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 四つの大地を貫き続く、一繋ぎの魔窟……世界樹の迷宮。
 既に今まで踏破してきた四つの迷宮が、全て煌破天ノ都(コウハテンノミヤコ)より連なっていることは明白だった。それは今、木偶ノ文庫(デクノブンコ)より金剛獣ノ岩窟(コンゴウジュウノガンクツ)を抜けて、深霧ノ幽谷(シンムノユウコク)まで辿り着いたからこそ言える真実。
 そして恐らく、この先は碧照の樹海(ヘキショウノジュカイ)へと続いているのだろう。
 だが、煌破天ノ都の門を開くべく急ぐ冒険者たちの前に今、新たな難題が持ち上がっていた。
「ふむ、これで石版のレリーフ……大地と大地の間の谷を塞いでいた仕掛けと同じ紋様が三つ目。グルージャ、すこし下がっていたほうがいい。わたしが調べてみよう」
 グルージャは長身のウロビトが細く長い腕で制してくるので、おとなしく一歩下がって見守ることにした。目の前には今、各迷宮の裏回廊を歩いて抜けて、三つ目のレリーフがある。ファレーナが言う通り、各大地を隔絶させていた紋様と同じものだ。
 ファレーナは用心深く、錫杖(ロッド)で軽くトントンと叩いてから触れてみる。
 別段怪しい仕掛けや罠はないとは思うが、それでもグルージャを危険からなるべく遠ざけようとしてくれる気遣いが、無用とわかっていても嬉しかった。
 そしてファレーナは、熱心にレリーフを調べながら言葉を選んでくる。
「そう言えばグルージャ。……その、相談があるのだが。うん、まあ、急ぎの話ではないのだけども。おや? ここは動くな、ふむ。ここを押し込めということか?」
 そっとグルージャも、ファレーナの手元を覗き込んでみる。
 同時に、ついに来たかと緊張に身構えてしまった。そして、ついつい逃げてしまう……嫌だからではない。ただ、こういう時にどうしていいかわからないから。
「わたしは、もしグルージャがよければだが……一緒に、暮らしたいと、思ってい――」
「あっ、あの! お姉さん、それ、押すと多分」
「ん? ああ、やはり押すのか」
「手伝います」
 二人は手の平を当てて息を合わせ、せーのでレリーフの紋様を台座へと押し込んでみた。
 軽い抵抗感がするりと吸い込まれて、霧に煙る森のどこか遠くで音が響く。それはまるで、機械仕掛が巨大な歯車を連鎖させるような不気味な音だった。
 それが鳴り止むのを待って、二人は顔を見合わせる。
「よし、コッペペたちの言ってた通りだ。やはり、このレリーフのカラクリには意味がある。あと一つ……この先、碧照ノ樹海が最後の一つだな。それで、グルージャ――」
「は、はいいっ!? え、ええと、じゃあ、先を……急ぎ、ましょう、か?」
「いや、それより」
「そそそ、そうだ、ああああの! ……ここ最近、この深霧ノ幽谷で奇妙な噂を」
 あわあわと珍しく慌てたグルージャが目を逸らすと、ファレーナは鼻から小さな溜息を零す。ひょっとして、嫌われてしまっただろうか? 失望させたかも? でも、まだ恐い……ファレーナという他者が、優しく温かいとはいえ他人が、親一人子一人の暮らしの新たな家族になるのが。
 例え、父がどこかで望んでいて、自分さえもどこかで願っていても。
 まだ、少し、恐い。
「ふふ、グルージャ。そんなに慌てなくてもいいんだ。わたしの話は、急ぎの用ではないから。それより? その、奇妙な噂というのはわたしも聞いている。他ならぬこの森は、わたしたちウロビトの庭みたいなものだから」
 それだけ言って、ポンと帽子の上からグルージャの頭を撫でて、ファレーナは歩き出す。二人きりのパーティというのは不用心だが、幸いここいらには強敵となる魔物は出てこない。せいぜい迷い出たホロウが姿を現すくらいだ。だが、いよいよヴィアラッテアとトライマーチの人手不足は深刻化し、マッピングの迅速な効率化のため、少人数パーティの分散という手まで使っているのだった。
「この深霧ノ幽谷に、小さな女の子がいるらしい。勿論、里の者ではないし、ソロの冒険者でもないようだけど。その子は追いかけても追いかけても……消えてしまう。最初はホロウかとも思ったのだけどね」
「は、はい。そのことも今、ラミューたちと調べてて。でも、手がかりがなくて」
 つまり、謎の怪人物がこの辺りをうろついているらしいのだ。冒険者という訳でもなく、例の特務封印騎士団とやらでもない。(とう)かそこいらの、少女だという。保護しなければと追ったコッペペが撒かれた時は、口説き損なった言い訳かとも思ったが。だが、目撃例が増える程に、謎は深まる一方だった。
 レリーフのあった小部屋を出たグルージャとファレーナは、丁度他の道を探索していた仲間たちが集まってくるのを見る。どのパーティも皆、マッピングの首尾は上々のようだった。
「ヘイ、グルージャ! そっちはどうだ? オレぁもう疲れたぜ。デケぇ鳥がな、追いかけてくんだよ。なあ? クアン」
「ちゃんと五人編成なら、素材を求めて戦ってみるのもいいんだろうけどね。今はとにかく、この迷宮の謎を解き明かして、煌破天ノ都の門の奥へ行かなきゃ」
 不平不満を口にするわりには、ラミューは上機嫌だった。多分、クアンと二人っきりだったからだと思う。東からラミューたちが合流すると、北からはメテオーラとシャオイェン、そしてリシュリーがやってくる。
「うおーい、おっつかれー! そっち、どう?」
「北側は以前、ホロウクィーンと戦った大広間に通じてましたの。隠し通路が開通しましたわ」
「あとは、次の迷宮……碧照ノ樹海へ抜ける道を探すだけですぅ!」
 ラミューやメテオーラから地図を受け取り、重ねてふむとグルージャは唸る。あとはみんなで残された道を潰せば、いずれ次の迷宮へと続く道が開かれるだろう。
 そうして地図を整理していると、自然と例の女の子の話をラミューたちは話し出した。
「ああ、オレも一度だけチラッと見たぜ。こう、なんか愛想ねぇ感じの仏頂面でよ」
「シャオも見たですぅ! 線が細くて、なんだか凄く白い肌の娘でしたぁ」
「ああ、やっぱし? わたしも見たんだよー、ちょっとジト目の三白眼(さんぱくがん)気味で」
「でも、わたくしが見たのは、とても顔立ちの整った女の子でしたわ」
 ふとグルージャが顔をあげると、仲間の少女たちは何故かじっと自分を見詰めていた。
 愛想のない仏頂面で、血色の悪い白い肌、ジト目の三白眼で……でも、そんなに整っている顔をしてるとは自分では思えないのだけど。
「……なに? 四人とも。あたしの顔になにかついてる? まさか」
「いやいや! 違うぜグルージャ。オレぁ、なんか……ちょっと、似てるなって。ちらっと見た感じさあ」
「グルージャ、もしかして双子の妹とかいない? こう、善の心グルージャと対をなす……封印されし悪の心! その名もぉ、ワルージャ! ……とかさ?」
 なんだか楽しそうにメテオーラが笑うので、やれやれと肩を竦めた、その時だった。
 不意に森の木々が風にそよぐのをやめた。同時に、水を打ったような静寂が訪れる。
「……ふむ、本人に聞いてみたらどうだろうか。メテオーラもラミューも……グルージャも」
 静かなファレーナの声に、誰もが振り返る。
 霧が立ち込める回廊の奥に、小さな小さな人影があった。
「……急いで。もう、世界樹の力は……枯れた世界樹は、巨人復活の、予兆」
 消え入りそうな声の少女は、確かにラミューたちの証言通りで。なにより、初めて目の当たりにするグルージャは息を飲む。それは確かに、自分によく似ていた。容姿を構成する要素が云々という話ではない……まるで鏡を見ているように、不思議と背負った雰囲気が似ていた。


「あなたは、誰? この森で迷っているなら、あたしたちが保護して――」
「ボクは、その人と……あの人。そして……あなた」
 謎の少女は、ついと白い手でファレーナを、次いでグルージャを指差す。
 そして、その姿は周囲の白い霧に溶け入るように薄れて、ついには消えてしまった。
「待って! あたし? あなたは、あたしなの? じゃあ、あの人って……父さん?」
 答えは、返ってはこない。グルージャの目の前で、完全に少女の気配は消えた。
 誰もが皆、白昼夢を見ているような気分で互いに顔を見合わせる。
「……わたしを指差し、彼女はその人と言った。なんだ、この胸騒ぎは……ん? クアン? 大丈夫かい、クアン。顔色が悪いようだけども」
「だだだだ、大丈夫ですよファレーナさん。はは、は! さ、さあ、先をイソギマショウ!」
「クアン、手と足が左右同時に……ラミュー、彼はどうしてしまったんだろう?」
 首を傾げるファレーナの横顔を見やりつつ、グルージャも言い知れぬ不安に胸の奥を冷たい炎で焦がしていた。
 そんな彼女は今、幽霊や怪異の類が全く駄目だというクアンのことを、笑う余裕も持てないのだった。結局一同はその日の夕刻に、碧照ノ樹海へ続く回廊を見つけたが……アリアドネの糸で戻るまで、クアンは片時もラミューの背を離れようとはしなかった。

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