その洞穴は不思議な温度差で、調査に出たヨルンとサジタリオを出迎える。  和解したイクサビトのモノノフたちと進む、ここは金剛獣ノ岩窟……獣人たちの里を出れば、そこは再び汗ばむくらいの熱気が充満していた。  そして今、ヨルンたちの前に奇妙な物体が通路を占拠している。 「見てくれ、ヨルン。おっと近づくんじゃねえぜ? こいつがクソ暑ぃ空気の元凶だ」  サジタリオがそっと肩に手を当て、ヨルンを止めてくれる。  ひりつく肌を灼くような熱気が、目の前の巨大な塊から噴き出している。そしてそれは、広い洞穴内のいたるところに散乱していた。時折現れる巨大亀のモンスターでさえ、避けて通るように迂回して消えていった。 「……サジタリオ、これか。しかし里の空気は」 「ああ、逆に寒いくらいだった。つまり、コイツがねぇからよ」  サジタリオは得心を得たとばかりに、無精髭の顎をしゃくる。  道案内をしてくれたモノノフの女性が、すかさず説明を添えてくれた。 「それはホムラミズチのウロコですぅ」 「ホムラミズチ……それは確か。それより、んっ、ゴホン! ……俺の顔に何か」  振り返るヨルンは、目をキラキラと輝かせて自分を見詰める兎美人に気圧される。彼女は先ほど、なずなの弓で気球艇を撃墜してくれた剛の者とは思えぬ可憐さだ。……その可憐さを演出してかわいげで全身武装した、名は確かキクリ。キクリはしなしなとヨルンの隣ににじり寄って、上目遣いに見詰めてくるのだ。 「あの、術師様は……錬金術をお使いになるって。先ほど」 「あ、ああ。それが……今は印術を。学術体系が似てるが、ルーンの制御術は優れた科学だ」 「錬金術士って、その、年収はいかほどで……キャーッ! わたしったら」  キクリは両耳をパタパタ羽撃かせながら、真っ赤になった顔を両手で覆う。 「わたし実は、良縁を探してるんです……姉妹でわたしだけ、まだ。でも、運命の出会いってあると思いませんか?」 「運命の出会い、か……」  そう言われて思い出せる巡り逢いは、ヨルンには一つしかない。  それは唯一にし無二の絆で、彼に素晴らしい宝をもたらしてくれた。それは形のないもので、決して色褪せず、今も胸の中に温かい。錬成した黄金の塊とて、それを前に価値を失うだろう。少なくともヨルンにとっては。  そんな自分がおかしくて、微笑を浮かべつつヨルンは胸元から一枚の写真を取り出す。 「すまんがもう妻がいる。……この女を見かけたことは? さる国の聖騎士なのだが」 「まあ、残念ですぅ。あら? 騎士様ですのね。たしか……ねえ、イナンナさん。ミツミネ様も。この絵の方は、もしかしたら数年前の――」  その時、ヨルンに衝撃が走った。  ここにきてようやく、消息を絶った妻の手がかりが掴めるかもしれない。彼の愛するデフィール・オンディーヌがこの土地の調査に消えてより数年……ヨルンは生存を信じて疑わず、探しても見えぬ足跡を仲間たちと追ってきた。殺しても死ぬような女ではないことは、彼自身がよくわかっていたから。  写真を持ったまま、キクリは背後の男女へと向き直る。  イナンナとミツミネ、二人のモノノフも額を寄せて小さな写真を覗き込んだ。 「ふむ、残念ながら……ヨルン殿、でしたな。この女性とは違うようです。数年前、里に迷い込んだ女騎士がいたのですが。……それは、数百年ぶりに見た人間たちでした」  思慮深さを垣間見せつつ腕組み頷くミツミネは、まさしく伝説の剣狼王のような貫禄がある。その婚約者であるイナンナが、言葉尻を拾って話を続けた。 「その女騎士は手負いで、主の亡骸をこの地にキバガミ様と共に埋葬しました。体力が落ちていたのですね、やはり巨人の呪いに……当時、初めて人間を見る者ばかりだったので」  イナンナは俯き言葉を濁した。  ヨルンにもその当時の状況が、手に取るように伝わる。ミツミネも沈痛な面持ちで、そっとイナンナの震える手を握る。  当時、数百年の沈黙を破って現れた人間を……その女騎士を、イクサビトたちは拒んだのだ。無理もない、話に聞けば、巨人の呪いがここまで広がり猛威を振るい出したのは、その者たちの訪れとほぼ同時期だったという。人間が災厄を運んできたと、当時のイクサビトはうろたえ怯えたに違いない。良識のある者とて、口を噤むしかなかったのだ。 「で? その女騎士ってのはどうなんったんだ。まあ……怪我に病気とくりゃ、聞かなくてもわかるが。……だったらヨルン、冷酷な話だが悪かねえ。お前のかみさんじゃねえからよ」  今まで聞き上手に耳を傾けていたサジタリオが、珍しく優しげに不器用な声音を作ってくれる。この男なりに気を遣ってくれるのだと知れれば、ヨルンも「ああ」といつもの無表情を取り戻す。  そう、妻デフィールは死んでいない。  神を信じず悪魔も恐れぬ氷雷の錬金術士が、唯一疑わないのはその事実だけ。  そしてそれは真実だとこの手で証明してみせる。その誓いも新たにした、その時。 「あのぉ〜、そちらのイケメ……ううん、そちらの方は、ご職業はぁ」 「俺かい? 俺はサジタリオ、野に生き山河を駆ける狩人さ。よろしくな、キクリちゃん」  サジタリオのワイルドな笑みは、毎晩酒場で美女たちのハートを射抜いてきた必殺の魔弾だ。この男ときたら野性味あふれる中にも無邪気な少年を秘めており、世の女性たちはイチコロなのだ。  だが、意外なことにキクリはフラットなスマイルで目を濁らせ、鼻から空気を逃がす。 「狩人さん、ですかぁ。はぁ、残念……好みのお顔なのに、ちょ〜っとぉ」 「おいおい待て待て、ちょーっと待て! お嬢ちゃん、あのなあ」 「我らイクサビトにとって、狩りは職業ではなく……生活ですからぁ。ちょっとそれで稼ぎがあるだなんて、それ自体が信じられないですねえ。あ、でも人間の世界だと違うのかも〜」 「……まあ、俺の獲物は自然の獣だけじゃねえがよ。年収か……自信あんだけどなあ」  気を悪くした様子もなく、ゲラゲラ笑ってサジタリオは再び目の前の物体……放熱に唸るホムラミズチとやらのウロコを睨む。  ヨルンは知っている。この男が世の摂理を外れたバケモノを狩る最強の始末人だということを。この男を雇い入れるだけの仕事があれば、軍隊の中隊レベルの金額が必要なのだ。 「ともあれ、このウロコとやらを排除せねばな。サジタリオ、皆も。下がっててくれ」  ヨルンはその手に氷のエーテルを凝縮してルーンを刻む。複雑に印を結んでかざす掌に、氷結の力が凝縮され始めた。だが、それを放つ間際に声が走る。 「おっとヨルン。その手間は無駄だぜ? ここは俺に任せてもらえないかな」  現れたのはなんと、ワールウィンドだ。彼は獅子のイクサビトと一緒に、ヨルンたちのパーティに合流してくる。 「我が師ヤマツミ! どうして師匠がこちらへ」  イナンナとミツミネが数歩さがって身を正し、膝をついて頭を垂れる。勿論キクリも「お久しゅうございます、ヤマツミ様」と、同様にひかえた。ヤマツミと呼ばれた男は、穏やかな笑みで頷きながら三人を立たせる。その身は引き締まった筋肉が盛り上がっているが、不思議と覇気も闘気も感じない。武人というよりはまるで学者か詩人……だが、ヨルンはサジタリオと頷きあった。完全に己の武の力を、その痕跡を消せるほどの達人だと。 「里が騒がしくてな、キバガミの奴に呼ばれたのよ。こちらはワールウィンド殿だ」 「また会ったね、ヨルン。……例の巨人の呪いを調べてるんじゃないかと思って。俺も独自にアチコチ嗅ぎまわったけど……ああ、胡散臭いのは許してくれよ、いい話があるんだ」  ワールウィンドは相変わらず底知れぬ笑みを浮かべて、人懐っこさを押し出してきた。 「この金剛獣ノ岩窟……ああ、これはギルドで決まった正式名称なんだけど。この迷宮の地中深くに、巨人の心臓が安置されてるらしい。それをウロビトの里の巫女が使えば」 「……巫女も来ているのか?」 「さっきウーファンたちと一緒だったからね、俺は。彼女はもう里に入ったよ」  そう言ってワールウィンドは、背嚢から何かを取り出した。  それはしたたる露に飾られた氷の塊、尖った氷柱だ。それをワールウィンドは目の前のウロコへと投げつける。ジュウ! と白煙を巻き上げながら、ホムラミズチのウロコは砕け散った。 「で、巨人の心臓だけどね……今は安置されてる部屋が、ホムラミズチの巣になってるんだ」  ――ホムラミズチ。それは、この洞穴に巣食う巨大なモンスター。火焔の化身にして獰猛な暴君だとヤマツミも付け加える。  だが、ヨルンとサジタリオのやることはただ一つ……障害あらば、ただ撃ち貫くのみ。 「……あの男を呼び寄せねばなるまい。ミツミネ、頼まれてくれるか」  ヤマツミはにこやかに愛弟子に語りかけ、その一瞬だけ眼光鋭く知略の一端を閃かせる。  こうして今、第三の迷宮に獄炎蛟を狩る戦いが幕をあけたのだった。