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 第六迷宮、暗国ノ殿(アンコクノアラカ)……(いにしえ)より封印されてきた闇の神殿で今、慎重に歩を進める冒険者たちの姿があった。
 どこまでも静けさが続く、魔物以外に生き物の気配なき構造物が続く。
 ヴィアラッテアのポラーレは、この恐るべき魔境とも言える遺跡を調査し始めて、既に一週間が経過していた。だが、跳梁(ちょうりょう)する魔物たちはどれも手強く、数多の罠が悠久(ゆうきゅう)(とき)を超えて襲い来る。調査の進捗(しんちょく)(かんば)しく無く、それでもおぼろげながら真実の断片が見え始めていた。
「よし、休憩しよう……流石(さすが)に広いね。まだ階段が見つからない」
 ポラーレが足を止めると、仲間の四人もその場でようやく緊張を解く。入り口から歩いて、かなりの距離を進んだが……曲がりくねった迷宮内は危険な羊の魔物が行き交い、ただただ無限であるかのように奥へ続いている。
 今休憩しているこの場所、少し開けたフロアがどれくらいの場所にあるかもわからないのだ。
「私が歩哨(ほしょう)に立ちましょう! さあ、皆様はゆっくり腰を降ろして休んでくださいっ」
「あ、えっと……オルテンシア、君」
 ポラーレは、張り切って今来た道へと立つ女騎士へ呼び掛けた。
「君も少し、疲れてる。交代で見張りをやるから、先に休んだ方がいい」
「ポラーレ殿、私は大丈夫、平気です! 騎士たるもの、率先して皆の守りの(かなめ)とならなければ」
「うん。守ってもらうためにも、休める時に休むんだよ。いいね?」
「……確かに! では、ちょっと盾と鎧を……ふう、肩が凝りますね、この迷宮は」
 堅物なのか素直なのか、(ある)いはその両方か。
 ポラーレが穏やかに諭すと、オルテンシアも笑顔で応じてくれた。
 そのやり取りを見ていたサジタリオが、奇妙なにやけた笑みを浮かべる。それは、後列を歩くファレーナとグルージャにもささやかな笑顔を伝搬(でんぱん)させていった。
「ギルドマスターが板についてきたねえ? 相棒!」
「サジタリオ……そんなこと、ないと、思う。僕は……まだまだだよ」
「そうかい? ヘッ、昔ならきっとこうだぜ? ギロリと(にら)んで『休めと、言ったよ』ってね。そういう、取り付く島もない無表情な奴だったのは、自分ではもう忘れたかい?」
 サジタリオが自分の声真似をするので、ちょっと気恥ずかしくてポラーレも口元を緩めた。
 そして、ファレーナとグルージャの二人には、そんなポラーレの穏やかな変化が実感として満ちているようだった。
「確かに父さん、やっぱ変わった……お姉さんも、そう思いませんか?」
「ああ。なんだか少し、おかしいね。まだ一緒に冒険して間もない筈なのに、あのころの凍れる刃のようなポラーレが、随分懐かしいほどに昔に感じる」
 少し、照れ臭い。
 顔にこそ出さない、出そうにも出ようがないままにポラーレは頭をかいた。こうして背を丸めて無表情でぬぼーっとしてしまう、それだけはどうやら変わっていないらしい。
 互いにフフフと笑みを交わして、部屋の隅にある石段にファレーナとグルージャが腰を下ろす。重装備で先頭を歩いたオルテンシアは疲れたのだろう。脚を投げ出し、地べたに座り込んだ。サジタリオが最低限の警戒心を発揮しつつも、彼も少し気を緩めているようである。
「そうだ、ここまでの道のりでの発見、調べてわかったことを少し纏めたいんだ。いいかな?」
 皆の頷きを拾って、ポラーレが部屋の中央で仲間たちを見渡す。
 暗国ノ殿での調査は遅々として進まず、熟練冒険者たちのヴィアラッテアとトライマーチも今は牛歩の(ごと)きだ。それでも、手探りの探索が続く中で、多くの断片が情報となって転がり込んだ。時に危険を伴い罠の先に眠っていた情報もあって、それらはまだ点と点でしかない。
 全てが線で結ばれ一つの形を浮かび上がらせるのは、まだまだ先だと誰もが思った。
 それでも、現時点でわかったことはゼロではないし、無益でもない。
「まず、な……相棒。この施設ぁ、かなり古いもんだ。千年か、もっと昔の建造物だろうよ。その割には経年劣化がないのは……今の時代より優れた技術で造られてるから。違うか?」
「私もそう思う。道中、少しだが現存する書物もいくつか読めたし、それらのメモを持ち帰ってヨルンやレオーネの話も聞いてみなければ」
 サジタリオとファレーナの言葉に、ポラーレも頷く。
 まず、真っ先にわかったこと……それは、この建造物が遥か太古の昔に造られた、何らかの研究機関だったということ。ポラーレが初めて脚を踏み入れた時に感じた、自分の生まれた実験室の記憶を呼び覚まされたのも、両者が極めて近い性質の目的を持っていたからだろう。
 即ち、この暗国ノ殿は……千年以上も昔、世界樹の巨人が生まれる前に造られた建物なのである。もっと踏み込んで言えば、あの帝国を支える世界樹、かつて三つの種族が神と崇めて讃えた世界樹の巨人は、ここから生まれたものの一つかもしれないのだ。
「世界樹計画、って言葉が出てきたな……ええと、そうそう、ここだ」
 サジタリオはこう見えて几帳面なとこもあって、こと危険な迷宮では慎重過ぎるくらいの警戒心を発揮する。情報収集についても、学がないなりに知恵があって、要点をついた走り書きはタルシスに戻れば多くの情報を仲間と共有させた。
 サジタリオはメモ用紙、小さな羊皮紙の断片を広げて読み上げる。
「ええと、世界が死に絶え、遂に我々は世界樹計画を実行すべく……ん?」
「サジタリオ、君の字は少し汚いからね。読めるように書いたほうがいいよ、いつも」
「ちげーよ、相棒。そのまま書き写したんだが、元の本が風化でインクが(かす)れてんだ」
「なるほど。……世界樹計画? というのは」
 帝国の北に位置する、巨大な世界樹。それは、連なる四つの大地のどこからも見えるほどに巨大だ。誰もが世界樹の迷宮に富と名声を求めて、その根本を目指したが……分断された四つの大地にあるそれぞれの迷宮が、実は世界樹の迷宮と一繋ぎにくっついていたのである。
 誰もが世界樹の迷宮を求め、自然と世界樹の迷宮を冒険していたことになる。
「ポラーレ殿。確か帝国ではかつて、あの世界樹の力を用いて荒れ果てた土地を蘇らせたのではなかったでしょうか。その時の人間たちの末裔(まつえい)が、帝国の民なのだとわたすは聞きました」
 オルテンシアの認識は恐らく、間違っていないだろう。帝国はついこの間までと同様に、滅亡の危機にあったのだ。まだ帝国という国家ができていない時代、この地に人間はイクサビトやウロビトと共存し、豊かな理想郷(ユートピア)を築いていた。
 だが、やはり土が死に始めて、疫病や飢饉が襲ったのだ。
 帝国とバルドゥール皇子が直面した危機は、過去にもこの土地を暗い影で覆った。
 そして、古代の旧世紀文明に生きる民は、決断した。
 それが、どうやら世界樹計画であるらしいのだ。
「そして世界樹はこの土地を救いました。しかしある時、大いなる巨人となって三つの種族を襲ったのです。その伝承は私たちウロビトの里にも、おぼろげながら伝わっていました」
「あたしもミツミネさんやイナンナさんから聞いた……三つの種族は互いに力を合わせて巨人を封印し、その心と冠と心臓を、それぞれ分かち合った。でも、そのあと人間はウロビトやイクサビトを次第に亜人と(さげす)み、(しいた)げるようになって……そして、帝国が生まれた時代にはもう、それぞれ別の大地に暮らすようになったの」
 ファレーナの言葉を引き継ぎ、グルージャが語り終えるや俯いた。
 それがこの四つの大地の古い歴史だ。
 そして、繰り返される第四大地、絶界雲上域(ゼッカイウンジョウイキ)の滅びの兆し……イクサビトやウロビトを排斥した地で再び栄えていた人間は、再び滅びに直面した。そこで時の皇帝は解決手段を求めて、近衛(このえ)の騎士だけを連れて南へと旅立ったのである。
 しかし皇帝は巨人の呪いの病に倒れ、イクサビトの地に埋葬された。
 そうとも知らず、帰還を待つ帝国の民の焦燥感が次第に不穏な空気を蔓延させ、バルドゥール皇子の決起をも促したのである。全ては必然だったかもしれないし、そこにはバルドゥールだけが負うべき責任だけではない……多くの者たちの見えない不安が引き金となって、悲劇が起こってしまったのだった。
 だが、再び亜人との団結を取り戻したタルシスの冒険者は、その悲劇をも乗り越えた。
 世界樹の巨人による土地の再生ではないく、自然に回帰して土地が癒えるのを待ちながら、他の大地で三つの種族が手を取り合って生きる道を選んだ。この第四大地はもうすぐ、なにも実りのない不毛の大地へと沈むだろう。それが幾星霜(いくせいそう)の時を重ねて、遥かな未来に自然の手で再生を果たすまで……人はウロビトの里やイクサビトの里、そしてタルシスへと移り住むことになったのだ
「では、この場所は……あの世界樹が生まれた場所。……それだけなんだろうか?」
 太古の文明が残した研究施設、そういう遺跡にしては管理が厳重に過ぎる。先代の皇帝も、その前から連なる歴代皇帝も、何故この場所を特務封印騎士団(とくむふういんきしだん)に守らせているのだろうか?
 ポラーレがもっともな事へ思いを描いていた、その時だった。
「あ……ねえ、父さん。あそこ」
「ん?」
「お人形が、ある。ここ……もしかして研究所の休憩所とか、託児所みたいなものだったのかも。ほら、家族だよ。お父さんとお母さんと、子供と」


 ふと、閑散とした部屋の住みへとグルージャが立ち上がった。
 そこには、雑然と散らばる資材やなにかの薬品の空き瓶、そして不思議なプラスチックのカードが何枚も落ちている。ポラーレはそのカードが、なんらかの術式を無数に閉じ込めたものにも感じたが、ヨルンがいないので確かめようがない。一枚拾って持ち帰ろうとした、その時だった。
 グルージャが手を述べる先に、(ほこり)を被ったテーブルに並ぶ家族の人形があった。
「……千年以上、ここにいるのかな? ねえ、父さん」
「うん……そうかもしれないね」
「三人だから、寂しくない、かな? 寄り添い合ってて、なんだかあたしたちみたい」
「そうだね、グルージャ。……僕たち、気付けば二人ぼっちじゃなくなってた。変だけど、少しおもしろい、うれしいね」
 頷くグルージャの頭を、ポン! と撫でてポラーレは出発の準備をする。
 娘一人父一人だった、今は一人と一人の二人ぼっちではないポラーレとグルージャ。その姿を気付けば、サジタリオやオルテンシア、そしてファレーナが微笑みながら見詰めていた。

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