タルシスの新たな英雄、第二大地の小迷宮にて大失態……ポラーレは仲間の少女達を危うく全滅させるところだった。それで周囲の冒険者達は、最後までよく子供達を守ったと称賛する者、迂闊なことだと失笑に肩を竦めるものと様々だ。そうした周囲の評価には、ポラーレは昔から動じないし気にしない。我関せず、他人のことなどどうでもいいのだ。  だが、そんな機械のようなポラーレでも今は落ち着かずに交易場を歩く。  人と物とが行き来して混雑するカーゴ交易場で、係留された気球艇を頭上に急ぐ歩幅は大きい。 「ヨルン、気球艇の改装はどうだい? だいたい作業が終わったと聞いて来たのだけど」  職人達と設計図を囲んでいた美丈夫へと、ポラーレは努めて平静を装い声をかける。真っ赤なマフラーを肩にかけ直して、ヨルンはニ、三の言葉を職人達と交わしてポラーレへと歩み出た。隣には今、交易品の交換をしてたらしくサジタリオも一緒だ。  誰に何を言われたって動じないが、どういう訳か言われる前に言葉を尽くしたい気分でポラーレは口を開く。この世に生み出されてこのかた、娘以外にこんな感情は初めてで。何より、こんなことで感情のゆらぎが生じるなんて理論上ありえない。 「サジタリオも、丁度よかった。君にも話しておきたいと思って……その、この間のことなんだけど」  ポラーレは人ならぬ身に虚ろな魂を宿す故、どこまでもクールでクレバー、ストイックにできていると自分を評していたのだが。そんな評価を忘れて今、二人の前でもじもじもだもだと喋り出す。 「この間は、失態だった……ラミュー君達に申し訳なくて、その。……僕はやはり、駄目な冒険者だ」  一流の暗殺者が一流の冒険者になれるとは限らない、そう強く思い詰める日々が続いていたのだ。  だが、ヨルンとサジタリオは顔を見合わせ笑った。やれやれとヨルンは再び図面を開いて目を落としたが、その眦には笑みが浮かんでいる。サジタリオもげらげらと身を屈めつつも、ポラーレに肩を組んで顔を覗きん混んでくる。 「何だお前、そんなこと気にしてたのか? 誰かに何か言われたのか?」 「みんな言ってる、やっぱり僕は――」 「勝手につまらぬ括りに入れて欲しくないものだな。サジタリオ、お前もそうだろう?」  ヨルンの声に頷きながら、サジタリオはしかし一瞬だけ真剣に顔を引き締める。 「まあ、迷宮の怖さがわかっただけめっけもんだぜ。次から締めていけや、それでいいだろ?」 「う、うん……でも」 「ぐだぐだ言うなって、見ろ! お前はヘマもやったが、見返りもでかかったじゃねえか」  そう言ってポラーレの肩を抱いたまま、サジタリオは頭上を仰いで片手を広げる。青く澄み渡る空には今、多くの気球艇が錨を下ろしていた。技術者達が飛び回っており、改良が突貫工事で行われている。瘴気の森で遭遇したあの有害な気体は、扱いさえ間違わなければ気球艇の限界高度性能を伸ばしてくれるのだ。それはタルシス全体の収穫と言えた。 「僕は、このところおかしい。君達を失望させてしまったらと思うと、落ち着かないんだ」  ぼんやりと空を眺めて、ポラーレがぽつりと零す。この男達だけではない、グルージャと同年代の仲間にして、愛娘の友人達もそう。同じギルドで働き始めたパッセロやファルファラ、レオーネも同じだ。こんなに人のことを気にしたことはなくて、それが戸惑いとなってポラーレの空虚な胸に満ちる。 「気にすんなよ、相棒。失敗をしねえ人間は学ばないからな。おっと、僕は人間じゃ、なんて言うなよ?」 「お前は持てる全力で仲間を守った、この事実が全てではないか?」 「またリシュリーちゃんにチューしてもらうんだな、ハハハッ!」  バシバシと背を叩くサジタリオの笑顔に、ようやくポラーレの気が休まり鎮まってゆく。これ以上言葉を絞り出す必要もなく、言葉以上に雄弁な笑顔が行き交った。  それでようやく、ポラーレは今日の本題に入るべく声を潜める。 「それと、報告しておきたいことが……あの大地で僕は、ヒトならざる者に助けられたんだ」  まだ誰にも口外はしていないし、ラミュー達にも口止めしておいた。無用な混乱を招く恐れがあったし、最初に相談した辺境伯に頼まれたのだ。世界樹を目指す冒険者にとっては大発見とも言えたが、その扱いには慎重にならざるを得ない。  サジタリオは全く顔色を変えずに「ほほー」と無精髭をさすり、ヨルンは僅かに眉根を動かす。 「それで? どんな奴だった?」 「言葉や文化、風習、容姿……なんでもいい。俺にもいささか心当たりがない訳でもないからな」  二人は声を潜めてポラーレに額を寄せてくる。だが、ポラーレはあの日の出来事を思い出して意外な言葉を口走って、自分でも驚きに固まってしまった。 「綺麗な、女性だった」 「……は?」 「……ふむ」  今まで、何かを美しいと感じたことはない。詩や音楽も、珍味も酒も。趣きや嗜みとは無縁な生活だったし、せいぜい暇があれば本を読む程度だ。それも、文字列を目で追い自分の中で再現する作業が、酷く落ち着くからというだけだった。  そのポラーレは、自分でも素直に思ったことが口をついて出て、慌てて両手で塞ぐ。  だが、そんな年頃の少年のような初々しさに二人の友人達はニヤニヤと頬を緩めた。 「あっ、ち、違うんだ! そう、透けるように肌が白くて、淡雪のような……」 「文学的だな、ポラーレ。コッペペの病気でも伝染ったか?」 「ヨルン、これは……ええと、すっごく細い人で。体型が人間とは全然異なる。言葉は通じたけど」 「スレンダー美人か、いいねえ。おい、食事には誘ったか? 恋文を送る住所は? へへ、お前がまさかねえ」  自分でも不思議で、あわあわとポラーレは言葉にならない声を口ごもる。あの時、自分は噛み千切った魔物の鮮血に口元を汚した、漆黒の化物だった。でも、あの人は構わず自分を手当して介抱し、鼻を優しく撫でてくれたのだ。 「そんなことより! ……何者なんだろう。人間ではないし、気になることを言っていたんだ」  ポラーレを茶化していたヨルンとサジタリオも、ようやく真面目な顔を取り戻す。それでポラーレは、二人組の女性で何かしらの術師のような風体だったこと、巫女や絆等の言葉を口にし以前は人間と交流があったらしいことを告げる。 「へえ、なるほど……俺も会ってみたいねえ。ま、これから嫌でも会うかもな」 「ああ。あの瘴気渦巻く小迷宮は恐らく、その者達の鎮守の森だ。頭上に広がる霧の原生林こそ本命だろう」  腕組み唸るヨルンの次の言葉を、抑揚に欠くが静かに響く声が先んじて奪った。  それで三者は三様に背後を振り向く。 「おそらくそれは、亜人……世界樹に深く関わる民達」  視線の先に、華奢な矮躯の冒険者が立っていた。やや幼くあどけない印象を受けるが、和装で腰に大小を佩いた若い女だ。冒険者だと断定し、スナイパーだと知れたのは背負った弓だが……どこか可憐な印象を大きく裏切るその得物は、持ち主の身長をゆうに超える長大な鉄弓だ。  少女を脱しきれていない印象の女スナイパーは、ポラーレ達に近づいて来る。  咄嗟にポラーレは、その女性の右腕が金属の光沢と質量に鈍く輝いているのを察知した。 「久しぶりです、ヨルン。お仲間の方々、お初にお目にかかる。私はなずな、ヨルンの古い知己だ」  サジタリオが軽薄を演じて口笛を吹いたが、なずなと名乗った女は眉一つ動かさない。ただポラーレとサジタリオにも頭を下げる。つられてポラーレもそれに倣ったが、先程の言葉が気になり顔をあげると同時にぼそぼそ語りかけた。 「その、亜人というのは……」 「世界樹の迷宮やその先に住まう、我等とは異なる理で生きる民です。貴殿は」 「あ、僕はポラーレ、こっちは……あ、あっ、相棒の? サジタリオ」 「おい待て手前ぇ、何を疑問形に濁してんだコラァ! ……へへ、よろしくな、なずなちゃん」  ガッシとポラーレの頭を小脇に絞り上げて抱え、ギリギリとサジタリオが締め上げてくる。痛くはないのだがポラーレは、なずながクスリと笑って雰囲気を和らげるのを感じた。こういう時、自然と場の空気を和ませてしまうのがサジタリオという男なのだ。勿論、感じのいい女性にしかこのスキルは発揮されない。 「やはりなずなもそう思うか……嘗てトライマーチは三度世界樹を旅し、その都度亜人と遭遇してきた」 「はい。エトリアのモリビト、ハイ・ラガートの空の民……ソラビト。そしてアーモロードのフカビト」  なずなは静かに、まるで歌うように語る。世界樹を目指せば、必ず亜人達と出会うと。どの種族も皆、世界樹と浅からぬ因縁で結ばれた、世界樹と共に生きる民。時に対立して戦い、時には和解して並び立つこともあった。人との絆を残した者もいたし、言葉を尽くしても気持ちが届かなかった者もいた。 「やはり俺達は世界樹に近付いていると見ていいだろう。それはそうと、なずな。あの連中も連れてきたのか」 「姉者は言って聞くような人ではありませんし。シャドウリンクスの子供達も採集等の人手には十分でしょう」  ヨルンは賑やかな交易場の中央にできた人だかりへと目を細めた。やや呆れたようになずなも見やるその先へ、ポラーレも首を巡らし目を凝らす。そこには、困り顔の弱り顔で頭をかくレオーネと……その腕を胸に抱いて身を寄せる妙齢の女の姿。そして―― 「おうおう、騎士様よう……こちとら長旅で疲れてんだ、そこをナンパたぁやってくれるじゃねえか!」 「非礼があればお詫びいたします、が。こちらのレディが勝手に私に……当方に他意はありませんゆえ」 「騎士って連中はなあ、みんなそー言うんだよ! ああ? やんのかコラ。クソでけぇ盾背負いやがって」 「レディ、離れていただけますでしょうか。淑女たるもの、慎みをもって自身を大事にしなければ」 「無視してんじゃねえぞゴルァ! ……キレちまったぜ、久々によぉ。おう、抜けよ。決闘だ!」  なずなが顔を手で覆ってやれやれと首を振る。ポラーレの目にも、レオーネに食って掛かる少年が腰の剣へと手をかけるのが見えた。なんて軽率な……だが、その時レオーネの気配が一瞬だけ昂ぶり漲る。うだつのあがらないフォートレスは、僅か一秒にも満たぬ刹那だけ圧倒的なプレッシャーを放った。  哀れ少年は固まってしまったが、引き下がれるタイプの賢い子には見えない。 「いやいや、ワシとしたことが戯れが過ぎたのう。まだ日も高い……出直そうぞ。失礼じゃった」  そうこうしていると、ニコニコとレオーネから女が離れた。それで少年も「いいいい、命拾いしたな」と震え声で女の後を追う。レオーネはもう既に普段のぼんやりとした印象へと戻って、ポラーレ達の視線に気付くや一礼を投げてよこした。 「……ポラーレ殿といったか、あの騎士は」 「僕達のギルドの仲間なんですが……なんだろう、温厚で穏やか、少し思い込みが強いだけかと思ったんだけど」  その背を覆うほどに巨大な盾を背負ったまま、レオーネは交易場から出て行った。その歩みは混雑を極めた雑踏の中でさえ、誰とも触れずぶつからずに消えてゆく。 「すまんな、ポラーレ。あれは俺の息子の悪友さ。全く……まるで成長していない」  呆れた様子で溜息を吐き出すヨルンの声に、ポラーレはシャドウリンクスと呼ばれる子供だけの傭兵団を知る。その頭目を張ってるのが、先程の少年クラッツだった。多くの仲間が集い出す中、冒険者達の探索は新たな局面を迎えようとしていた。