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 煌天破ノ都(コウテンハノミヤコ)に満ちる空気は今、萌える緑の匂いに甘く濁る。
 その中を戦い続けるモノノフのイクサビトたちは、あえて後続の活路を切り開くべく突出していた。続々と現れる要救助者、帝国の近衛(このえ)の騎士をウロビトたちに任せ、進める限りに進む……もとよりミツミネは、少しでも多くの魔物を駆逐して斬り捨てる覚悟だった。
 闘争への狂奔(きょうほん)こそ、モノノフたちの本質。
 だが、手練(てだれ)のモノノフが数を頼みに突き進んでも、魔物たちの攻勢は衰えない。
「チィ! これではキリがない……イナンナ、下がれ!」
 許嫁の女傑が飛び去る、その空いた場所へとミツミネは踏み込む。
 神速の縮地で一気に間合いを詰めるや、彼は腰の太刀を抜き放った。
 光が一閃して走り、抜き打ちの一撃で巨大な獅子の魔物が崩れ去る。ところどころの石畳で眠っているこの獅子は、起きるや恐るべき力で冒険者たちの前へ立ちはだかった。
 ミツミネたちはその脅威を取り除く度に消耗し、既に呼吸は荒く手傷も酷い。
「ミツミネ様! ここは退()きましょう。これ以上はお身体が」
「ならぬ。ポラーレ殿は必ず来る、皆とな……誰かが露払いをせねばならん」
「しかし!」
「イナンナ、先に一人戻って様子を見て参れ。……医者かウロビト、医術の力が必要だ。このままでは持たぬが、さりとて下がれぬのが道理。ムッ!」
 許嫁を気遣うミツミネの前に、巨大な毒花(どっか)の魔物が金切り声を上げて現れた。
 その無数に(うごめ)(つる)(つた)が、あっという間に二人の周囲を取り囲んだ。
 イナンナを逃がそうとしたミツミネの足元に、粘度の高い液体が投げかけられる。たちまち足元の自由が奪われ、身動きならぬままにミツミネは戦闘を余儀なくされた。
「これは……ラフレシア! こんなモンスターまで……里の伝説にもある、恐るべき魔物ですわ。伝説だと、思っていたのに」
「ぬう、脚を封じられたか! ……しかし、武士(さむらい)は退かぬ……決して退きはせぬ!」
 抜き放った太刀を握り直して、ミツミネは眼前にそびえる醜悪な徒花(あだばな)を見上げた。巨人の呪いをもたらす甘い瘴気の中でさえ、ラフレシアが放つ腐臭が鼻を刺す。
 呼吸もままならぬ臭気の中で、ミツミネが身構えた、その時だった。
「イナンナさん、薬を持ってきました! ミツミネ様の手当を!」
 不意に声が走って、次いでミツミネの前に痩身のイクサビトが舞い降りる。彼女は両腰から大太刀を左右同士に抜き放つや、ラフレシアが放ってきた粘液を目の前で十文字に切り裂いた。
 ミツミネの周囲に、四散して断ち割られた粘液の飛沫(しぶき)が力なく飛び散る。
 同時に、イナンナが薬を手に隣へとやってきた。
 その手を借りてやっと、ミツミネは下半身の自由を奪う不快な粘液から脚を持ち上げる。
 ミツミネたちの姿を肩越しに振り返って、二刀流のモノノフは大きく頷いた。
「イナンナさん、ミツミネ様を放してはいけませんよ? お二人はお似合いなんですから」
「キクリさんっ!」
 ミツミネの隣でイナンナが呼んだ、その名が見るも果敢な女剣士の名だ。
 キクリは里でも名門の娘で、イナンナとは親しい友人同士だ。他にも、婿を探しているとか、目下お見合い四十連敗だとか、そういうことも残念ながら知れ渡っている。
 ミツミネが知らないのは、その剣の腕前だが……知る機会がなかった今までが幸福だったのだと思うようにしている。腕前について疑う余地がないのは、同じ里の許嫁の隣で見ていれば、立ち姿や振る舞い、所作だけで実力が知れるから。
「さて、では草刈りとまいりますっ! ホントにもぉー、臭いったら……ない、です、ねっ!」


 普段はぽややんとしてて、朝は特にぺしゃーんとだらしないキクリが、吼えた。同時に左右の手に握られ光る太刀が、それぞれ別の生き物のように歌い出す。空気を切り裂く振動と共に、電光石火の二刀一迅(にとういちじん)がラフレシアの蠢く触手を切り刻んだ。
 耳障りな絶叫が高鳴って、しかしキクリの剣は容赦なくラフレシアを追い詰めてゆく。
「……イナンナ。なぜ、キクリ殿には婿が来ぬのだろうか。これほどの手練であろうに」
「ミ、ミツミネ様……それは」
「里の者も存外、見る目がないのかもしれんな」
「あ、いえ、その……キクリさんが、えっと……ちょっと? いいえ、凄く……すごーく、高望みだからです。あの人、殿方の家柄や身分、役職や石高にとってもうるさいのですわ」
 ミツミネは初耳だった。
 だが、それを差し置いても……惚れ惚れする戦ぶりである。
 既に羅刹(らせつ)の力を解放させたキクリは、自分の燃やす命を闘志に変えて、あっという間にラフレシアを追い詰めていった。
 だが、そんな彼女の姿が、ラフレシアと一緒に徐々に(かす)んでゆく。
 目を疑ったミツミネだったが、イナンナの渡してくる薬瓶を飲みながら走れば、自分の周囲に突然の(きり)が立ち込めた。その奥へと逃げるラフレシアを追って、キクリが振るう剣閃の光だけが瞬いている。
「面妖な、イナンナ!」
「はいっ、ミツミネ様! ご安心を、地図から察するにこの先は行き止まり……決して広い場所ではありませんわ。キクリさんも大丈夫です、わたしにはわかります」
 そして、頼もしいイナンナの声とは裏腹に、霞がかった視界の向こうではラフレシアの悲鳴が輪唱を響かせていた。そんな中、羅刹の力による高揚感からか、ミツミネはあられもない声を聞く。慌ててイナンナと頷き合って耳を抑えたが、キクリのよく通る声は悲痛な叫び声を歌っていた。
「あーもぉー、硬いです〜! この、このっ! なんですか、もぉ……わたしの、どこが気に入らないんですかあっ! また! お見合いで! 失敗して! 次は! お見合いすら! 断られて! えい、えいっ、もおおおっ! 顔と家柄と財産と、せいぜいそれくらいしか望んでないのにーっ! ……あ、でも武芸百般の方、はちょっと高望みなので……七十般以上で!」
 血飛沫が舞って全てが切り裂かれる音に、キクリの本音が入り混じっていた、その時だった。
 視界の悪い中から不意に、二体目のラフレシアが現れる。
 ……それも、背後から。
「なにっ? 背後に気配など……そちらは我らが来た道!」
「既に安全な退路を確保した、ポラーレおじ様のために開いた道ですのに……まさか」
 そのまさかだった。
 二体目のラフレシアが吐き出す粘液を、今度は見切ってミツミネが避ける。イナンナもまた、ミツミネとは逆方向に避けるや、同時に居合の構えへと身を沈めて床を蹴る。
 前はまだ、キクリが一体目のラフレシアと戦っている。
 そちらは優勢で勝利も時間の問題だが、二体目は厄介だ。
 そうこうしていると、イナンナが先制の一撃に剣を抜き放つ。鞘走る音が光を呼んで、抜刀術(ぬきうち)の一撃が新しいラフレシアを僅かにひるませた。だが、流石にイナンナも疲れているのか、冴え渡る技にも僅かばかり力がない。
 二の太刀で続こうとしたミツミネは、全身に溜まった疲労物質が乳酸化してゆく感覚に抗いながら、身体に鞭を打って身構える。
 だが、その時地響きと共に、霧の向こうから絶叫が走ってきた。
「ぬおおおおおっ! どけどけ、どけぃ! どかぬか、魔物ぉ! 流派凍土不敗(とうどふはい)、今は急いでおるうううううっ! でえええええあ!」
 不意に現れた凍土不敗(マスターヘイル)ことアラガミが、全力疾走に大地を揺るがし現れた。
 彼は立ち止まるどころかラフレシアを見るや加速し、肩に担いだ巨大な金棒を頭上へと振り上げる。
「きえええええええいっ! 成敗ッ!」
 アラガミは僅か一撃で、ラフレシアを叩き潰して粉砕、文字通り木っ端微塵にすり潰してしまった。あまりに痛烈な強撃は、石畳にヒビを走らせながら鈍器を持って毒花を爆散せしめてしまう。断末魔すら許さぬ瞬殺劇を演じて、ようやくアラガミはミツミネたちの前に立ち止まった。
「む! ミツミネか。でかしたぞ、よく追いついてくれた!」
「は、はあ……ア、アラガミ様は、なにを」
「うむ、なぁに! ワシは憎き皇子を目指して一目散よ! では、参ろうぞ! おおおっ!」
 再び猛牛か巨象の如く、アラガミは走り出した。
 その巨体は、まだキクリが戦う前方の霧の中へと消えてゆく。
 どうやらその向こうでも瞬殺撃の第二章が演じられたようだ。悲鳴を上げるキクリの声は、どうやら連れ去られたらしく遠く遠くなっていった。
 あとでイナンナが気付いたのだが、どうやらこの辺りは不可思議な力で東西南北が歪められているとのこと。真っ直ぐ走れば走れるだけ、同じ場所をグルグル回るだけの術が施されている。早々に出口を見つけてその区画を出たミツミネは、合流した他の者たちにも近寄らぬよう注意を促す。
 当然だが、キクリを伴い疾走(はし)るアラガミの姿は、待てども待てども現れなかった。

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