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 再会の時間は過ぎて、ジェラヴリグたちはアーモロードへと帰っていった。
 リシュリーを介して親しくなったラミューには、別れはやっぱり寂しい。直ぐにタルシスの五人娘と打ち解けたジェラヴリグは、とっくに皆の友達だった。
 そしてやはり、リシュリーにとっては得難(えがた)い親友なのだった。
「よぉ、姫……寂しくなったなあ。ジェラの奴、帰っちまったもんな」
 第三大地、銀嵐ノ霊峰(ギンランノレイホウ)を吹き抜ける風も今日は少しだけ穏やかだ。
 揺れる気球艇の甲板で、ラミューはロープを編んでいたリシュリーに声をかける。呼びかけに顔をあげる少女は、予想に反していつもの柔らかな笑顔だった。
「ジェラとはまた会えますわ。今度はみんなで、アーモロードに会いに行きますの!」
「そだな、うん。オレも海って見たことねぇからよ。な、グルージャ」
 地図を(にら)む彼女たちの仲間は、視線を羊皮紙に落としたまま「そうね」と呟く。ジェラヴリグは不思議な少女で、気付けばグルージャとも親しかった。技術体系は違えど同じ術使い、色々なことを語り合ったようだった。
 そのことを思い出していると、自然とラミューはリシュリーの笑顔が伝染(うつ)ったかのようにニシシと笑う。グルージャはそんな二人の生温かい視線に、ようやくこちらを向いた。
「なに? リシュ、ラミューも。二人共ニヤニヤして……変よ」
「グルージャもジェラと仲良くしてくれましたの。みんなお友達で、わたくしとても嬉しいですわ」
「……もっとアチコチ案内したかった。タルシスも、ウロビトの里も、イクサビトの里も。勿論、帝国も。でも、ジェラには交易の仕事もあるんですもの、仕方ないわね」
 グルージャも静かに微笑む。
 交わした友の絆にはもう、距離と時間は関係ない。
 今度はこちらから五人で会いに行って、南国の海で遊ぶのだ。そんなことを話しだしたら、自然とラミューの心もウキウキと弾んできた。
 その時、舵輪(だりん)を握るメテオーラが船の後ろ側から声をかけてくる。
「それにしても、ジェラたちが探してた宝仙桃(ホウセントウ)……わけてもらったけど、うんめえー!」
「メテオーラ、貴女(あなた)……いつも食い気第一よね」
「いやいや、グルージャだって食べてたじゃん。うんめぇー? あれはホッペ落ちるよ、うんうん」
 瑞々(みずみず)しい甘みを思い出したのか、うっとりと顔を緩ませたメテオーラが両手で頬を包む。
 なんてことはない、いつもの日常が戻ってきた。
 ラミューたちは今日は、いつもの五人で食料調達だ。ここ最近はタルシスにも帝国人、ウロビト、イクサビトが多く流入して、街は大いに活気づいている。
 必定、新鮮な肉や魚、野菜の需要は高まり続けていた。
 辺境の開拓民が暮らす街は今、雑多な民族が入り乱れる大都市に変わろうとしている。激動の時代のうねりの中、世界樹の巨神を乗り越えた者たちの表情は明るい。誰もが皆、未来を信じてタルシスに集い始めていた。
 自然とラミューは、甲板に積まれた今日の成果を見渡す。
「ハピネスバニーが捕れたのはラッキーだったよなあ。あとは、ボチボチか?」
「純白七面鳥に銀嵐ワカサギ、陽明リンゴ……どれも美味しそうですの」
 まとまった量が採集できたので、タルシスで換金すればかなりの額になるだろう。ひょっとしたら今夜は、少しだけ贅沢な夕食が食べられるかもしれない。
 腰に手を当て「ふむ」と唸って、我ながら上出来だとラミューがニマニマしていると……メテオーラが舵を固定させるや皆の元へとやってくる。
「でもさー、(かに)はやっぱ見つからなかったねー……蟹ですよ、蟹! 蟹……ウマ……!」
「ああ? なんだ、あの噂を信じてんのかよ、メテオーラ」
「おうともさ! この極寒の地に今も待つ、絶品の珍味……その名は幻の黄金タラバ蟹!」
 冒険者たちの間で最近噂になっている、各大地でこれぞ逸品と言われる最上級の特産品……この銀嵐ノ霊峰では、幻の黄金タラバ蟹なるものがそうだと言われていた。いまだ誰も見たことがない、巨大な蟹だという。氷河の中で生きてきたその全身には、旨味のたっぷり詰まった身が満ち満ちているのだ。
 もう何度目になるか、その話をするメテオーラは瞳を潤ませながら自分の世界に旅立っていった。苦笑しつつも、ラミューは肩を竦める。リシュリーとグルージャも顔を合わせては、小さく笑っていた。
 舳先(へさき)に立っていたシャオイェンから声があがったのは、そんな時だった。
「前方に気球艇ですぅ! あの色は……確か、キルヨネンさんです〜!」
 双眼鏡を片手に、シャオイェンが甲板に降りてきて前方を指差す。
 やがて、冷たい風が吹き付ける中を一隻の気球艇が接近してきた。その青い気嚢(きのう)は確か、聖印騎士(ルーンナイト)のキルヨネンだ。ウィラフ同様にタルシスの古参冒険者で、とても聡明な人物である。彼なのか彼女なのか、中性的な顔立ちは慕う声も多く、性別不明の麗人であると同時にベテランの冒険者だった。
 そのキルヨネンの姿が、近付く気球艇の甲板に見えた。
 ラミューがロープを投げると、向こうは片腕で受け取り難なく引っ張る。二隻はすれ違うようにして距離を(ぜろ)に、寄り添って止まった。
 やはり、キルヨネンだ。便宜上は彼と呼ぶとして、彼は礼儀正しく五人に頭を垂れてくる。
「君たちは、ヴィアラッテアとトライマーチ」
「まあ! キルヨネン様ですわ。ごきげんよう」
「ごきげんよう、リシュリー姫。他の皆も元気そうだな、なによりだ」
 優雅にお辞儀を返すリシュリーを見て、キルヨネンは僅かに頬を崩して微笑む。その雰囲気はどこか、リシュリーの姉にして叔母に似ていた。どうりでタルシス中の娘たちが放っておかない筈である。
 だが、彼はラミューたち五人を見渡し、申し訳無さそうに声を細めた。
「済まない、一つ頼めないだろうか? もし、ハピネスバニーを持っていたら……一つわけてはもらえないだろうか?」
 どうやらキルヨネンも食材探しのようだ。そして、ハピネスバニーはこの土地で取れる希少な(うさぎ)である。その名の通り、食す者に幸運をもたらすとされて珍重されていた。さてどうしたものかとラミューが腕組み考え込んだ、その時にはもう仲間が声をあげていた。
「キルヨネンさん、ただという訳にはいかないわ。あたしたち、一匹ならもってるけど」
「あーもぉ、グルージャ! あんましがめついのはかわいくないよ〜?」
「メテオーラ、貴女の食い意地だって似たようなものよ。ハピネスバニーよ? ハピネスバニー」
「そう、シチューで煮込むと滅茶苦茶(めちゃくちゃ)美味くて、毛皮もふさふさ暖かいハピネスバニー! ……キルヨネーン、やっぱ駄目だー、ごめーん! ただでは渡せなーい!」


 思わずラミューは「変わり身早ぇ!?」と声に出てしまった。
 だが、キルヨネンはグルージャとメテオーラのやりとりが面白かったのか、声をあげて笑い出す。涼やかで通りのいい声は、()んで冷たい空気に不思議とよく響いた。
「なに、ただでとは言わない。この獣猟教本(ジュウリョウキョウホン)と交換はどうだろうか」
「ええと……ごめんなさい、キルヨネンさん。それはもう、持ってるわ」
「そうか。なに、気にすることはないさグルージャ。他には、野鳥図鑑(ヤチョウズカン)もあるのだけど」
「先日のお詫びにウィラフさんから貰ったばかり。……こちらこそ、ごめんなさい」
 謝りつつもグルージャは、ただで譲り渡すという頭がないようだ。その背後では、名残惜しそうに既にメテオーラが、ふわふわでもこもこなハピネスバニーを抱き締め別れに咽び泣いている。
 そういえばと思い出し、ラミューは間に割って入った。
「そういや、キルヨネン! あんたも確か、ドラゴンを追ってるんだったな」
「ああ。我が故国の水晶宮(すいしょうきゅう)を襲った、(あお)き竜を探している。双臂王(ソウヒオウ)ビョルンスタットに仕えし聖印騎士として、討伐の任を……む! そうだったな、君たちの仲間にも確か」
「そういうこった。アルマナの姐御(あねご)がな……なにか竜に関する新しい情報はないか?」
 キルヨネンは細いおとがいに手を当て、暫し考えたあとでゆっくりと語り出した。
「帝国の北東、国境に近い山野に巨大なクレーターがあるのを知っているか? あれは、太古の昔に竜を封じた物らしい。……その封印は、強大な三竜そのものであるという伝承を聞いた」
「! ……三竜といやあ、やっぱり」
「君たちが皇子殿下やウィラフと倒した竜だろう。ならば、残りは一匹……その最後の一匹が、アルマナ嬢の探す竜なのか、それとも――」
 あえて言葉を(にご)したが、キルヨネンの言葉は暗に最悪の事態があることをラミューに伝えてきた。三竜と呼ばれる最強のドラゴンへ封印を預ける程の、恐るべきなにかが帝国の地に眠っている。そう考えると、ラミューは寒さとは違うなにかに凍えた。
 結局メテオーラが「元気にお食べられ〜! さよならあ!」と、涙ながらにハピネスバニーを引き渡した。丁寧に礼を言うと、キルヨネンは手を振り離れていった。

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