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 鋼の獣たちに蹂躙(じゅうりん)される中で、サーシャは見た。
 その少年は今まで見せたこともない表情で、黄金の鞘を抜刀と同時に捨て去る。
「……クラッ、ツ」
 涙で滲んで歪む視界に、サーシャの頼れる頭目(リーダー)が表情を凍らせていた。
 サーシャが初めて見る激昂のクラッツに、ようやく気付いたベルフリーデが振り返る。
「あら、まあ! ふふ、ひょっとして……貴方の、これ? この貧相な娘が」
 小指を立てて見せながら、ベルフリーデが邪悪な笑みに顔を歪める。だが、クラッツは黙ってサーシャだけを見て歩み寄ってきた。一歩一歩を踏み締める彼の足取りは、重く強い。
「ふふ、駄目よ……駄目! この娘を助けたいのでしょう? でも、駄目」
 クラッツの歩みを遮るように、サーシャの眼前にベルフリーデが立ち塞がる。彼女はドライブの排熱で赤熱化した砲剣を手に、愉悦に緩んで(ほう)けた表情を晒していた。
 クラッツが足を止めると、不意にサーシャは髪を鷲掴みに引きずりあげられる。
 それを見たクラッツが、バキバキと奥歯を噛む音をサーシャは聞いた。
「手前ぇ……俺の仲間になにしてやがる。なにしてやがるって聞いてんだよ!」
 野獣が吼えるような声が響いた。鬼気迫るクラッツの咆哮に、周囲で慈悲なき排除者が迫力に気圧され怯えたように固まる。心を持たぬ機械でさえ竦む程に、クラッツの声は怒気ににらいでいた。
 だが、その怒りを向けられたベルフリーデは、恍惚の表情でクラッツを見詰める。
「ああ、いいわ……凄くいいお顔。怒っているのね……ふふ、滾ってきちゃう」
「うるせえ、変態野郎。手前ぇは殺す! ぜってえに殺す! ……俺の仲間に手を出した奴ぁ、誰であろうとぶっ殺す!」
 手にする真竜の剣を構えて、クラッツは暗い炎を瞳に宿す。それは、普段のサーシャが見たこともない修羅の顔だった。少年は身の内に秘めていた獰猛(獰猛)な野生を解き放ったのだ。
 だが、ベルフリーデは煙を巻き上げる砲剣を手に、もう片方の手でサーシャを引きずり歩く。
 髪を引っ張られる痛みよりも、サーシャは半裸に剥かれた自分を炙る羞恥に焼かれた。
「じゃあ、殺し合いましょう? 大丈夫、楽には殺さないわ……貴方みたいな野良犬は半殺しにして、この娘が犯されるところを見せつけてやるの。ああ、素敵……素敵だわっ!」
 不意にベルフリーデは、サーシャを片腕一本の腕力で放り投げた。
 中空へと放り出されたサーシャは、上下を入れ替える世界で見る……砲剣を振り上げ、狂気の笑みを浮かべて疾駆するベルフリーデの姿を。
 サーシャはすぐに察した……卑劣なるベルフリーデの凶行を。
 自分を盾にクラッツの太刀筋を奪い、自分ごと叩き斬るつもりだ。
 だが、不意にサーシャはたくましい腕の中へと抱きとめられた。
 同時に、絶叫を噛み殺すクラッツのうめき声を聞く。
「クラッツ!」
「う、うるせえ……黙ってろ!」
 クラッツは迷わず、サーシャを受け止めることを選んだ。同時に、身を盾にしてサーシャを守る。ジュウ、と肉が灼ける音と共に切り裂かれ、クラッツの背中に熱した砲剣が突き立った。
 そして、ベルフリーデの哄笑が響き渡る。
「あはっ、なんて愚かなのかしら! そんな小娘を守るために……あははは! 傑作だわ!」
「手前ぇ、汚えぞ……女を盾にするなんざ、卑怯者のすることだろうがよ」
「卑怯? 馬鹿ね、ようは勝てばいいのよ? そんな薄汚い小娘を守るから、ほら……熱いでしょう? 痛いでしょう? ああ、最高だわ……その表情。感じちゃう」
 焼けただれた砲剣の刃が、深々とクラッツの背に突き立つ。
 サーシャを胸に抱いたまま、クラッツは歯を食い縛って痛みに耐えていた。そんな彼を足蹴にしながら、グリグリとベルフリーデが砲剣を押し込んでゆく。
 思わずサーシャは、気付けば泣き叫んでいた。
「このっ、馬鹿者! 貴様は馬鹿か! 私なんかを――」
「なんか、って言うな……そんなこと、死んでも言うんじゃねえ」
「クラッツ……馬鹿、馬鹿だよ……こんなんじゃ、私」
「いいから黙ってろ! 今、この糞野郎を……俺が、倒し、て……や、る……」
 サーシャを抱いたまま、クラッツの身体から力が抜けてゆく。慌てて抱き返したサーシャの手は、溢れ出る鮮血に濡れた。だが、そんな二人を踏み躙って、ベルフリーデは天井を仰ぐと耳障りな笑い声を反響させた。
「最高よ! 気をやりそうだわ……なんて健気なんでしょう。ふふ、いいわ……特別に私が慈悲を施してあげる。その娘を犯す前に、貴方はちゃんと殺してあげる。あははっ!」
 既に足元を血溜まりに変えて、クラッツが崩れ落ちる。その血に濡れた身体を胸に抱いて、サーシャも覚悟を決めた、その時だった。
 勝ち誇って砲剣を引き抜くベルフリーデの背後に、ゆらりと人影が立ち上がった。
 それは、まるで闇夜にゆっくりと浮かび上がる蒼月のようで。金髪を振り乱した一人の男が、先ほどクラッツが放り投げた鞘から現れた。その目は今、暗く冷たい輝きを満たして妖しく光る。
「……クラッツが手を出すなっていうから、ね。でも、限界だよ」


 その声はまるで、地の底から湧き上がるように凍てついた響き。
 今まで鞘に化けてじっとしていたクラックスが、己を解き放っていた。
 振り返るベルフリーデが、突然現れたクラックスを前に表情を硬く強張らせた。
「なっ、どこから!? ……まあ、いいわ。ふふ、なかなかイイ男じゃない。(なぶ)り甲斐があるわ。いらっしゃい、遊んであげるっ!」
「悪いけど僕、そんな気分じゃないんだ。遊び半分の狂ったお姫様、僕はね……」
 ゆらりと無造作にベルフリーデへと、クラックスは近付いてゆく。その手には今、気付けばいつの間にか雌雄一対の短剣が現れていた。それを逆手に握って、クラックスが幽鬼のようにふらふらとベルフリーデへと吸い込まれてゆく。
 その口から迸る言葉は、低くくぐもり怒りを滲ませていた。
「僕はね、お姫様。怒ってるんだよ……こんな気持は、初めてだ。これが、怒り……そうか、あの時兄さんが感じたもの。これが、怒りなんだね」
「なにを言ってるのかしら、訳のわからないことを……でも、素敵ね。そうよ、貴方の怒りを感じるわ。ほら、もうこんなに身体が火照って。さあ、早く殺し合いましょう!」
 ベルフリーデは、冷却の終わった砲剣を振り上げる。撃鉄は跳ね上げられ、刀身はドライブの微動に震え出した。だが、大上段に砲剣を構えたベルフリーデに、真っ直ぐクラックスは歩み寄る。
「ほうら、避けてごらんなさい! 当たれば死ぬわよっ!」
 ベルフリーデが砲剣を振り下ろす。苛烈なアクセルドライブの光が迸り、真っ直ぐにクラックスへと吸い込まれていった。だが、直撃したかに見えたクラックスの姿が、徐々にその輪郭を周囲の空気へと同化させてゆく。
 まるで残像のように、クラックスの姿は炸裂したドライブの余波に消え失せた。
「消えたっ!? どこ、どこ!? はっ!」
 流石にベルフリーデが血相を変えた、その瞬間。サーシャはクラッツと一緒にクラックスに抱き上げられた。彼は今、血に濡れた短剣を放り投げると、クラッツを肩に担いで小脇にサーシャを抱える。
「クラックス、お前……うしろだ、うしろに! あの、女、が……?」
「ああ、いいんだ。もういいんだよ、サーシャ。ごめんね、僕がもっと早く本気を出してれば」
 砲剣を構え直すベルフリーデが、慌ててこちらへと向き直る。
 その瞬間、彼女の白い肌に緋色の筋が走った。
「はっ!? なに……? 血ぃ!? き、貴様っ! 兄様の肌に傷を……またっ!?」
 既にもう、クラックスは攻撃を終えていた。刻み終えていた。
 振り返ったベルフリーデは、動いた自分の力で無数の傷口を開かせる。あっという間に血塗れになった彼女は、全身の傷を花咲かせながら砲剣を取り落とした。そのまま己を抱いて(うずくま)るも、あっという間にベルフリーデを中心に血の海が広がった。
「いっ、いつの間にっ! どうして……嗚呼! 嫌よ、嫌……兄様の身体が、嫌ぁ!」
 絶叫するベルフリーデを、クラックスは見向きもしない。
 改めてサーシャは、ポラーレと同等の力を持つ錬金生物の恐ろしさを思い知った。
「……クラックス、私は大丈夫だ。クラッツは私が。お前は先へ、ポラーレ殿の元へ」
「兄さんのところへ? でも、サーシャやクラッツが心配だよ」
「この馬鹿はこれしきのことでは死なん! 急げクラックス……お前の力が、必ず必要になる」
「僕が、必要に……?」
 それだけ言うと、サーシャは自ら地に降りクラッツを受け取る。
 しばし唖然としたクラックスは、それでも躊躇いがちに何度も振り返りながら、木偶ノ文庫(デクノブンコ)の奥へと消えていった。

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