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 四つの大地を巡る冒険は、終わった。
 帝国と三つの民を脅かす脅威は、その全てが取り除かれたのだ。
 苦難の連続、常に危険と隣り合わせの旅だったとポラーレは振り返る。だが、一人ではなかった。(ひと)りでグルージャを守って戦う日々とは、なにもかもが違っていた。
 そこには、生まれて初めて得た仲間たちがいてくれた。
 友になってくれた者たちも大勢いた。
 そしてなにより、自分と一緒にグルージャを大事にしてくれる、大切な人が見つかったのだ。そして、ポラーレの冒険は終わった。
「父さん、ねえ……父さん。父さんってば」
 ふと、愛娘(まなむすめ)の声がして目を覚ます。
 どうやらリビングのソファで居眠りをしてしまったようだ。穏やかな休日は今、もうすぐお昼時という時間だった。
 ポラーレは今、三人で郊外の小さな一軒家に住んでいる。
 辺境伯が差し出した豪邸を断り、定宿の女将に挨拶をして引っ越したのだ。そして三人というのは、勿論グルージャと……ファレーナである。
 新たな家族を得て、ポラーレは放浪と逃走の日々を終えた。
 風吹く冒険者の街、タルシスに安住の地を得たのである。
「あ、ああ……グルージャか」
「もう、最近すこしだらけてる。父さん、なんか変」
「ごめんごめん、なんかちょっと……いや、凄く。凄く、いいなと思って」
「なにそれ。ふふ、おかしいの。今、お姉さんがお昼の用意をしてるから」
 そういえば、キッチンからいい匂いがする。
 ファレーナの料理はいつも、美味しい。ウロビトたちの郷土料理も、彼女がタルシスで覚えた冒険者の料理も、帝国風にチャレンジして失敗した焦げっぽいのっも、全部が全部ごちそうだった。
「それと、父さん。はいこれ。手紙、きてた。こんなに沢山」
「僕に?」
「そ、父さんに。じゃ、あたしはお姉さんを手伝うから」
 相変わらず素っ気ない愛娘は、大量の封筒をポラーレに押し付けてくる。
 グルージャはまだ、ファレーナのことを『お姉さん』と呼ぶ。
 母親をよく知らず、普通の家族がよくわからない彼女らしい距離感だ。だが、ポラーレは知っている。グルージャはファレーナのことを、よく思っていない訳ではない。寧ろ逆で、それを表現することがまだ難しいだけなのだ。不器用な子で、でも性根が優しくて勇気がある。時々大胆なまでに行動力を発揮するのも、親としては頼もしい限りだ。
 耳を澄ませば、ファレーナとグルージャの会話が聴こえる。
 長らく生死を共にしてきた冒険者仲間だったから、ぎこちなさはない。
 ただ、甘えるのが下手なグルージャには、少し時間が必要だろう。
 そう思ったら、自然と口元が緩んだ。
 これが笑みかとさえ思えないほど、ポラーレは自然に微笑んだのだ。
「さて……随分沢山きたな。どれどれ、これは……ああ、ラミュー君の。結婚式かあ、これは出席しないと。それと、これは?」
 ポラーレはソファの上で身を正して、封筒の束を一つずつ確かめ始める。
 ラミューは義兄クアンと、もうすぐ結婚する。あの跳ねっ返りの弾丸娘が、花嫁になるのだ。確か、今はイクサビトの里で花嫁修業中だとか。秋には母親になるイナンナに、ビシバシしごかれているらしい。
 他の封筒も開封して、ポラーレは一つ一つの文字を丁寧に拾ってゆく。
 多くの仲間たちが新たな日々へと旅立っていったが、今でもよき友であることには代わりはない。
「こっちは……ああ、フリメラルダか。なになに……え? あの(むし)が、また? それで、薬液を再度集めて……そんな馬鹿な。……まあ、あの人ならやらかしかねないけど」
 金鹿図書館(きんじかとしょかん)からの便りでは、どうやら忌まわしき旧世紀の悪夢が、他にも残っていたらしい。ポラーレたちの激闘の戦訓を胸に、特務封印騎士団(とくむふういんきしだん)はすぐさま臨戦態勢に入った。
 ところが……ところがである。
 突然、イクサビトのモノノフ、アラガミが現れたそうだ。
 稀代の豪傑は、フリメラルダたちが薬液を集めて回ってる間に、迷宮に迷い迷って彷徨(さまよ)った挙句……一人で蟲へと挑み、その中から飛び出た邪悪な世界樹をも退治してしまったそうだ。そして、そのまま今は迷宮で迷子になっているという。
 ありそうな話だと、ポラーレの笑みが柔らかくなる。
 知らぬ間にポラーレは、笑えるようになっていた。
 そのことをファレーナもグルージャも、教えてはくれない。
 二人にとって、父であり伴侶とも思える人は、昔からちゃんとそうだったから。ただ、顔に出して表情を象ることがなかっただけ。いつでも、いつも、いつまでも……ポラーレは皆の素敵な冒険者で、繊細な少年を胸に秘めた頼りない男なのだ。
 そんなことなど露知らず、どんどんポラーレは手紙を読んでゆく。
「これはリシュリーちゃんだね。ふむ、国に帰って……そうか、戴冠式か。で、くんりんすれどもとーちせず……というのは? この文章だと、書いてるリシュリーちゃんも勉強中ということかな。今度レオーネに会ったら聞いてみよう。で、こっちは――」
 ふと、懐かしい名前の封筒を手に、ポラーレは封を切る。
 差出人は、このタルシスでも有名な冒険者のウィラフだ。彼女もまた、タルシスの冒険後に旅立った者の一人である。ドラゴンスレイヤーの一族として、再び竜と戦い、共に生きる道を選んだのだ。
 その彼女の文字は、剣舞に踊る彼女自身のように軽やかな文体だった。
「なになに……ふむ、今はキルヨネンと一緒なのか。……! そうか、とうとう見つかったんだね。キルヨネンの探す、隻眼の手負い竜が」
 手紙は詩篇のように歌う。
 キルヨネンもまた、共に冒険した仲間である。彼女は、故国の水晶宮を襲ったドラゴンを探していた。主である王が戦い、片目を潰した竜だ。
 どうやら、その宿敵を見つけたらしい。
 ウィラフが行動を共にしているのは、竜殺しの一族の義務を果たすためだ。
 ポラーレは封筒を見たが、知らない土地の名が記されている。
 そして、未知の土地にまだ見ぬ強敵……それは今のポラーレには、胸躍る冒険しか想起させない。果たして、ウィラフとキルヨネンの前には今、どんな竜が待ち受けているのだろうか? そして手紙は最後に、ポラーレの助力を請う言葉で締めくくられていた。
 ふむ、と唸ってポラーレは腕組み考える。
 まだ、安穏とした暮らしを始めて一週間も経っていないのだ。
 グルージャには一度、タルシスで学校というものに通わせてあげたいと思っていた。先日パッセロやクアンが相談にのってくれたが、基礎学力に問題はないらしい。確かにグルージャは、読み書きと計算は達者な方だ。タルシスで優秀な成績を修めれば、クアンが大都市の学術院に推薦状を書くともいってくれた。
 それに、だ。
 それにである。
 ポラーレはまだ、ファレーナになにもしてやれていない。グルージャごと自分を包み込んで、共に生きてくれると微笑んでくれた人。守るべき人としてグルージャを守ってきたポラーレが、始めて自分の気持ちと力で得た、守りたい人。
 二人に相談してみる必要があった。
 それでポラーレは、キッチンを振り返った。
「ねえ、二人共……相談があるんだ、け、ど? あ、あれ? ねえ、あの」
 そこには、意外な光景が広がっていた。
 既にグルージャとファレーナは、背後に立っていたのだ。二人の姿はいつもの冒険者用の防具で、旅装のマントを羽織(はお)っている。手にはそれぞれ、小さく纏めたカバンを持っていた。
「ポラーレ、あとは貴方だけだ。わたしたちの準備なら整っている」
「え、あ、はい。えっと……グルージャは」
「どうせ父さん、行くに決まってる。それに……あたしもお姉さんも、一緒がいい」
「グルージャ」
 そして、ポラーレは妙な感覚に胸が熱くなって、その現象に対して説明する言葉を探せない。だから、両手を広げて二人を抱きしめようとした、その時だった。
 突然、家族三人の愛しのマイホームが激震に揺れだす。
 乱気流の真っ只中のように、周囲の空気が逆巻いていた。
 それでポラーレは、慌てて窓へと駆け寄り見上げる。
 そこには、巨大な気球艇が浮いていた。
 そして、脳天気な笑顔がロープも使わず飛び降りてくる。
「迎えに来たよ、兄さん! アルマナも一緒なんだ。丁度五人だね。うんうん」
「クラックス、君は」
「あれ? 兄さんなにしてるの? 準備は?」
「いや、待って……ちょっと待って。ええと、これは……ああ、そうか。ふふ、そういうことなんだな」
 気球艇から見下ろすアルマナが、縄梯子を投げてくれた。靴を持って窓から飛び降りたグルージャが、すぐにファレーナと一緒に手を振り返す。
 考える必要はなかった。
 笑えるということはつまり、そういうことなのだ。
「兄さん、行こうよ! きっと、凄いものが見れるよ」
「そうだね、うん。まあ……僕は着の身着のままでもいいし。じゃあ、そうしよう」
「うんっ!」
 こうして、ポラーレの新たな日々は、今までをこれからの中に内包して続く。


 タルシスに吹く風は今、黒衣の冒険者を伝説へといざなった。
 後の世に英雄と呼ばれ、黒狼竜(こくろうりゅう)のバケモノと恐れられた男の……その、等身大の冒険は始まったばかりだ。そことは、共に冒険を駆け抜けた無数の仲間たちにとって、現在進行系の神話にも等しい物語なのだった。

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