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 凍てつく空気が、逆巻き荒れ狂う。
 視界を奪われた白い闇の中で、キルヨネンは吹雪の壁へと目を凝らした。そこには、()(くび)をもたげた巨大な影が浮かび上がっている。
 第三大地、銀嵐ノ霊峰(ギンランノレイホウ)を支配する恐怖の暴君(タイラント)……氷嵐の支配者。
 絶対零度の覇者は今、独りで立ち向かう聖印騎士(ルーンナイト)を飲み込もうとしていた。
「クッ、私もここまでか……? 主君の勅命(ちょくめい)も果たせず、なにが騎士か」
 凍れる銀幕にも似た目の前の寒気に、黒い影。見上げるほどに巨大な竜のシルエットは、その三つの並んだ口からブレスを吐き出そうとした。いかな鍛え上げられたキルヨネンとて、今ブレスの直撃を喰らえば無事では済まない。
 万事休すに思われたその時、吹き荒れる嵐を小さな投刃が引き裂いた。
「ラミュー君! 悪いが船を頼むよ。……行こう、みんな。急いで来て正解だ」
 竜の中央の首に、投げられた刃の毒が回る。苦しみに呻きながら竜は、痙攣(けいれん)に痺れて動きを止めた。それは僅かな隙に過ぎなかったが、上空に揺れる気球艇から冒険者たちが降りてくるには十分な時間だった。
「君たちは……ヴィアラッテア!」
「手伝うよ、キルヨネン。しかし、君ともあろう者が何故無茶を」
「話はあとにしましょう、ポラーレ。……来ます」
 キルヨネンの前に、四人の冒険者が降り立った。そのうちの二人、自分の左右についてくれるのは以前ハピネスバニーを融通してくれた少女たちだ。
 そして、目の前に黒い人影と、白い麗人が立っている。
 ヴィアラッテアのギルドマスターであるポラーレと、その仲間ファレーナだ。
 麻痺毒を身の内より追い払った竜が吼えるや、彼らはすぐにキルヨネンと連携する動きを見せる。熟練の冒険者同士、僅かな時間で言葉も用いず互いのすべきことが伝わった。
「火の竜には氷、雷の竜には火が効果的らしいわ。ということは、氷の竜には雷ね」
「わたくしも援護しますわ! 皆様の勇気をリズムに乗せて!」
 いよいよ激しさを増す猛吹雪(ブリザード)の中で、自然とキルヨネンの中から絶望的な危機感が払拭されてゆく。絶対強者たる竜の前にいても尚、仲間の存在が心強いのだ。
 そしてそれは、キルヨネンだけではなかった。
「ファレーナ、一応頭を封じてみてほしい。いつブレスが飛んで来るかわからないからね」
「ええ。隙を見て他の部位も……広がれ、我が(ことわり)の方陣よ」
 静かな声と共に、凍れる大地に光の筋が走る。ウロビトのミスティックが用いる方陣の力が、あっという間に幾重(いくえ)にも竜を取り巻き術式を連ねていった。
 その光の中心で、竜は苦しげに(もだえ)つつも攻撃を繰り出してくる。
 自然とキルヨネンは、分厚い盾で二人の少女を(かば)う。
 それは、漆黒の影が這うように低い速さで突出するのと同時だった。
 ジグザグにでたらめな軌道で、ポラーレがあっという間に竜の巨体を駆け上る。彼は爪と牙を幾重にも繰り出してくる竜の、その中心の首へと取り付いた。
「悪いけど、そろそろ僕らも竜には慣れてきてるんだ。情報は仲間で共有している。お前たちは、この大自然で摂理にも等しい存在……でもね。同時に大自然の一部、命ある生物(イキモノ)なんだ」
 抑揚に欠く声を呟きながらも、ポラーレが両手に生やした剣で風になる。
 一陣の疾風(かぜ)と化したポラーレが、黒い竜巻となって竜の中央の首を取り巻いた。そしてたちまち、周囲に散らばる鮮血が赤い霧となる。瞬時に凍り始めた紅の輝きの中から、ポラーレは連撃の(きら)めきだけを置き去りに着地した。
 離脱するポラーレに一拍遅れて、竜の悲鳴が周囲に響き渡った。
「凄い……これがヴィアラッテアの、ポラーレ殿の実力か」
「父さんは、心配してたから。キルヨネンになにかあったら、って」
「私のことを?」
「ええ……誰だって、顔見知りが突然いなくなるのは辛いわ。それも、時に永遠の別離を避けられない……冒険者って、そういうお仕事だもの。だから」
 両手の指で(いん)を結ぶグルージャの周囲に、(あお)いプラズマの光が()ぜる。彼女は複雑に結んで連ねたルーンの力で、巨大な術式を構築すると同時に解き放った。
 波打つ稲光が無数に集って、束と落ちて竜の周囲を煌々(こうこう)と照らす。
 吹雪のヴェールをまとったシルエットが、直撃する爆光に浮かび上がった。おぞましくも雄々しく神々しい、蒼き三つ首竜。その姿が今放電の輝きを浴びながらも迫ってくる。
 間髪入れずにキルヨネンも、同じ術を解き放った。
 グルージャの呼び込む雷光に導かれるように、次なる落雷が空から降り注ぐ。
 だが、恐るべき氷嵐の支配者は簡単には沈まなかった。
「様子が変ですわ、グルージャ! キルヨネン様も」
「ええ……あの動きは、なに? なにかを……でも、やらせない」
 ファレーナが張り巡らせる方陣を蹴破るように、展開された光の中から竜が飛び出してくる。巨体からは想像もできぬ俊敏さに、思わずキルヨネンは盾をかざした。背中に二人の少女の悲鳴を聞いた時には、盾を保持する左腕に痛みが走る。
「キルヨネン! ポラーレ、キルヨネンたちが……クッ、私の方陣を食い破るとは」
「ファレーナ、距離を。僕が、押し返す!」
 地を蹴るポラーレが剣舞に踊るも……見えないなにかが二刀一迅の連撃を全て弾き返した。まるで金属を(くしけず)るような金切り声が響いて、ポラーレの斬撃の軌跡が空中に無数の光と映る。そう、透明な壁が竜の前に突如現れて、ポラーレの連続波状攻撃を全て防いだのだ。
 続けてグルージャの放つ雷撃をも、その壁は吸い込むように無効化してしまう。
 眩く輝く(いかずち)が、竜の前面に展開した鏡のような氷の障壁を浮かび上がらせた。
「くっ、これは……僕たちの攻撃が全て弾かれる?」
「どうやら物理攻撃は勿論、術の類も防ぐようですね。どうすれば……長引けば不利です、ポラーレ。この寒さと風、グルージャやリシュリーの体力が持つかどうか」
 キルヨネンも同感だ。
 この極寒の地では、鍛えられた冒険者といえど全力で戦える時間は短い。凍れる空気と叩き付ける風が、徐々に体力と精神力を(むしば)んでゆくのだ。既にキルヨネンも、手の指が(かじか)んで感覚が鈍い。
 しかし、ダメージこそ感じるが目の前の竜は()(すさ)ぶや絶対防御の構えで圧してくる。
 同時に、まるで周囲の冷気を吸い込むように竜の傷が塞がり始めた。
「再生まで!? まずいぞ、ヴィアラッテア! ……せめて、君たちだけでも逃げてくれ!」
 叫ぶキルヨネンは、そう言われてもこの場を退かない彼らのことを承知していた。損得勘定や有利不利が頭では理解できても、心で拒む者たちがいる。そういう冒険者たちだから、この絶望的なキルヨネンの戦いに助太刀してくれているのだ。
 何か打開策を……そう焦れるキルヨネンはその時、耳をつんざく咆哮(ほうこう)に震えた。
 周囲の吹雪さえ掻き消すような、地の底より響くような絶叫が周囲を満たす。圧倒的な空気の震えが広がり、竜の目の前で透明ななにかが、バリン! と音を立てて割れた。
「この声……モノノフの咆哮! 一騎当千の雄叫びは、あらゆる力を打ち消すと」
「では、やはり……ポラーレ、貴方の言葉は彼に届いていたということですね」
 ファレーナと頷き合うポラーレの、その視線が向く先へとキルヨネンも首を巡らせる。


 周囲を取り巻いていた氷嵐が吹き飛んだ、そこには……巨大な剣を担いだイクサビトの男が立っていた。彼は鋭い眼光で竜を睨むと、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「俺は……間違っていた。義を見てせざるは勇なきなり。貴殿らに教えられたのだ。俺は、友の死と共に、友の想いまでも殺してしまうところだった。だがっ!」
 撃鉄の跳ね上げられる金属音と共に、現れたミナカタが両手で握る砲剣を振りかぶる。全身の筋肉をバネに、身を捩って引き絞る。足元の氷に無数のヒビを広げながら、彼は一撃必殺のドライブをチャージし始めた。(けい)と燃える瞳にはもう、解放されし羅刹(らせつ)の力が燃え盛っている。
「キルヨネン、みんなも。下がろう」
「しかし、ポラーレ殿」
「危ないわよ、一緒に下がって。ね、そうよね父さん……巻き込まれるわ」
 冒険者たちと下がったキルヨネンの、その眼光を追うように竜が突出してくる。
 だが、その巨体が裂帛(れっぱく)の気合を叫ぶ声と共に吹き飛んだ。
乾坤一擲(けんこんいってき)っ! チェエエエエエエストォォォォォォッ!」
 光が走って、衝撃が突き抜けた。最後に音が響いて、無敵の障壁を失った竜が真っ二つに切り裂かれる。あまりに強烈な一閃は、稲妻の光と共に一瞬で突き抜けた。鋭利な断面を晴れ始めた空に晒して、竜は上と下とに分かれて真っ二つになった。
 全力全開の一撃を振り抜いたミナカタは、排熱に赤熱化した剣を収める。
「なんたる剛剣……これがイクサビト、モノノフの力……ん?」
 呆気にとられたキルヨネンは、目の前に光る宝玉が浮いているのを見る。それはまるで、強き冒険者を称えるような輝きだった。手に取るキルヨネンもまた、強き竜への畏敬の念を呟く。
「強き者よ、眠れ。……私が追う敵、故国を襲った竜ではなかったか」
 ポラーレたちに合流したミナカタは、頭を下げると冒険者たちと固く握手を交わす。
 ――何かが崩れて砕けるような、不気味な鳴動が脳裏に鳴り響いたのは、その瞬間だった。

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