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 仲間たちの切り開いた道を今、ポラーレは疾走(はし)る。
 行く先々で人間たちが、ウロビトやイクサビトが協力して連携し、魔物の排除や負傷者の救出に全力を尽くしていた。
 そうした者たちの声援を受け、想いを託されてポラーレは仲間たちと進む。
 その先に、一際巨大な扉が現れた。
 押し開いた瞬間、濃密な魔素(まそ)にも似た空気が漏れ出てくる。むせ返るように甘い瘴気(しょうき)の中で、一人の青年がポラーレたちへと振り向いた。
「来たか……冒険者よ。だが、もう遅い」


 そこには、変わり果てた姿のバルドゥール皇子が立っていた。(うるわ)しの帝国皇子は今、その半身を緑の呪いに覆われている。その歪んだ表情は恍惚(こうこつ)の中にも、ある種の諦観(ていかん)の念を抱いているようだった。そんな表情の機微がわかるほどに、今のポラーレの心は澄み切っている。
 愛娘が抑えても抑えきれぬ激情に拳を握る中、ポラーレは不思議と平静だった。
「遅い、かもしれない。でも……遅過ぎは、しないわ。手遅れになんて、させない」
 強い語気を自分に刻むように、グルージャが前へと歩み出た。
 彼女は恐れも迷いも見せず、ポラーレたち大人が見守る中で皇子へと踏み出す。
「貴様は……」
「あたしは、あなたを止めに来た。巫女は……シウアンは返してもらうわ」
「貴様の物では、あるまいに……!」
「そうよ、シウアンは物じゃない。彼女の自由は誰のものでもない、彼女だけのものだもの」
 猛り荒んで殺気を開放させる皇子の前で、不思議な程にグルージャは冷静だ。秘めた怒りを胸に、よく自分を律している。我が娘ながら、その小さな背中がポラーレには誇らしかった。
 溢れて漲る害意と敵意を前に、グルージャは優しくそっと手を伸べる。
「ここに来るまで、沢山の騎士さんたちを助けたわ。みんな、苦しんでる」
「ククク、選ばれし者だけが身に宿すこの力。選ばれぬ者には(とが)となって身を蝕むであろうな」
「違う……違うわ、違うの。巨人の呪いにじゃない、あなたのそういう(かな)しさがわかるから。だから、みんな苦しいの。帝国の騎士さんも、ウロビトやイクサビトも……あたしたちも」
 かろうじて人の(かお)を残す皇子の半面が歪んだ。
 彼は声を張り上げるや、手にぶら下げた砲剣を振り上げる。
 それでもグルージャは、全く身じろぎもしない。
「この国のため、帝国のために伝承の巨人が必要なのだ! 腐って朽ちゆくこの土地を救わねば、帝国は滅びる!」
「……あなたがよかれと思って尽力してるのは、わかるわ。でも、教えて皇子様……あなたが救うこの国に、あなたは独りぼっちでいるつもりなの?」
「……なに?」
「あたしは無知だからわからないけど、今のあなたは独りぼっち。みんなのために戦ってるのに、誰とも未来を共有できていないの。気付いて……ううん、気付いてる筈よ」
「黙れ、小娘!」
 皇子が、頭上に高々とかざした砲剣を振り下ろす。
 刹那、金切り声が響いて、その中へと咄嗟に走ったポラーレは手を伸ばした。グルージャを引っ張り戻した時にはもう、彼女に代わって皇子に相対する者が剣戟を受け止めていた。
「ッ! ……エクレール! い、いや……」
「もうおやめなさい、皇子殿下! ……もう、いいでしょ? バルドゥール」
「余の……僕の、名を、気安く」
「お願い、これ以上(ごう)を深めないで。気高い意志も手段を(たが)えては、誰も救えないわ。自分自身さえも救えないのよ、バルドゥール」
 皇子の剣を受け止めたのは、デフィールだった。彼女は手にした砲剣で一撃を受け、そのまま押し込まれながらも言葉を(つむ)ぐ。万全の体調ではないとはいえ、あのエトリアの聖騎士と呼ばれたデフィールが力負けしていた。片手で軽々と砲剣を振るう皇子の前で、デフィールの足元で石畳が亀裂に沈み込んでゆく。
 既にもう、巨人の呪いを身に招いて、それを力とする皇子に言葉は通じなかった。
 だが、まだポラーレたちは言葉を尽くしていない。
 言葉の限りを尽くさぬ限り、それが通じないと断じることは、彼らにはできない。
「エクレール……お前まで、僕を。どうして! 何故、僕の母様でいてくれない!」
「それは……それは、私がデフィール・オンディーヌだからよ、バルドゥール」
「そうさ、お前はもう僕のエクレールじゃない! なら、もういらない! いらないんだ!」
「それでも! 私には、本当の貴方が必要なの。この国の人たちのためにも、本当の貴方が――!?」
 周囲に満ちた重い空気が、一層密度を増して震える。
 皇子が咆哮と共に再度砲剣を一閃させると、デフィールは剣を弾かれ血飛沫(ちしぶき)をあげた。
 真っ赤な鮮血が呼び水となって、ポラーレはグルージャやヨルンと共に飛び出す。背後では既に、毅然と方陣を広げるファレーナの姿があった。
 誰もが望まぬ戦いの中で、誰もが皆等しく決着から逃げようとしない。
 血溜まりを広げて崩れ落ちるデフィールを足元に、皇子の砲剣がドライブを放つべく唸りをあげた。
「来いっ、冒険者! もはや余に……僕に他に道はない! どちらが正しき者か、互いの正義を賭けて今、決着をつけてくれようぞ!」
 ポラーレはグルージャの手を放すや、さらに加速して肉薄の距離に迫る。身の内より浮かび上がる一振りの太刀が、鞘の中でポラーレを求めるように、リン、と鳴っていた。
 異国の世界樹に宿りし禍神(まがつがみ)より削り出した、神屠(かみほふ)りの剣……迷わずポラーレはそれを抜き放つ。
 そして彼は、自分たちの流儀を代弁する怒りの声を聞いた。
「己の正当性、信じる正義に興味はない……! お前は俺の女を泣かせて、俺たちを怒らせた。それだけだ」
 身を低く抜身の太刀を両手に握り、鞘を捨てたポラーレの疾走を案内するように。
 静かな激昂(げきこう)に猛るヨルンの声が、稲光の嵐を呼び込んだ。無数に乱立する(イカズチ)の光芒は天を衝いて、ポラーレの向かう先で皇子へ幾重にも重なり爆ぜる。
 爆光の中でポラーレは、引き絞った太刀を全力で叩きつけた。
 だが、まるで見えないなにかに遮られるように、ポラーレの太刀筋が曲げられる。それは、皇子自身から吹き出し周囲を濁らせる、緑の瘴気だった。
「……愚か。巨人の力を、その一端を身に宿す僕に……勝てる筈がないって言ってるんだよ!」
 悲しいまでに張り詰めた孤独な殺意が、皇子の全身に漲る。
 同時に、目に見えるほどに濃密な瘴気に阻まれたポラーレは、仲間たちと見る……ドン! と震脚に足元を崩しながら、皇子が必殺のアクセルドライブを解き放つ瞬間を。
 荒ぶる対流と化した空気が渦を巻く中、真っ白な光が周囲を埋め尽くす。
 そしてポラーレは、自分の前に両手を広げる愛娘の背中を見た。
「駄目だっ、グルージャ! 下がるんだ!」
「父さんは、みんなはやらせないっ!」
 身を盾に広げるグルージャの前に、巨大なルーンが浮かび上がる。それは光の障壁となって、皇子の放つ苛烈なドライブと真正面から激突した。印術師の使うルーンの盾は、高レベルのものとなれば帝国騎士のドライブさえ弾いてしまう……だが、巨人の呪いで強化された皇子の膂力(りょりょく)は、常識の理解を遥かに超越していた。
 グルージャが広げた。光の壁が、木っ端微塵に砕かれる。
 同時にポラーレは、仲間たちと共に荒れ狂う烈風(エクストリーム)によって大地から引き剥がされた。全身を切り刻んで吹き抜ける嵐が、破壊の奔流となって炸裂する。
 僅か数秒に満たない攻防は、攻めと呼ぶにはあまりに痛烈な一撃で、守ることも許されぬ一方的な殲滅だった。ただただ突き抜ける暴力の中で、ポラーレは全身をはつられ穿(うが)たれながら、何度も大地へと叩きつけられる。
 皇子の放ったアクセルドライブが、この場の全てを破壊しながら集束してゆくと……そこにもう、立っている人間は一人もいなかった。
 えぐれたクレーターの中に、冒険者たちの広げる血と血が呼び合うように繋がってゆく。
「ふ、ふふ……ふはははっ! 終わりだ、全て終わり……いいや、(はじ)めるんだ。僕が、ここから。この国の未来を、僕が!」
 自分に言い聞かせるように叫んで笑った、その皇子の残された片目から涙が伝う。
 だが、もうその溢れる光を拭ってくれる者など、彼にはいないのだ。
「駄目、よ……バルドゥール。お願い……これ以上は。それでは貴方が、救われない、わ……」
「黙れ、エクレール! エクレールでいてくれないお前なんか……お前なんかっ!」
 皇子の足元で身を起こそうと震えるデフィールの、かろうじてあげた顔を見下ろし皇子が吼える。彼はデフィールの髪を鷲掴みに引きずりあげると、砲剣の灼けた刃を首筋へと当てて……そして驚愕に目を見張る。
 既にもう、皇子の前に立ちはだかる者などいはしない。
 それでも、立ち上がる男たちがまだ、この場に残っていたから。

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