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 木偶ノ文庫(デクノブンコ)の最奥へと繋がる、通路と通路を隔てた小部屋。
 この場所の空気は今、リシュリーの剥き出しの肌を(あぶ)るように熱い。それなのに、凍れる冷たさを目の前の男に感じて、彼女は震える肩を自分で抱いた。そんなリシュリーの姉にして叔母は、ニコリと微笑みそっと手で制する。
 無言で促されるままリシュリーが下がった時、背後のドアが勢い良く開かれた。
「くっ、ラミュー君たちとはぐれてしまった! ……ここは」
「リシュ、エミットさんも!」
 現れたのはポラーレとファレーナ、そしてグルージャの三人だ。
 その誰もが、エミットが相克(そうこく)している男を見て、言葉を失う。
「よくぞ勝ち進んだ、冒険者。だが、ここから先は一歩も通さん」
 そこには、ローゲルが抜身の砲剣を床に突き、その柄に両手を重ねて立ち塞がっていた。この部屋を満たす燃えるような冷気の元凶は、全身から殺気を発散する帝国の筆頭騎士だ。
 だが、エミットは肩越しに仲間たちを振り返ると、両手で構える長柄の戦鎚(ウォーピック)を引き絞った。
「ポラーレ殿、行ってください。ここは私が……騎士の相手は騎士が務めてこそ。さあ!」
 リシュリーもいつもの笑顔を取り戻すと、驚き固まる三人の仲間たちに語りかける。
「さ、ポラーレおじ様。ファレーナ姉様もグルージャも。行ってください。ここはわたくしとおばねーさまで食い止めますの」
「い、いや、しかし」
「大丈夫ですわ、おじ様。おばねーさまは無敵ですの!」
 躊躇するポラーレだったが、その腕を胸に抱いてグルージャが走り出す。ファレーナも勿論、あとに続いた。次の扉へと全力疾走する三人へと、ローゲルは容赦なく苛烈なドライブの光を解き放つ。
 だが、リシュリーにはわかっていた。
 いかなる攻撃も仲間の身体へは届かないということを。
「……貴公の相手は私だ、ワールウィンド!」
 激しい金切り声を盾が歌って、衝撃波が周囲を薙ぎ払う。恐るべき一撃を左腕の盾で受け止めたエミットは、当たれば即死は免れぬアクセルドライブの威力を力で相殺する。
 その隙に戸惑いがちなポラーレを連れて、仲間たちはドアの向こうへと向かった。
「リシュ、またあとで! エミットさんも……あたしたち、行かなくちゃ!」
「ええ! ごきげんよう、グルージャ。わたくしもおばねーさまとすぐにあとを追いますわ」
「待ってるから……絶対、また会うって! 待ってるから!」
 それだけ言って最後にグルージャの姿が消えると、リシュリーは改めてローゲルを睨む。
 白煙の奥からひび割れた盾を構えて、エミットは今しがた仲間が通り抜けたドアの前に立った。その顔はいつもの厳しくも優しい面影が全く見られない。
 そこには、孤高の騎士にして無敗の戦鬼の姿が戦鎚を構えている。
「……そこをどけ、冒険者。侵入者は追撃、撃滅する……あのお方のために」
 ローゲルは赤熱化した砲剣を冷却しながら、油断なく腰を落として手元を引き絞った。
 対するエミットも、テコでも動かぬ気迫を全面に押し出し、
「ワールウィンド、いや……ローゲル卿! 貴公には少し付き合ってもらう……とある騎士の昔話にな。貴公には私の話を聞き、考えてもらわねばならぬことがある」
 ドアの前に立ちはだかると、エミットはリシュリーに目配せする。
 リシュリーはさらに壁まで下がって、騎士と騎士との決闘を見守った。
「昔話だと? フン、今更聞く耳を持たぬ! 殿下の敵は誅するのみ!」
 未だ冷却の終わらぬ砲剣を振りかざし、圧倒的なスピードでローゲルは踏み込んだ。たちまち無数の斬撃がエミットを襲い、あっという間に半壊していた盾がはつられる。まるで紙くずのように切り刻まれる盾を捨てると、エミットもまた戦鎚を下段に構えて正面からぶつかった。
 リシュリーの瞳が追えたのはそこまでで、両者の闘気がぶつかり合う決闘場は今、光と光が瞬きあう中に無数の血飛沫が舞った。
 そして、音さえも置き去りにする剣舞の中から、弾き出されたエミットが壁へと叩き付けられる。
 吐血して崩れ落ちるエミットは、それでも立ち上がるやローゲルへ向き直った。


「そう遠くない昔の話だ……とある南国の都に、一人の騎士が、いた」
「フッ、酷い有様の割にはよく喋る! 貴公、蜥蜴か恐竜並みの鈍感か! その傷で!」
 激しい衝撃音と共に、周囲を爆風で洗いながら両者は斬り結んだ。鍔迫り合う二人を中心に、床が(くぼ)んでクレーターとなり、周囲へとひびを広げてゆく。
 ローゲルはあの恐るべき機械仕掛けの重い剣を、まるで普通の剣士のように軽々振るった。
「その騎士は……常に清く正しく高潔な……(まっと)き王を求めて、いた、のだ」
 帝国騎士、インペリアル最大の武器であるドライブを放ったあとでさえ、一流の剣士としてローゲルがエミットの命を(くしけず)る。鎧は切り刻まれ、次第に周囲へと血を零しながら、それでもエミットは戦った。振るう戦鎚の打撃の中に、言葉と想いを織り込みながら。
「その騎士は、全き王に出会い、仕えた。そう……今の貴公のように」
「なにが言いたい、タルシスの冒険者!」
「王は十全たる存在だった……故にその騎士は、自ら考え疑い、判断して選ぶことを忘れた」
「……! 貴公は……俺の目が今、曇っていると言いたいのか! ……不愉快なっ!」
 ひときわ派手に血柱が屹立して、エミットの鎧の破片が紅に輝き粉々に舞い散る。
 袈裟斬りの一撃を放ったローゲルの砲剣は、冷却終了を告げる撃鉄の音を小気味よく奏でる。
「我が主、バルドゥール殿下の覇業のために! 俺が……俺こそが、殿下をお支えしなければならないのだ! 俺以外の誰にそれができる……俺はもう、二度と殿下を独りにはせぬ!」
 ドン! と踏み締める床を崩して割りながら、トドメの一撃をローゲルが振りかぶる。全身の筋肉をバネに、再びドライブの光を振り絞る。
 だが、周囲を血に染めるエミットもまた、両手に握る戦鎚を大上段に振り上げた。
「気付け、ローゲル卿……貴公は今、その騎士と同じ過ちを犯している! 真に寄り添うべき者の責務は――」
「黙れっ! 黙れ黙れ、黙れぇ! 風来坊の無頼漢、自由気ままな冒険者になにがわかる!」
「わからぬ、故に今……わかりたい。貴公の胸の奥に今、過去の傷が膿んでいることを! その痛みを分かち合い、共によりよき明日を、未来を」
戯言(ざれごと)をぉぉぉぉぉ、弄すなっ! 消し飛べっ!」
 ローゲルが再びアクセルドライブを解き放った。その破壊の奔流へと、迷わずエミットは飛び込んでゆく。彼女もまた、限界まで高めた一撃をぶつけて、周囲を衝撃と突風で染め上げた。
 その時、今まで見守り続けたリシュリーが床を蹴る。一目散に走る先へ、吹き飛ばされたエミットが何度もバウンドしながら転がっていた。それでも立とうとするエミットの前に飛び出すと、リシュリーは両手を開いて大の字に立ちはだかる。
 身を盾にエミットを守るリシュリーの前に、砲剣を手にしたローゲルが迫った。
 そして、背後で立ち上がるエミットは既に、意識を失い血を滴らせながら……それでも両の脚で大地を掴んで立っていた。
「ローゲル、剣をお引きなさい! あなたの負けですわ!」
 リシュリーはあらん限りの声を張り上げた。
「俺の、負け……だと? 馬鹿な、騎士同士の戦いに子供が割って入るものではない! どけ! ……俺は女子供は斬らぬ。どかれよ、姫!」
「いいえ、どきません! 決着は既に……ローゲル、あなたが挟持(きょうじ)と誇りを胸に振るう、その剣を御覧なさい!」
 リシュリーにはわかっていた、確信があった。この男は自分を殺さない……最も信用できる敵であり、誇り高き騎士だから。そして、それ以上にエミットを信頼していた。
 リシュリーの言葉に立ち止まったローゲルは、自分の砲剣を見詰めて、そして目を見開く。
「ばっ、馬鹿な! 陛下より賜った俺の剣がっ!」
 それは、小さなひびだった。ほんの少しの亀裂だった。だが、ローゲルが見つめる先で、砲剣に刻まれた傷はピシピシと音を立てて広がり、あっという間に刀身を走るや……音を立てて割れた。ローゲルの剣は今、粉々になって破片の煌めきをばらまく。
「あなたの負けです、ローゲル。しかし、この戦いに勝者などいませんわ……わたくしたちは皆、互いに相討つ存在ではありません。おばねーさまのお話を聞きましたか? ローゲル」
「お、俺は……いや、しかしっ!」
「真実から目を逸らしてはなりません、ロゲール! あなたは今、バルドゥール殿下を本当に独りにしたくない……その気持に正直になった。ならば、聡明なあなたならわかる筈」
 それ以上、言葉は必要なかった。
 ローゲルは刃の失せた砲剣を呆然と見詰め、その顔から険しい表情を徐々に払拭してゆく。同時にリシュリーは、立ったまま気絶しているエミットに寄り添い、倒れるままに胸に抱き寄せるのだった。

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