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 戦いは、終わった。
 ひとまずは終わって、今はその後に訪れる無常感……そういう一種の(むな)しさがヤマツミを満たしていた。ヤマツミは生来、書を好み学問を愛した探求の徒である。イクサビトに生まれ、モノノフとして幾度も戦場を生き抜いてきたからこそ、そのことを強く思っていた。
 里にこの人ありと謳われた剣豪も、ただ平和を願い平穏な日々しか望んでいない。
 ただ、同じ気持ちを持つ者たちを守りたくて、そのためなら戦える(おとこ)でもあった。
「ふむ、終わったのう! ヤマツミよ、手ひどくやられたな、ガッハッハ!」
 今、久方ぶりの手傷に(まみ)れたヤマツミは、己の出血の中で豪快な笑みを聞く。生粋(きっすい)のモノノフ、気付けば古強者(ふるつわもの)と呼ばれるようになって幾星霜(いくせいそう)……まだ、この程度の怪我では死ねない自分でもあるし、そのことが今はありがたかった。
 傷は深いし派手に出血しているが、ヤマツミは此度(こたび)の戦も生き残った。
 そして、若い頃から常にそうであるように、側にはこの男がいた。
 名は、アラガミ……イクサビトたちの中ではもはや、生ける伝説と呼ばれた豪傑である。そのアラガミが、見上げる巨体を揺すって豪放な笑みを響かせた。
「里で待つワダツミにも自慢できよう。奴め、この大戦(おおいくさ)を知ったら歯噛みして悔しがろう……手柄は立て放題、魔物相手とはいえ血が(たぎ)ったわい」
「我が弟ワダツミには、そういうとこがありますな。はは、奴の方が自分めに比べたら、よほどモノノフらしいというもの」
 弱々しく笑みを返して、ワダツミは周囲を見渡す。
 先程、帝国のバルドゥール皇子が奥の部屋へと入っていった。どうやら自分がアラガミや若き弟子たちと切り開いた道は、しかと未来へ明日を繋ぎ止めたようだ。
 そのことが今はなによりも嬉しい。
 嬉しいのに、不思議と胸の奥がざわめいた。
 今、人間と手を取り(かば)い合って、ワダツミたちイクサビトは戦った。この地に封印されし太古の災厄を、その目覚めを永遠の眠りへと追い返したのだ。それは同時に、永らく閉ざされてきた、時代が埋葬されし墓所(ぼしょ)の終焉を意味する。騎士としての華々しい栄誉とは縁を切って、極秘の任務で墓守(はかもり)となった騎士たちの日々が報われたのだ。
 だが、ワダツミの胸中でざわめく不安が広がってゆく。
 そして、長年の経験が告げてくる……こういう時、論理で説明できぬなにかがあるのだ。それは時にワダツミと共に、戦場で多くの同胞を救ってきた。直感、そして勘である。もはやそうとしか説明できぬ胸騒ぎが、ワダツミの中で膨らみ続ける。
 だが、それを口にするのをためらうワダツミの前で、アラガミは笑っていた。
「お主、またなにやら思案にくれておるな? ワダツミよ、案ずるでない! このワシが、凍土不敗(マスターヘイル)がついておる! かつては里の双璧と呼ばれたワシとお主じゃ、まさに鬼に金棒……なにが相手でも負ける気がせぬわ!」
 なんという豪胆な男だろう。
 ワダツミは改めて、アラガミの常軌を逸した精神力と体力、なにより類稀(たぐいまれ)なる胆力に舌を巻いた。自分は手傷を負って心身が疲労を訴えているが、アラガミはまだまだ余力があるように見えた。
 そして、自然と昔のことが思い出される。
 アラガミが言う通り、かつて里では二人はモノノフの名誉を二分する双璧だったのだ。力のアラガミ、技のヤマツミと言えば、音に聞こえた屈強な益荒男(ますらお)と誰もが讃えた。
 ヤマツミは書を読み見聞を広めて、時には外の世界を旅して知識と知恵を身に着けた。その傍ら剣術においても技を磨き、極意を得て奥義の数々を己の者とした。新たなる秘奥義すらも編み出し、後進へと残すほどの剣技を体得したのだ。
 だが、アラガミは違う。
 この男には常識が通じぬことを、誰よりもヤマツミは知っていた。
 技のヤマツミと呼ばれた疾風迅雷の剣士は、己の非力を補う技に秀で、鍛錬の日々でそれを昇華させていった。だが、アラガミは違う……力のアラガミは、ただ力でしかなく、それで十全にあらゆる敵を撃退、打ち負かしていった。技と呼べる技の全てを必要としない、圧倒的な膂力。それが備わっているだけで、アラガミは無敵の武人として誰からも尊敬された。
 なにより、共に(くつわ)を並べるヤマツミとは、互いを誇らしく思える仲だった。
 そんなことを思い出していると、迷宮の最奥へ続く扉が開かれた。
 騎士たちは重い砲剣を捧げて整列し、現れた青年を出迎える。
 ヤマツミは、非情にして不遜だったバルドゥールが、短期間で立派な若者に成長したのを瞬時に悟った。彼の声は今、この場で命を賭して戦った全てにねぎらいを込めて響く。
「皆、御苦労であった! 余はここに誓おう……多大な犠牲を払いながらも、多くの戦士たちが勝ち取った平和。その平和を皆と分かち合い、支え合って、広げてゆく。今、再び三つの種族が共に力を合わせる時代が再び始まろうとしているのだ」
 バルドゥールは両手に、一人の女性を抱えている。それは、この暗国ノ殿(アンコクノアラカ)を永らく守護していた、特務封印騎士団(とくむふういんきしだん)の長……フリメラルダだ。皇子自ら、騎士として決戦に赴いた女性をいたわり、精根尽き果てて眠るその身を抱き上げている。
 やはりヤマツミには、バルドゥールの人としての成長、君主としての(うつわ)が感じられた。
 以前、タルシスの辺境伯とも少し話したが、彼はいい皇帝になるかもしれない。その時、イクサビトやウロビトは再び人間と手を携え、新たな繁栄と平和の時代を迎えるのだ。
 否、待って迎えるのではない……共に協力して築いてゆくのだ。
 そんなことを考えていたが、胸騒ぎはどんどん増してゆく。形容し難い不安が、心の警鐘(けいしょう)を打ち鳴らしている。そのことをヤマツミは、正直に隣のアラガミに打ち明けた。
「アラガミ先生、私は……なにか嫌な予感がするのです」
「ほう? 左様か、ならばなにかあろうな。昔からお主の直感は妙に当たる」
 巨大な金棒を肩に担いで、アラガミが去りゆくバルドゥールに目を細めている。この男は一時は、皇子を悪逆なる暴君の芽と断定して、首を取ろうと息巻いていたのだ。だが、そんなアラガミにも伝わる程に、バルドゥールは今は立派に振る舞っていた。
 そして、その背を見送りながらアラガミはぽつりと零す。
「まだ、なにかがおるとみた。しからば、ワシが相手をしようぞ。ヤマツミ、負傷者を連れて戻れい! なに、お主がなにかあると言うのだ……誰もが終わったと胸を撫で下ろしている、そのことを誰かが守らねばなるまい。それに、だな」
「それに? アラガミ先生、なにか」
「うむ! ワシはこう見えても、かなりの方向音痴じゃ! 加えて、思い込みも少し強くてのう。ヤマツミ、お主のような人間が、お主こそが今後は必要になる! 里にも、ワシにものう」
 しばし唖然としたが、ヤマツミは痛みを忘れて笑った。
 アラガミもまた、ガハハと空気を震えさせる。
「アラガミ先生、自覚がおありでしたか。まさか、御自身のことを御存知とは」
「なに、半月程前から気付いておったわ! まさか、このワシに斯様(かよう)な弱みがあるとは、誰も知るまいて。ヤマツミ、お主じゃから明かしたのだ、内密に頼むぞ!」
 訂正を挟む気も失せるほどに、アラガミという男は豪快そのものだ。イクサビトの気質を何倍も濃くして凝縮した、そんな男である。そして、そんな彼に必要だと言われるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
 だが、ヤマツミが虫の知らせに感じ取っていた危機は、目覚めた。
 フリメラルダが身を挺して命を投げ出し、死中に活を得て倒した災禍(さいか)……それは今、仮初(とくむふういんきしだん)の姿のままで突然動き出す。ヤマツミが振り返ると同時に、奥の部屋は壁ごと扉を木っ端微塵に砕いて崩落した。
 そして、その轟音と煙の中から……おぞましい(むし)が金切り声をあげて飛び出してくる。
 巨大な蟲は、頭部に砲剣の折れた切っ先が突き刺さり、死にもの狂いに複眼を輝かせている。
「ほう! やはりな……だが、ヤマツミよ。様子がおかしいわい」
「ええ……私も冒険者たちの報告には目を通しているのです。もしや、この太古の遺跡、大昔の研究施設で生まれたものは……帝国が災厄として封印してきたものは!」
 周囲で悲鳴と絶叫があがった。
 誰もが終わったと安堵した戦いは、突然の異変で覆されたのだ。それでも勇気を再び振り絞って、皇子を守るように騎士たちが抜剣(ばっけん)した、その時。
 突如として静止した蟲は……その場に崩れ落ちると同時に、張り裂け飛び散った。
 蟲の中から、なにかが飛び出し生えてきた。それは――
「むう! 見よ、ヤマツミ! 蟲めの中から……こ、これは! ……()()()っ!」
「アラガミ先生、以前なにかの文献で読んだことがあります。蟲の中にて根付き、その生命を養分として吸い上げる恐るべき植物を。とすれば、これはもしや」


 アラガミが口走った言葉、世界樹と呼ばれた姿をヤマツミも見上げる。そう、確かにそれは世界樹の面影があった。だが、天井を突き破らんばかりに覆って広がる生命力は、三つの種族を見守り睥睨(へいげい)する世界樹とはまるで違う。あっという間に周囲に根が伸びて、迷宮そのものを飲み込むような成長が爆発した。
 たちまちパニックで地下迷宮が再び戦場になる。
 そして、勝ちを拾った者たちの安堵感は、臆病という病を誘発させる。
 命を()して戦い、その中で命を繋ぎ止めたからこそ……確信した勝利が覆された時、脚が(すく)んで手が震えるものだ。
「アラガミ先生! 我らで殿(しんがり)に……騎士たちは恐らくもう」
「わかっておる! しかしヤマツミよ、お主はいかん。己でも死なぬ傷と思っておるが、それは……(さか)しいお主のことじゃ、承知してる筈。死なぬよなあ……今すぐ手当をすれば、手当を受ければ」
「……知っておいででしたか。しかし、この老体でも動くうちは」
 ちらりとヤマツミは周囲に視線を走らせる。騎士たちに守られたバルドゥールは、両手がフリメラルダで塞がっていて戦うことは無理だろう。そもそも、これからの未来を担う指導者は、こんなところで軽々しく命を危機に(さら)してはならない。時には屈辱と恥辱に塗れようとも、敗走して逃げ延びる判断力を強いられる。
 そして、そういう若者のためならば、ヤマツミは命など惜しくはなかった。
「ミツミネめの祝言では、仲人(なこうど)でもしてやろうと思っていましたが。無念、されど悔い無し! アラガミ先生、あとはお頼み申す……アラガミ先生? な、なにを――」
 いまだ出血が止まらぬヤマツミの身が、ヒョイと軽々持ち上げられた。まるで米俵(こめだわら)を担ぐように、アラガミはヤマツミの身体を運ぼうとする。
 まだまだ戦う意志、戦い抜く意義を感じていたヤマツミの耳朶(じだ)を打つ、声。
「ヤマツミよ、死ぬには早いぞ? 見よ、来よったわ……」
 アラガミが見詰める方向へと、彼の肩の上でヤマツミも首を巡らす。
 そして、目撃した……後退を始めた騎士たちの流れに逆行する、五人の冒険者を。彼らは、ゆっくりと、強く踏みしめる歩調でやってくる。再び地獄と化したこの場所に、異形の世界樹が発芽した惨劇の場に……迷わず真っ直ぐ、飛び込んでくる。
 ヤマツミは逃げの一手で走り出したアラガミの上で、確信した。
 今、タルシスの冒険者から選ばれし者たちが動き出した。それは間違いなく、()れる気持ちに(あらが)い、仲間たちの聞こえぬ悲鳴と噛み殺した痛みに耐え、もしもの時に備えた力。最悪の事態が蘇らせた最凶の敵へと挑む、冒険とすら呼べない無謀で悲壮な戦いへ向かう男たち。
 ヤマツミはその五人の中央で、いつもと変わらぬモノクロームの無表情をはっきりと見た。

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