューの方から、気さくに気軽に声をかけてくるから。
 そんなラミューをあしらう内に、いつしかそのやりとりが心地よかったのは本音の本心だ。
「でも、覚えておいて、ラミュー。あたしたちにとってあなたは、ラミューはただ一人。計画種とかプロト・ゼロってのじゃなくて……友達?」
「……なんで疑問形なんだよ、おい」
 初めて返事があった。
 鼻から抜けるようなか細い、ぐずった子供のような声だ。
「じゃあ……仲間?」
「だからなんで、疑問形、なんだ、よっ!」
 泣きながら笑う声が、ドアを挟んで小さく響く。
 グルージャは立ち上がると、振り返ってドアのノブに手をかける。ためらいがちに握って、やはり手を放すと、代わりにコンと額を押し当てた。
「ラミューはあたしたちにとって、ただ一人。そしてね、ラミューは一人きりじゃないよ?」
「グルージャ……お前」
「ごめん、あたしそういうのはよくわからないから、上手く言葉にならないけど」
 グルージャはドア一枚遮られた向こうで、涙に濡れた友へと語りかける。
「あたしが、あたしたちが……ラミューを一人になんか、しないから。ほら」
 バタバタと慌ただしい足音が近付いてきたのは、その時だった。
「クアンにーさま、こっちですの! お早く!」
「リシュちゃん、ちょっと待って……ラミューの部屋? そうか、ラミュー!」
 息せき切って駆けてきたリシュリーは、しっかりとクアンの手を握っている。彼女はその手を引っ張って、グルージャの前へと戻ってきた。
「さ、クアンにーさま! ラミューのことをお願いしますわ」
「クアンさん、今ラミューが一番側に居て欲しいのは……きっと、あなた」
 グルージャもドアの前を譲って、汚れた白衣姿の青年をそっと目線で押し出す。
 クアンは戸惑いがちにドアノブへ手を掛け、一応ノックの音を響かせた。
「ラミュー? 僕だよ、クアンだ。その、側にいてやれなくて、ゴメン。ヨルンさんは今夜が峠だ、けど大丈夫。鍛え方が常人とは違うから。それと」
 クアンは一度言葉を切ると、ゆっくり幼子に言って聞かせるように優しい声で語りかけた。
「たとえ百人、千人のラミューがいても、その中から僕は君を、君だけを見つけ出すよ。いつも、いつでも、いつまでも。だって君は、僕の大事な……義妹(いもうと)、だから」
 その時、やや間があって……カチャリ、とドアの鍵が開く音がした。
 ゆっくり開いたドアは、その隙間に駆け込んだクアンを飲み込み、再びバタン! と閉ざされる。そして、次の瞬間……号泣するラミューの泣き声がドア越しに響いた。
 安心したようにグルージャは、リシュリーと顔を見合わせ肩をすくめてみせる。
「さて、次はメテオーラね。……レオーネさんと仲、よかったから」
「それなら大丈夫ですわ、グルージャ。メテオーラは言ってましたの……リオンは生きてる、って。そう言って笑いましたわ。だから、メテオーラは大丈夫ですの!」
「そう」
 暁の騎士(キャバリエーレ・ド・アウローラ)は鮮血に染まって、緑の森に沈んで消えた。
 ただ、それだけでは死を確信できない、それだけの絆が冒険者たちにはあったから……今でもどこかで、信じている。その場に居合わせてれば、一つの結論しか得られないであろうグルージャでさえ。信じてやまない、仲間との絆、仲間への信頼……なにより、仲間そのもの。
 改めて仕事に戻ろうとグルージャが抱えた書類を抱き直した、その時だった。
「おまたせですぅ! ラミュー、落ち込んでる時は……ご馳走を食べるですっ!」
 メテオーラ印の大盛り肉じゃがが入った、ボウルのような丼を両手に……シャオイェンが現れた。彼女は「これで元気出すですぅ」と、グルージャとリシュリーの前を上機嫌で部屋へと向かう。
 慌ててグルージャは、その首根っこを引っ掴んだ。
「はわっ!? グ、グルージャ? あ、ダメですよぅ、この肉じゃがはラミューの分なのですぅ」
「誰もそんなこと、言ってない」
「ラミューなら大丈夫ですわ、シャオ。さ、あっちでわたくしたちも少し休みましょう」
 頭の上に疑問符を連ねて浮かべるシャオイェンを引っ張り、グルージャはその場を後にした。

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