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 第三大地、銀嵐ノ霊峰(ギンランノレイホウ)に吹き荒れる風は今日も冷たい。
 身を切るような寒さの中で、ポラーレはファレーナたちと谷間にひっそり立つ(いおり)を訪ねていた。そこには、コッペペが教えてくれた通り一人の男が暮らしている。
 ポラーレを出迎えてくれたのは、イクサビトのモノノフ……ミナカタだ。
 帝国の地下牢から解放された彼は、かつて友と暮らしたこの場所へと戻ってきていた。
「久々の客人、か……遠路はるばる御足労を。たいしたもてなしもできなが」
 ミナカタは穏やかな表情で、一同を庵の奥へと招き入れる。イクサビト特有の東洋風建築は、実に質素な光景が中へと広がっていた。
 ポラーレとファレーナが並んで立つ間から、少女たちが我先にと靴を脱ぐ。
「まあ、素敵なお(うち)ですわ。小さくてかわいいですの」
「ミナカタの旦那ぁ! 一人で住んでんのか? なんか、不便じゃねえのかなあ」
「ラミュー、少し前まで別の人も一緒だったみたい。微かに痕跡があるもの」
 リシュリーとラミュー、そしてグルージャだ。
 今日はメテオーラは、幻の黄金タラバ蟹を探すといって、食材探索チームに出張している。シャオイェンはといえば、コッペペが珍しく冒険に出ているので、そっちについていった。普段から五人娘はまとまって動くことが多いが、常に一緒という訳ではないのだった。
 そんな愛娘(まなむすめ)とその友人たちを見やりつつ、ポラーレも靴を脱ぐ。
 脱ぐというよりは、その形状を素足に似せて瞬時に作り変える。錬金生物である彼に衣服は関係ないが、時と場所は常に選ぶものだ。それに、地面に接していない部分を使って素足を構成し直したので、問題はない筈である。
 ファレーナも細く長い脚の靴を脱いで、白い肌も顕な素足で前へ進んだ。
 やはり、いつ見てもポラーレには、ファレーナがとても美しい生き物に見えてしまうのだった。
「失礼するよ、ミナカタ。僕は」
貴殿(きでん)のことは聞き及んでいる、ポラーレ殿。冒険者のギルド、ヴィアラッテアを統べる強者とミツミネから……この目で確かめて今、納得していたところだ」
「いや、僕はそんな大それたことはなにも」
「なにもしていなくて結果が出せている、それが貴殿の器の大きさということだ」
 なにか少し、こそばゆい。
 変に照れて俯き頭をかくポラーレ。
 だが、隣ではファレーナが小さく頷いているのだった。
 ともあれ、ポラーレはこうしてミナカタと直接会うのは初めてになる。以前も何度か、帝国本土での伝承の巨神との決戦後、コッペペたちが脚を運んでいる……未だ竜の脅威が跋扈(ばっこ)し謎も残るこの地方の、平定と安寧(あんねい)のための手助けを請うているのだ。
 しかし、礼節をわきまえつつミナカタは一度たりとも首を縦に振らなかった。
 彼は既に、この場所で静かに老いさらばえて朽ちてゆくことを望んでいるようだった。


「ええと、何度もすまないんだけど、僕たちは君に力を貸して欲しいんだ」
「今、帝国やウロビトの里、イクサビトの里からの移民をタルシスで受け入れてます。しかし、この銀嵐ノ霊峰にはまだ、恐るべき()つ首竜がのさばっている」
 ポラーレの言葉尻をファレーナが拾い、彼女はさらに優しく続ける。
 いつでもファレーナの声は澄み渡って、言葉は明朗(めいろう)だった。
 彼女は静かに、しかしはっきりとミナカタが必要だと告げる。
「わたしたちに力を貸してもらえないだろうか? ミツミネやイナンナ、キクリといったイクサビトたちも、あなたの復帰を一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待っている」
 ヴィアラッテアとトライマーチ、二つのギルドにとってイクサビトのメンバーたちはもはや、なくてはならない存在だった。こと戦闘に関しては、彼らの勇猛果敢な戦いぶりは目を見張るものがある。のみならず、日常のギルド運営やちょっとした小迷宮の探索、果ては狩りや素材収集においても頼れる存在だった。
 勿論、彼らの師匠として助言に徹するヤマツミも、その兄弟である里のワダツミも想いは同じだった。時々ひょっこり現れるアラガミも、ミナカタを推挙(すいきょ)してくれている。
 だが、ポラーレたちに返される言葉は、いつも通りのものだった。
 一同に茶を出しつつ、ミナカタは黙って首を横に振る。
「既に俺の時代は終わった。今には今の将がおろう。あたら若手の戦にでしゃばり、手柄を横取りする訳にもいくまい。既に帝国の非道は正され、平和な日々が来る日も近い」
 一理あるし筋は通る、道理にかなっている話だ。
 だが、それを曲げてポラーレたちは思い願う。
 何故なら……どうやらまだ、ポラーレたちの戦いは終わりが見えていないから。既に三竜と恐れられた各大地の竜も、赤竜と雷竜の二体を撃破している。既に四つの大地に外敵は少なく、これからは文明と文化が交わる、力より知と理の時代にも感じるのだ。
 その一方で、ポラーレの胸中には複雑な気持ちが渦巻いている。
 あの日、確かに特務封印騎士団(とくむふういんきしだん)の長フリメラルダは言った。
 まだ、冒険者たちが強くあらねばならぬ理由が存在していると。
 そのことにポラーレは、どこか心の奥底で安堵している気がしてならないのだ。自分という暴力装置、戦うための錬金生物である存在に、まだ必要とされる意義があるのではないか? そういうことを考えてしまう時、酷く彼は陰鬱(いんうふ)な気分に苛まれもした。
 それでも、求めて欲する戦いの先に平和があるなら、避けて通る道はない。
 なにより、ファレーナやグルージャ、そして多くの友や仲間が一緒だから安心だ。
 だからこそ、既に己という刃を振るう意味を失った者に、伝えたい言葉がある。
 そうこうしていると、グルージャたち少女が口々に声をあげた。
「ミナカタ様、どうかわたしたちに御助力を……まだ、ミナカタ様の力を皆が必要としてますの!」
「そうだぜ、なあ旦那。旦那ほどの豪傑が、このまま終わるなんてよ……オレらともう一花咲かせようぜ?」
「……無理にとは言わない、言えないわ。でも、貴方の背中を見て育つものもある筈よ」
 グイグイと迫るラミューとリシュリーを、その首根っこを服ごと引っ張りつつグルージャが真っ直ぐミナカタを見ている。彼女の眼差しを受け止めるミナカタもまた、酷く健やかな笑みを浮かべていた。
 これは説得は無理かと、ポラーレは隣のファレーナを見やる。
 そんな一同をぐるりと見渡し、ミナカタは静かに語った。
「貴殿らは氷の三つ首竜をも倒すつもりだな? ならば心して掛かられよ……なに、心配はいらぬ。その力はもう、貴殿らにはある。俺は、友を弔い無事を祈ろう。この場所で」
 ミナカタの言葉は重く、しかし声は不思議と笑顔であった。
 そこには既に、当人が決めた全てがあった。
 イクサビトの栄えある(ほまれ)、稀代の将は一人この地で朽ちてゆくつもりだ。そしてポラーレたちに、それを止める術はない。だが、不思議とミナカタの表情は満足に満ちている。
 戦のない時代の訪れは、武に生きる者たちを歴史の彼方へと追いやろうとしていた。
 それをポラーレは、人間のように受け入れることができるだろうか?
 その疑問を自分に問うが、答を探すことができなかった。
 ポラーレたちが説得を諦めかけた、まさにその時だった。
 ふと、ミナカタが思い出したように語り出す。
「あの御仁(ごじん)も、だいぶ粘ってくれたのだがな。にべもなく断り、追い返してしまった。悪いことをしたとは思うが……よければ貴殿らで、力になってやってほしい」
「あの御仁、というのは」
「キルヨネン殿だ」
「ああ、彼? は……彼は、なにを」
「あの三つ首の青い竜を討ちたいと、俺に助太刀を。なにか、逼迫(ひっぱく)した顔つきであったが」
 途端に三人娘たちが騒がしくなる。
「キルヨネン、あいつ……やべぇ! 嫌な予感がしやがる! おい、リシュ、グルージャ!」
「キルヨネン様はもしや、焦っておられるのでは。いけませんわ、胸騒ぎがしますの!」
「普段はソロのベテラン冒険者が、助太刀を。つまり、それだけの相手だということね」
 即座にラミューとリシュリー、そしてグルージャが庵を飛び出してゆく。彼女たちは靴をはくのももどかしげに、外へと去っていった。意図を理解したポラーレも、ファレーナと共に立ち上がる。
「ミナカタ、とりあえず……また来るよ。次はもう少しゆっくりお茶でも飲みたいね」
「……かたじけない、ポラーレ殿。ファレーナ殿も」
「いや、いいんだ。君の選択を誰も責めはしないさ。……僕は少し、羨ましい。力だけが僕じゃないとしても、力を捨てられるのかどうか。力の必要ない時代が来た時、僕は」
 その答もまた、今は自分の中にないとポラーレは知っている。
 だからこそ、探して求め、なければ作ると心に結んで彼は愛娘たちを追いかけた。

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