イクサビトの里に夜が訪れ、温かな篝火が灯される。  その揺れる光に照らされて、勝利の宴が始まった。  ついに岩窟の主ホムラミズチは倒され、呪いを解く巨人の心臓がもたらされた。心臓に手を触れた巫女シウアンは、瞬く間に病人たちの身を覆う蔦を消し去ったのだ。  こうして危機は去り、第三の民モノノフたちと絆を深めて……再び世界樹を目指す冒険が始まろうとしていた。  だが、依然として導たる石版の在処はようとして知れない。  それでも今宵は美酒に酔い、一時難題を忘れて歌と踊りに耳を傾ける。  そう決めたファレーナは、濡れた視線を宴会場の隅へと泳がせた。 「ガッハッハ、そうかそうか! 貴殿があのホムラミズチを!」 「いえ、僕の力だけでは」 「謙遜を申すな、ワシにはわかるわい。ささ、もっと飲むのだ」 「あ、いや、僕はその、お酒は」 「これは焼酎という蒸留酒じゃ、飲め飲めぃ!」  巨大な銀獅子の隣にちょこんと座って、少年だか少女だかわからぬ顔でポラーレは盃を舐めている。なんでもあの巨漢は凍土不敗とかいう伝説のモノノフで、事情を聞くなりポラーレを気に入ってしまったらしい。  そのことでちょっと、何故かファレーナは機嫌が悪かった。  自然と隣にいたいと思った、それが邪魔されたからではない。  それが当然だと思って疑念を忘れた、そのことが恥ずかしいのだ。 「あの、ファレーナさん。隣、よろしいですか?」  その時、頭上から穏やかな声音が降ってきた。  それでファレーナは、顔をあげて笑みに笑みを返した。 「勿論だ。たしか貴女は」 「アルマナ・ファルシネリと申します」 「ああ、あの太刀の……」  ちらりとファレーナは、視線を巡らせ再びポラーレを見る。  普段より二回りも小さくなってしまった矮躯は今、モノノフの若者たちに囲まれ質問攻めにあっていた。その腰には、不思議な太刀がぶら下がっている。  今、彼は酷く傷つき消耗していて、その太刀の力でかろうじて人型を維持しているのだ。  聞けば件の太刀、天羽々斬は……南海の淵神、その核より削り出した神器だという。 「あれをお借りできて、ポラーレも助かってるそうだ。わたしからも礼を……ありがとう」 「いえ、いいんです。ようやくあの剣も、主を得たのかもしれませんから」 「……波長が、合うと。そのことをポラーレは、少し気にしていた」  魔剣に宿るは、古き禍神より抜き出された虚ろなる力……  それははからずも、程度の差こそあれポラーレと同質なのだった。  故に今、擦り減ってしまったポラーレの力をすぐそばで補完している。 「力は力でしかありません。ポラーレ殿の力にはちゃんと、ポラーレ殿の意思がありますから」 「そういう言葉はポラーレも喜ぶと、思う。……わたしも、嬉しい」  ファレーナはそう言ってテーブルに手付かずのグラスを探すと、それをアルマナに渡した。そうして自分が飲んでた果実酒の冷たいボトルを手に、そっと酌をしてやる。  二人はどちらからとも言わずに杯を掲げて、今日という日の全てに感謝を捧げた。  ファレーナは、この不思議な異邦人の女が、これまた不思議と興味を引いた。  例えば―― 「アルマナ、と呼んでいいだろうか。わたしのこともどうかファレーナと」 「はい。それでファレーナ……やっぱり気になりますか、これが」  アルマナは手袋で覆われた自分の手首をそっと握る。  手袋だけではない、首元にはスカーフを巻き、長袖にタイツ、そしてブーツといういでたち。アルマナは顔意外の肌を全く露出していなかった。  それは、祝祭と聞いたしきみに肌も顕なドレスを着せられてしまったファレーナとは対照的。 「人の格好にはとやかく言わない主義だ、わたしは。……みんなは残念そうだが」  ファレーナはちらりと首を巡らせる。  アルマナを見る男たちの熱い視線に、先ほどから肌が妙にざわめくのだ。  しかし、ファレーナはこういう時に気付けない……男たちの半分は、アルマナではなくファレーナを見ているということに。自覚なき美と美が並ぶ席は、さながら女神の園。そういう見識が持てず想像力すら湧かないのが、ファレーナという女なのだった。 「私は、その、ちょっと……お見苦しいかと思いますし」 「君がか? 謙遜にしては度が過ぎる、アルマナで見苦しいならわたしなど」 「い、いえっ! そうではなくて……それに、ファレーナは、綺麗、ですよ?」 「……そうだろうか」  だが、あの人は……ポラーレは見向きもしてくれない。  そう、そのこともあって、ファレーナは今日は少し酒を飲み過ぎているかもしれなかった。  アルマナへの詮索もそこそこに、珍しくファレーナが自分のことを呟き出す。 「綺麗だと言われたのは初めてだ。ありがとう、アルマナ。だが」 「だが?」 「あの人は、こういう軽薄な格好でギルドメンバーが宴に参加するのが、少し気に入らなかったのかもしれない」 「あの人、というのは……ああ」  ファレーナの視線を目で追って、アルマナは得心を得た様子で頷いた。  今、アラガミの巨大な盃にポラーレが立って酒を注いでいる。消耗を抑えるための小さな身体が今は、どうやら不便そうで頼りない。隣で補佐をとも思っていたのだが、里の英雄であるポラーレの周囲は若者たち、とりわけ男衆に占拠されているのである。 「今日はなんだかよそよそしくてね……ふふ、不興を買ったのかもしれない」 「まあ、そんなことはないと思いますよ? それは――」 「この格好もそうだ、しきみに着せられたのだが……一瞥するなり顔を背けられてしまった」 「それも、ええ……あの、ファレーナ? 疎い私でも思うところがあるのですが」  アルマナが何かを言いかけた、その時だった。  賑やかな宴の空気が、突然駆けつけたイクサビトとウロビトの声で引き裂かれる。 「たっ、大変だ! 冒険者が、ワールウィンドが巨人の心臓を!」 「牢を破り出たファルファラとかいう女は、巫女をさらって外へ!」  二人は見張りを担当していた者たちで、酷い手傷に血を滲ませている。  ファレーナはふと、その傷が気になった。鋭い斬撃で切り裂かれながらも……まるで高熱で焼かれたように白煙をあげている。一体どのような武器でこんなにも酷い傷が?  だが、それを考えている余裕は今はない。 「ガッハッハ、それでポラーレ殿が……ムニャ、ふぅ……ゲップ! ヌヌヌ……」 「いけない、すぐに後を追わなきゃ……ア、アラガミ、さん? あ、あの」 「いかん、酔い潰れて寝てしまわれた! 凍土先生は大酒を飲んですぐ寝る質でな」  ぴしりとヤマツミが額を叩く中、ポラーレはすぐさま走り出す。  その後を追おうとしたファレーナは、背中でくぐもる悲鳴を聞いた。 「う、あぁっ! ……こ、今度は、腕が。くっ!」  不意に腕を抑えてアルマナが崩れ落ちた。  突然のことで、慌ててファレーナは踵を返す。抱き起こせば、アルマナの顔は血の気も失せて蒼白に震えていた。まるで激痛に苛まれるように唇を噛み締めている。 「アルマナ、どうした。まさか……君も巨人の呪いを? いや、それなら先日」 「違うのです、ファレーナ……私の、この身を蝕む、呪いは……くぁぅ!」 「すぐに医者を」 「それより……行ってください、ファレーナ。ポラーレ殿には、今……今、こそ。貴女が、必要ですから。さ、さあ」  たちまち宴の雰囲気は絶叫と怒号に支配された。  イクサビトは皆、ウロビトと連携すると隊伍を組んで武器を手に出てゆく。  アルマナに促されるまま、ファレーナもドレスの裾を掴むと走り出した。  その馳せる美麗な長身を、引き止める声。 「こちらです、ファレーナ殿! 先回りして気球艇で! ワールウィンド殿はファルファラ殿を連れて外です」 「レオーネ! 他の面々は、トライマーチは!」 「すぐに動けるのはヨルン殿くらいで、もう気球艇のエンジンに火を。お早く!」  レオーネの手招きにファレーナは走る。  その先に過酷な運命が待ち受けるとも知らずに。