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 タルシスの冒険者が集う、(おど)孔雀亭(くじゃくてい)は喝采に沸いていた。
 傷付きながらも冒険者たちは、恐るべき古代の邪竜を倒したのだ。その名は、冥闇(めいえん)()した(もの)……神竜エルダードラゴンを憎むあまり、数多の呪いをその身に招いた最凶最悪の強敵だった。
 だが、戦う冒険者たちの(きずな)の力が勝利を呼んだ。
 その結果を今、ナルフリードは膝を抱えて酒場の隅で見詰めていた。
 周囲の者たちは皆が笑顔で、一組の男女を囲み祝福の声をあげている。
「やったな兄弟! 流石は俺の見込んだ男、クラックスだぜ!」
「よくやった、クラックス。フン、愚図(ぐず)な貴様が嘘のように、今は誇らしいぞ」
「ありがとう、クラッツ。サーシャも……ようやく僕は、本当に守りたいものを見つけられたよ。そして、それを守ることができたんだ」
 仲間たちの中央で、クラックスがアルマナの肩を抱く。
 黒い呪いの(あざ)が消えたアルマナの肌には、その跡が痛々しく残っていた。白い肌とは明らかに違う色が、(わだち)となって走っている。だが、それを気にした素振りも見せずに、彼女は笑顔で微笑んでいた。
 そして、ナルフリードは見る。
 人混みから少しだけ離れた場所に、モノクロームの男女が寄り添い立っているのを。
 気付けばポラーレとファレーナが、温かな眼差しをクラックスとアルマナに注いでいた。皆が皆、包帯だらけの怪我塗(けがまみ)れだった。そして、思い出す……常に冒険者たちは身を削って、血と汗とで未来を切り開いてきたのだ。その先が明日へと続く限り、彼らは進み続けるのだろう。例え七難八苦が待ち受ける困難と試練の連続だとしても。
 気付けばナルフリードは、そんな冒険者たちが少しだけ羨ましかった。
 だが、自分は相変わらず半端者の騎士で、身を同じくする双子の姉がいなければ戦えないような男だ。そして、美麗に整った(かお)(からだ)も、男ですらないのだ。
 落ち込み抱える膝を一層小さく畳んで縮こまるナルフリード。いつものように虚しい冷たさが心を支配して、賢者の境地で思考が静まってゆく。頭も心も澄み渡って、ある種の悟りの境地が訪れていた。
 そんなナルフリードの前に、一人の男が立つ。
「……貴公、そんなところでなにをしている。忘れ物だ。剣は戦士の魂、大事にせねばならん」
 顔を上げると、筋骨隆々たる一人のイクサビトが立っていた。
 確か、名はミナカタ……以前、帝国で刃を交えたモノノフだ。彼は手にした砲剣をナルフリードへと渡してくる。柄に猛禽獣(グリフォン)の意匠を施した、ナルフリードがこの地で手にした逸品だ。
「これは……スピットファイアMk.12。俺の、剣……?」
「よい業物(わざもの)だ。帝国の工業力と職人の腕が、自然と知れるな……そしてまた、剣ある限り戦士は戦わねばならん。刃が折れれば拳で、拳が砕ければ牙と爪で……男は戦い続けねば」
「ですが、俺は」
 見上げる先でミナカタは、そっとナルフリードの砲剣を渡してくる。思わず立ち上がったナルフリードは、手にずっしりと思い自分の愛刀を受け取った。
 かつて刃を交えた敵同士、そういう時もあった。
 だが、ミナカタは静かな笑みを浮かべて表情を和らげた。
「立てた、な。貴公にはまだ、戦わねばならぬ敵がおろう。ならば、立って戦わねば」
「俺は、でも……いつも、姉様に」
「誰もが一人では戦えぬ。(こころざし)を同じくする者たちと、寄り添い、支え合って、共に進めばよい。俺はそうするつもりだが、貴公も問われるまでもなかろう」
 それだけ言って、ミナカタは視線を滑らせる。
 その先を見やったナルフリードは、賑やかで温かな喧騒の中を突っ切ってくる人影を見つけた。その男は酷く頼りない歩調で、酒を手に戦勝気分の冒険者たちにもみくちゃにされながらやってくる。
 あれは確か、帝国の砲剣技師……プレヤーデン・ナカジマだ。
 彼はナルフリードとミナカタとを見て、なんとか人混みの中を抜け出てくる。
「いやはや、大変なお祭り騒ぎですな! しかし、驚きましたぞ……伝説が本当であったとは。あの東の地に広がるクレーターには、やはり太古の邪竜が封印されていたのですなあ」
「プレヤーデンさん……どうしてこちらに?」
「いやなに、ナルフリード君。君を追いかけて金鹿図書館(きんじかとしょかん)を飛び出してきたのですぞ? しかも、聞けばミナカタ殿の近衛限定砲剣"(ゼロ)"が……」
 プレヤーデンの言葉に、僅かにミナカタが表情を陰らせた。だが、すぐに彼は微笑を浮かべて首を横に振る。
「武器は戦場において我が牙、我が爪……されど、友の想いはまだ我が心に。故に今、帝国の為に俺も戦おう。そのために、プレヤーデン殿。非礼を承知でお頼み申す。……俺に剣を」
「ミナカタ殿の"零"は、まだモーターや各部が生きてますぞ。刃を新造し、蘇らせましょう。今やこの世に一振りの"零"……決してこのまま終わらせはしませぬ」
 プレヤーデンの大きな頷きに、自然とミナカタは頬をほころばせた。
 そして、ナルフリードもまた自分の戦いを思い出す。親友ヴェリオと共に、ブリテン本国の帰還命令を無視してこの土地に残ったのには、理由がある。それは、騎士の矜持や国家の体面に比べると……余りにも重く、暗くて冷たい。この土地にはまだ、戦うべき真の邪悪が根付いているのだ。そのことを金鹿図書館で知らされて以来、ナルフリードの(はら)は決まっていた。
 そんなナルフリードの前に、細く華奢(きゃしゃ)矮躯(わいく)がやってきた。
「ナルフリード様。此度(こたび)はわたくし、なんとお礼を言ってよいか」
 気付けば、鎧の麗人に付き添われた踊り子の少女が立っていた。健康的に日焼けした肌も(あらわ)だが、高貴な者特有の威厳が静かに満ちている。自然とナルフリードは、姫君を前にした騎士のように片膝を突いて控える。そして間違いなく、今の二人は姫君と騎士そのものだった。


 エミットから離れて一歩踏み出し、リシュリーがナルフリードへと手を伸べてくる。
「わたくし、助けられましたわ……そして、ナルフリード様と皆様が帝国と四つの大地を救いましたの。ナルフリード様の……ベルフリーデ様の声、確かにわたくしに届いたのですわ」
「も、勿体なきお言葉。しかし、俺は」
 穏やかな微笑を湛えたリシュリーの、その中性的な顔立ちから温かな視線がナルフリードに注がれる。ひたすらに恐縮してしまう中で、ようやくナルフリードはリシュリーの顔を見上げることができた。そこには、守りたかった笑顔が花のように咲いていた。
「わたくし、ベルフリーデ様にもお礼を申し上げたいのですの。ええと、お会いできますでしょうか」
「え、あ……その、姉様は、あ、いや! 姉は、ちょっと最近……ええと」
 どういう訳か最近、ナルフリードの中で姉ベルフリーデは大人しい。先の戦いでこそいつものように飛び出してきたが、抜身の刃のようにギラつく彼女が、不思議とここ最近は精神の奥底に引きこもっているのだ。そしてそれが、謎の頭痛と深く結びついているのだとナルフリードは知っている。
 あの冥闇に堕した者も言っていた……二つの性が交じり合う中、一つの身体に二つの心は同居できぬのだ。今、ナルフリードの中の危ういバランスが揺れ始めているのだった。
 そんな時、声が走った。
「リシュ、私に任せろ。ちょっとした因縁もある。さて……歯ァ食い縛れ、蛆虫野郎(うじむしやろう)!」
 不意にサーシャがやってきて、小さく握り締めた拳を振り上げた。
 訳もわからずナルフリードは、綺麗に空気の渦を纏うコークスクリューブローを叩き込まれる。そういえば以前、木偶ノ文庫(デクノブンコ)で姉ベルフリーデがサーシャを(はずかし)めたことがあったのを思い出す。
「ちょ、あの、ゲファ! ま、待ってくださいサーシャ殿、ンゴッ!」
「あのアバズレを出せ。出すまで殴る。リシュが会いたいといっているのだ、糞ビッチが! いいからさっさと出てこい!」
「い、いや、殴るって、ゴフッ! 蹴りだ、膝蹴りで殴った! それは、ンガッ!」
 周囲から笑いが巻き起こる中、手加減されつつナルフリードは容赦なくボコられた。そしてようやく、遠のく意識が姉と入れ替わるのを感じる。そこから先はもう、ナルフリードは傍観者だった。
「痛いわ、なによ! ちょっと、兄様を殴るのやめなさいよね……うう、頭痛い……で? なに、なんなの?」
「フン、ようやくお出ましか。いいぞ、リシュ」
「まあ……ありがとうですわ、サーシャ。では……ベルフリーデ様、此度はご助力いただきありがとうございました。わたくし、またお二人に救われましたの。心より感謝を」
 ベルフリーデの手を取り、リシュリーがニッコリと微笑んだ。
 ベルフリーデもまた、フンと鼻を鳴らして目を背けつつ……握られた手にもう片方の手を重ねる。ナルフリードからすると、自分とヴェリオ以外にこういう態度を見せるベルフリーデは初めてだった。
 だが、和解と融和の雰囲気の中、並み居る冒険者たちの笑い声を遮る言葉があった。
「揃ってるな、冒険者たちよ。っと、お馴染みの面子もいるのか、手っ取り早くてありがたい」
 不意に、レオーネを伴い一人の帝国騎士が現れた。確か、バルドゥール皇子の側近にして右腕、影となって働く者だ。名は確か、クレーエ・"コルヴォ"・アーベント……レオーネに勝るとも劣らぬ忠臣にして騎士、疾風迅雷(ライオット)の神速を誇る砲剣使いだ。
「ええと、ポラーレ殿というのは……ああ、あんたか。……本当にいつも黒尽くめなんだな」
「そういう君は、確かクレーエ君。今回も巨神討伐の時も、世話になったね」
「いいってことさ、あんたらは帝国の、殿下の恩人だからな。それで、殿下がこれを」
 クレーエは皆が見守る中で、ポラーレへと金色の鍵を渡す。それを見た瞬間、ベルフリーデの中に引っ込んでいたナルフリードは、背筋に冷たい悪寒が走るのを感じた。
 金鹿をあしらった黄金の鍵は、冒険者たちを新たな戦いへと駆り立てる(しるべ)だった。

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