ミナカタは囚われの身となった。  今、豪腕には合金の枷がはめられ、その鎖を引いて髭面の男が歩く。彼は先ほどローゲルと名乗り、殺される直前だったミナカタを投獄すべく救ったのだ。  そのローゲルという騎士は、地下への階段を黙々と降りる。  陽の光の届かぬ牢獄は、まるで奈落の深淵へと続くかのよう。  最下層まで辿り着くと、ミナカタの前に巨大な鉄格子が現れた。その前で振り向くと、ローゲルは最後に一言だけ問うた。 「貴公……あの剣を、どこで? あれは親衛隊だけが持つ、近衛限定砲剣"零"」  ミナカタは短く答える。 「友の形見だ」 「……そうか」  男と男に、言葉はそう多くは必要なかった。  ただ、敗者に憐れみも情けもかけようとしない、ローゲルのそういう心遣いがミナカタにはありがたかった。戦に敗れたモノノフを待つものは、死。負けて尚の命は、これを生き恥と戒めるのがイクサビトだ。  だが、冷たい牢屋の中へと送り込まれたミナカタは、恥を偲んで生を望む。  再び日の光の下で剣を振るうため。 「さて、暫し休ませてもらうとしよう。しかし、あの娘……まさに悪鬼羅刹。この俺がまさか、年端もいかぬ少女に組み伏せられようとは。……ん?」  先ほどの闘争と敗北を振り返りつつ、ミナカタは気配を感じて振り返る。  牢屋の奥、深い闇の中に……誰か人の気配があった。  そして、か細い声が空気を震わせた。 「どなたでしょう……もし、そちらのお方。もしよければお名前を」  どうやら先客がいたようだ。そして今後は、ミナカタの同居人という訳だ。 「俺の名はミナカタ。イクサビトのモノノフ……だった者だ。お主、名は」  ミナカタの声に、身を引きずるようにして影の中から男が現れた。  彼は、僅かに差し込むランプの明かりに手をかざして、顔を覆うように目元を隠す。  あたかも光を嫌うかのようなその仕草、恐らく監禁されて随分長いのだろう。  それもあったが、ミナカタは驚きに声を零した。 「お主、目が」  現れたのは金髪の人間だ。その端正な表情も今は頬がこけて、弱々しい笑みを浮かべている。温和そうなその瞳に光は今はなく、身なりもボロボロで……なにより、ミナカタ同様に手枷を鎖で繋がれていた。 「私は、エルトリウスと申します」 「世話になる、エルトリウス殿」 「いえ、エルと……そう呼んでください。人と話すのは本当に久しぶりです。……っ!」 「しっかりされよ、エル殿!」  エルトリウスと名乗った男は、ミナカタを探すように手を彷徨わせたあとで、よろけて転びそうになる。慌てて支えたミナカタは、その腕の中の軽い体重で衰弱を知った。  既に骨と皮になりつつあるエルトリウスは、弱々しく微笑んで礼を述べてくる。  同時に、ミナカタはその手で支えて振れた時に察した。  この今にも死にそうな男は、只者ではないと。 「すみません、ミナカタ様」 「様はよい。それよりお主……この肉付きは武芸に覚えがあるな? しかも」 「ふふ、この部屋は退屈でしてね。鍛錬より他にすることがないのです」  エルトリウスはやせ細ってはいたが、まだ確かに戦う力を身の内に残しているようだった。そんな彼を座らせ、ミナカタも隣に腰を下ろす。 「……上の、騒ぎを……聞いておりました。なんたる剛剣か……なずなさんを思い出します」 「なんと、この場からか?」 「山河に生きるレンジャーなれば、耳は目に増して物を見ましょう。まして、今の私では」  これほどの腕の者が、何故このような場所に?  そんなミナカタの疑問にも、すぐにエルトリウスは答えてくれた。 「ある方のお供をして、この地に赴き……囚われの身に」 「お主の主君か」 「いえ、仲間です……名はデフィール・オンディーヌ。……エクレールという名の方が、この土地では通りがいいでしょうか」 「なんと! あの魔女めが!?」  ――エクレール。  今もバルドゥール皇子の傍に控える、冷血な女騎士の名だ。帝国の民も今では、魔女と呼んで恐れ敬う……だが、その素性を知る者はいない。皇子殿下の寵愛を一身に受けるだけの慰み者と揶揄する者もいれば、筆頭騎士代理を努めていた剣の腕は本物と認める者もいる。  ただわかっていることは、美貌の魔女が皇子を守る限り、この帝国は揺るがないということだった。 「話は聞き及んでおる。あのエクレールが……?」 「はい。あのお方は、勅命を帯びてこの地へ。しかし、不幸が我らを襲いました」  エルトリウスは語る……旅の騎士になにが起こったかを。  エルトリウスを連れて地形を読ませつつ、デフィールはこの地へと辿り着いた。目的は、不穏な動きを見せる帝国の調査であったが……幸か不幸か、彼女を待っていたのは運命的な出会いであった。 「鹿狩に訪れていたパルドゥール殿下の御一行が、魔物に襲われていたのです。それをあの方は助けに入り、殿下を庇って」 「その恩をどうして帝国は、皇子は!」 「……デフィール殿は、亡き王妃に、殿下の母君に似ているそうです。その後、私はデフィール殿から引き離されここに。そして聞けば、妖しげな術で今は……エクレールと」 「それが、あの魔女めか」  ミナカタは震撼した。  そして、友から伝え聞いた話を思い出す。  帝国の科学力は今、この大陸でも随一の栄華を極めていると。日々工房では新しい砲剣が生まれ、空を軍艦が飛び回り、帝都では電気や瓦斯の力が明かりを灯していた。  更には、禁忌とされる太古の超技術をも、研究しているという。  人の記憶を封じて凍らせ、心を操る術も恐らくは。 「なるほど、そのような事情が。このミナカタ、なにか力になれればよいのだが、今は同じく囚われの身……しかし! こうなれば一刻もここを出て――グッ! ッッッッ!?」  その時、ミナカタを激痛が襲った。見れば、手に巻く包帯の奥より、既に巨人の呪いが身をもたげている。身体の自由が利かぬまま、ミナカタはその場に崩れ落ちた。世界が暗転する中で、自分が冷たくなってゆくのが感じられる。 「これは? いけませんっ、もしやこれが噂に聞く……誰か! 誰かおりませんか!? 人を、医者を!」  エルトリウスの叫ぶ声だけが、徐々に遠くなってゆく。  ミナカタは必死に歯を食いしばり、瞼の裏に一人の女性を思い浮かべた。 「まだだ……まだ、死ねん。モリエガ……俺は、まだ……そっちには、ゆけん……許せ」  どれくらいそうして呻いていたのだろう? 永遠にも思えるし、一瞬だったようにも感じる。  不意に身を苛む痛みと苦しみが和らいだ。 「大丈夫ですか? ファルファラさん、水と食べ物とをお願いします。さあ……わたしに身を委ねて」  凍えるように冷たくなってゆくミナカタに、まるで炭火が灯るような暖かさが染み渡った。  小さな小さな少女の手が、ミナカタに触れていた。 「そ、そこにいるのは……もしや、ウロビトの巫女、か?」 「はい。ファルファラさんがここへ連れてきてくれました。もう大丈夫です、わたしには巨人の呪いを弱める力が」  徐々に痛みが薄れて、安らいだ気持ちの中でミナカタの意識が薄れてゆく。  同時に、ミナカタは階段を登ってゆく女の気配を察知していた。  香水の匂いに隠れるように、その女は含んだ笑みを残して消えていった。