碧照ノ樹海を行き来する冒険者は、マルク統治院が発令したミッションによって激増していた。 「なんだよ、ったく……どいつもこいつもピクニック気分かよ」  本日三組目のパーティと、判で押したようなやり取りを終えたラミューが口を尖らせる。彼女は手近な壁に寄りかかって、頭の後ろに手を組むや不平顔だ。会う者は皆揃って、赤熊はどこかと聞いてくる。そんなのはこっちが聞きたい話で、ラミューも未だ手がかりを掴んではいない。  それでも、地下二階のマッピングをほぼ終えたことが、彼女の上気分を増長させている。  なにより、目の前でモンスターの解体を終えた青年の横顔が、先ほど吐き捨てた言葉を自分からは遠ざけてしまう。ピクニック気分で浮かれているのは他でもない、ラミュー自身だ。 「これでよし、素材は随分と集まったみたいだけど。ラミュー、一度タルシスに戻るかい?」  額の汗を袖で拭って、にこやかな笑みでクアンが振り返る。立ち上がった彼は、汚れた手を丁寧にタオルで拭き取りながら、今しがた入手した素材をカバンの中へとしまった。  今日は、あのニタニタと締まらないコッペペはいない。  脳天気なお姫様も、姉だか叔母だかと一緒にお休みだ。  今日は、緑爽やかな森林に、二人きりだ! 「い、いや、その、クアン? も、もうちょっと散策しようぜ?」 「ん、僕はいいけど。でも、二人で遠出は不用心だな。マップを埋めるだけって言うから来たけど」 「いいじゃねえか、行こうぜっ! ……オオ、オッ、オレが、守ってやるからよ」 「ふふ、ラミューは頼もしいね。でも、危ない真似しちゃ駄目だよ」  にこやかな笑みは優しくて、しかし義妹に向けられるものだ。それは知ってる、わかっている。けど、それでも嬉しくてつい、ラミューは頬を赤らめ俯いてしまう。本当は、もっと違う目で見て欲しい。恋する一人の乙女として見詰めて欲しい。クアンだって男なんだから、もっと下心があっても全然構わない。男は狼なのよ、とファルファラも言ってたし。  ……でも、やっぱり自分は女の子としては見てもらえないのだろうか。  だってラミューは、半分しか女の子ではない躰だから。 「あ、あのさ……クアン」 「ん? やっぱり戻るかい?」 「いや、その……クアン、オレッ! ……オレ、あの……ひうっ!」  壁に身をもたれてもじもじと指を遊ばせていたラミューは、突然素っ頓狂な声をあげた。  次いで、尻をスカートの上から抑えながら壁を離れる。  振り向くとそこには、壁の小さな穴から……見慣れたモノクロームの無表情が生えていた。 「やあ、ラミュー君。失礼するよ」  ――ポラーレだ。  彼はもぞもぞと人型を崩した流体の身で、茂みの中から這い出してくる。そうして二人の目の前でいつもの黒い影へと凝結するや、振り向いて自分が通った穴を人が通れるサイズに整えた。 「だ、旦那……ポラーレの旦那じゃねえか。ど、どどど、どうして」 「ああ、うん。ここ、通れそうだなって。迷宮のあちこちにこうした抜け道があるみたいだね」  全く無感動に淡々と喋るポラーレの白い顔。しかし、それを見詰めるラミューは真っ赤になってしまう。 「聞かれた……二人っきりだと思ったのに! 旦那っ、いつから、どこから聞いてたんだよ」 「ああ、大丈夫。僕は君達のプライベートに興味はないよ」  ホッ、とラミューが豊かな胸の起伏を撫で下ろす。  だが、次の瞬間無貌にも似た白黒の美丈夫はぼんやりと呟いた。 「僕はね。ただ、彼は面白がってたみたいだけど」  そして、ポラーレが整え終えた茂みの小さな小道から、ニヤニヤと笑う顔が姿を現した。 「よう、嬢ちゃん。邪魔しちゃって悪いねえ……ったく、クアンも隅に置けねえなあ。おいい?」 「ああ、サジタリオさん。こんにちは、皆さんも冒険ですか?」  どうも言われてることがピンときてないのか、礼儀正しく頭を下げるクアン。逆にのけぞりラミューは目を手で覆った。なんてことだ、よりにもよってこの男に聞かれてしまうとは。タルシスに帰ったら、踊る孔雀亭のカウンターはこの話で持ちきりになってしまう。  どうやら向こうもサジタリオと二人の様子で、聞けば薬草の採取に留める予定らしい。  突然のお邪魔虫は、その片方が全くの無自覚で、もう片方は自覚があるからさらに質が悪い。  なにより、一番質が悪いのは―― 「よかったらご一緒しませんか、ポラーレさん。サジタリオさんも是非。お二人が居てくれれば心強いです」  二人きりの時間が終わったのに、全く気にした様子もないクアンその人だ。  目眩によろめきながらも、ラミューは溜息を零す……クアンは昔からこういう男だ。そんな一面をコミで好きな自分が居て、だからなにも言えずに溜息を零すしかない。 「僕は構わないけど。うん、そうだね。お互い二人旅というのは、いかにも不用心だ」 「おい馬鹿、この野郎っ! ……少しは空気を読め、空気をっ」 「? どういう意味だい、サジタリオ」 「いいか、二人というのはだな、二人きりなんだぞ。それは――」 「危険だ。安全性が保たれているとは言い難いよね」 「……もういい、お前今夜ちょっと付き合え。酒場で説教な、説教。ったく、これだから男親は――!?」  その時、静謐な森の空気が絶叫に震えた。  まさしくそれは、絹を裂くような悲鳴と形容するに相応しい緊張感に張り詰めている。  とっさに男達は仕事の顔になったし、真っ先に声のする先へとラミューは走り出す。 「サジタリオの旦那っ、クアンを頼むぜ! 先行すっからよっ」 「へーへー、安心しな。愛しいクアンちゃんはバッチリ守ってやっからよ」  軽口を叩きつつ弓に弦を張る声を置き去りに、疾風の如く迷宮内をラミューは馳せる。脚には自信があったし、瞬発力と俊敏性こそが最大の取り柄だ。だが、全力疾走で緑を駆け抜けるすぐ横に、いつもと変わらぬ無表情が並んだ。 「こっちから声がしたね。もしかして、例の赤熊かな」 「わからねえっ! けど、けどっ」  胸騒ぎが収まらない。そして、微かに森をたゆたう空気に、錆びた鉄の臭いが入り混じる。  ドアを蹴破るように押しのけて転がり込んだ部屋の先で、その正体にラミューは絶句した。  血塗れの冒険者を前に両手を広げる、そびえ立つ巨躯が吠え荒んでいた。その巨体は紅蓮の炎の如く真っ赤で、毛並みが怒りに逆立っている。迷宮の天井まで届くようなその大きさは、見るもの全てを大質量で圧していた。息詰まるようなプレッシャーを振り払うように、ラミューは抜剣するや地を蹴る。  瞬間、今までいた場所がえぐれて土くれが舞い上がり、怒号と共に爪が空間を薙いだ。  血の裂断者が眼光を煌めかせ、猛然と新たな獲物であるラミュー達へと襲い掛かる。 「ちぃ、旦那! 速攻で決めるぜ」  返事も待たずにラミューは、しなる細剣の刀身へと精神を集中して指を添える。その時、白銀に輝く鋼の刃は、つつ、となぞる指先にふるえて火花を弾けさせた。瞬く間に剣は焔に包まれ、揺らめく業火をラミューは翻す。  左右の腕を振り回して荒れ狂う赤熊へと、ラミューは身を低く肉薄するや払い抜けた。 「やったか!? ……嘘だろ、生きてるっ」 「グオァァァァァァァァァッ!」  真っ赤な毛並みよりも尚紅い、紅蓮の炎が敵を包む。それでも脅威は荒ぶり暴れ狂う。  逆巻く炎の渦は空気を貪り燃焼しながら……続く刃へと連鎖して爆ぜた。 「続けて刻むよ……ごめん、恨みはないけども。先に、進む、為にっ!」  ラミューの放ったリンクフレイムの炎は、その勢いを減殺させることなく続く刃へ灯って再び燃え盛った。  ポラーレは両手から生やした雌雄一対の剣を束ねて、巨大熊の脳天へと振り下ろした。悲痛な絶叫が再度こだまし、血飛沫が炎に焦げる臭いが周囲を満たす。ポラーレの一撃が致命打となって、恐るべき人喰い熊がよろりよろけて一歩後退った。 「凄ぇ……流石だぜ、旦那。これが……一流の、力」 「ラミュー君。一気に畳み込もう。もうすぐ後続のサジタリオ達も追いつく。チャンスだ」 「あ、ああ。っしゃあ、お見舞いするぜっ……もういっちょぉ!」  ヒュンと振るった剣がタクトのように、戦いの第二楽章を紡いで奏でる。モノクロームの首席奏者も、リズムを合わせて指の狭間に五本の投刃を握った。燃え盛る炎が再び剣を包んで、その細い刀身を広刃の大剣の如く膨れさせる。  だが、傷の痛みに唸りながらも、赤熊は巨躯を翻した。  手負いの獣は必死の足取りで、背後の下り階段へと駆け込んでいった。 「……逃げた、ようだね」 「よ、よし! 追うぜ、旦那っ! ……今日、ここで決着をつけてやる」  手にした剣がカタカタと鳴る。恐るべき血の裂断者を、ポラーレのフォローもあって退けた。その殊勲がもたらす武者震いだと言い聞かせるも、ポラーレは剣をしまうやそっと手に手を重ねてきた。  同時に、背後からサジタリオとクアンが追いついてくる。 「おう、怪我ぁねえか? すげえ声が響いてきたが……ふむ、この出血量。獲れるぜ、こいつぁ」 「サジタリオ、君もそう思うかい? 追撃しよう。……二人で」  ポラーレはなにも言わなかったが、気遣うように、しかし戸惑うようにポンとラミューの頭に手を載せる。頭巾越しに冷たさを感じたが、不思議とラミューにはそれが自分の恐怖も臆病も拭い去ってくれるような気がした。 「気が利くじゃねえか、相棒。んじゃま、行きますかね。クアン、ラミューと怪我人を頼むぜ」 「はい、お二人とも気をつけて。手負いの獣は生きるために必死です。油断すればこっちが……」 「任せとけって。こちとら生まれながらの狩人だぜ? それに、一人じゃねえ」  サジタリオはドン! とポラーレの胸を叩くや、点々と続く血を追って階段に消える。ポラーレもまた、ラミューに静かに頷きその後を追った。  残されたラミューは、改めて込み上げる恐慌に膝が震えて、その場にへたり込んでしまった。  もしあの時、ポラーレが自分の放った炎に合わせてくれなかったら? 考えたくもない一瞬が脳裏に浮かんで、込み上げる悪寒に肩を抱いて身を畳む。そんな彼女の華奢な身を、やはり何も言わずクアンは抱きしめてくれた。  だが、ときめきを感じる余裕もなく、生き延びた自分の鼻先をかすめた死が怖くて、ラミューは竦むだけだった。