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 雇い主たちを背に庇って、冒険者ウィラフは奥歯を噛む。
 自らの軽率な判断が招いた惨事を前に、彼女の心は揺らいでいた。だが、そんなウィラフを奮い立たせるように、守るはずの者たちが前に出る。
「ジェラ、気球艇まで下がってください! わたくしたちが敵を引き付けますわ!」
 両手に雌雄一対(しゆういっつい)の剣を構えて、華奢で小柄なダンサーが躍り出る。
 彼女の名を叫ぶ少女の声を受けて、長身痩躯(ちょうしんそうく)の男が続いて大剣を引き抜いた。
「チェルミ! リシュを守って、わたしは大丈夫だから」
 寡黙な青年は小さくキュインと身を鳴らすや、リシュリーと共に両刃の剣を構える。そんな冒険者たちの必死の抵抗を前に、圧倒的な威圧感が稲光を瞬かせた。今、希少な果実である宝仙桃(ほうせんとう)を求めるリシュリーとジェラヴリグ、そしてそれを護衛するウィラフの前に死が鎮座していた。
 宙へとその身を広げて眼下を睥睨(へいげい)するは、巨大な竜……雷鳴と共に現る者。
 歯向かう全てを飲み込む大自然の脅威、稲妻を纏いし第二大地の絶対王者。その威容を前に、ウィラフはよろけて思わず後ずさる。震える脚は膝が笑い、立っているのがやっとだ。
「駄目だ…駄目だよ、アタシじゃ。アタシなんかじゃ!」
「ウィラフ様! 大丈夫ですわ、お独りではないのですから。さあ、一緒にリズムを刻みましょう。わたくし、ウィラフ様に合わせますの!」
「駄目、無理だよ! アタシ、知ってんだ……どれだけ竜が恐ろしいか。だから、逃げてきた……タルシスに。ドラゴンスレイヤーの一族である家から、逃げてきたんだ!」
 込み上げる震えに全身の肌が粟立ち、激しい悪寒が背筋を突き抜ける。誰よりも竜の恐ろしさを知るからこそ、ウィラフは血の宿命より逃げてきた。家名を捨てて生きてきたのだ。さる国のドラゴンスレイヤーの高家に生まれながら、出来損ないの劣等種……それが自分だと決めつけてきたのだ。
 だが、そんなウィラフをも庇うように、リシュリーはテルミナトルと立ち塞がる。
「チェルミ様、ジェラを守ってください。……大丈夫ですわ、わたくしもタルシスで随分と成長しましたの! もう、守られるだけのお姫様ではありませんわ」
 両手に大剣を構えるテルミナトルは、隣のリシュリーを見下ろし小さく頷く。だが、瞬きすらせぬその目を竜へと向けて、一歩もその場を動こうとしない。それは、己を捨てて全てを守る気構えだ。
 ウィラフには信じられない光景で、ともすれば無知で無謀な蛮勇に見えた。
 竜との遭遇は即ち、不可避の死である。その死をも踏破するドラゴンスレイヤーたちでさえ、多くの者が帰らぬ命と消えるのだ。ウィラフにはまだ、若い頃に国でも勇名を馳せた戦士、英雄ウェアルフがアーモロードで死んだ記憶が新しい。
 竦み上がるウィラフをその時、柔らかな温かさが包んだ。
 気付けば隣に、依頼主のジェラヴリグが肩を抱いてくれている。彼女は眼光鋭く一同を睨めつける竜へと、真っ直ぐな眼差しを注いでいた。
「チェルミ、リシュも……ウィラフさんはわたしが守る。無理、しないで。うしろは大丈夫だから」
 自分に言い聞かせるように、強い言葉をジェラヴリグが放つ。
 その声に背を押されるように、テルミナトルの身体が地を蹴った。纏うマントが風に(なび)いて、その奥から顕になる機械の身体。関節に金属音を奏でて疾走るウォリアーの青年は、鋼の肉体を持つ深都の機兵、アンドロだったのだ。
 南国の海深くで鍛えられた剣技が、疾駆するテルミナトルの引き絞る刃に漲る。
 大地を引っ掻き土煙を上げる切っ先が、振り上げられると同時に風を呼んだ。
 そして、メカニカルなノイズも高らかに戦う闘士の背を、情熱のビートが後押しする。
「タンゴのリズムに生命を載せて……さあ! 偉大な竜へと捧ぐ、これがわたくしの、わたくしたちの鼓動の響き! 息吹の調べですの!」
 巨大な竜がテルミナトルの肉薄を嫌がるように、身を揺すって宙へと逃げる。だが、超人的な脚力で地を蹴るアーモロードの戦士は、竜の巨体へと降り立つや逆巻く胴体を駆け登り始めた。ウィラフは眼前の、目を疑うような攻撃に思わず言葉を失う。
 そして、その必死の抵抗を支えるようにリシュリーは踊りながら手を伸べてきた。
 自然とウィラフは、ジェラヴリグに促されるまま、震える手をリシュリーの手に重ねる。小さな少女の手もまた、冷たく汗ばんで震えていた。
 誰もが皆、恐ろしいのだ……怒れる竜との遭遇こそが、なによりも確実な死なのだから。
 だが、その恐怖を踏破する意志があるならば、人はいつでも戦える。
「リシュちゃん、アタシ……」
「踊りましょう、ウィラフ様! さあ!」
 自然と二人のリズムが重なり連なって、螺旋を描いて交じり合う。その中から紡がれた音楽は、すぐに周囲の緊迫した空気へ円舞(ロンド)の調べを広げていった。
 気付けばウィラフは、小さなリシュリーにエスコートされるままに踊っていた。
 二人のステップが互いの力を引き出し、徐々に竜の殺意を押し返してゆく。
「信じられない……嘘、アタシ。リシュちゃん、この踊りは」
「遠くアーモロードの海に伝わる踊りです! 大海原の波濤(はとう)をも超える、港町の民が神事に捧げるものですの。さあ、二人でチェルミ様に……みんなに力を!」
 暴れる竜は遂に激昂(げきこう)に吠え荒ぶや、テルミナトルを載せたまま身体を揺すって首をもたげる。大きく天地へと開いた口の奥から、光をスパークさせる巨大な雷塊(テンペスト)がせり上がってきた。
 竜の持つ最も恐ろしい攻撃、自らの持つ属性を解放させる神雷(じんらい)だ。
 金色(こんじき)の鱗の上を馳せるテルミナトルが、僅かに唇を歪めた、その時だった。
「悪いが……狙うなら、今だね。おらっ!」
 突然、空から声が降ってきた。
 同時に、竜の眉間へと鋭い一撃が突き立つ。一寸の狂いもなく穿(うが)たれた(くさび)は、強烈なブレスが炸裂する間際に竜の頭部を射抜いていた。額に矢を生やしたまま、絶叫と共に竜が巨体を揺すって地面へと落ちてくる。
「この距離でようもまあ……当たったようじゃぞ、サジタリオ。どれ、ワシも少し働いてみせようかのう?」
「次は脚だ、しきみ! 例え竜が相手でも、俺の矢は誰もかわせねえ……そういう風にできてんだ、観念しな!」
 驟雨(しゅうう)の如く注ぐ矢の飛来する先へと、リシュリーが「サジタリオ様! しきみ姉様も!」と声を弾ませる。空に浮かんだ気球艇から、二人の射手の姿が見えた。駆けつけた仲間たちの援護へも、竜は吼え荒ぶや尾の一撃を浴びせる。
 だが、荒れ狂う巨体の前に、リシュリーたちを庇うように影が舞い降りた。
 帝国百貨店(デパート)の包装紙にくるまれた、巨大な包み。それを小脇に抱えたエミットが、長大な戦鎚(ウォーメイス)を片手で振るって大地に立つ。彼女は姪にして妹を背に、鋭い眼光で竜を睨んだ。
「無事か、リシュ! ジェラも。礼を言うぞ、ウィラフ……おかげで助かった。後は……危険な竜を野放しにはできぬ、チェルミッ!」
 吼えるエミットの声が閃光を呼んだ。
 大地にのたうつ大蛇の如き竜の、その舞い上げる土煙の中から人影が跳躍する。大剣を逆手に持ち替え、さらに鍔を握り締めたまま……テルミナトルは無音の雄叫びと共に、刃を竜へと突き立てた。
 絶叫が空気を沸騰させる中、巨大な包み紙を放ってエミットが走り出す。その手に引き絞ったハンマーが、鋼鉄の長柄をしならせ振りかぶられる。それは、深々と剣を突き刺し埋めたテルミナトルが、最後の力で離脱するのと同時。
「終わりだ、雷鳴と共に現る者よっ! 貴様が触れたそれは……私のっ、逆鱗だ!」
 ドン! と、エミットの痛撃が竜を打つ。その衝撃波が周囲に同心円上に広がり、爆心地に突き立つテルミナトルの剣が竜の巨躯を貫通して地に突き立った。
 だが、恐るべき竜は手負いの身を荒ぶらせるや、必死で空へと逃れようとする。
 その時にはもう……最後のステップでフィナーレに踊るウィラフが、リシュリーと共にピンと伸ばした脚を揃えて振り上げる。二人は息を合わせて、転がる帝国百貨店の包みを蹴り飛ばした。
 ふわりと重量も感じさせず、綺羅びやかな臙脂(えんじ)と金の包み紙が浮かび上がる。
「逃しませんわ、おばねーさまっ!」
「……一意専心ッ! 星の海までっ、飛んで、いけぇぇぇぇっ!」
 エミットが全身の筋肉をバネに、身を捩って回転運動でハンマーを振り抜く。遠心力で雲を引く鉄槌が、リボンのついた包み紙の塊を砲弾へと変えた。
 真芯でとらえた一撃は、そのまま逃げる竜の身体へ流星のようにめり込み、静かに落ちて転がる。トドメの一撃に短く断末魔を吠えると、ついに雷鳴と共に現る者はその場に落ちて動かなくなった。サジタリオやしきみといった仲間たちが、気球艇を下ろしつつ互いの手を叩いている。
 そして、安堵に脱力してリシュリーを抱えたまま、ウィラフはその場に崩れ落ちた。
 そんな彼女の目の前に今、光を放つ不思議な宝玉が浮かんでいた。
「あなたの勇気が掴んだ勝利よ、ウィラフさん。この宝玉へ手を……あなたは立派なドラゴンスレイヤー。ううん、それをも超える一流の冒険者だわ」
 気付けば、ジェラヴリグがそっと笑いかけてくれる。
 戸惑いながらもウィラフは、まばゆく輝く光の玉へと手を伸べ、それを胸に抱きとめた。


 勇気ある冒険者たちを、包み紙が破れて転がる木彫りの熊が、巨大な荒鮭に咥えられながら見詰めていた。エミットの強撃ももろともしない頑丈な木彫が、やがてアーモロードに持ち帰られ……ドラゴンスレイヤーの縁起物としてアンバーの港に祭られるのは、これはまた別の話であった。

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