深く
光さえ差さぬ暗黒の中を、ポラーレの意識は
自我の境界線を失い、暴走させた術式の中へ、奥へと引き摺り込まれたところまでは覚えている。そこから先はもう、
ポラーレはただ、上も下もない中で流されるままに漂っていた。
『僕は、死ぬ……のか? 死ぬということは、こういうことなのか……?』
自問する己への答が、自ずと自明の理となって反響する。
これは、死ではない。
生あるモノの帰結が、避けられぬ死ならば……ポラーレは死なない筈なのだ。もとより生命とは言えぬ
そういう人たちのために力を使った、そのことに後悔は、ない。
ただ、まだポラーレは死ねない……死んだとは思いたくないのだ。
納得して死を許容できるほど、まだ生きていない。
まだ、生きていたい。
『そうか、だから僕は……うん、そうなのか。割りと単純に、生きてたんだな。生きて、いたいんだ』
そう呟いた時、ポラーレの視界の隅で光が
それは、徐々に強さを増して近付きながら、周囲の
あっという間に
同時に、目の前に小さな小さな人影が浮かび上がる。
『父さん……
『君、は……? 誰だい? 僕を、今……父さん、と』
直視できぬほどに
彼女は微笑んでいるような、涙ぐんでいるような表情を向けてくる。
彼女はじっと、ポラーレを見詰めてくる。
『ぼくは、ソーニョ。あなたの……父さんの、可能性。そういう未来もあったという、手には届かぬ祈りと願いの概念』
『可能性? 未来……願いと、祈り』
『そう。姉さんと
『あの街……冒険者の街、タルシス。そこで、僕は?』
『うん。造られた場所より遠く離れ、創られた時から
不意にソーニョと名乗った少女が手を伸べてくる。
その手に手を重ねようとして、初めてポラーレが自分に四肢があることに気付いた。失われた肉体を今、人の姿でポラーレは
『あなたが自分を投げ打ち
『挑む……僕が? 教えて、ソーニョ。それは』
『伝承の巨神へと未来を託した、遥か太古の閉ざされた人類……その末裔が選んだ、もう一つの可能性。それは今、暗き妄念となって溢れ出る。帝国が永らく封印してきた、世界の痛み』
それだけ言うと、ポラーレの手を取るソーニョの髪が逆立つ。
二房の髪はそれぞれ、互いを取り巻くように逆巻き
天へと伸びて昇る二重螺旋の先に、ポラーレは吸い込まれ始めた。
『さよなら、父さん……違う未来、限りなく遠く、果てしなく近い明日の、父さんである人』
『君は……ソーニョ、君はもしかして! ……ああ、うん。わかったよ……届いていたよ、サジタリオ。僕は――』
刹那、全てが色を失う中へとポラーレは吸い込まれる。
急激に遠ざかるソーニョの姿が、あっという間に足元へと消えた。
そのままポラーレは、長い長い夢を見終えたあとのように瞳を開く。見上げる天井に見覚えがあって、そこがセフリムの宿の自室だと気付いた時には……ぼんやりと霞んで滲む視界は鮮明になっていった。
自分が現実の世界へと
あの時、ヨルンの術式で自分は暴走し、自我と引き換えに破壊の
だが、現実にポラーレは生きている。生き続けて生き抜き、生き終えるための生を自覚する肉体と精神に戻ってきたのだ。
「僕は……! この、剣……そうか、またこの剣に助けられたのか」
ベッドに身を起こせば、枕元にあの剣が……
気付けばポラーレの周囲には、少女たちが囲んで眠っていた。
愛娘グルージャと、その友人たちだ。
「ん……あ。あれ、あたし眠って……!?」
「や、やあグルージャ。みんなも。おはよう、って言えばいいのかな。随分長く眠ってたような気がし、っ! ……グルージャ?」
言葉を失うグルージャにラミュー、リシュリーとメテオーラとシャオイェンを前に、ポラーレがぎこちなく挨拶を放る。次の瞬間には、顔をくしゃくしゃにしたグルージャが砲弾のように胸へと飛び込んできた。
慌てて抱き留めるポラーレの腕の中で、グルージャは声をあげて泣いていた。
「馬鹿っ! 父さんの馬鹿、馬鹿……どうしていつもそうなの? 後先考えないで……馬鹿!」
「ごめんよ、グルージャ。って、グルージャ? 待って、悪かったよ、ごめん」
「許さないんだから、許せない! 馬鹿、父さんってホントに馬鹿……許してあげないんだから! ……ううん、わかってる、けど……あんまし馬鹿だから、あたしもう」
幼子のように泣きじゃくるグルージャが、ぽすぽすと両の拳を交互にポラーレへと叩き付けてくる。小さなゲンコツが叩いてくる胸の奥底に、ポラーレはじんわりと熱が広がってゆくのを感じた。グルージャの涙が、手が、受け止める全身が温かい。
冷たい自分の身体が感知する体温である以上に、グルージャの全てが熱かった。
「旦那……ヘヘ、やっと目が覚めたみてぇだな。オレ、信じてたぜ? けど、けどよ……ぐすっ」
「おじ様がグルージャを一人にする訳がありませんの。いつでもおじ様は、わたくしたちと共にあるのですわ」
「よかったー、もう心配で心配で……ご飯も三杯しか喉を通らなかったんだからねー」
「シャオは知ってたですぅ! ポラーレ様はいつだって、グルージャを独りぼっちにしない方なんですぅ」
次々と少女たちが抱きついてくるので、ポラーレはあわわと両手を広げつつその全てを受け止める。その時、ドアが開いて人影が立った。
「あら、お目覚めね。まったく……どうしてこう、男の子って無茶するのかしらん?」
そこには、包帯姿のデフィールが腕組み立っていた。
「や、やあデフィール。その、僕は男の子っていう歳じゃ」
「一緒よ、一緒。あの人ももう、無茶苦茶なんだから……こってり絞ってやったけど? でも、
「えっと、あ、うん……ごめん」
もごもごと要領を得ずに、ポラーレは少女たちを胸の上に泣かせながら俯いた。
だが、やれやれと肩を竦めたデフィールは「ほら、入って」と背後を振り向く。
道をゆずるデフィールの奥から、一人の
「ポラーレ、やっと……やっと目を、覚ましましたね。本当にあなたは……いけない人だ」
「ファレーナ! あ、いや、その……うん。ごめん」
「謝ってばかりではないですか、いつも。本当に、いつも、いつでも……あなたはずっとそう」
「ご、ごめん。あ! えっと……と、とりあえず、ただいま」
「ええ。おかえりなさい、ポラーレ。ずっと待っていました。もう、待たせないでくださいね?」
微笑むファレーナの白い顔を見上げて、ポラーレは大きく頷く。
既にもう、外ではタルシスの街は復興の活況に沸き立っていた。辺境伯の指示の下、三つの種族は互いを支えて新たな道を歩み出した。
遠くに今も、以前と変わらぬ世界樹を見やりながら。