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 グルージャが自室のベッドで目覚めた時、すでに世界は一変していた。
 呪いに(まみ)れた皇子を飲み込み、伝承の巨神が復活を遂げたのだ。そのことを教えてくれたリシュリーを跳ね除けるようにして、グルージャはベッドを出るなり部屋を転がり出る。
 セフリムの宿の食堂には、馴染みの冒険者たちが一同に介していた。
 その誰もが、疲労と焦燥で表情を陰らせている。
「グルージャちゃん、起きたかい? 丁度いい、そこに座んな。……話を続けてくれや」
 いつになく疲れた顔をしているのは、トライマーチのコッペペだ。彼が(けわ)しい目元を指で揉みながら、話の進行を促す。その先で言葉を続けるのは、相変わらず包帯姿のヨルンだった。
 ヨルンはもはや見慣れた感のある重傷者だが、その言葉は疲れを滲ませながらも強い。
「巨神を早急に討たねばならん。あのままでは、帝国の都は」
「それはわーってる、わーってるんだよヨルン……ポラーレの奴はどうする」
 言葉を返すコッペペの声も重い。
 そう、ポラーレは……自分の父親は大丈夫なのだろうか?
 グルージャは、自分の意識が最後に見た光景を思い出す。すでに、普段の黒狼竜(こくろうりゅう)とも違う、おぞましいなにかへと暴走してしまった父。その蠢く姿が脳裏から離れない。あれは今まで一度も見たことがなく、まともな状態とは思えない。
 バルドゥール皇子の力に対抗するため、父は自分の中から自分を追い出してしまったようだ。
「グルージャ、お気を確かにですわ。ポラーレおじ様は、まだ生きてますの」
「リシュ……」
「おじ様はあのあと、伝承の巨神に戦いを挑んだのですわ。……でも、巨神は強過ぎたのです」
「そんな……父さん、一人で」
 俯くグルージャの手を、ぎゅむとリシュリーが握ってくる。
 伝わる体温も感じられないほどに、グルージャは孤独で目の前が真っ暗になる。いつもどこかで見守ってくれてた、振り返ればいつも父がいた……その温かな空気が今は、この住み慣れた宿のどこにもない。
 それでも、手に手を重ねてリシュリーが言葉を続ける。
「帝国の騎士様や、他の方々には被害が出てませんの……おじ様が、あの黒い(けもの)が人を寄せ付けないのですわ。おじ様は、最後まで一人で……(ひと)りで、あの巨神と戦うつもり、でしたの」
「……今は?」
「巨神との戦いで、もう。でも、まだ生きてますの。きっと助けが必要ですわ、だから」
「うん……うん、あたしもそう思う。父さん、馬鹿だから……きっと、一人で頑張っちゃうんだ。そういうの、なしにしようねって言ったのに。……馬鹿だから」
 二人の少女が身を寄せ合う中でも、大人たちの言葉は頭上を行き交う。徹底抗戦を訴える者も入れば、黒い獣と化したポラーレに任せよう、さらに言えば弱ったポラーレを犠牲にして様子を見ようという者までいる。
 だが、そんな中で意見を集約してまとめるヨルンの言葉は、いつになく冷徹だった。
「復活した巨神は、人の手で倒さねばならん。それも急いで、だ。もう奴は……ポラーレは、もたん。暴走した術式自体が、本体を食いつぶして縮退、消滅するかもしれん」
 その言葉は、グルージャにとって死刑宣告にも等しかった。
 誰もが押し黙る中、コッペペだけが声をあげる。
「おうこら、ヨルン! 手前ぇは人でなしか? 誰のせいでこうなったと思ってやがる!」
「……俺、だ。俺が以前からポラーレと話を進めていた。いざという時の、切り札をな」
「そうだ、あいつはそうまでしてこの戦いに賭けた、オイラたちのために戦った! それを、もうもたねえだ? 物のように言うんじゃねえよ、あいつは今でも戦ってんだ!」
「そうだ。そして、それももうすぐ終わる」
「ッ……! 手前(テメ)ェ!」
 いつにもまして感情も(あらわ)なコッペペが、激した様子で声を荒げる。
 その怒声を浴びるヨルンも、奥歯を噛みしめるように黙ってしまった。
 そして重苦しい沈黙が押し寄せる中、その声は不意にぼんやりと響く。
「よぉ……そんなに難しく考えるなや。あの馬鹿が道を塞いでんだ、俺が行く」
 誰もが振り返る先で、その男は(やじり)を整え矢筒に揃えて、小振りな弓を手に立ち上がった。誰の目にも、周囲の者たち同様の疲労が見て取れるのに、不思議とその瞳はギラついた光に輝いている。
 触れれば切れる剃刀(カミソリ)のような冷たさで、サジタリオは周囲をじろりと見渡した。
「元から奴は俺の相棒……俺の獲物だ。俺が奴を引き付ける、その隙に巨神を叩け。俺は……奴とのケリを付ける」
「サジタリオ、お前……」
「そんな顔すんなや、コッペペ。これは、俺の役目だ。誰にも譲らねえ……俺の獲物は、誰にも譲らねえよ」
 余りに冷たいその視線に、誰もが言葉を飲み込み黙らせられる。
 グルージャも、久しぶりに目にした……狩人(イェーガー)の目をした始末屋、闇から闇へと影の中で魔を狩る、サジタリオの本当の素顔を。そこには感情論や損得の論理、なにより俗世の条理が一切ない。狩ると決めた(おとこ)の瞳には、暗い炎が冴え冴えと燃えていた。
 彼は誰もが道を譲る中、宿の出口へと向かって肩越しに振り返る。


「巨神はお前らに任せたぜ? ……俺は俺で、決着をつける。巨神への道は、俺がこじ開ける」
 それだけ言うと、その姿は外へと消えていった。
 一瞬の静寂が訪れた後に、大人たちは誰もが思い出したように動き出す。
「パーティを再編成しろ! ヴィアラッテアとトライマーチを支援するぞ!」
「フォートレスの数が足りねえ、誰か冒険者ギルドに走ってくれないか?」
「やるぞ……やるんだ! 俺たちで巨神を倒すんだよ!」
「サジタリオの奴にバケモノは任せろ、あいつは、ポラーレはもう……いや! だからこそ、俺たちがやらなきゃいけねえんだ!」
 バタバタと周囲が慌ただしくなる中、呆然とグルージャは立ち尽くす。
 彼女は、自分の前に一人の女剣士が立ったのにも気付かない。
「グルージャさん。大丈夫ですか? ……お父様のことは、残念です」
 その声にようやく顔をあげたグルージャは、目の前にアルマナの沈痛な表情を見る。アルマナは気丈に微笑んでみせると、そっとグルージャの頭を胸に抱いてくれた。
 きっと、そうせねば倒れてしまいそうな程に、グルージャは弱って見えたのだ。
「サジタリオさんはプロの狩人です……そして、ポラーレさんとは因縁浅からぬ仲。覚悟は必要かもしれませんけど……私は思うのです。もし、彼ならば……あの状態のポラーレさんも」
「アルマナ、お姉さん……」
「楽観論はいけないかもしれませんが、それでも希望を持たなければ。それを、あなたにもお願いしたいのです。グルージャさん、どうか気を確かに。まだ、なにも終わってませんから」
「……はい。お姉さんは、これから? あの、巨神に……?」
 グルージャから身を離したアルマナは、小さく、しかし強く頷いた。
 すでにもう、ヴィアラッテアもトライマーチも負傷者が多数で、木偶ノ文庫(デクノブンコ)の攻略からずっと慢性的な人員不足だ。それでも、目の前に脅威がある限り戦わなければならない。脅威が人々に迫る中で、冒険者は戦い続けなければいけない。
 そして今、グルージャの父親すら脅威になりかねない状況なのだった。
 最後にポン、とグルージャの頭を撫でて、アルマナはクラックスやミツミネたちモノノフと行ってしまった。それを見送るしかできないグルージャの手を、まるで泣きつくようにリシュリーが腕ごと抱いてくる。その温かさすら、もうグルージャには感じてないように思えた。
 だが、確かに今、グルージャの胸に僅かな希望の火が灯る。
 それを確かな者にする仲間たちの声が、彼女を一人にはさせなかった。
「ヘイ、グルージャ! 着替えてきな、オレたちも出るぜ……このままで終わらせる訳にはいかねえだろ? ポラーレの旦那が命懸けで引きずりだした、悪の親玉ってやつだぜ?」
「ラ、ラミュー……?」
「しっかりしろよ、グルージャ。お前とオレと、みんなと……オレたちでやるんだ。それとも、ベッドで震えて毛布かぶってる方がお似合いってか? オレにゃぁ、そういう(ダチ)はいねえ」
「そう、ね……そうだわ。あたし、行かなきゃ」
 その時、ラミューの隣でガクブルに震えながら、シャオイェンが「で、でも船が、気球艇がないですぅ」と小声を零す。確かに今、全ギルドの冒険者たちが出払う最後の一戦で、恐らく船の手配に交易所はごった返しているだろう。
 だが、大人たちが出払った食堂の出入り口に、頼れる仲間がドン! と腕組み現れた。
「船ならあるよ、グルージャ! わたしたちにさ、ヴィアラッテアにはさ……船、あるじゃん?」
 勝ち気に笑うメテオーラが、そこにはいた。彼女の輝く瞳に映る自分の姿が、みるみる変わっていくのを直接グルージャは見る。そして、それは自分の瞳に映る仲間たちの姿が活気を取り戻すのと同時だった。
 そう、船はある……グルージャたちを決戦に向かう翼は、大人たちが数えぬ中にあるのだ。
 意を決したグルージャは、身支度を整えるために自室へと取って返すのだった。

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