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 アーモロードという名の街がある。
 遠く南海に浮かぶ島国だ。巨大な世界樹に見守られし、交易の一大拠点としても有名である。
 ジェラヴリグはかつて、アーモロードの冒険者だった。
 何年か前、多くの仲間たちと世界樹に挑み、その謎を解き明かした。海都(かいと)深都(しんと)、二つに分かれた民の絆を取り戻し、仄暗(ほのぐら)い海底の深淵に(よど)む邪悪を払ったのだ。そして今も、アーモロードで多くの仲間たちと暮らしていた。
 そんなジェラヴリグが海を遥か遠く離れ、このタルシスへと訪れたのには訳があった。
「さあ、さあさあ! こっちに座んな、へへ……よしクラックス、茶だ!」
「うんっ! お菓子もいるよね!」
 ジェラヴリグは今、自分たちの危機を救ってくれた冒険者たちのおかげでタルシスの土を踏むことができた。冒険者が集う酒場へと脚を踏み入れれば、不思議と周囲の視線がくすぐったい。皆、ジェラヴリグを見て息を飲む。
 (しお)の香りをまとった自分が珍しいのだろうとジェラヴリグは思った。
 己の美貌が誰彼構わず振り返らせているのだとは、全く気付かなかった。
「活気のあるいい街ね、チェルミ」
 微笑むジェラヴリグの側には、寄り添うように長身痩躯(ちょうしんそうく)の男が立っている。全身をマントで覆った相棒のテルミナトル……彼は真っ直ぐジェラヴリグを見下ろし頷いた。
 そうして勧められた席に二人で座ると、すぐに先ほどの少年たちが戻ってくる。
「まあ、長旅で疲れたろ? 茶でも飲んでくれや」
「ケーキもあるよ!」
 バタバタとお茶の準備をしてくれるのは、先ほどピンチを救ってくれた冒険者たちだ。名は確か、クラッツとクラックス。
 ジェラヴリグは自然と笑みが零れて、ともすれば少し吹き出しそうになる。
 どういう訳か二人共、目を輝かせて子供のような笑顔なのだ。
「ありがとうございます、クラッツさん。クラックスさんも」
 クラッツとクラックス、二人は頬を赤らめつつ肘で小突きあった。そうしてニシシと笑いながらも、頬を緩めっぱなしで鼻の下を伸ばしている。
 だが、彼らの本心からの厚意には感謝すれども、本音の下心には鈍いジェラヴリグだった。
 彼女の前で二人は、ガシリと肩を組んで僅かに背を向ける。
「クラックス、これだぜ……これなんだぜ!」
「うん! うんうん!」
「やっぱこぉ、女の子ってのはこうじゃねえとな。おしとやかで清楚(せいそ)可憐(かれん)で」
「うんうんうん! それに、とてもいい匂いがするね。笑顔が凄く綺麗だ」
 そういうやりとりが、ゴニョゴニョとジェラヴリグには聞こえている、丸聞こえだ。それは隣のテルミナトルも一緒で、寡黙な彼は露骨に眉を(ひそ)めてみせた。ジェラヴリグの身を流れる血は、その半分が深海の古き民のものだ。故に彼女は、僅かながら人間よりも鋭敏な感覚を持っているのだった。
 だが、ジェラヴリグは駄々漏(だだも)れな会話に苦笑こそすれ(とが)めることはしない。
 そうしていると、クラッツとクラックスはニコニコと愛想のいい顔で向き直った。
「で、ジェラヴリグさん。タルシスへはどうして?」
「あ、はい。アーモロードは交易の街。わたしはアンバーの港で正式に、大陸の特産品を調べて歩く仕事を引き受けました。それと……人を探してます」
「人探しか……おっしゃ! クラックス、俺らの出番だぜ!」
 クラッツの声に隣のクラックスは、「うん!」と無邪気に笑う。
 二人はまるで本当の兄弟のように息ぴったりだ。
 心配そうにそっと手を重ねてくるテルミナトルに、ジェラヴリグは静かに頷いた。
 この二人の冒険者には、邪気が全く感じられない。それもそのはず、希少種の厄介なモンスターに襲われたジェラヴリグたちの危機に、自ら助けに飛び込んでくるような少年たちなのだ。
 不思議なことに、ジェラヴリグはもう二人を信用し始めている。
 そして、この街も……風が洗って吹き抜けるタルシスの、そこに住む人たちの気質にも自然と心を許し始めていた。この街はどこか、数年前に呪縛から解き放たれたばかりのアーモロードに似ていた。
 そんなことを考えていると、ちょっと気取った態度で二人が身を乗り出してきた。
「で、ジェラヴリグさん……どういう人をお探しで? 俺ら、助けになれるぜ」
「そうだね、酒場でクエストを出してもらうまでもないさ。なにかの縁だし、手伝うよ!」
 キリリと二人が表情を引き締める。
 そこには、一流の冒険者たちが持つ緊張感があった。
 だが、それも一瞬のことで、すぐにデレデレと締りのない笑みに崩れてゆく。
 ジェラヴリグが口を開こうとした、その時だった。
 クラッツとクラックス、二人の背後に身も凍るような殺気が立ち上る。
「クラッツ……クラックス。貴様ら……なーにーをー、しーてーいーるー!」
 クラックスはパッと明るい笑顔で、その声に振り返った。
 逆にピタリと固まったクラッツの顔が、サッと蒼白になってゆく。そのままギギギギと振り返る視線の先に、一人の少女が立っていた。仁王立ちだ。目尻をいからせ眉根(まゆね)を寄せて、眉間(みけん)にしわを刻んでいる。激昂(ゲキオコ)に空気を沸騰させる少女の隣には、一人の細身の剣士が立っていた。
 自然とジェラヴリグは、女剣士と会釈を交わし合う。
 女剣士は顔や腕、そして脚と全身に黒い(あざ)がまるで縛鎖(ばくさ)のようだった。
「げっ! サーシャ!」
「アルマナもお疲れ様。調度よかった、一緒にお茶にしようよ」
「貴様らっ! ……特に、クラックス! アルマナ殿というものがありながら!」
「あ、あの、サーシャさん。いいんですよ、私わかってますから。お客様ですか? クラックス君」
 サーシャと呼ばれた少女は、憤怒も顕な鬼女のようだった。ズシン! と聴こえてきそうな一歩を踏み出し、むんずとクラックスの頭を鷲掴みにする。
「え、あ、あれ? ねえ、サーシャ……サーシャ? あの、怒ってるの? どしたの」
「浮かれてるように見えるか、このウスラトンカチ。そう、トンカチ……トンカチだ」
「……は、はいぃ!」
 鬼気迫る迫力を前に、突然クラックスの輪郭が解けて消えた。ジェラヴリグも驚いたが、クラックスはあっという間に小さな金色の蜥蜴(とかげ)へと姿を変えたのだ。その愛らしい姿も今は震えて怯えている。だが、サーシャは容赦なく尻尾を鷲掴(わしづか)みにすると、クラックスでクラッツを殴り始めた。
(いて)っ! こら手前ぇ、なにしや、が、り、ますか……その、痛え! な、なんだサーシャ」
「死ね! 今すぐ死ね! いいや殺す、一度と言わず二度三度殺す! おーまーえーはー!」
 たまらずクラッツが立ち上がり、椅子を蹴って逃げ出す。そのあとをサーシャは、クラックスを振り上げながら追いかけていった。周囲の席で大人たちからも笑い声が無数にあがる。
 そして気付けば笑っていたジェラヴリグは、懐かしい声を聞く。
「まあ! あれは……ジェラ!」
 振り向くとそこには、健康的に少し日焼けしたダンサーが立っていた。その表情は今、真っ直ぐジェラヴリグを見詰めてパッと明るくなる。まるで満天の夜空のように、双眸に星海が輝いていた。
 尋ね人を前にジェラヴリグも立ち上がると、走り出したい気持ちを抑えつつ飛び込んでくる親友を抱きとめる。


「ジェラ、どうして! お久しぶりですわ、本当に……わたくし、嬉しいですっ!」
「リシュ、元気そうね。よかった……本当に変わらないのね、リシュ!」
 二人は固く抱き合った。もう何年ぶりだろうか? 手紙のやり取りは絶えなかったが、実際に会うとすぐに離れ離れだった時間が埋まってしまう。
 だが、ジェラヴリグは待ち焦がれた再会で親友リシュリーに伝えねばならぬことがあった。
「どうかしましたの? ジェラ……もしかして、アーモロードでなにかあったのでしょうか」
「ええ……あのね、リシュ。最近、夢を見るの……何度も何度も神竜(しんりゅう)の、エルダードラゴンの夢を」
「まあ!」
 神竜とは、アーモロードから臨む海の果て、絶海の秘境にある空中樹海の主だ。全てを見守る竜の中の竜、この世界の真理と摂理を(つかさど)る神でもある。嘗てまつろわぬ闇の禍神(まがつがみ)に対して、共に戦った信頼できる高位存在だ。
「リシュ、聞いて……エルダードラゴンは繰り返し訴えてくるの。大陸の奥地、世界樹の地に災禍(さいか)が……黒い翼が蘇ると。そのことをわたし、どうしても伝えたくて」
 ジェラヴリグの言葉に、リシュリーは珍しく真剣な表情に顔を引き締める。
 そして、それを聞いてた先ほどの女剣士は、先ほどの穏やかな表情を引っ込めてしまった。そこには、戦慄と驚愕に強張る白い顔が、まるで(うごめ)くような黒い痣に沈んでいた。

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