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 生い茂る樹木に沈む書架……奥へ奥へと木偶ノ文庫(デクノブンコ)は続く。
 仲間たちと散開して別れたラミューは、迷宮の深部へと走っていた。
「待って、ラミュー! 一人で進んじゃ危険だよ。ハァ、ハァ……」
 ふと脚を止めたラミューは、今まで駆け抜けた道を振り返る。角の向こうから現れた白衣のクアンは、ふらふらと立ち止まると膝に手をついた。肩で呼吸を貪る義理の兄は、それでも顔を上げてラミューを見詰めると、弱々しく微笑む。
「大丈夫か、クアン。ご、ごめん……ちょっと、突っ走り過ぎた、かも」
「いや、大丈夫、だけど。でも、危ないから、一人は」
「う、うん」
「……あの娘たちが気になるんだね、ラミュー? この迷宮に来てから、少しピリピリしてるみたいだ」
 クアンは額の汗を拭うと、「さ、一緒に進もう」と歩き出す。
 その背を視線で見送り、寄り添うようにラミューも再び歩を進めた。
 確かに、あの連中が気にかかる……ラミューはこの決戦の地に訪れてから、決着をつけるべく焦っていた。自分と同じ顔の、まるで人形のような兵士たち。計画種(プランシーダー)と呼ばれる彼女たちを操る、謎の女。今夜こそ、その因縁に決着をつける時だ。
 この巨大な構造物のどこかに、因果の向かう先が集束するのをラミューは敏感に感じていた。
 そんな時、不意に声が走る。
「ラミュー! クアンさんもっ!」
 それは、奪われた優しい声音。それを硬く強張らせた、悲痛な叫びにラミューは周囲を見渡す。すぐ隣りのクアンが「あっ!」と零して通路の向こう側を指さした。
 巨大な構造上の空洞、吹き抜けの向こうの渡り廊下に、巫女シウアンの姿があった。彼女は今、豪奢な鎧に身を固めた青年に手を引かれ、まるで引きずられるように歩いている。シウアンが抵抗の素振りを見せたので、彼は振り返る……それは、事件の元凶であるこの帝国の皇子、バルドゥールだった。
「……ついにここまで来たか、冒険者」
「ラミュー、逃げてっ! 駄目、これ以上進めばこの先には――」
 皇子の手を振り払おうともがくシウアンは、更に続く女性の声で遮られる。
 皇子はドアの向こうへシウアンを放り込むと、現れた白衣の女に二、三の言葉を告げる。その声に頷くのは、あの教授と呼ばれていた妙齢の女だ。確か、名はカレン。
「教授、足止めを頼む。冒険者! 我が覇業はなんぴとたりとも阻めはしない! この国を救い、父の祈りと願いを成就させる時……それは、今」
「さ、殿下。お急ぎを……(ふね)が来ますわ」
 皇子がドアの向こうへ消えると同時に、カレンは白衣を翻して振り返った。
 同時に周囲へ殺気が満ち満ちて、気付けば前にも後ろにも、鉄仮面の人形兵が十重二十重(とえはたえ)。誰もが皆、まるで精密機械のような正確さでラミューとクアンを包囲していた。
 そして、カレンの耳障りな甲高い声が響く。
「飛んで火に入る夏の虫だね、プロト・ゼロ! さあ、私のところへ帰ってくるんだ……お前の中に蓄積されたデータを、妹たちのために私へ!」
 周囲で無数の槍衾(やりぶすま)が穂先をこちらへ向ける。ラミューはクアンと背に背を庇いつつ、腰の細剣を抜き放った。多勢に無勢だったが、不思議と負ける気がしない。例の自分そっくりな人形たちは、ラミューの精神と心を掻き乱していたが……今は、逆に闘志を燃え上がらせる。
 鞄から薬品を用意しつつ、クアンも声を限りに叫ぶ。
「この娘はプロト・ゼロなんて名前じゃない……僕の義妹(いもうと)、ラミュー・デライトだ!」
 その声が害意を呼んだ。
 あっという間に包囲の輪を狭めた計画種たちが、鋼鉄の槍を繰り出してくる。
 だが、今のラミューには全てがスローモーションに見えた。限界まで研ぎ澄まされた集中力(コンセントレーション)が、あっという間に全ての攻撃を見切る。それは、実験動物として与えられた反射神経に、日頃の鍛錬で身につけた洞察力が上乗せされた結果。
 ラミューの(しな)る切っ先は、光の軌跡を宙に描きながら躍動する。
 あっという間にダース単位の敵が吹き飛ばされた。
 だが、凍れる冷酷さは次々とラミューではなく、その横のクアンを狙ってくる。
 必死に義兄(あに)を守りながら、徐々にラミューは袋小路へと追い詰められていた。相手の数は斬り伏せても蹴散らしても、あとからあとから増え続ける。
 フロアをカレンが迂回してこちら側の通廊に立った時には、二人はもう追い詰められていた。
「ラミュー、僕も戦える。君はあの人を……きっと、あの人が君の全てを知っているから」
「嫌だっ! ヤだ、そんなのどうでもいい。オレは、クアンの側を離れないっ!」
「ラミュー……」
「オレが守るんだ、今度は……オレがクアンを守る。守りたいものは、それだけは譲れない!」
 クアンを背に庇いながら、ラミューは気迫の視線で敵を睨めつける。
 鉄仮面の兵団は、わずかにたじろぐような仕草を見せたが、すぐに床を蹴って殺到した。
 そして響く哄笑(こうしょう)
「アッハッハ! おかしなことを言うね、プロト・ゼロ! 超人類たる計画種のお前が、どうして人間なんかを庇う? 自分より下等な種を守って、自分の可能性を潰すつもりかい?」
 カレンは煙草に火をつけながら下卑た笑いを浮かべていた。
 彼女は紫煙を(くゆ)らせると、必死で剣を振るうラミューへと言い放った。
「現実を見るんだよ、プロト・ゼロ……お前は最強の計画種、全てのひな形となった個体だ。私の研究の最たるもの。この子たち全ての姉にして母……そうだろう? お前たち」
 カレンの声に、計画種たちが次々と鉄兜を脱ぎ捨てる。
 現れる無表情は全て、ラミューと同じ顔で同じ瞳を向けてくる。心も気持ちも、想いすら灯らぬそのがらんどうな瞳が、全てラミューとクアンを映したまままばたきすらしないのだ。
 鋼鉄の槍を手に、無数の合わせ鏡にも似た殺気が襲い来る。
 だが、壁際へとクアンを押し込み、その前に立ち塞がったラミューが吼える。
「上等だっ! ……そんなに見てえか、手前(テメ)ぇ。なら、一度だけ見せてやる! これが、手前ぇの欲しがってる……優れた人類とやらの、おぞましい姿だっ!」
 片手で赤頭巾を振り払うや、そっとラミューはそれを放り投げる。
 ひらひらと舞う真紅の布切れを誰もが見上げた、その瞬間だった。
 ラミューの表情が、波が引くように消える。
 同時に彼女は、手にした剣を振り上げるや身を屈める。
 クアンの悲鳴もカレンの絶叫も、爆発的な瞬発力を開放した彼女の耳には入っていなかった。


 ただ暴力となって吹き荒れる、一迅の(たけ)疾風(かぜ)
 ラミューが通り過ぎるだけで剣閃は瞬き、武器を叩き落とされた人形たちは吹き飛んだ。誰の目にも今、ラミュー・デライトもプロト・ゼロも、映ってはいなかった。一秒を何倍にも引き伸ばした刹那の瞬間を、残像だけを刻んで嵐が吹き抜ける。
 ひらひらと舞う赤頭巾が、クアンの手元にぱさりと落ちてきた時。その時にはもう、あっという間に距離を食い潰したラミューは、カレンの喉元へと刃を突きつけていた。
 誰もが呼吸さえ許されない、圧倒的な瞬殺劇。
 思い出したかのようにバタバタと、ラミューが駆け抜けたあとに無数の怪我人が横たわる。
 そしてラミューは、まるで自分じゃないような暗く冷たい声を絞り出した。
「……気が済んだかよ、ババァ」
 精神をこそげ落とすような、鋭利な言葉が目の前のカレンに突き刺さる。
 だが、頬を痙攣させるカレンの表情には、笑みさえ浮かんでいた。
「す、素晴らしい……素晴らしい性能だわ、プロト・ゼロ! 予想以上よ! ああ、早くデータを採らなければ。最新ロッドの娘たちが束になっても敵わない、これが、これこそが――」
 だが、その時ラミューは激昂の表情を取り戻す。それは、計画種プロト・ゼロを完全に脱ぎ捨てた、冒険者ラミュー・デライトの声となって迸った。
「オレはプロト・ゼロなんかじゃねえっ! オレは、人間だ! 人間で十分だ……オレは、ラミュー! ワルター・デライトの子、ラミュー・デライトだ!」
 同時に、握った拳を目の前の女へと叩きつける。カレンは顔面を強打され「ぷぎっ!?」と短い悲鳴をあげるや床に突っ伏した。ラミューは自分の身体に与えられた恐るべき力を完全に開放し、制御して再び押し殺せた。それは、過去の自分を今の自分が上回った、生まれを育ちが克服した瞬間だった。
「ラミュー……終わった、ね」
 気付けば隣に立っていたクアンが、真っ赤な頭巾を手に握らせ、その上に自分の手を重ねてくる。それは、この世でただ一人の肉親として、血よりも濃いぬくもりを伝えてきた。
「さ、ラミューは行って……ポラーレさんたちに追い付かなきゃ。僕は残る、彼女たちを手当しなきゃいけない。僕は医者だ、怪我人を……君と同じ顔の彼女たちをほっとけないよ」
「クアン……ありがとう。ありがとう、お兄ちゃん……っし、オレぁ行くぜ!」
 ラミューは名残惜しさを振り払って手を離すや、頭に頭巾をかぶり直しながら走り出した。

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