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 ついに煌天破ノ都(コウテンハノミヤコ)へ通ずる道が現れた。
 悠久(ゆうきゅう)の時を閉ざされたままに過ごしていた巨門は、四つの封印を解かれて開かれたのだ。
 そして、四つの迷宮を一繋ぎに連ねる、その最奥より戻ったポラーレが見たものは、意外な光景だった。そこにはあらゆる種族の民が集いて、巨人の呪いに蝕まれた男たちを看病していたのだ。門の前には簡易寝台が無数に運び込まれて、誰もが必死で看病に走る。
 その光景に呆気にとられたポラーレは、背後でどさりと膝をつく音を聞いた。
「す、すみません、ポラーレ殿! ……不覚です、先ほどの戦いで。ですが、わたしはまだ!」
 ひび割れた大盾を杖代わりに、どうにかオルテンシアは立とうと試みる。そんな彼女に駆け寄り支えるパッセロも、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「悪ぃ、旦那……俺は、残る。医者がこの光景を素通りしちゃなんねえよ。俺には、できない」
 パッセロの言うことももっともで、彼が言う言葉を体現する者が今も飛び回っている。
 見ればクアンが、少女たちと一緒に治療に駆け回っていた。その背にはもう、どうにも頼りない頭でっかちな医学生の姿は感じない。パッセロが残ると決めたのが医の道ならば、それを先に立って走っているのは間違いなくクアンだった。
 だからこそポラーレは、黙って頷くやパッセロの背を見送った。
 同時に、悔しげに俯くオルテンシアに肩を貸して立たせる。
「オルテンシア君、君もあとは休んだ方がいい。彼女との、フリメラルダとの戦いでは無理をさせたね」
「い、いえ! 壁となりパーティを守る者が必要です。わたしが――」
「大丈夫だよ、大丈夫。安心して休んで……僕たちのためにも。どうやらこの戦いで終わりとは思えない。妙な胸騒ぎがするんだ」
 ポラーレの言葉に、背後でサジタリオやファレーナも大きく頷く。
 ――フリメラルダはポラーレたちにはっきりと言い放った。
 ポラーレたち冒険者は強くあらねばならない……これからの帝国のために、そして連なる大地の全てのために。その意味は知れないが、自然とポラーレの中へある種の確信に満ちた予感が到来する。
 そしてそれは、どうやら背後の二人の仲間たち、そしてオルテンシアも同じらしい。
「……少し休んでから後を追います。ポラーレ殿、ご無事で」
「うん、よく休んで。サジタリオ、悪いけど彼女を頼むよ」
「オーライ、任せろ。……俺も後から追う、無茶すんじゃねえぞ」
 相棒は軽く釘を刺してくると、ポラーレに代わってオルテンシアを支え、パッセロたちの後を追う。これで三人が抜けてしまったが、先行しているミツミネたちに追いつけば問題はない。
 ただ、先ほどフリメラルダと戦ってみて痛感したことがある。
 やはりバルドゥール皇子との決着には、五人のフルメンバーで挑まねばならない。少しでも手を抜けば、野望達成を目前にした皇子を止められはしないだろう。ヴィアラッテアのベストメンバーで挑んでさえ、フリメラルダ一人倒せないのだ……彼女は意図的に加減していたが、あの皇子は恐らく死にもの狂いでポラーレたちを迎え撃つだろう。
 だが、ここで立ち止まる必要はないし、そのつもりもなかった。
「……よし、ファレーナ。先に進もう。ミツミネやイナンナたちに……ファレーナ?」
 振り向くポラーレは、長身痩躯の麗人が側にいないのに気付く。だが、どこにいても目立つウロビトの美女が視界の端で、人混みの中に屈み込むのが見えた。
 急いでポラーレも、帝国騎士たちが集まる中をかき分けて進む。
 開けた視界では意外な、そして身近な身内が振り返った。
「グルージャ、どうしたんだい? ファレーナも……っ!?」
「ポラーレ、彼女は今……」
 そこには、片膝ついて少女に寄り添うファレーナと、肩の白い手へ頷く愛娘グルージャの姿があった。そして、二人の前には帝国騎士たちに囲まれた一人の男が呻き声をあげている。全身を緑の(つた)に蝕まれて、巨人の呪いを身に招いた故に死へと転がり落ちる、その寸前の帝国騎士だ。鎧兜を脱がされた彼は今、運び込まれた寝台の上でグルージャの手を握っている。
 グルージャもまた、彼の手を握り締めてその上に手を重ねていた。
 ポラーレは、この数日でグルージャが何年も大人びたような印象を受けた。
「う、あ、ああ……かあ、さん……でん、か、が……いま」
「大丈夫、すぐにみんなで巫女を助け出すから。彼女が、シウアンが必ずあなたの命を繋ぎ止めてくれる。あの子はきっと、そういう風に自分で望んで力を使える子だし」
「いや、だ……しにた、く、な……かあ、さん」
「気を確かに、呪いに負けては駄目。さあ、手をしっかり握って」
 男の呼気は乱れて浅く、次第に弱くなってゆく。周囲の騎士たちは涙ぐみながらも、その中から同期らしき若者たちが口々に叫んだ。
「死ぬな、いいや死なせねえ! 死なねえよ、お前は! なあ!」
「一緒にあの片田舎から出てきて、やっと叙勲(じょくん)を受けて騎士になったじゃないか!」
「ああ、ウロビトさん! こいつを助けてくれよ、ええと……そうだ、ポーカーの貸しがあるんだ、だから。なあ、どうにかならないのかよ……殿下、殿下はどうしてこんな」
 静かに首を横に振るファレーナは、黙って唇を噛んでいる。
 どうやら、瀕死の男はバルドゥール皇子の近衛の騎士らしい。周囲の(つぶや)きと(ささや)きを拾って、ポラーレは漫然とした怒りを僅かに覚えた。もはや、自分にそんな人間らしい感情がと、いつものように驚いてもいられない。自分を守るべく寄り添ってくれる者さえ、巨人の呪いで蝕んで……そうまでして進む先に、なにがあるのだろうか?
 それを得ることで、バルドゥール皇子はなにを成し遂げるのだろうか。
「あ、あ……ああ! いや、だ……! しぬ、の、は……あああっ!」
 グルージャの手を握ったまま、男はガクガクと身を震わせる。その全身を埋め尽くす蔦が、葉を揺らしながらさわさわとざわめいた。まるでそう、男の命を吸い上げ茂るかのように。
「……慰めにもならないが、せめて少しは苦痛が和らげば」
 立ち上がったファレーナが、トン! と錫杖(ロッド)で地面を突く。
 方陣が柔らかな光を広げ始めると、周囲に癒やしの力が少しずつ満ちてゆく。それは巨人の呪いを打ち払う程には強くないが、どうやら苦痛が薄らいだようだ。男はグルージャの手を爪が食い込むほどに握り締めていたが、やがて静かになってゆく。
 周囲に感謝と安堵の言葉が広がる中、呪いに身をやつした男は寝息を立て始めた。
「眠ったみたい。……でも、急がないと」
 グルージャは申し訳無さそうに男の手を自分から静かに引き剥がすと、優しく毛布の中へと入れてやる。そうして立ち上がった彼女は、濡れた双眸(そうぼう)一杯の涙の向こうから、ポラーレを見詰めてきた。
 ただただ愛娘に頷いてやることしかできない、そんなポラーレの手を気付けばファレーナが握ってくれる。だから、少し怖くて、凄く嬉しくて。おっかなびっくりポラーレもその手を握り返した。こうして体温を分かち合うことで、人と人とは安らぎを共有できる。死の淵にいる者も、その旅路を引き止めるグルージャも。ウロビト特有のひんやりとしたファレーナも、体温など存在しない錬金生物(クリーチャー)のポラーレでさえも。
「……行こう、父さん。あたしも、一緒に行く。どうしてもあの人に、バルドゥールに会って言わなきゃ。この人の苦しみと、それでも信じた皇子への気持ちを……あたし、届けなきゃ」
「うん、一緒に……急ごう。ファレーナも」
 一礼する騎士たちが道を譲る、その先に例の門が今は左右に開かれている。
 そして、ポラーレが二人を伴い歩く先に、人影が待っていた。
「……()くのか、ポラーレ」
 門には今、腕組み寄りかかるヨルンの姿がある。静かに黙って目を閉じ、微動だにせぬその姿は待っていたのだ……友を、ポラーレを。そして、ポラーレ同様に込み上げる確かな怒りを、自分の中へと凝縮している。あたかも、巨牙象(マンモス)さえも封じて閉じ込める氷河の万年雪のように。
 そして、彼の隣にはそれが当然のように女騎士が立っていた。


「デフィール、もう傷はいいのかい? それに、君は、まだ……エクレールのことが」
 ポラーレの言葉に、完全武装のデフィールは笑顔を向けてくる。相打ちに近い形で彼女に勝利したレオーネは、未だ手傷も癒えずタルシスに残ってもらっているが……その後ヨルンとも死闘を繰り広げた彼女は、恐るべき回復力を見せつけていた。
 これが恐らく、長らく一流冒険者として多くの世界樹を踏破してきた者の力なのだろうか。
「ポラーレ、私のことなら平気でしてよ? まだまだ若いんですもの」
「年甲斐もないことはするな、デフィール。お前はまだ身体が」
「……私は一時、偽りとはいえ家族と思ってあの子を守ったわ。そのことを今も、心と躰とで覚えてる。エクレールとの決着を着けるためにも……あの子に会わなくては」
「だ、そうだ。……面白くない話だがしかたない、俺の女に手を出す(やから)を捨て置くわけにもいかん。ポラーレ、俺たちも一緒に行こう。俺もこいつも手負いだが、脚は引っ張らぬつもりだ」
 帝国のためにとか、皇子の野望とか言わないのが、いかにもヨルンらしい。
 勿論、ポラーレに断る理由はない。
 今、ギルドの垣根を超えて、ヴィアラッテアとトライマーチ、双方の最強メンバーたちが共に一つのパーティとなる。彼ら五人が共に並んで歩を進める先からは……酷く甘ったるい風が萌える緑の匂いを運んできた。
 その先へとポラーレは、頼れる仲間たちと躊躇なく進み始めた。

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