朝を迎えた酒場では、酒気に酔った客達と入れ違いに冒険者達が集まる。宿屋で英気を養い、準備も万端でその顔は皆いきいきと輝いていた。たちまち宴会の残滓は払拭され、珈琲の香りとパンを焼く芳ばしい匂いが立ち込める。ベーコンは油の上で踊り、卵は女将の魔法で朝食に早変わりだ。  そんな光景をテーブルで眺めながらも、サジタリオはしかめっ面に頬杖をついていた。  面白くない、全くもって面白くないのだ。  そのことを向かいに座る男に指摘されて、サジタリオは脚を組み替える。 「はン、揃いも揃って酔狂なこったぜ。冒険者ってな最高の道楽だな? ええ、おい」 「否定はせんよ。楽をしようとは思わぬが、楽しみたいとは思う質でな、俺も」  目の前でエスプレッソを口に運びながら、氷雷の錬金術師は無表情に静かに呟く。その声は抑揚に欠くが、実感のこもった心からの本心のようにサジタリオには感じられる。  同時に、昨夜と違い印術師の装束に身を固めたヨルンの節々へ、痛々しい包帯を眼で拾いながら、 「しっかし手酷くやられてるな、旦那。……あれにか?」 「ああ。よくもまあ、あんな恐ろしいものを創り上げたものだ」  二人はそろって、ちらりと酒場の中央へと視線を巡らせる。  そこには、ソードマンの少女と再会を果たしたグルージャの姿があった。サジタリオの記憶では、今も旺盛な食欲の赴くままにパンを頬張っている少女は、確かメテオーラと名乗っていたと思う。若く未熟だが才気に溢れ、これからの伸びしろを十二分に感じさせる逸材だ。なにより、そのことに無自覚で無頓着なのがいい。  どうやらグルージャは交渉の末……というよりは一方的に言い包められて、自分のギルドにメテオーラを加えたらしい。  そう、彼女達はヴィアラッテアというギルドを組織し始めた。  そして二人の男の視線を吸い込む姿は、そんなグルージャの背後にまるで影のように寄り添っている。  錬金術の禁忌が生み出したバケモノ、ポラーレ=メルクーリオ。恐るべき力をその身に宿し、完全に人間に擬態して生きる仮初の生命。その本質をサジタリオは、昨夜イヤというほどに思い知った。そして、それを裏付ける怪我人が目の前にいる。 「少しやりあったが、正直危ないところだった。核を捉えるのが遅ければ、今頃俺は」 「そりゃそうだ、あれは俺が今まで見た中で一番のとびっきりだ。そうだ、この際言っておくぜ」  ずい、とサジタリオはテーブルの上に身を乗り出して声に凄みを滲ませる。 「……ありゃ、俺の獲物だ。誰にも渡さねえ。あれは、俺が狩る」  一瞬あっけにとられたヨルンだったが、次の瞬間には「ククッ」と喉の奥で笑い出した。だが、その眼は愉快そうに細められながらも、奥の光が静かにサジタリオを見詰めてくる。底の知れぬ男で、氷雷の錬金術師の二つ名は伊達ではないと思えば、背筋がざわざわと言い知れぬ寒気に凍えてゆく。武者震いにサジタリオも嬉しくなる……目の前の首にかかった賞金は、ポラーレのものに匹敵するから。その意味が今、己の肌で感じられるから。  ヨルンもまた身を乗り出すと、懐から一枚の紙片を取り出す。 「俺からも問いたいことがある。……この女を見たことは?」  ヨルンが差し出した紙切れを見てサジタリオは驚きに眼を丸めた。 「こりゃ、写真じゃねえか。驚いたな、こんな片田舎で」 「俺はお前の博識に驚くがな。野で矢を射るだけの男ではない訳か」 「この商売は情報が命でね。……この女か」  居並ぶ者達は皆、異国に集った冒険者だ。その中心でヨルンと並ぶ美女に、サジタリオは見覚えがあるような気がして目を凝らす。  確か、写真の中央にいるのはリボンの魔女、そう呼ばれた名うての冒険者だ。あの北方領ハイ・ラガートの世界樹を征した英雄……諸王の聖杯の真実を知る唯一の人間。他にもチラホラと、裏社会でも桁違いの賞金を提示された首が並んでいる。そして、ヨルンの隣で微笑む女もまた、そんな一人だった。  だが、そのことをあえて口には出さず、サジタリオはじっと写真を見詰める。 「いい女だな。……あんたのコレか?」  小指を立ててみせたが、「ああ」とそっけない言葉が即答で返ってくる。  それは、エトリアの聖騎士と呼ばれたネの国の筆頭騎士だ。冒険者として始まりの世界樹、エトリアを攻略した人物である。そういえばサジタリオも、ポラーレを追う今回の仕事の旅路で聞いていた。辺境の調査に赴いたエトリアの聖騎士は、突如として消息を絶ち生死不明だと。  サジタリオは身を崩して椅子の上にふんぞり返ると、朝日が差し込む窓へと写真をかざして脚をテーブルに投げ出した。 「悪いが知らねえなあ。知ってたら最初に矢を向けるがね。知ってるか? あんた等にかかった賞金額を」 「得られるあてのない金には無関心でね。六桁を更新してからは見ないようにしているのさ」  フン、と鼻から空気を零してヨルンはテーブルの上に手を組む。  サジタリオはなんとはなしに、その背後で気配を伺う痩身へと唐突に声をかけて話題を振った。 「あんたはどうだい? 姐さんなら知ってるんじゃねーかあ?」  その声に驚いた様子で、片眉を吊り上げ肩越しにヨルンが振り向くと……そこには、昨夜唐突に現れたダンサーの女が立っていた。その妖艶な笑みが今は、朝日を浴びて童女のように瞳を輝かせている。一見して魅力的に目に映るが、言い知れぬ警戒心がサジタリオの胸に満ちる。どこか愛嬌があるのに、近寄りがたい高貴さを感じさせる女は、こちらの話に加わる機会を伺っていたようだった。それでいて目の前のヨルンに存在を気取らせないというのは、並の人間のなせる技ではない。 「拝見できるかしら? ……あら、この人は」 「いいか? ヨルンの旦那。ええと、こっちの姐さんは」 「ファルファラって呼んで頂戴。これでもタルシスではちょっとした顔なのよ?」  頷くヨルンを見てから、サジタリオは写真をファルファラへと投げる。空を切る紙片を受け取り、そこに描かれた在りし日の冒険者達を眼にして、ファルファラは僅かに表情を固くした。その機微は恐らく、サジタリオやヨルンといったレベルの人間でなければ気付かないだろう。そして、なにか心当たりがあるらしいファルファラの真意までは拾えない。彼女自身がその自然な表情の奥深くへと、今しがた眼にした発見を隠しているからだ。  サジタリオは無言でヨルンとアイコンタクトを取りつつ、 「どうだ? 旦那の女らしいが。……まあ、有名な話だ。世紀の英雄夫妻だからな」 「……そうね。ごめんなさい、心当たりはないわ」  申し訳なさそうに肩を竦めつつ、ファルファラは人懐っこい笑みで小さく舌を出した。そして写真をヨルンに戻すと、何も言わず二人の間で椅子に座る。食欲をそそる芳香の中に、過ぎた夜の欲を思いださせるような匂いがかすかに香った。 「昨夜は聞きそびれてしまったが……何が目的だ。誰の下で動いている?」  ヨルンが写真をしまいながらも、ファルファラに静かに詰問を向ける。  だが、まるで意に返さぬようにファルファラははにかむと、二人の顔を交互に覗きこんであどけなさに笑った。 「ああ、そのこと。私はそうね……さるお方の下で働いてるの。辺境伯にも顔が利くわ」 「なるほど、それで……あの男に、ポラーレに冒険者をやらせてなにを目論む?」  それはサジタリオも気になっていた。  基本的にサジタリオの価値観では、人は損得なしには動かない。命をかけるとなれば尚更だ。危険な迷宮に危険なバケモノを誘う……それはどこか、毒をもって毒を制するやり方に似ている。それも投じるのは猛毒だ。  だが、悪びれずにファルファラは全てを話した。 「……タルシスはここ数十年、停滞してるわ。それは氷雷の錬金術師、貴方ならわかる筈よね?」  ヨルンの沈黙が明確な答だったし、サジタリオはこの街に来て五感でフルに感じていた。  活気はあるし整備されたタルシスのインフラは豊かだ。繁華街に人は溢れ、交易所を通して流通も盛ん。農産業も順調で、この草原を吹き渡る風すら糧にしてタルシスは生きている。……否、死んではいないだけとも言える。  遠くに世界樹を望みながら、ただ眺めて手の届かぬものと指をくわえる、そんな街にサジタリオには見えた。 「たしかにな……世界樹の根本にすら及べず足踏みをしているのだ。俺がいたころから変わらん」 「でしょ? ふふ、でも辺境伯は変化を望んでる。若く覇気に満ちた冒険者による、一点突破」 「なるほど。それであの空飛ぶ船の実用化を急いでいた訳か」 「ええ。この風馳ノ草原はまだまだ未開の地……でも、この街は安定に立ち止まっていた。今日まではね」  そう言ってファルファラが顔をあげた先に、幽鬼のようにぼんやりとポラーレが立っていた。その生気のない白い顔には今、翡翠色の双眸が眠たげに鈍く輝いている。彼はそのままふらりとテーブルに歩み寄ってくると、サジタリオに声をかけてくる。 「サジタリオ、頼みが、あるんだけど」 「わーってるよ! ……あのお嬢ちゃん、グルージャつったか? 前に商隊で助けてもらったしな」 「……うん。それで」 「もう手前ェ等に手出しはしねえよ。ったく、胸糞悪ぃ! 商売あがったりだぜ!」 「そうだね。それで、よければ君も……僕の、僕達のギルドで冒険者をやらないだろうか」  ……と、グルージャが言ってるんだけど。そう付け足して、もそもそとポラーレは呟く。  思わず眼を丸くしたサジタリオは、後から父親の傍らに立った少女と目が合った。瞳で頷くグルージャの視線から、その真っ直ぐな眼差しから思わずサジタリオは目を逸らす。警戒心と猜疑心は当然として、最強の敵であるゆえの信頼と信用が織り交ぜられた、嘘偽りのない瞳だったから。そういうのは眩しすぎて、サジタリオには直視できない。 「……いいぜ。せいぜい小遣い稼がせてもらうさ。迷宮で俺の獲物に死なれちゃかなわねえからな」  目の前でファルファラがヨルンと「デレたわね」「ああ」とよくわからない会話をしていたが、メルクーリオ親子もまた互いに頷き合う。そうしてポラーレが娘に言われて促されるまま、握手を求めて白い手を伸ばしてくるので、それをサジタリオがはたいて拒否した、その時だった。 「旦那! ヨルンの旦那っ! まったく困りま……ああっ! 見つけた、見つけましたよポラーレの旦那っ」  突如、けたたましい声と共によれよれの白衣を着た医者が割って入ってきた。その男は確か、サジタリオの調べではポラーレが潜伏している診療所の医者だ。無精髭のその男、パッセロは札束をポラーレに押し付けるやヨルンに食って掛かる。 「また病室を抜け出して! その片割れは勝手に退院しちまうし……どうなってるんですか!」 「ああ、うん。……そうだ、あの」 「ああ、うん……じゃねえですよ! さ、旦那方。診療所に戻ってもらいますからね」 「グルージャ、どうだろう。この先生にうちのメディックをやってもらうというのは」  すれ違う話の内容に、サジタリオは笑って椅子に身を深く沈めた。だが、まだ謎は残る……どうして自分をファルファラは呼んだ? ポラーレがこの地方にいると一報をくれたのは彼女なのだ。その謎に気付いているのかいないのか、曖昧な笑みを浮かべるファルファラは立ち上がると、蝶のようにひらひらと人混みの中へ消えていった。