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 クラックスは、夢を見ていた。
 それが夢だと気付いたのは、いないはずの女の子がいるから。
 そう、太陽のような笑顔は自分に、時々演じるミモザの姿を彷彿(ほうふつ)とさせる。
 そして、月のように誰にも優しい声が、愛しいアルマナにそっくりだった。
 金髪の幼女は黄金色(こがねいろ)の鱗が並ぶ尻尾を(ひるがえ)し、元気いっぱいに酒場の中を行ったり来たり。小さな小さな童女は、まだいないはずの愛娘。
 仲間たちの笑いと歌が満ちる中で、その子はクラックスを振り向いた。
『パパ、おともだちできたよ、パパ!』
 そう言って彼女は二人の女の子と手を繋いでる。モジモジしながら愛娘の右手をギュムと握るのは、少し背の高い女の子だ。誰かに、似ている。俯き加減に上目遣いで、どうやら人見知りする子のようだ。
 そして愛娘の左手を握っているのは、少し年長の女の子。彼女は指差す先を示してハキハキ『わたしにいーかんがえがあるの!』と笑うと、三人は手に手を取って行ってしまった。それを目で追うクラックスは、自然と仲間たちと笑顔になっているのに気付く。
『大きくなったな、本当に』
『元気な子に育って』
『いい風が吹いたからな、タルシスには毎日』
 共に冒険者として過ごした、多くの仲間たち。
 そして隣には、これから明日へ、未来へ向けて共に過ごす伴侶(はんりょ)
 ――だが、ふと夢の中で隣へ振り返ったクラックスは、そこで見上げてくる優しい笑顔を見つけられなかった。アルマナの姿がいなくて、それで急激にクラックスの夢が色を失ってゆく。そんな中でも、おひさまのように小さな愛娘だけが輝いている。
 徐々にセピア色に沈む夢から覚めて、クラックスはベッドに飛び起きた。
「アルマナッ! ……ああ、夢だ。夢、だけど……アルマナ?」
 外では小鳥が(さえず)り、朝日が部屋へと差し込んでいる。
 だが、毎晩一緒のアルマナが隣にいない。身を寄せてくる彼女が寝ていた場所へと、クラックスはそっと手を伸ばす。まだシーツにはほのかな(ぬく)もりがあって、確かに彼女が一緒だったことを伝えてきた。
 まだ朝は早いし、二度寝できる時間の(はず)だ。
 いつもクラックスの腕の中で、アルマナの静かな寝息が肌をくすぐる感触。温かな体温が接してくる、その柔らかさすら鮮明に思い出せる。
 クラックスはベッドを抜け出て、裸なのに気付いて服を探す。綺麗に洗濯された下着を身に着け、ズボンをはくのももどかしげに、上半身裸のままで外に躍り出た。
 朝の(さわ)やかな風が吹き抜ける中、ひだまりの中心で黒髪の麗人が振り返る。
「あら。おはようございます、クラックス君。起こしてしまいました、ね」
「ううん、大丈夫だよ。大丈夫、だけど……アルマナ?」
 既に身なりを整え、腰に剣を()いたアルマナが微笑む。その顔にはまだ、恐るべき黒い竜が刻んだ呪いの疵痕(きずあと)があらわだ。そこだけ、瑞々(みずみず)しく柔らかなアルマナの体温を宿さぬ、まるで(わだち)のように美しい顔へ走る(あざ)。だが、それを既に隠さぬ彼女が、やはりクラックスには美しく見えた。
 手足にも同様の痣があるが、既に彼女自身が気にしてはいなかった。
 そして、そんなアルマナの前で、勝ち気な笑みを(こぼ)す少女が一人。
「よぉ、クラックス! ごめんなー、朝早くさ。オレ、どうしても確かめたいことがあんだよ。……すぐ終わっからよ!」
 そう言って頭の赤い頭巾を結び直すのはラミューだ。
 ラミューはパンパンと頬をはたいて気合を入れ直すと、腰の剣を抜き放つ。しなる切っ先が朝日を反射して、鋭い光がアルマナに向けられる。
 アルマナもまた、腰から愛用の剣を引き抜いた。


「ふふ、ラミューさん。すぐ終わるだなんて……随分と自信がおありなんですね。では、その実力を私に見せてください。どれだけ成長したのか、とても楽しみです」
「修羅場くぐったからよ、何度も……何度も何度も。幾度(いっつ)もみんなに助けられて、自分でも生きてるのが不思議な位だとくらあ。でも、オレにも確かに積み上げてきたもんがある」
 クラックスは瞬時に察した。
 これは、決して他者が踏み込めぬ決闘(デュエル)だ。
 アルマナは一時(いっとき)、ラミューを鍛えて剣を教えた師でもある。
 ラミューもまた、厳しいアルマナの特訓に耐え、常に己を鍛えて磨いてきた。
 これはいわば、師匠と弟子とが交わす刃の語らい……クラックスは両者が共に好きで、それぞれに別種の好意を抱く中で押し黙る。二人を結ぶ絆の再確認を、黙って見守り、見届けなければならない。
 それこそが友人への礼儀であり、未来の伴侶に対しての敬意だった。
「さ、どうぞ。打ち込んできてください? ラミューさん」
「へへ……涼しい顔しておっかねえぜ。全く隙もありゃしねえ!」
 周囲には鳥たちが舞い、朝日に風が輝いている。
 恐ろしく穏やかな早朝の空気が、薄荷(はっか)のような清々しい緊張感に満ちていた。
 そして、両者は同時に地を蹴る。
 クラックスだからこそ動体視力で追い切れる、一秒を無数に分かつ音速の剣士たちの輪舞(ロンド)……剣戟(けんげき)の響く音さえ置き去りにして、二人は周囲に光を放つ。
 刃と刃がぶつかる輝きが、ラミューとアルマナの星の瞬きにも似た光で包む。まるで両者を讃えて夜空が置き忘れていった、星屑を(つむ)いだ星座を描くよう。
 速く、そして鋭い。
 配賦(はいふ)に呼吸を留めて数秒、二合、三合と斬り結ぶスピードがさらなる加速で連なり、徐々に目で追うクラックスもまた身体が熱くなる。
 刃が連続で奏でる斬撃音は、最後には一つの和音に帰結して長く遠く響いた。
 カーン、という音と同時に両者は、弾かれたように離れて身構える。
 同時に吐き出す息は灼けるように煙って、額に汗が光った。
 ハイレベルな攻防の中、一瞬の気の緩みが命さえ奪いそうな時間……それを共有する二人は、笑っていた。笑顔が自然と零れて、見守るクラックスさえも奇妙な充実感にいざなってゆく。
「ラミューさん、本当に強くなりました。今までの貴女(あなた)は、造られた人間……計画種(プラン・シーダー)プロト・ゼロの力に頼り過ぎていました。優れた筋力と瞬発力、そして人を超越した反射神経と運動神経。ですが、既にそれを完全に掌握し、己の力で制御してるのですね」
「難しいこたあわかんねえよ、姐御(あねご)。オレぁラミュー、ラミュー・デライトだ。アンタが人の身を鍛えて到達した頂きに、同じ人のオレがいけねえ道理はねえ。だろ?」
 クスリとアルマナが笑った。ヘヘ、とラミューも頬を崩す。
 両者は完全に互角、ともすればクラックスにはラミューが押しているように見える。先程の激しい攻防を終えても、ラミューの呼吸には乱れがない。だが、アルマナの華奢(きゃしゃ)な肩が小さく上下するのがクラックスには見えた。
 だが、それがすぐに杞憂(きゆう)だと悟る。
「では……私の最高の技でお相手しましょう。ラミューさん、この閃烈(せんれつ)なる連撃……受け切れますか? ……参りますっ!」
 アルマナの周囲で空気が渦を巻いた。風の奏者が奏でる一撃に、見えぬシルフが舞い踊る。それは羽撃(はばた)(ハヤブサ)の如き鋭さで、ラミューをあっという間に吹き飛ばす。クラックスの目にも、アルマナが放ったハヤブサ突きの全ては見えなかった。
 ヒュン、とアルマナが剣をタクトのように振るうと同時に、遠くにラミューがぼとりと落ちる。
「勝負あり、だね……流石はアルマナ――っ!? ま、待って、アルマナ! ラミューがまだ立つ!」
 クラックスも自分で言って驚いた。
 両足を空高くへ振り上げて、その反動でラミューは立ち上がった。アルマナが手心を加えた気配はない。何故なら、彼女もまた驚きに目を見開いているから。
「ヘヘ、それだよそれ……レオーネのあんちゃんが言ってたからよ。フランツ王国三銃士の剣技、必殺の間合いで繰り出される無数の貫撃。……覚えたぜ、たしかに見た、っと? っとっとっと、おおう」
 立ち上がったラミューは、ダメージがあるのかよろけて踏み留まる。
 そして次の瞬間、クラックスは驚くべき光景に目を丸くした。
「あら、よっ! こ、こうかっ! たしかこう……だりゃあああっ!」
「ラミューさん、貴女は……!」
 先程アルマナが放った奥義を、なんとラミューが繰り出したのだ。ステップで避けつつ必要最小限の動きで、その全てをアルマナが弾く。彼女が振るう剣はそよ風の軽さで、周囲に荒々しい太刀筋がさばかれいなされ光を散らす。
 だが、ラミューの見様見真似(デッドコピー)の剣は、次第に加速していった。
「へへ……コツが掴めてきたぜっ! オラオラ、オラァッ!」
「なんてこと……こんな短時間で、あっ!」
 とうとう、アルマナがラミューの乱撃をさばききれなくなった。ラミューの剣は見るからに荒削りで、同じ技でも洗練されたアルマナの優雅さには程遠い。だが、我流のセンスを織り交ぜた剣筋は、清流(せいりゅう)(ごと)き流れで優雅なアルマナに対して、荒れ狂う濁流(だくりゅう)のような力を秘めている。
 気付いた時には、クラックスの目の前にアルマナの飛ばされた剣が突き立っていた。あのアルマナが、アルマナの技が力負けした……剣を落とす彼女をクラックスは初めて見る。
「ッシ、やったぜ! どうだ、アルマナの姐御っ! これがっ、オレの剣だ!」
「お、驚きました……こんな短時間で習得し、アレンジまで」
「や、ちげーって。姐御の剣なんて真似できねえからよ。まあでも、使えるものはなんでも使う、拾えるものならなんでも拾うのが冒険者だからな! イタダキだぜっ!」
 それだけ言うと、ラミューは剣を鞘へと収め「ありがとな、姐御!」と頭を深々とさげた。そして、弾かれたように手を振り走って行ってしまう……あれは恐らく、このまま朝食の後に迷宮に向かう勢いだ。
 あのアルマナを、文字通り朝飯前で超えていった少女は、すぐに見えなくなった。
「完敗、だね。はい、アルマナ。ふふ……君のそういう顔、始めてみる」
「クラックス君……ありがとうございます。本当に驚きました。そして、嬉しいんです。負うた子に教えられて浅瀬を渡る、とはこういうことですね。それに……まだまだ終われないと知りました」
 始めて悔しそうな表情をクラックスに見せて、そのあとでアルマナは優しく微笑んだ。彼女の肩を抱き、前から思っていたことをクラックスは告げる。ようやく平穏の中、二人の暮らしを得た今だから言える……また二人で戦おう、迷宮へ冒険者として挑もう、と。こうして二人は、手に手をとって冒険者に復帰し、最後の謎とその先に眠る破滅へと、もう一度寄り添い挑み始めるのだった。

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