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 気球艇トライウィングが風を切る。
 第二大地である丹紅ノ石林(タンコウノセキリン)の空は、晴れ渡ってまるで水面(みなも)のよう。竜が飛び交うこともある天は、静かに紅葉の森を見下ろしていた。
 眼下の光景に目を配りつつ、クラックスは相棒にして兄貴分のクラッツを振り返る。
「クラッツ、今日も森に変化はないみたいだ」
「おう! 日差しもあったけえし、いい天気じゃねえか。最高の日和だぜ」
 笑うクラッツの声が、舵輪を回す音に入り交じる。
 その上機嫌の声音に、自然とクラックスも頬を綻ばせた。だが、その目は油断なく周囲へと注意を払いながら向けられている。
 強大な敵を探して求めるその視線に、クラッツも僅かに声を硬くした。
「……竜は、いねえな。あの金ピカのでけえのが、この辺りによく出る筈だが」
「うん。それがなにか……アルマナの探してる黒い竜の手がかりになるんじゃないかって」
「こないだ皇子の野郎が倒した赤い竜は、違ったんだよな。姐御(あねご)のあの呪い」
「今は少しでも多くの情報が欲しい。それに、各大地で暴れてる竜たちも、帝国と三つの民のためには今後は放置できないし」
 今、タルシスを中心にこの土地は新たな時代へと動き始めている。帝国はゆるやかに朽ち始めた本国を捨て、新たに第一大地へと移民計画を発動させた。ウロビトやイクサビトとの交流も盛んだし、三つの種族は互いを支え合いながら未来へと歩み出したのだ。
 必定、巨大な自然の脅威である竜は、これを放置しておく訳にはいかなかった。
 そんなことも考えながら、クラックスが真剣さを滲ませ遠い目をしていたのだろう。自然とクラッツが鼻の下を指で擦りながら笑った。
「やっぱよ、お前……変わったな。いい面してるぜ? 相棒」
「そうかな? だとしたら、それはクラッツやアルマナ、兄さんたちのお陰だよ」
「最近はどうだ? アルマナの姐御は時々調子が悪そうだけどよ」
「うん。でも、一緒に暮らすようになってから、前より元気な時もあるよ。色んなことを話してくれるし、僕に勉強も教えてくれる。それに――」
 不思議とクラックスは、自分が赤面に頬を熱くしているのが感じられた。
 そう、もう既に恋人同士になったアルマナのことを想えば、自然と気持ちが暖かくなる。
 トライウィングを操縦するクラッツのところへと歩きながら、クラックスは笑みを浮かべて恥ずかしげに言葉を続ける。
「それに、いつでも彼女と一緒にいられるのが僕には嬉しい。夜の眠りにおやすみを言う時も、朝の目覚めにおはようを言う時も。ずっと僕は、これからも一緒にアルマナを守るんだ」
「ああ。お前は立派になったぜ、クラックス! んじゃま、帰って一杯やろうぜ?」
「うん」
 ゆっくりと回頭するトライウィングが、船体を傾けながらゆるやかにタルシスへ進路をとる。その甲板上で風に吹かれながら、クラックスはクラッツとくだらない話に花を咲かせていた。
「そういえばクラッツ、サーシャとはどう?」
「どう、って……別に俺ぁ」
「仲良くしなきゃ、二人はお似合いなんだから」
「マジか、クラックス……俺はもっとこぉ、ボイーンでバイーンとした感じがだな。……ん?」
 不意に視線を逸らしたクラッツが、訝しげに目を細める。
 その先へと首を巡らし、クラックスも人並み外れた視力を総動員した。あっという間に彼の瞳は瞳孔を伸縮させながらフォーカスを合わせてゆく。錬金生物としての人智を超えた遠目の力が、僅かな異変を確実に拾っていた。
「クラッツ、船だ! 気球艇があそこに」
「なにやってんだ、ありゃ……あの色は確か、ウィラフだな」
「よく見て、クラッツ! モンスターに襲われてる!」
「っ! ちょいとヤベェな、掴まれクラックス。カッ飛ばすぞ!」
 クラッツがレバーを操作してエンジンの出力を全開まで絞り出す。高鳴る動力機関が唸り声をあげて、あっという間にトライウィングは加速し始めた。
 その舳先が指す向こうへと、クラックスは鋭い視線で目を凝らす。
 あっという間に視界に、不時着した気球艇が見えてきた。同時に、剣の(ひらめ)く光とモンスターの咆哮をもキャッチする。
「ウィラフってのは確か」
「ああ! やたらグラマーな姉ちゃんでよ。俺らとは顔見知りの冒険者さ」
「あの人がそうかな? 苦戦してるみたいだ」
「目がいいな、クラックス。そら、強行着陸だっ!」
 重い空気の層を突き破るように、急減速でトライウィングが降下する。クラッツの操船は荒っぽいが、緊急事態に際して的確に船体をコントロールしていた。
 そして、地面が目の前に迫るやクラックスは迷わず甲板から飛び降りる。
 着地の衝撃を回転で逃がしながら転がり回り、そのまま立ち上がるや全身の筋肉に全力運動を命じる。クラックスの意志が電気信号となって全身を駆け巡り、体内の術式が爆発的なパワーで彼の身体を前へと押し出した。
 あっという間に目の前に、踊り子らしき女性とモンスターの姿が迫る。
 どうやら乗客を守っているらしく、ウィラフは防戦一方だった。
「ウィラフさん、だよね? 助けに来たっ!」
「キミは……ヴィアラッテア!」
 獲物は巨大な蟷螂(カマキリ)の化物だ。この辺りでは特別危険な魔物で、その鎌は一撃で熟練冒険者の首を刈り取るとも言われている。強敵だったが、クラックスは果敢に単身戦いを挑む。たちまち両手に現れたナイフが、その切っ先で大鎌を逸らして火花をスパークさせた。
 そしてクラックスは、奇妙な感触に思わず独りごちる。
「なんだ? このモンスター……身体がほのかに光ってる? これは、いったい」
 その答は、背後でステップを踏みつつ援護してくれるウィラフが教えてくれた。彼女は気球艇の乗客保護を再優先に、クラックスの攻撃の隙を埋めるように剣を振るっていた。
「こいつは希少種(きしょうしゅ)よ!」
「希少種? 噂に聞いたことがあるけど、これが」
「そう! 極稀に突然変異で生まれる、とても潜在能力の高い個体。その力は、戦闘が長引けば長引くほど強くなっていく! アタシが襲われてからもう半刻、そろそろやばいなって」
 全てを狩るものと恐れられる、第二大地の凶悪な蟷螂のモンスター……その身体はやはり、ぼんやりと光を纏って明滅している。そして、クラックスが繰り出す攻撃を見切るかのように、機敏なステップで回避しては襲い来るのだ。
 確かにまともなモンスターではないとクラックスが気持ちを引き締めた、その時だった。
「うおおおおっ! 俺に任せろぉーっ!」
 クラッツがようやく安定させた船から降りるなり、抜剣と共に駆けつけた。
 クラッツが隣にきてようやく、クラックスの剣筋が水を得た魚のように動き出す。ジグザグな無軌道に身体を加速させながら、クラックスはあっという間にモンスターの背後を取った。
 その動きを援護しつつ、クラッツが真正面から大上段に剣を振りかぶる。
「クラッツ、気をつけて! こいつ、希少種だ!」
「おうっ、それは、つまり……あれだな? スゲーやつ、だったか? とにかく、ブッ倒す!」
 二人は挟み撃ちの形で逃げ場を塞ぐや、同時にモンスターへと躍りかかった。そのスピードは既に、ウィラフが刻む踊りのビートにのって、さらなる加速で風を切る。
 さしもの希少種も、二人同時の挟撃に狼狽え一瞬だけ脚を止めた。クラッツとクラックス、どちらを先に倒すべきかを迷った、その瞬間に勝負は決する。クラックスが大振りな一撃でなで斬りを浴びせ、よろけた所をクラックスの連撃が血の花を咲かせる。
 一時は苦戦も必須かと思われた希少種の蟷螂は、断末魔を張り上げその場に沈んだ。
「ふぅ、助かったよ二人共!」
「おうっ! へへ……怪我ぁねえか? ウィラフ」
 相変わらず女性の前だと背伸びして男前なクラッツに、自然とクラックスも頬を崩す。クラッツは美人には弱いのだが、そんな単純で正直なクラッツがクラックスは好きだった。
「ちょっとお客を乗せてたんだけど、無事タルシスまでいけそうだよ。ほら」
 ウィラフの背後には、ケープを目深に被った二人の旅人が立っていた。片方は見上げるような長身痩躯(ちょうしんそうく)で、不思議と人の気配がしない。もう片方は小柄で、どうやら女性のようだ。
 そう、少女だった……ケープを脱いだ瞬間、クラッツもクラックスも目を見張る。
 呼吸も鼓動も忘れるほどに可憐な、見るも麗しい娘が声をかけてきたのだ。
「助けてくれてありがとう、冒険者さん。わたしはジェラヴリグ。こっちは友達のテルミナトルよ」
 不意に、吹き抜ける風に心地よい(しお)の香りが入り混じった気がした。
 海の匂いを引き連れた少女は、どこか人ならざる美しさで微笑んでいた。

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