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 そこはもはや、碧照ノ樹海(ヘキショウノジュカイ)とは思えぬ空気に包まれていた。
 煌天破ノ都(コウテンハノミヤコ)から続く、始まりの迷宮の裏の顔……そこには、より凶暴な魔物たちが待ち受けていた。その脅威を排除し、ポラーレたちは慎重に進む。
 魂の裁断者と名付けられた人喰い熊を利用しつつ進む先に、そのレリーフはあった。
 そして、そこにはポラーレの予想する人間もまた、冒険者を待ち受けていたのだった。
「……やはり、僕の予想通りだね」
 四つ目のレリーフがあることも、その前に立ち塞がる敵がいることも。
 今まで全ての迷宮は、最奥で強敵との対決が待っていた。だからだろうか? ポラーレは用心深くパーティを編成し、五人のフルメンバーで探索を行っていた。
 今日の仲間は、サジタリオとファレーナ、パッセロ、そして新顔のオルテンシアだ。
 相棒のサジタリオは凄腕のスナイパーだし、ファレーナとの連携による攻撃は相手の手脚や術を縛って封じる。パッセロがいるから不測の負傷にも対応できるし、なによりフォートレスを前衛に置いての防御力には安心感があった。
 だが、そうして万全の体制で望んできたポラーレでも、目の前の覇気に僅かに気圧される。
「ポラーレ、大丈夫です。それに……聞く耳持たず、という気配ではありません」
「だ、そうだ……相棒。ここは一つ、女の勘とやらに賭けてみるかい?」
 そっと手を握ってくれるファレーナが温かく、サジタリオの言葉にポラーレは頷く。どっちにしろパッセロもできれば戦闘は避けたいと主張したし、オルテンシアは――
「ポラーレ殿、ここはわたしが! あちらもどうやら騎士の様子……騎士同士なら少しは胸襟(きょうきん)を開くかもしれません。わたしが話しかけてみますっ」
 早速フォートレスらしく最前線に立つと、目の前の人物へと声をかける。
 そう、オルテンシアが言うように騎士だ。一人の女騎士が、四つ目のレリーフの前に立ちふさがっている。彼女は金鹿(きんじか)の紋章が刻まれたマントを揺らし、目深くかぶったケープを外す。
 現れた端正な表情は、三十路(みそじ)を目前に控えたくらいの、妙齢の女だった。
「とうとう来ましたわね、冒険者。……合格、ですわ」
 その女騎士は、賞賛するような声音とは裏腹に剣を抜く。帝国のインペリアルが使う、砲剣という機械仕掛の剣だ。ポラーレはレオーネたちの一撃必殺の刃を思い出す。
 片手で悠々とその女は、前へ出たオルテンシアの鼻先へ切っ先を突き付けた。
 対話を希望していたオルテンシアの、その機先を制する用な気迫が迸る。
「わたくしは特務封印騎士団(とくむふういんきしだん)団長、フリメラルダ・フォン・グリントハイム。あら、貴方……あの時の」
 ピンと前に伸ばした腕の刃を突き付けつつ、フリメラルダはポラーレをちらりと見やる。
 その余裕を(たた)えた微笑を見詰めて、ポラーレは不意に「ああ」と声を漏らしてしまった。
 間違いない、ポラーレとサジタリオは、この人物と出会ったことがある。
「驚いたな、サジタリオ。彼女は、金鹿図書館(きんじかとしょかん)の司書だ。ほら、あの時に妙な殺気を」
「あ? んー、ああ! あの、瓶底眼鏡(びんぞこメガネ)の女か! ……参ったね、思い出したぜ」
 そう、フリメラルダとは金鹿図書館で既に邂逅(かいこう)を果たしていた。図書館の書架の奥、不思議な隠し扉を見つけた時、ポラーレたちは恐ろしいまでの殺意を感じたのだった。
 そのことを簡単に話すと、ファレーナやパッセロが身構える。
 だが、その時オルテンシアが意外な態度を見せた。
 なんと彼女は、籠手(ガントレット)が覆う手で向けられる剣を鷲掴みにしたのだ。
「貴殿ほどの騎士が、無用な戦いを望むとは思えません! 騎士は、騎士は決して無益な争いを好まぬ者……わたしたちの話を聞いてください!」
「あら? 意外と気骨があるのね、お嬢ちゃん」
「わたしの名はオルテンシア、オルテンシア・ディ・ジュラメント!」
「まあ……失礼、ジェラメント卿。残念だけどわたくし、今日は戦いに参りましたの。……では」
 瞬間、オルテンシアの手をフリメラルダが剣で振り払う。
 その時にはもう、ポラーレは仲間たちと身構えていた。間髪入れずオルテンシアもまた、メイスを手に背の巨大な盾をかざす。それは、フリメラルダが必殺の剛剣を大上段に振りかぶるのと同時だった。
 砲剣特有の甲高いモーター音が響き、ハイチューンの強烈なドライブが打ち出されようとしていた。
「では、参りますわよ。せいぜい、わたくしをがっかりさせないで頂戴な」


 先ほどのファレーナの感じたものは、なんだったのだろう? 確かにポラーレも、問答無用というタイプの人間には見えなかったが。その証拠に、ポラーレたち五人が戦闘態勢を取るのを待って、フリメラルダは両手で天へと掲げた砲剣を振り下ろす。
 金切り声を歌うアクセルドライブが、苛烈な衝撃波となって襲った。
 周囲の木々は吹き荒れる風に枝葉を揺らし、鳥も虫も気配を殺して静まり返る。
 だが、当たれば致命打を避けられぬ一撃は、五人の誰にも炸裂しなかった。それは、正確には他の四人に届かなかった……盾を手にしたオルテンシアが、間一髪のタイミングで割り込んだから。
「今です、ポラーレ殿! 守りはわたしにお任せください。誰にも指一本、触れさせません!」
 白煙を巻き上げる盾が、その表面に巨大なひび割れを走らせていた。間違いなく、レオーネやローゲル、(かつ)てのエクレールに匹敵する圧倒的な破壊力。そればかりか、軽業(フットワーク)を信条とする電光石火の韋駄天(ストライダー)、クレーエと名乗った隠密騎士と同等の速さ。
 だが、ついに姿を表した特務封印騎士団の長を前にしても、ポラーレたちは怯みはしない。
「っし、ドライブは防いで(しの)いだっ! その腕、貰ったぜ!」
「わたしも手伝おう、なにはなくとも剣を封じねば。……広がれ、我が(ことわり)の方陣よ」
 即座に距離を置いてポジションを占めたサジタリオから、必殺の一撃が放たれる。狙いすました百発百中の矢が、フリメラルダの鎧を貫通して右腕に突き立った。同時に、足元へはファレーナの広げる方陣の光が輝き、あっという間に走る術式が戦場を支配してゆく。
 ウロビトの操る方陣は、敵へ向かって術式を幾重にも励起させつつ、味方へは回復の力を授ける。
 だが、利き手から鮮血を迸らせながらも、フリメラルダは表情一つ変えずに剣を構える。冷却に入った砲剣の刃は、熱気を吹き上げながらポラーレの放った投刃を切り払った。
「ポラーレの旦那! 砲剣が冷却に入った、しばらくあのドライブとやらは使えない」
「の、ようだね。つまり……ッ!」
 パッセロの声に応えつつ、身体の奥底より現れる太刀を抜き放つやポラーレは肉薄した。フリメラルダと激しく鍔迫り合いながら、距離を潰しての零距離で圧倒してゆく。
 ローゲル、そしてエクレール、クレーエ……多くの手練(てだれ)の騎士と戦いを重ねてきた。
 そして、その都度ポラーレたち冒険者は勝利を拾い、今もその経験を仲間と共有している。
 レオーネやヨルン、エミットといった仲間たちが戦い抜いた、その鋼の意思を血肉としてきたのだ。そう、既に冒険者たちは皆、帝国の騎士と……インペリアルとの戦いに慣れていた。
「……やりますわね、流石はあの殿下を追う冒険者ということかしら」
「その余裕……君は、やはり」
 二合、三合と切り結ぶ度に、ポラーレとフリメラルダの剣閃が描く星座に星屑が舞う。
 重く長い砲剣で、フリメラルダは血を振り撒きながら、ポラーレのスピードにどうにか食いついてきた。だが、やはりポラーレは察して悟った。剣筋にもう、先ほどの強烈な覇気が感じられない。
「……もう、いいんじゃないかな。フリメラルダ、君は」
「あら、気づかれてしまいましたね。では、茶番はこれまでとしましょう」
 ポラーレが繰り出す天羽々斬(アメノハバキリ)の一撃を弾くと、後ろへ退いたフリメラルダは剣を収める。敵意(プレッシャー)を引っ込めた彼女は、先ほどの微笑へと戻って腕の矢を、ずずっ、と抜いた。表情一つ変えず、真っ赤に染まった矢を捨てる。
「この腕、次の新月までは使い物にならそうですわ。ふふ……それでこそ、よ」
「僕たちを、試した……? フリメラルダ、君の目的は」
「ヴィアラッテア、そしてトライマーチ……全ての冒険者。貴方たちは強くあらねばありませんわ。これからの帝国のため。そして……連なる全ての大地のために」
 意味深な言葉を零して、フリメラルダは四つ目のレリーフの前から身をどけた。
 ポラーレも太刀を収めると、それを再び我が身の深淵へと沈める。
「お、おい、なんだってんだ? 手前ぇ、なにが言いてえ。……相棒、気を抜くなよ」
「大丈夫だよ、サジタリオ。もう終わったみたいだ。ありがとう、心配してくれたの、かな?」
「なっ……おうこらポラーレ! お前なあ! 違うっての……調子狂うだろ、やめろや」
 そう言いつつサジタリオは弓の弦を外して戦闘態勢を解除する。他の皆も、安堵の溜息と共にようやく緊張感から解放された。オルテンシアなど、先ほどの威勢とは裏腹に、腰を抜かしてその場にへたりこんでしまった。
 だが、ポラーレは改めて頼りになる仲間との連携、そして絆を確かめ合った。更に――
「更に言えば、僕たちにインペリアルとの戦い方をおさらいさせた……そんなとこかな、フリメラルダ。……フリメラルダ? 君、どうしたんだい? 腕が痛むのかい?」
「い、いいえっ! なんでもありませんわ! ちょ、ちょっと鼻血が……い、いけません、でも……受けと攻めと、ああっ、でも逆も……!」
 取り出したハンカチで鼻を覆いつつ、フリメラルダは微笑むが……目元だけが笑っていない。
「バルドゥール殿下を止めるなら、急ぎなさいな。このレリーフで最後、これを起動させればあの門は開く。そして、そこから全てが始まりますわ。……ごきげんよう、ヴィアラッテア」
 フリメラルダは、影で見守っていた部下たちを集めて再編成すると、隊伍を組んで去っていった。
 ポラーレの胸には、フリメラルダの不思議な言葉だけが突き刺さって(トゲ)と残る。
 ――そこから全てが始まる、その意味とは?
 だが、今は全てのレリーフの封印を解き放ち、バルドゥールを追うことが先決だった。

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