《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》

 奈落の深淵にも似た闇の迷宮……暗国ノ殿(アンコクノアラカ)
 徘徊する魔物はどれも手強く、緊張感を強いられる冒険が続く中……ふとグルージャは妙なことを思う。それは、緊迫した中で毎日地図を書きながら、妙に心に引っかかることだった。
 そして、この最大にして最後の迷宮とは、直接的にはなんの関係もない。
 それでも、一度頭の中で浮かんで膨らんだ疑問は、どんどん重く大きくなっていった。
 ――親友と父親が、物凄く、ちょっと例を見ないくらい仲がいい。
 交友関係というものを最近まで知らなかったグルージャは、少し妙な気分だった。この場合、不快であるとか好ましいとか、そういうこと以前に、やっぱりおかしな感覚なのだ。
「旦那、ポラーレの旦那! そりゃ、誘うっきゃないぜ。オレも行きたいくらいだもんな」
「そうかなあ。でも、本当に小さな集まりなんだよ。近所の子供たちが町内会で集まる」
「オレも小さい頃、よく行ったぜ。それに、こじんまりとした手作りかんがあってさ、いいんだよ」
「ああ、なるほど。いいね……折角だし、グルージャも連れて顔を出してみるよ」
「旦那、そいつはいけねぇぜ。グルージャはほら、オレが見ててやるからさ。ファレーナの姉御(あねご)と行ってきなって。絶対喜ぶんだからさあ」
「いいのかなあ。でも、うん。タルシスのお祭りは沢山あって、どれも趣きがあるよね」
 因みに、少し前を並んで歩く二人、ポラーレとラミューの声は丸聞こえである。多分、グルージャの後ろを歩くファレーナとクアンがくすくす笑っているということは、筒抜けということだろう。
 それでも、どういう訳かグルージャには二人の背中が酷く(ちか)しいように見える。
 父が、ポラーレが自分との親一人子一人な世界を広げた、それはなんだか嬉しい。仲間も沢山できたし、いい友人も悪い友人も数多く集まってくれた。でも……自分の親友が父親と妙に仲がいい。時々、まるで同年代の少年少女のように語らっているのだ。
 なんだかちょっと、やはり微妙に不思議な光景なのだった。
「町内の納涼会な、ファレーナの姉御と二人きりで行ってさあ。な? なあ?」
「うん。うんうん。そうだね、とにかく町内会長さんは来て欲しいって言ってたし」
「姉御は多分、浴衣を着るんじゃないかなあ。ほら、先月の頭に行商が来てたろ? あんときみんなで色々、帯だのなんだの買ったからさ」
「浴衣かあ、いいねえ。僕も少しは暑苦しくない格好を作らなきゃ」
「っと、旦那。また例の羊がいやがる……おおい、ストーップ! ちょい待ち、ストップだ!」
「周囲には……他にはいないね、一匹だけみたいだ」
 くだらないことを話して盛り上がっている割には、仕事はちゃんとしてるからなんとも言えない。なんにも言えないのだ。抜剣するラミューが手をかざしてくるので、グルージャも警戒心を高めて歩みを止める。
 五人のすぐ前を、巨大な羊の魔物が通り過ぎていった。あれは一定の周期で決められた範囲を徘徊するのだが、一本道を行き来している時などは注意が必要だ。
 だが、今日のグルージャはちょっと集中力が欠けているかもしれない。
 その……なんとなく、ポラーレとラミューの距離が近いような気がするのだ。
 しかし、振り向けばファレーナもクアンも気にした様子がないので、なんとも言えない。そんなことを思っていると、自分を見下ろすファレーナが小さく微笑んだ。
「どうしたんだい? グルージャ。少し、今日はそわそわしているね」
「え、えと……すみません、お姉さん。でも、なんかこう」
「ふふ、あの二人なら心配ないよ。長い冒険を共にした仲間同士、緩んで見えてても備えは万全だ。頼りにしていい」
「それは……心配、して、ない、です、けど」
 そうこうしていると、羊の魔物は(ひづめ)を鳴らしながら行ってしまった。
 張り詰めた一瞬の緊張感を解いて、五人のパーティは再び迷宮を歩き出す。そして、前衛を務める二人の、見るももだもだしく青い会話も続くのだった。
「そういえばラミュー君、(おど)孔雀亭(くじゃくてい)には今週行ったかい? もうすぐ残暑も終わりで、この季節の最後の食材を色々と食べさせてくれるよ」
「おっ、そういや最近夜は行ってないな……昼はみんなでよく茶をしばくんだけどよ」
「僕はこの間ファレーナと行ったけど、もう雲上竜鯉(うんじょうりゅうごい)の美味しい季節も終わりだね。早いものだよ、この間夏になったばかりだと。で、少しワインを飲んでね、女将(おかみ)が煮たのを出してくれたんだ。臭みがなくて美味しかったよ」
 待って、ちょっと待って。
 その話、あたしは知らない。
 そういえば先週、夜にいない日があったような……?


 グルージャはフラットな顔になりつつ、人並みにやれてる父親には安心したが、なんだか少し寂しい気がする。サジタリオやしきみに時々からかわれる、父親離れというのはこうして訪れるものだろうか?
 だが、前を歩くポラーレとラミューが、なんの違和感もない程に収まりがよくて、それがやっぱり変な気がするのだ。
絶界雲上域(ぜっかいうんじょういき)の魚はどれも美味えよなあ。っし! オレもクアンと行っているぜ。それで、ニシシ……たまにはこう、オレもおめかしして」
「うんうん。因みにファレーナは、珍しくナイトドレスを着てたよ。色々あったから帝国の服は苦手なのかなと思ってたけど、凄く似合ってた。ラミュー君も今度、一緒に帝国百貨店に行こうよ。本当にいろんな物があって、一日中見てても飽きないんだ」
「リシュ姫がそういや、友達のジェラが来た時に買い物に行ってたよな。やっぱ都会は違うぜ……タルシスもいいとこだし、ウロビトの里やイクサビトの里も静かでいいしよ」
「意外とウロビトの里は、やっぱり民族の気質かな? 静かにゆっくり過ごせて僕は好きだな。イクサビトの里に行くと……なんか、歓迎ムードですぐ宴が始まっちゃって……でも、嬉しい」
「そりゃそうだぜ、旦那は英雄なんだからよ」
 そんなことを語らっている二人が、なんだかやっぱり同年代の少年少女に思える。どこにでもいる、普通の男の子と女の子だ。片や錬金術で生まれた究極の生体兵器、片や優良種として創りだされた性別を凌駕する人造人間だ。でも、そんなことはグルージャに関係なくて、二人にとってもどうでもいいことで。だからやっぱり、普通の父親が普通の親友と仲がいい。それだけなんだけど、やっぱり胸がモヤッとする。
 そうしていると、ついにグルージャの手に持つ地図の空白地帯が最小の大きさになる。
 その意味を思い出したのは、最後の曲がり角を折れた瞬間に響いた声だった。
「おっ、見ろよ旦那! 階段だぜ、下に続いてやがる……長かったなあ! 相当デカい迷宮だぜ、こりゃ。脚が棒になっちまわあ」
「やっぱり、丁寧に虱潰(しらみつぶ)しにするのがいいみたいだね。敵も強いし慎重を期して正解だったよ。……ん? 待って、ラミュー君。あそこになにか……いや、誰かが」
 二人の背の間から、白衣と思しきものを着た人物が倒れているのがグルージャにも見えた。ラミューの呼ぶ声で、直ぐに後ろのクアンが歩み出たが、彼は近付き屈んでから顔を上げ、首を静かに横に振る。
 グルージャもファレーナと駆け寄ったが、それは既に白骨化した遺体だった。
「かなり古い遺体だ。クアン君、死因はわかるかい?」
「調べてみないとなんとも……ただ、百年や二百年というレベルではなさそうですね。……ん? これは……ポラーレさん。ラミューも。見てください、ここに、この床に」
 クアンが指差す先、床の上に走り書きがあった。それは、おそらくこの人物が死の間際に残したメモだろう。走り書きは血で刻まれており、大半が風化して見えない。それでもグルージャは、ラミューの声が神妙に読み上げるのを聞いた。
「制御……暴走……? 世界樹計画……えっと、これは……(むし)? か?」
 その時、風が吹いた。この迷宮ではなにが起こっても不思議ではない、そんな不気味な感覚がずっとあったが、これは不意打ちだった。轟! と吹き荒れた一陣の風が、変色した白衣をさらい、人の姿を維持していた白骨を散らかす。
 ようやく風が去った後で、グルージャは荷物の中から比較的綺麗な麻袋を取り出す。
「父さん、ラミュー。クアンさんも。この人、埋葬して(とむら)って上げよう? ……ずっと、ここに一人だったんだから」
「それがいいと思います、ポラーレ。私でよければ祈りの言葉を」
 追いついてきたファレーナが手伝ってくれて、グルージャは残った少ない遺骨を麻袋に納める。これで一階は全て地図に記して踏破し、目の前の階段を降りれば地下二階だ。だが、その前に……グルージャは地図を確認して抜け道を使おうと歩き出す。
 ここより少し戻れば、すぐに以前小休止した小さな広場があった。
 誰もが同意して、再びポラーレとラミューが先頭に立つ。もう、明るく弾んだ声はない。
「っと、この抜け道か。おーい、グルージャ! こっち側から開通だ、書いといてくれ」
「ほら、この先だ。ヨルンたちもよく使ってるこの間の休憩部屋」
 部屋の隅に、目立たなくてもいいからお墓を作ってあげたいとグルージャは思った。そこは冒険者たちもよく通るし、きっと寂しくない。
 そう思って、以前も足を止めた部屋を訪れた時……グルージャの目の前に非情な風景が広がった。
「嘘……どうして? なんで……誰が、こんなことを」
 訪れた者たちが少しずつなにかを持ち寄り、それなりに休憩所として整えた筈なのに。部屋の中は荒れ放題で、最初に来た時の荒廃ぶりに戻っていた。
 そして、グルージャは声に呼ばれた気がして振り返る。
 視線の先では、テーブルに並べたあの人形……親子三人の人形が不気味な笑いを浮かべていた。そして、その人形の首が一つ、また一つと取れて床に転がる。
 絶叫が迸ったのは、その瞬間だった。
「うわあああっ、あーっ! ラ、ララララ、ラミュー! だだだ大丈夫だ、怖くないからね! 大丈夫、僕がついて……ひいいいいいっ! お兄ちゃんがついてるから、ぁ……」
 クアンが悲鳴をあげてラミューに抱きつき、そのまましがみついて失神してしまった。
 改めてグルージャは、実感した。この迷宮には、見えない何かがこびりついている。そしてここでは千年前、そうした怨念を固着させるなにかが起こったのだ、と。
 言葉を失ってしまった五人は、遠くでケタケタと笑うような風の声をまた聞くのだった。

《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》