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 嘗て絶望の底にあったこの地の民が、夢見て(すが)った、希望。
 今は暗国ノ殿(アンコクノアラカ)と呼ばれて封印されたこの施設だけが、唯一人の生ける場所だった大昔の話だ。かろうじてこの場所に逃げ込み命を繋ぎ止めた者たちは、汚染され朽ちてゆく大地を前に、再起を図った。
 その執念はいつしか妄念となり、倫理と道徳を踏み外す。
 禁忌の力ゆえに滅びた大地を、さらなる禁忌を犯して蘇らせようとしたのだ。
 そして、ウロビトとイクサビトが生み出され、その過程で虚ろなるホロウを現出させた。そして太古の人類は、世界樹さえ自分たちの手で生み出そうとしたのだ。
 今、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図と化した暗国ノ殿の最奥、最深部で……ポラーレが退治する邪悪こそが、その成れの果てである。
「で? どーすんだ、相棒……やるのかい? あれと」
 傍らで弓に弦を張る男は、普段と変わらぬ飄々(ひょうひょう)とした笑みを浮かべていた。歴戦の狩人であるサジタリオの瞳は、射るような視線で獲物を(にら)む。
 その横では、白い顔の方陣師がいつもと変わらぬ冷静さで言葉を続けた。
「ポラーレ、これこそが太古より封印されし災禍、だと思う。道中、様々な文献を見て、多くのことを拾った。わたしたちの今という時代、これを野放しにしてはおけない」
 ファレーナが錫杖(しゃくじょう)を掲げる。彼女は自然とポラーレの背を庇うように、サジタリと共に身構えた。
 一方で、呑気な声が砲剣のモーター音と共に響く。
「あらまあ、世界樹……見るも無残な姿で現れたものね。で? どうするのかしら? 後はヨルンたちが抑えててくれるもの、なにも心配はいらないわ。やるなら今よね」
 甲冑に身を固めたデフィールが、一同の前に立つ。
 周囲は既に、戦線が崩壊して混乱の渦中にあった。
 誰もが皆、予想だにしなかったのだ。
 特務封印騎士団(とくむふういんきしだん)団長、フリメラルダが命を賭して戦い、勝利を収めた筈だった。この地に眠る災厄は、(むし)と呼ばれる古の実験生物……そう思われていた。だが、真に恐るべき脅威として封じられていたのは、蟲の体内不覚に植え付けられた異形の世界樹だった。
 そう、世界樹……本来、土地を清めて浄化し、生命(いのち)を見守る大樹。
 この世界でそれぞれの土地を、大陸を、国を守護する大いなる存在。
 それを、自ら滅亡に抗い、過ちを(あがな)うために生み出した者たちがいたのだ。そして、その事自体が罪であるかのように、産み落とされたものは邪悪となって荒れ狂う。
 ポラーレは、自分の言葉を待つ仲間たちと共に背後を振り返った。
 そこには、一人の少女が立っている。
 蒼い瞳を伏目がちに、逃げ惑う騎士や軍人、イクサビトたちの中で彼女は小さく呟いた。


「旦那……ポラーレの旦那。こいつは……本当は、人の希望になる筈じゃ、なかったのかよ。オレ、馬鹿だけど馬鹿なりに知ってたぜ。この迷宮のアチコチで、読んで、調べて、わかってた。けど」
 ラミューの目には、迷いがあった。
 そして、そのことをポラーレは責められない。
 年端もゆかぬ少女は、生きてきた時間だけはポラーレよりも長いのだ。その中で比較的恵まれ、特異な人間ながら幸せに生きてきた。闇から闇へと命のやり取りで暮らしてきたポラーレとは、違う。違うが、今は同じ冒険者だ。
 ポラーレが黙って言葉を待つと、仲間たちもラミューを見詰めて黙る。
 ラミューは周囲の絶望と嘆きの中、仲間たちの前で剣を抜いた。
「……大昔、きっとこの場所で誰もがよかれと思って……希望と信じてあれを生み出したんだ。それだけは、信じたい。だから……これ以上、あれを暴れさしちゃいけねえ!」
 逃げ惑う者たちの流れに逆らい、ラミューが走り出す。
 その背を追いかけるポラーレは、仲間たちと共に戦いへと飛び込んだ。
 既に迷宮そのものを覆い尽くさんばかりのスピードで成長を始めた世界樹は、禍々しい姿で上へと、地上へと伸び始めた。
 自然と五人の意思が一つになる。
「サジタリオ、ファレーナも! こいつを地上に出してはいけないわ……この場で息の根を止めるのよ!」
「簡単に言ってくれるね、おお怖い……ま、やれるだけやってみるまでか」
「新たに三つの種族が一つの明日を手にしたのだ。その未来を食い潰そうとする過去に、わたしは抗う。皆と共に、戦う!」
 広がる方陣の光が、薄暗い地下に光を灯す。
 その中へ閉じ込め封じるように、徐々に禍々しい世界樹が押し戻されようとしていた。それでも暴れ狂う枝葉を、サジタリオの矢が貫く。
「んじゃ、ま……特大の一発、御見舞してよ? 露払いっ!」
 ポラーレはラミューと共に、走る。
 放たれたアクセルドライブの奔流が荒れ狂う中、衝撃波が乱れ飛ぶ先へと疾走(はし)る。
 すぐ目の前を駆けてゆく少女の背中が、ポラーレへと小さな呟きを残した。
「クソッタレ! 誰だってみんな、みんななぁ……よかれと思って、それが! クソッ! ……オレだって同じじゃねえか、なあ。お前だって、本当は――」
 獣の咆哮にも似た絶叫と共に、邪悪の権化と化した世界樹が荒れ狂う。苛烈な光と共に紫焔が踊って、たちまち周囲を床ごと崩し始めた。
 だが、波打つ煉瓦(れんが)が浮き上がる中を、ポラーレはラミューを追って走っていた。
 正直に言えば、ポラーレが抱く想いはラミューとは全く逆だ。よかれと思う都度、人はそれを免罪符に過ちを犯す。よかれと思えばこそ、過ちと知りながらも(おぼ)れ、時には過ちと気付く理性や知性を失ってしまう。
 そうして生まれたのが、ポラーレという錬金生物(バケモノ)だ。
 そして、口には出さないが……計画種(プランシーダー)として作り出された完全無欠の人類、性別すら個で完結したラミューもまた、そうだろう。全ては皆、よかれと思って産み落とされた。誰がなにをよかれと思ったかは、既にもう知るものもなく、語る術を持たない。
 それでも、とポラーレは加速してラミューを追い抜く。
 手には今、己の体内に取り込んだ神屠(かみほふ)りの刃が鞘ごと浮かび上がっていた。
「ラミュー君、僕は……君みたいな()が、グルージャの友達でいてくれてよかった。この惨劇を前にして尚、そう言える君を守りたい。単純な話なんだ……酷く腹が立つ、よかれと思ったにせよ、自分勝手に目的を押し付けた創造が許せない。それと」
 鞘から抜き放たれた天羽々斬(アメノハバキリ)が、リン! と、不気味な鳴動を響かせる。
 ポラーレはそれを翻すと同時に、もう片方の手でありったけの投刃(とうじん)を放った。
 殺意を持って殺意へ殺到する、無数の光が突き立った。どの毒も通りが悪いが、少しだけ邪悪な世界樹の力が弱まる。
 その間隙へ自分を捻じ込むように、ポラーレが斬撃を繰り出した。
 崩壊を始めた地下の迷宮を突き抜ける、衝撃と振動。
 その中でポラーレは、背の少女へと語りかけるように呟き続ける。
「そうした手前勝手な創造の産物である君と僕で、守れるものがある。君がグルージャの友達で、僕たちの仲間で……僕にとって守りたいものを、一緒に守ってくれる」
「旦那っ!」
「だから、証明する。よかれと思った誰の想いでもない、そうあれと生み出された僕と君とが……自分の意思で戦い、守る。それを今、証明する!」
「おうっ!」
 暴れる世界樹の中央、空を目指して天井を突き破る幹へと飛び込む。
 ポラーレの身体が、徐々にその輪郭を崩し始めた。今、自分と同化して(コア)と繋がった天羽々斬が燃えるように熱い。
 まるで己の生命そのものを奮ってるかのような感触が、確かにある。
 そして、ポラーレの生命が振るわれる度に、その輝きと鋭さに響くものがある。
 それは、呼吸も鼓動もないポラーレに、呼吸も鼓動も重ねたラミューのリンクが爪弾く光だ。両者は互いに戦いの主旋律を奏でながら、交互に剣戟(けんげき)の調べを重ねてゆく。
 どこまでも加速する斬撃と閃撃の二重奏が、徐々に害意を押し込めていった。
「旦那っ! もう一息だ!」
「ああ! みんなっ、援護を……全ての決着をつける。もう、この地での戦いを終わりにする」
 既に崩落して荒れ狂う波濤と化した地面に、まだ方陣の光がはっきりと浮かんでいる。宙へと揺らぎながら浮かぶ方陣の上を、ポラーレはラミューと共に走っていた。
 そして、背後から飛来する無数の矢が、伸びてくる(つる)(つた)を撃ち落とす。
 危機を悟って黒い世界樹が新芽を芽吹かせるが……デフィールにイグニッションの炸薬カートリッジを叩き込まれた砲剣が、赤熱化する刀身からオーバードライブの光を(ほとばし)らせた。
 やがて、ポラーレを導きラミューを包むように伸びていた方陣が、一点へと集中する。
 全てを縛って押さえつけていた(ことわり)の力が、術者の力で爆縮しようとしていた。
「ポラーレ、ラミューも……あと一押しだ。我が方陣よ、解けて散る刹那に光となれ!」
 完全に世界樹のバケモノを封じて絡め取った方陣が、中心へと吸い込まれて()ぜた。その中心へと、ポラーレが剣を引き絞る。
 だが、決着の一撃は意外な結末で乾いた音を立てた。
「……ッ! やっぱり、借り物の力じゃ……駄目、なのかな」
 白い顔に初めて浮かぶ、沈痛な表情。
 ポラーレが全力で叩き付けた天羽々斬が、根本から折れていた。その先端は虚空を舞って、暗き邪悪な世界樹が伸びる根本の闇に消える。一時は力が弱ったかに見えた世界樹は、先程にも増して勢い良く天へと伸び始めた。
 ポラーレは背後で、ファレーナを止めるサジタリオとデフィールの声を聞く。
「駄目よ、ファレーナ! このままでは貴女(あなた)も巻き込まれるわ!」
「迷宮が崩れる! 安心しな、ファレーナ……奴は、相棒は、殺しても死なねえ! それよか、今は――」
 世界樹の成れの果てが爆発的に伸び出した。その成長に飲み込まれるポラーレは、折れた剣を手にしたまま埋もれてゆく。遠ざかる最愛の人の声に振り向けば……そこには、胸を枝葉に穿(うが)ち貫かれたラミューがぶら下がっていた。
 光を失った瞳で彼女はなにかを呟こうとしたが、その唇から言葉の代わりに鮮血が溢れる。
 後に、(ゆが)みし豊穣(ほうじょう)神樹(しんじゅ)と呼ばれるもう一つの世界樹は……冒険者たちの決死の奮戦をあざ笑うかのように……ついに暗国ノ殿を崩して埋めながら、地表へ突き出て空を奪うように広がった。

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