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 煌天破ノ都(コウテンハノミヤコ)にそびえる巨門の前には今、大勢の人だかりができていた。
 その誰もが信じている……ポラーレたち五人の冒険者が、ここから一繋ぎに連なる迷宮の全てを踏破すると。過去に攻略してきた迷宮の、その裏側へ隠された封印の数々を解き明かすと確信していた。
 だから、ウロビトもイクサビトも、タルシスの冒険者も帝国騎士も皆、黙って待つ。
 だが、中には待ち切れぬ者もいて、その巨大な背中を見ればミツミネはしかたなかろうと諦めていた。それはイナンナやキクリも同じようで、彼女たちは井戸端会議に花を咲かせつつも常在戦場……腰の太刀に手を置いたまま、いささかも緊張感を解かない。
 イクサビトのモノノフは総じて、誰もが戦場を前に気が逸るものだ。
 それも、流派を起こして極めた益荒男(ますらお)ともなれば、気が()いてしょうがないのだろう。
「ぬううっ! 開かぬぅぅぅぅぅぅぅっ! ええい、なれば……流派凍土不敗(とうどふはい)が最終奥義ッ!」
 門の前には今、おとなしく待つ者たちの奇異の視線を浴びる一人の巨漢が立っていた。彼の名はアラガミ、またの名を凍土不敗(マスターヘイル)……イクサビトの里にその人ありと言われた豪傑にして、伝説の武人だった。
 伝説で終わらせられるような平和こそ、とはミツミネの師ヤマツミの言葉だ。
 そのヤマツミは呑気に野点(のだて)で茶をすすり、ウロビトや帝国騎士たちと談笑している。
 最後の戦いを待ちわびる空気は今、気勢を張り上げるアラガミだけが騒がしかった。
「アラガミ先生、こちらにて茶などいかがですかな? キバガミ殿やウーファン殿もおられますし……先程からローゲル殿も、是非にと」
「うむう、(しば)し待てぃ! ヤマツミ……見よ、この面妖なる門を。我が最終奥義、石破天驚拳(せきはてんきょうけん)を持ってしても砕けぬ。せっかく放浪の末に来てみれば、帝国の騒乱も一段落してる有様。その上で今度は待ちぼうけとは! このアラガミ一生の不覚ぅぅぅぅぅっ!」
 巨大な金棒の中に仕込んだ大太刀を納刀するや、アラガミはしょんぼりと肩を落とす。
 とりなすヤマツミは笑顔で、他の者たちも朗らかに笑う……一時決戦前の緊迫感が和らいだようだが、アラガミの方は大真面目だ。彼は以前、金剛獣ノ岩窟(コンゴウジュウノガンクツ)にてホムラミズチ討伐に遅参したばかりか勘違い、冒険者の少女たちに危うく襲いかかる所だったのだ。その後の人間との宴では酔い潰れてワールウインドことローゲルを取り逃がし、慌てて後を追ったものの道に迷って放浪に彷徨(さまよ)い……つい先程、ようやくこの場に現れたのだった。
 そのアラガミだが、ついに名誉挽回を諦めたのか、拳の甲で額の汗を拭う。
「ふう、歳は取りたくないものよな! ガッハッハ、全く開かんわい!」
 破顔一笑に地響きのような笑い声を響かせ、彼は「ふー」と門の扉に手を突いた。
 それがどうやら、遠く果ての大地、碧照ノ樹海(ヘキショウノジュカイ)でポラーレたちが最後の封印を解除したのと同時刻……だったかどうかは、わからない。
 だが、体重を掛けて寄りかかったアラガミの手が、ギギギとかしいだ音を呼んだ。
「む? むむむっ! なにごと……見よ、ヤマツミ! 皆も! 開きおる……キエエエイッ!」
 一度隙間が開いたかと思うと、アラガミが両手で左右に押し開く。
 そそり立つ巨門は四つの封印を輝かせるや縦に割れ、奥から濃密な緑の萌える匂いが立ち込めた。
「あら、ミツミネ様。アラガミ先生が……開けてしまわれましたわ」
「恐らくポラーレ殿が最後の封印を。(しか)らば、我らモノノフで露払い(いた)そう。参るか」
 イナンナの隣でキクリも、腰に()いた左右の太刀を解き放つ。
 ミツミネを先頭に、誰もが門の先へと飛び込もうとした、その時だった。
 ゆらりと、門の向こうへ人影が立った。
 敵意や殺気は感じないが、その姿は帝国の騎士……恐らく奥へと向かったバルドゥール皇子の近衛(このえ)だ。金の縁取りも鮮やかな鎧に鉄兜の騎士は、まるで彷徨い出た幽鬼のようにふらふらとこちらへ歩んでくる。
 誰もが警戒に身を硬くした、その時だった。
 大きく上体を左右に揺すりながら、腰の砲剣も抜かず両手を宙に遊ばせる近衛騎士の……その顔を覆う鉄兜が音を立てて転がった。そして、顕になった素顔に誰もが言葉を失う。
「ミツミネ様! あの者は……あれは、里を襲った巨人の呪い!」
「うむ……それも、かなり酷い有様だ。あれでは、助からん……いったいこの奥でなにが」
 かすれたような唸り声を喉の奥から絞り出しながら、よろよろと近衛の騎士が門の外へと出てきた。取り囲む誰もが息を呑む中、おぼつかない足取りでその騎士はよろけてその場に崩れ落ちる。
 ミツミネは察した……もう、手遅れだと。
 ならばと太刀を引き抜き歩み出た、それが彼らイクサビトにとって武人へ向ける最後の手向け。そういう生き様で営みを紡いできた男には、他にしてやれることはなかった。
 最後の介錯(かいしゃく)で楽にしてやることは、イクサビトのモノノフにとっては何よりの慈悲。
 それを誰に任せるでもない、できる者が自ら進んで手を汚すことこそが美徳とされてきた。
 勿論、イナンナやキクリといった嫁入り前の娘たちには、彼女らが男女の別なく鍛えられたモノノフであっても任せられない。師ヤマツミやアラガミの手を煩わせてもいけないし、まして同胞である帝国騎士のローゲルたちにそれは、あまりにも(むご)い。
 望んでのことではないが、目の前の命は救いを望んでいる……それだけがミツミネには理解できた。
御免(ごめん)、名のある騎士とお見受け致す。貴殿は最後まで義務を果たされた、故にもう――」
 だが、突然ミツミネの左右を風がすり抜けた。
 背後の人混みをかき分けるように飛び出してきた人影は、静かに歩み寄るミツミネを追い越すと、躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)も見せず近衛の騎士へと駆け寄る。
 それはタルシスの冒険者……まだ若い少女たちだった。
「ぬううっ、あれは! 乙女たちよ、寄るでない……既に手遅れ、このままにすれば巨人の呪いを他者へ振り撒こう。ここは武士の情け、楽にしてやるれい。のう、ミツミネ」
 アラガミの野太い声も哀しみを帯びている。
 だが、左右から騎士を抱き起こす少女たちは全く意に返さなかった。
 それは、仲間たちを門の前で待っていたグルージャとラミューだった。
 二人は周囲の誰もが遠巻きに見守る中、肩を貸してなんとか騎士の男を立たせる。
「おい! 気球艇にクアンが、医者がいるんだ! 誰か呼んできてくれ!」
「酷い……随分と呪いが進行している。でも、大丈夫。きっと、助かるから」
 誰もが言葉を失った。
 巨人の呪いは不治の病、そして恐るべき伝染病だ。以前、あっという間にイクサビトの里に蔓延し、力の弱い子供や年寄りが何人も犠牲になった。冒険者たちがホムラミズチの間から巨人の心臓を持ってこなければ、そしてウロビトたちが連れて来てくれた巫女シウアンがいなければ……ミツミネたちイクサビトは今頃、この場にいないのかもしれないのだ。
 そして今、ここには巨人の心臓も巫女も、バルドゥール皇子に奪われ失って久しい。
 それでも、目の前の二人は後から水筒や担架を持ってきた仲間の少女たちと男を介抱している。


「騎士さま、お水ですわ。……いけませんの、もう弱って自分では」
「リシュ、貸して! ングッ、ゴクゴク……うめぇ! じゃない、わたしが飲んでどうするのさ。ええと、ちょっとはーい、失礼しますよー。やっぱ飲めないかな? じゃあ」
「担架を持ってきたですぅ! 早くクアン様のいる気球艇へ運ぶですぅ〜」
 献身的な少女たちの向こうから、一人、また一人と近衛の騎士たちが現れた。最後まで皇子に付き従った強者たちは、誰もが呪いに蝕まれた姿で外へと向かう。身を引きずるようなその姿は、まるでこの門が開くのを待ちわびていたかのよう。
 少女たちは彼らを順々に迎え入れ、口移しで水を飲ませてやり、せっせと担架で運び出そうとする。直ぐに若い医者の青年が飛んできて、周囲はあっという間に病人で溢れた。
 そんなタルシスの人間たちの行動力が、大地を連ねる全ての同胞たちへと火をつける。
「……いかんな。彼らもまた我らが帝国の騎士! それを、俺は」
「ローゲル殿、それは我々ウロビトも同じこと。そして今、気持ちを同じくしている」
「うむ、ウーファン殿の言う通りじゃ。さ、ワシ等もあの子たちに続かねば……もう何人(なんぴと)足りとも、巨人の呪いの犠牲にしてはならぬ。巫女殿も悲しまれるであろう」
 ローゲルが、ウーファンが、そしてキバガミが立ち上がった。
 その姿は必定、それぞれが率いる同胞たちを呼び覚ます。誰もが思い出したように、種族の別を超えて協力し合いながら、巨人の呪いで瀕死の騎士たちを助け始めた。
 その光景に呆気にとられつつ、ミツミネは剣の刃を鞘へと納める。
 斬りたくて斬るのではないが、そもそもミツミネにはこういう光景が想像できなかったのだ。
「ミツミネや、また学んだのう。ワシも同じぞ……我らイクサビト、まだまだ人間やウロビトたちに学べることがある。なにより、あの若き冒険者たちにな」
「……我が師ヤマツミ、仰る通りに御座います。このミツミネ、改めて人間たちに、少女たちに感服つかま――ん? ア、アラガミ先生? どちらへ」
 ヤマツミや他のイクサビトと共に、ミツミネも救助に回ろうとした、その時だった。
 門から溢れ出る濃密な空気の中へと、一人の(おとこ)が立ち上がる。その(たてがみ)がビリビリと、激昂の怒気に震えていた。全身から発散する裂帛(れっぱく)の気迫は、まるで周囲を泡立て沸騰させるかのよう。
「ミツミネィ! 後は任せた、うぬが侍大将ぞ。ヤマツミを補佐して女子供を守り、ワシに続くのじゃ! ……許せぬ、許せぬぞ帝国の皇子っ! 必ずや成敗してくれるぅ!」
 雄々しく吠えると、巨大な金棒をズシリと肩に担いで、アラガミは門の向こうへと消えていった。だが、どう見てもその足取りは、ふらふらと呪いに蝕まれた者たちが逃げてくる回廊とは、全くデタラメな方向へと猛スピードで消えてゆくのだった。

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