帝国の空を
その名は、
冥闇に堕した者を迎撃すべく、帝国空軍は全艦艇を投じて決戦を挑んでいる。
だが、それはただただ己の無力さを思い知るだけの作業でしかなかった。
「装甲の厚い
先日の世界樹の巨神との戦いが、栄えある帝国空軍を弱体化させていた。あの戦いの痛手から、まだ艦隊は完全には再編成されていない。それは、応急処置で辛うじて浮いている総旗艦フォルテギガスに座乗するクレーエにはわかる。
まだ満足に修理の済んでいない艦もあった。
熟練の船乗りたちは、多くが療養中である。
それでも、クレーエは任されたのだ……皇子殿下から軍を託されたのだ。バルドゥールは自ら最前線での指揮を望んだが、流石に老人たちが黙ってはいなかった。だから、眼であり耳である影、クレーエに全てを預けた。今、クレーエはバルドゥールの眼や耳である以上に、彼の心のままに戦っていた。
しかし、その奮戦も終わろうとしている。
「……全艦離脱! 現時刻をもって作戦を放棄、戦線から後退する」
苦渋の決断に周囲がざわめく。
同時にクレーエは、己の砲剣を手にブリッジをあとにした。出掛けに一度だけ振り返り、最も階級の高い大佐に全てを一任する。
「俺が
「いえ、しかし……アーベント卿」
「気にするな、皆よくやってくれた。ここで艦隊の全てを失うわけにはいかん。この空軍は、貴官らの命は、全て殿下と国民の財産だ。無駄にする訳にはいかない」
不思議とクレーエは、怖くはなかった。
日頃からバルドゥールの影として、闇の中で汚れ仕事に生きてきた隠密騎士がクレーエだ。だが、今は一軍の将として戦い、帝国の為に死ぬことさえ
敗北に次ぐ敗北の日々が、一人の男に騎士の誇りと
ブリッジを出たクレーエを、誰もが敬礼で見送ってくれる。
帝国空軍の総旗艦フォルテギガスは、その傷ついた巨体をゆっくりと回頭させようとしていた。各艦の連絡用に使われる小さな複葉機の発着場へ出て、狭いデッキでクレーエは風に目を細める。
空の燃える凄惨な戦場をバックに、一人の男が彼を待っていた。
「……また
クレーエはその男に見覚えがあった。
否、今の帝国でこの騎士を知らぬ者など存在しない。
「ご一緒させていただきますよ、クレーエ殿。帝国の危機なれば、命を
そこには、
意外な援軍に心強く、しかしクレーエは死の緊張感を失ってゆく。
臨戦態勢で全身に覇気を漲らせたレオーネは、几帳面そうに眼鏡を上下させつつ
「帝国議会議長から激励の電文が。それとこちらは帝国元老院、そして各騎士団団長からのものです」
「……あ、ああ。ええと……」
「どれも似たような内容なのですが、まあ、故国の興亡この一戦にありと。お読みしましょう」
「え、遠慮しておく。ハ、ハハ……卿には緊張というものがないのだな。流石は暁の騎士」
「それと、珍しい物が届いていますね。これは……ほう、直筆です」
やれやれとクレーエは肩を竦めつつ、気がつけば悲壮感も緊張感も払拭されていた。小さな飛行機のエンジンを掛ければ、関係各省庁からの激励文を読みつつ後部座席にレオーネが座る。
軽やかな音を立てて、退却を始めた艦隊と擦れ違うように複葉機が飛び立った。
「朗報です、クレーエ殿。あの
「ほう? それは……槍が振るな。
「帝国の危機なれば、流石に
「いやいや、まさか……アレはそんなタマじゃないぜ、レオーネ」
気付けばクレーエは、あの激戦以来の戦友をレオーネと呼んでいた。レオーネもまた「違いありません、クレーエ」と
なにも怖くはない。
ただただ騎士たちは、涼やかな笑みを浮かべて死地へ飛び込んでゆく。
目の前にはもう、虚無の深淵にも似た巨大な竜が迫っていた。
『愚かな
荒れ地へ揺れながら不時着した機体から降り、クレーエは抜剣と同時に騎士の儀礼に構えて声を張り上げる。
「蘇りし破滅の邪竜よ! 退けば追わぬ、これ以上の流血を殿下は望まれない!」
『クァハ、ハ……愚か。既に帝国は衰え、土は死に絶え穀物は実る前に枯れる。赤子は死にながら生まれ、土地そのものが世界樹の影響で腐りつつあるのだ。その帝国を背負って……愚か』
「この地を我らの祖先は搾取し過ぎた。なれば、今一度自然へと戻して世界樹に
クレーエの声にレオーネが続いた。
「滅びの魔竜よ、去るがいい。遥かな太古の昔、この地に封じられし
醜悪な笑みを浮かべる巨大な竜の、その表情が不快感に歪んだ。
だが、構わずクレーエはレオーネと共に走り出す。発火用電源が唸りを上げて、砲剣が微動に震え出した。
――だが、不意に異変が二人を襲った。
「! こ、これは……」
「なんと! クレーエ、お気をつけを! か、身体が」
突然、疾走するクレーエの脚が力を奪われた。脚だけではない、砲剣を握る手も痺れるようで、頭も重く
『見よ、我が力を……
余りに力が違い過ぎる。迷宮の魔物や、あの世界樹の巨神すら比較にならない。クレーエは改めて、解き放たれた災いの恐ろしさに震えた。歯を食いしばって敵を睨みつつも、無様にその場へと倒れ込む。
声が頭上から降ってきたのは、そんな時だった。
「邪悪なる竜よ! 例え彼らの手脚を封じて、その思考を奪っても……気高き誇りまで縛ることはできない! それを今……俺が証明するっ!」
苛烈な光が走って、アクセルドライブの衝撃が周囲を薙ぎ払う。
同時に、
そして、二人は特務封印騎士団からやってきた異国の騎士を見やる。
特務封印騎士団、派遣戦力……僅かに、
ただ一人の騎士が、今のクレーエにはなによりも心強く感じた。
「外したか……卑怯な! コラッジョーゾ卿、アーベント卿も! あれを!」
冷却に入った砲剣を
『クハァ、ハ、ハ……外したなあ?
冥闇に堕した者が、濁って
巨大な黒き竜の頭部、額には……十字架に