ラミューたちが案内されたのは、洞穴内でも比較的安全そうな巨大空洞だった。天井は高く、あちこちに石造りの灯籠が炎を灯している。広場を囲む家々も皆、石の建築物だ。  そして広場では、さまざまな獣人たち……モノノフたちが修練に汗を流していた。  キバガミの案内で歩くラミューは、一際大きな建物から飛び出してきた白衣姿に目を見張った。 「クアン! クアンじゃねえか! ……無事だったんだな、よかった」  ラミューの声にクアンは弱々しく微笑み……次の瞬間、口元を抑えてその場に屈み込んだ。何事かと駆け寄るラミューは、気付けば自分に並んで走る無表情に驚いていた。  あのグルージャが、表情こそ変えないものの、一足先にクアンの傍らで手を添える。 「や、やあ、ありがとうグルージャちゃん。ラミューも、無事だったんだね」 「おうっ! でもクアン、ひでぇ顔色だぜ? どした、何が」 「クアンさん。いったい何が……パッセロやサジタリオ、ヨルンさんも無事なの?」  クアンは顔面蒼白で弱々しい笑みを浮かべ、静かに頷く。その背を擦りながら、彼が出てきた建物を見上げてラミューは目元を引き締めた。白い看板に赤い十字は、どうやら病院かなにかのようだ。  その時、再度扉が開かれ、もう一人の白衣姿が現れる。 「クアン! へばってねえで手伝ってくれ! 血液検査のサンプルが必要だ、それも大量に」  声を荒げるのはパッセロだ。その腕には今、イクサビトの子供が抱かれている。  ラミューが異変に気付いたのは、音もなく背後に立ったポラーレが息を呑む気配。ファレーナもまた、白い顔をより白くして言葉を失ってしまった。  パッセロの抱き上げる幼子は、その全身から生えた緑の蔦に覆われていた。  身の内を食い破る植物に侵食され、そのまま飲み込まれそうになっている。 「お、ラミューちゃん。無事だったかい? お前さんのお兄ちゃんは優秀だが、どうにも育ちが良すぎていけねえ。ったく、これだから大学上がりの医者は」 「な、なんだよこれ……パッセロの旦那っ! この子……病気、なのか?」  パッセロの表情は険しく、疲労感も顕なその顔は頷きもせず、首を横にも振らなかった。  ただただ、その腕の中であえいで悶える子供の荒げた吐息が、全てを雄弁に語っていた。  重苦しい沈黙を共有するラミューたちを、巨大な影が覆う。 「……これは巨人の呪いだ、人間たちよ」 「キ、キバガミ! ……さん」  振り返れば、沈痛な面持ちのキバガミがラミューたちを見下ろしていた。その顔には今、あのポラーレと互角以上に戦った猛将の面影はない。優しげに潤んだ隻眼は今、深い悲しみに彩られていた。  やや沈黙があって、ラミューは口の中に小さな呟きを反芻する。  ――巨人の呪い。もしや、その巨人とは?  その答を口にしたのは、ウロビトのファレーナだった。 「キバガミ殿、もしや巨人の呪いとは……遥か北の大地にそびえる世界樹と関係があるのではないですか?」  ファレーナの問いかけに、重々しく頷くキバガミ。 「我らが同胞、世界樹の心と共にあるもの……ウロビトよ。我らイクサビトにとって、あの世界樹は悪魔の樹。あの地より生まれし巨人と、我らは数百年前に戦ったのだ」  キバガミは語り出す……遥か昔、三つの種族が一つの暮らしを共有していた時代を。その悠久の過去は今、まるで叙事詩を飾る歌のように朗々と周囲を満たした。  気付けば周囲にはイクサビトたちが集まり、誰もがキバガミの言葉に耳を傾けている。 「遥か太古の昔、人間とウロビト、そしてイクサビトは共に暮らしておった。そして、我らを脅かす巨人と戦ったのだ。巨人はあの世界樹より現れ、恐るべき呪いをこの地に振りまいた」  それは、今は昔のかたりぐさ……ウロビトの里に残る伝承とは別の、もう一つの物語。  三つの種族が力を束ねての戦いは、巨人の脅威を前に苛烈を極めた。しかし、人間を中心にウロビトとイクサビトは結束を固め、ついには巨人を打ち倒す。  気付けばキバガミの語る伝説に入り込んでいたラミューは、結末に安堵の溜息を零した。 「そして人間は巨人の冠を取り上げ、その知性を奪った。ウロビトも同様に、その心を取り出し里に祭ったという。そして我らイクサビトは、心の臓を抉り出して息の根を止めたのだ!」  キバガミが誇らしげに最後の一節を語り終えると、周囲のイクサビトから歓声があがった。  だが、すぐにキバガミの表情は曇ってゆく。 「だが、呪いはこの地に残り、今も我らを蝕んでおる。この病は巨人の呪い……特に幼子を苛み、多数を死に至らしめる。全身より生えた植物の蔦が、宿木の如く命を吸い上げるのだ」  ゴクリ、と戦慄のあまりラミューは喉を鳴らした。  だが、冷静なポラーレの声は普段通りに淡々と響く。 「……治す術は? 僕の仲間は優秀な町医者だけど、どうも芳しくないみたいだ」 「不治の病、故に呪いよ」  その時ラミューは気づかなかった。その場のイクサビトたちは勿論、パッセロやクアンだって気づかない。ポラーレは沈痛に俯くキバガミを前に、無表情のままだったから。  だが、彼は悲しみに僅かに眉根を歪めて唇を噛んでいた。  そして、理不尽への怒りで震える手は、グルージャがそっと握っている。 「ポラーレ、今は解決方法を共に……貴方と皆、同じ気持です。ですから、今は」 「あ、ああ、うん。ごめん……僕は、つい。しかし、巨人とはいったい」  ファレーナの言葉で、ようやくラミューも気付いた。  憧れの凄腕夜賊は、表情も変えずに悲しみと怒りを織り交ぜていたのだ。いつも不敵でクール、クレバーでストイックに見えるのに。そういうとこがたまらなく憧れなのに、ポラーレは突然身近に思える存在になった。そしてそれが、ラミューには嫌ではなく、むしろ嬉しい。  それは、手を握るグルージャも同じようだった。 「ところで、サジタリオやヨルンは? 彼らはいったい」 「おお、この医者殿とおられた冒険者だな? 彼らなら、少し周囲を探索するといって出て行った。ハッハッハ、冒険者とは剛気なものだな! 我らとしても、頼もしいわい」  聞けば、逸る気持ちに先駆けしてしまったモノノフたちとも、すでに和解してしまったらしい。今は、その者たちの案内でこの洞窟を探索中だという。  そういえばラミューも不思議に思っていた。入口をくぐった時は、外の極寒地獄が嘘のように暑かったのに……今、この里はむしろ肌寒いくらいだ。それで周囲には暖房を兼ねた篝火が揺らめきを連ねて、あちこちで盛んに朽木を燃やしている。  恐らくサジタリオとヨルンは、その謎を調べにいったのだろう。  そうしていると、パッセロは背後の扉から別のイクサビトに呼ばれて、慌てて引き返していった。まだ青い顔でげっそりしているクアンの、その襟首を掴んで引きずりながら。  どうやら今、彼は呪いを敵対する病と認めて戦う腹づもりだ。 「お頼み申す、医者殿。我らのまじないも薬草ももう効かぬ……」 「確約はできませんがね、キバガミさん。こちとら、ガキが苦しんでるなんざまっぴら御免こうむる……徹底的に調べて、あらゆる処置を。最善を尽くすことだけお約束しますよ」  それだけ言って、パッセロは建物の中に消えた。  見送るキバガミの目は今、祈るような願いの眼差しに揺れていた。 「ありがたい、人間たちはやはり同胞……そうですな、ウロビトの術師殿」 「ええ。一度は拒んだ我らですら、今は心を開いて共に。……無論、全員ではないのですが」  ファレーナの静かな声に、キバガミは大きく頷く。  その時彼は、周囲を取り囲むイクサビトたちの中に、赤い羽根付き帽子を認めて声をあげた。 「そうだ、忘れておったわ! アルマナ殿! おお、なずな殿もご一緒か、調度良い」  その時、ラミューは我が耳を疑った。疑う気持ちをこそ疑うくらいに驚き、もしやとキバガミの視線を目で追う。  そこには、異国の剣士に付き添われた仲間の姿があった。  ひどい怪我で包帯まみれだが、なずなは自分の脚でこちらへ歩いてくる。 「なずなの姉御! 旦那、あれ!」 「あ、ああ……なずな君! よかった、無事で……? どうしたんだろう、様子が……」 「ポラーレ、彼女はもしや」  ファレーナも、様子のおかしさに気付いたようだった。  なずなを伴い現れた男装の麗人は、羽根付き帽子を脱ぐと一礼して名乗る。 「私はフランツ王国の三銃士、アルマナ・ファルシネリと申します。彼女はそちらの皆様のお仲間かと思いますが……実は」  アルマナと名乗った女性の言葉に、ラミューは衝撃を受けてその場でよろけた。 「嘘……なずなさん、あたしたちのことを忘れてしまったの? 記憶喪失だなんて」  流石のグルージャも動揺を隠せない。  そんな一同をぐるり見渡し、なずなは申し訳なさそうに俯いた。 「すまない。どうやら私と親しくしてくれた方々のようだが……思い出せないのだ」 「もしや、ドラゴンとの戦いで」  ええ、と頷くアルマナの表情が、冷たい憎悪に陰るのをラミューは見逃さなかった。それは、おおよそ人が燻らす殺意としては、余りにも大きく暗くて深い。初対面なのにラミューは、この剣士が背負う宿業を一瞬で悟った。  恐らくアルマナもまた、何かをドラゴンに奪われたのだ。  そうとしか説明がつかぬほどに、凍てつく怨嗟が全身からみなぎっている。  だが、アルマナはラミューの視線にそれを引っ込め、静かな微笑へと戻った。 「さて、客人! 今宵は古き同胞との再会を祝おう! ちょうど、良い鮭も手に入っておる……皆の衆! 宴の準備ぞ! 陰気に負けてはいかん。苦難の中に出会ったことを祝うのだ」  周囲のイクサビトたちからも、歓呼の声があがった。  こうしてラミューたちは、イクサビトの客人としてもてなされることになった。  だが、蔦に蝕まれてゆく子供の姿は、ラミューの脳裏からずっと離れなかった。