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 魔物の咆哮(ほうこう)が満ちる第六迷宮、暗国ノ殿(アンコクノアラカ)……その最奥へと向かう回廊は血に濡れていた。暗い闇の中に浮かぶ鮮血の赤が、進む者たちの心を重く汚してゆく。
 だが、迷わず進む騎士たちの先頭に、屈強なモノノフたちの刃が(ひらめ)いていた。
「ミツミネ様っ、後ろです!」
 太刀を振るう未来の夫へと、イナンナが声を張り上げる。
 同時に、振り返るミツミネの剣が巨大な牙を受け止めた。屈強なイクサビトであるミツミネの足元で、敷き詰めた煉瓦(れんが)がひび割れ(くぼ)んでゆく。
 すかさずイナンナは、鞘へと戻した剣を握って、僅かに身を沈める。全身の筋肉を引き絞るようにして地を蹴ると同時に、彼女は居合(いあい)の剣技を解き放った。
 闇に光が走って、白刃が巨大な獣を断ち割った。
 真っ二つになった魔物に代わって、イナンナはミツミネの背に背を合わせて立つ。
 死角を庇い合う二人の周囲に、殺気と害意が十重二十重(とえはたえ)
「ミツミネ様、突出し過ぎです! ミツミネ様になにかあっては」
「構わん、イナンナ。強引に切り崩さねば、無駄に時が過ぎてゆく……この気配、尋常ではない。既にここは死地、冥府の底にも等しい地獄ぞ」
「なればこそ……何故、わたしに命じてくださらないのですか。わたしは、いつでもお側でミツミネ様をお守りします! いつまでも、守り通します!」
 群れなす魔物の濁流が、二人を飲み込み包んでゆく。
 言葉を交わす余裕も奪われる中で、呼吸を乱さずイナンナは剣を振るった。言葉を交わさずとも、自然と阿吽(あうん)の呼吸でミツミネの太刀筋が重なる。
 二人は互いに相手を追いかけるように、連れ添うように剣舞に踊った。
 すぐさま周囲は血の海と化し、死ばかりが折り重なってゆく。
 徐々に奥へ奥へと進む二人は、後を追ってくる騎士たちへと叫んだ。
「ここは我らで切り開き申す!」
「手出しは無用ですわ! 皆様は確保した通路の守備と、負傷者の手当を!」
 死闘、まさしく決戦。
 ここが最期と望んで進めば、不思議とイナンナの心は安らいだ。
 狂気、そして狂奔(きょうほん)の境地だった。振るう剣が鞘と敵とを行き来する中で、次々と命が散ってゆく。その中で自分の命が、揺らいでいる。
 それでも、ミツミネの背を守って戦う瞬間が、イナンナには至福の時だった。
 イクサビトは獣の魂に人の道を貫き、武を尊ぶモノノフの民だ。
 戦いの中にあってこそ、身の内に封じて鎮めた羅刹の力が燃え上がる。その一秒、一瞬の積み重ねが、最愛の人との時間であれば幸せなのだ。
 だが、イナンナは同時に察して悟っている。
 そして、ミツミネも同じことを考えているようだった。
「イナンナ! いささか手こずるようだな……敵の数が多い」
「ええ、そのようですわ」
「しからば、これより一息に突き抜け、階段まで駆け抜ける。……来るか?」
「いやですわ、ミツミネ様……来いと一言、仰ってくださらないと」
「……すまんな。では」
「はい」
 瞳を見開き獣の群れを睨んで、ミツミネが覇気を叫ぶ。
 同時に、精神を統一させて息吹(いぶき)で身を落ち着けると……イナンナは風になる。


 ミツミネと共に二人で、押し返してきたモンスターの敵意へと飛び込んでゆく。脚を止めての防戦でさえ困難な、その先へと自ら身を投げ出す。
 死中に活を求める、これぞイクサビトの武の境地だった。
 たちまち、先程にも増して強力な攻撃が、四方から二人を包囲して押し潰そうとしてくる。
(はやさ)さが命ぞ、イナンナ! 脚を止めるな!」
「心得てますわ、ミツミネ様。里で一番の瞬速と讃えられたわたしの居合、お忘れですか?」
「はは、これは怖い嫁だ……いざ!」
 風と風とで(つむじ)を巻いて、闇の暗ささえ引き裂く嵐となる。
 竜巻のように、触れる全てを切り裂き、薙ぎ払って、(ほふ)り散らす。
 血走る目を見開き、ただ前だけを、先だけを(にら)んで二人が敵と切り結ぶ。羽音が耳障りな羽虫の化物も、巨大な食人花も斬り伏せる。前後に、左右にと目まぐるしく位置を入れ替え、(かば)い合うように立ち回る。
 やはり、イナンナは不思議な多幸感に包まれていた。
 呼吸も鼓動もミツミネに預けて、二人で踊る死の輪舞(ロンド)……その先に信じて疑わない未来がある。そのためならば、死ねる。この人のために、死にたい。その覚悟と決意すら超えて生き抜く、生き残るための剣が冴え渡る。
「ミツミネ様、階段が見えました! あと、あと少し!」
「しからば、イナンナ!」
「はい!」
 もはや言葉は不要だった。
 ミツミネが大上段に振り上げた剣を、両手で握って身を捩る。全身の筋肉を引き絞って、大きく大きく振りかぶる。悲鳴を上げる己の体躯を弓として、ミツミネは武士の極意を解放した。見えない空気が矢となり、衝波が周囲を吹き飛ばす。
 その切っ先を追うように、身を低く()せるイナンナが階段の前へと滑り込んだ。
 待ち構えていた魔物たちを、既に見もせず一刀の元になで斬りにする。
「この先へ、この迷宮に封じられし災厄が」
「後続が追いつくまで確保だ、イナンナ。すぐにフリメラルダ殿も来ようぞ。それまで!」
 身体が鈍く、荒い呼吸に上下させる肩でさえ鉛のよう。まるで神経の通わぬ、重いだけの甲冑を着せられているようだ。だが、疲労が蓄積する中で傷が痛みを思い出す中、懸命にイナンナは剣を振るった。
 そして、不意に敵の勢いが弱まるのを感じる。
 それは、聞き慣れた声が珍しく絶叫を迸らせたのと同時だった。
「でかした、ミツミネ! イナンナ! されば、命を賭して捨てるは今ぞ!」
 その声に、ミツミネもイナンナも「おう!」と声を張り上げる。
 そこには、諸肌(もろはだ)脱いで剣を手にしたヤマツミの姿があった。後進に道を譲って隠居同然だったとは思えぬ、鬼神の如き圧倒的な気迫が満ち満ちている。
 ヤマツミが現れると、猛り狂う獣でさえ怯えて道を開けた。
 しかし、中には恐慌状態のあまり発狂して、飛びかかる魔物が数匹。だが、ヤマツミは見えぬ太刀筋で光の弧を描くや、神速の剣技で次々と血飛沫(ちしぶき)へ変えてゆく。
「久方ぶりの戦場(いくさば)よ……数が多いな。ミナカタ!」
 ヤマツミの声に、彼の影から一人の(おとこ)が歩み出る。その手には、恐らく砲剣技師のプレヤーデンが蘇らせた巨大な刃があった。真新しい刀身がモーター音に震えて、(すす)り泣く乙女のような金切り声を歌った。
「委細承知……吠えろ、(ゼロ)っ!」
 ミナカタの強烈なアクセルドライブが、周囲を飲み込み炸裂する。あっという間に、数十匹の魔物がまとめて巨大な(むくろ)となった。天井へと吹き上がる無数の血柱が、次の瞬間には血の雨を降らせる。
 その中を平然と、修羅の形相に狂喜の笑みを浮かべて仲間たちがやってくる。
 これがイクサビト、そしてこれがモノノフなのだ。
「でかしたぞ、ミツミネ。イナンナも。後続を待って、後顧(こうこ)(うれ)いなく挑むが吉だが……さて、それも少し賢しいのう」
「我が師ヤマツミ、さればこのまま……先駆けとなりて押し進むのみ!」
 ミツミネの返答に、誰もが頷いたその時だった。
 不意に、敵の第二波が絶叫を張り上げると同時に……血の(したた)る高い天井がひび割れた。そして、崩落と同時に、見上げるような大男が降ってきた。手に巨大な金棒を握った巨漢は、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で魔物たちを血祭りにあげて振り向く。
「ガッハッハ! 凍土不敗(マスターヘイル)推参(すいさん)っ! 道に迷わば道を作り、道なき道も掘り進む! おお、ヤマツミ! やっと合流できたわい。なに、道がわからぬ故……上から真っ直ぐ突き抜けてきたのじゃ」
 それはもう、問答無用の境地だった。この、里でも半ば伝説と化している凍土不敗、アラガミには常識は通用しない。そして、彼は今のイナンナと同様に目を丸くしてポカーンとなってるキクリを肩から降ろした。
「さて、ヤマツミよ……参るか!」
「アラガミ先生、しからば我らで……」
 ここに、里でも最強のモノノフが集結していた。その全員に、無言で決戦へと逸る気概が満ちる。裂帛(れっぱく)の気合が漲って、もはや誰も恐れを感じない。
 だが、そんな六人を呼び止める声が、駆け抜けて来た道をやってきた。
 そして、凛とした静かな声が響く。
「お待ちを、イクサビトの方々……これより先はわたくしの戦い。勝手な言葉は百も承知、どうかお退きを」
 現れたのは、フリメラルダだ。その背に巨大な剣を背負い、静かに歩んでくる。
 その表情は不思議な程に穏やかで、自然とイナンナたち六人に全てを悟らせた。
 それは、イクサビトのモノノフが見慣れた、死にゆく覚悟を秘めた戦士の笑顔だった。
「ミツミネ殿、助太刀に感謝を」
「なんの! 我らモノノフ、死出(しで)黄泉路(よみじ)とて案内つかまつろう……遠慮は無用!」
「されど、ミツミネ殿。貴殿らイクサビトは、今は同じ大地に住まう同胞(はらから)……帝国の民にとっても、皇子殿下にとっても大切な存在。あたら命を散らすは、無益」
 それだけ言うと、フリメラルダは背の剣を下ろす。
 その異様な砲剣は、巨大過ぎる蛮刀で、まるで断頭台(ギロチン)のよう。イナンナには詳しくはわからないが、ミナカタが持つ砲剣のような、機械仕掛けの鍔元は簡素で小さい。不思議と単純な構造なのに、幅広な刀身は竜をも(さば)く出刃包丁のようだ。
「勇敢なるイクサビトのモノノフに感謝を。……あと、頼めるかしら? ヤマツミ殿」
「心得た……フリメラルダ殿。犬死無用ゆえ……信じてますぞ」
「ありがとう。されど、この日のためにわたくしの命は、亡き皇帝陛下の恩寵(おんちょう)で生かされてきたのですわ。では」
 それだけ言うと、柔らかな微笑みを残して階段の奥にフリメラルダが消える。
 それは同時に、他の騎士たちと階段を死守する、退けぬ戦いの始まりだった。

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