昨夜はクラッツにとって、とても幸せな一夜だった。  寂しい心身を持て余す少女の、一時のとまり木になれた夜。ゆきずりの関係だったとしても、重ねた肌と肌とのぬくもりは確かなものだった。  クラッツに甘えて抱きつく少女は、ミモザとだけ名乗った。  夢の様な夜は明けて、今は差し込む朝日がクラッツの閉じた瞼を撫でていた。 「ん……朝かあ。ふぅ、おいミモザ。お前、これからどうすんだ? 行く場所がないなら――」  男は器量がデカくなくてはいけない。クラッツの持論だ。そういう見栄を張るのも大事だと思っているし、ポラーレやサジタリオのように立派な男はそうだと信じている。小さいながらも子供ばかりの傭兵団で頭目を務めていたし、なに、一人くらい増えても……  そう思って、クラッツが傍らの金髪を抱き寄せた、その時だった。 「ふああ……ふう。あ、クラッツ。おはよう。昨晩は楽しかったね」 「お? お、おはよう、ございます……へ?」  枕を並べて一緒に寝ていたのは、何故か全裸の男だった。  どこかで見たような面影のある、イケメンだった。 「クラッツってば、激しいんだから。勢いだけで抱かれるのもでも、凄く、好き」 「……う、え、ああ……ミモザ?」 「うん。僕がミモザだよ。だった、というか」  クラッツは目覚めの朝に、突然混乱の境地に放り投げられた。  昨夜抱いた少女の姿はなく、代わってそこで身を起こすのは細身の美丈夫だ。年は二十歳前後か、年上だがあどけない。そのどこか幼い雰囲気だけは、ミモザとそっくりだった。  気付けばクラッツは絶叫を張り上げていた。  窓ガラスがカタカタと鳴動するほどの、身を裂くような悲鳴。 「わわっ、クラッツ? ど、どうしたのさ」 「おっ、おおお、男ぉぉぉぉぉぉ! &%$#!? 〒※〆♭!? !!!!」  あまりの驚きに、クラッツはベッドから転げ落ちる。全裸で。  勿論、目の前の男は慌ててベッドを降りると、クラッツを抱き起こしてくれた。全裸で。  全裸・トゥ・全裸。  間違いなく男と男だった。 「だっ、誰だ手前ぇ、ひぃ、ひぃ……はーっ! は、はーっ!」 「誰って、ミモザだよ? あ、待ってクラッツ。大変だ、びっくりしたから過呼吸に」  動転するクラッツの呼吸が不規則に浅く小刻みになってゆく。  その背を撫でてくれる男は、やはり自分はミモザだと、ミモザだったと繰り返した。  そして悲劇の第二章が幕を上げる。 「朝からうるさいぞ、この寝ぼけサック野郎っ! 何時だと思っているっ!」  バン! とドアが開けられ、寝間着姿の小さな少女が部屋に飛び込んできた。傭兵団シャドウリンクスの、泣く子も黙る鬼の副長……サーシャだ。  だが、嬉し恥ずかしドキワク男子部屋といった気持ちをどこか隠せずにいた彼女は、大惨事を目にして、固まった。そこには、全裸のイケメンに抱きかかえられた全裸のクラッツが身を横たえていたのだ。 「ああ、君はクラッツのお仲間? 大変なんだ、彼が突然過呼吸に」  クラッツは引き締まった腕に抱えられたまま、サーシャの前に突き出される。  今度はサーシャが耳まで真っ赤になって呼吸を詰まらせる番だった。 「ええと、ああそうだ。こういう時はたしか……人工呼吸? 違うな、ええと」 「……はっ、はは、裸……キャーッ!」  その時クラッツは生まれて初めて、サーシャも女の子なんだなあと意味不明な発見をしつつ……どうにか呼吸を整える。自分の吐いた息を少しずつ飲み込むことで、暴走した呼吸器系はようやく主の言うことを聞いたのだった。  そして、落ち着くと同時に少しだけ事態が見えてくる。  昨日抱いたミモザという少女、その正体は―― 「はぁ、はぁ、ぐっ、ふぅ……もういい、離せよ」 「えっ? ああ、ごめん。クラッツ、大丈夫?」 「大丈夫だ、それよりお互いなにか着ようぜ。でないと……そこで固まってる女が爆発寸前だ」  やれやれとクラッツは立ち上がる。  イケメンが視線を移す先では、哀れサーシャがあわあわと言葉にならない声を漏らしている。あれは放っておくと、そのうちクラッツごとこの男をブッ飛ばしかねない。グーで殴りかねない。  それで取り敢えず二人は、まずパンツだけははこうということになった。  男はなんと、まるで肌から浮き出てくるかのようにトランクスを身に纏う。  クラッツの予感は確信へと変わった。 「ふう、さて……手前ぇ、ミモザとか名乗って女に化けてたが……クラックス、だな?」  その名にサーシャが身を震わせて、慌てて正気に戻る。  反対に目の前の男は曖昧に「ああ、うん」とだけ頷いた。  クラックス……それは、究極の錬金生物として作られた、ポラーレの弟にして完成品。その身より衣服は勿論、あらゆる武器を精錬することが可能な生きる兵器だ。見ればその顔立ちは、なるほどポラーレによく似ている。クラッツも話を聞いていたが、ヴィアラッテアとトライマーチのベテラン冒険者を手玉に取った強敵だ。……以前は。  だが、クラッツはやはり昨晩のことを熱量を持って思い出す。  ミモザという少女に扮したクラックスは、暗い路地裏で一人凍えていたのだ。  そのことをクラッツが思い出していると、サーシャの声が低く鋭く響いた。 「貴様、どういうつもりだ……なんの目的でクラッツに近付いた! それも、こっ、ここ、こんな……男同士で! こっ、ここ、答えろ!」  サーシャの詰問にクラックスは、億劫そうに頭をかきながら答える。 「目的なんかは、ない。強いて言うなら、手段が目的で。その、体が目当て? で」 「はっ、破廉恥な! 不潔だ! おいクラッツ、貴様も貴様だ! なんとか言ったら――」  目を白黒させるサーシャを手で遮り、クラッツはクラックスの前に立った。  話に聞いていた印象とは随分違う。抜身のナイフのようにギラついて、触れる全てをギザギザに切り裂く……そういう危うい男だと大人たちは言っていたからだ。だが、今のクラックスには覇気はなく、その寂しげな姿はやはりミモザと重なるのだ。  そのクラックスが、ぼそぼそと喋り出した。 「あの美しい人に、言われたんだ。命を正しく使え、と。……でも、僕にはそれがわからない」 「クラックス、手前ぇ……」 「完全生命体ゆえに死に方さえわからない僕が、どうやって。わからない。なにがわからないのかすら、わからないんだ。……ただ、寂しいってのだけ、知ったんだ、けど」  クラッツはしょぼくれた長身を見上げると、ベッドの脇に立てかけた剣を手に取る。鞘走る真竜の剣が朝日を浴びて、その切っ先をクラックスへと突きつけた。 「それで手前はあれか、夜な夜なああやって路地裏に」 「ごはんと宿には、困らなかった……タルシスはいい街だね。乱暴な人も沢山いたけど」 「……ッ! ふざけんなっ!」  クラッツは足元にガン! と剣を突き立てると、手放すやクラックスの両肩を掴んだ。 「正しいかどうかなんて知らねえ、死に方なんざ知りたくもねえ! それでも寂しいってんならなあ……死ぬまでいっぺん生きてみやがれ!」  クラッツの言葉に一瞬、呆けたようにクラックスが目を丸くする。  ドアの外が騒がしくなって、サーシャが振り向いたのは、そんな時だった。 「クラッツ君? 部屋が、騒がしいね。なにかあったのかい?」 「おいおい相棒、ガキだって女くらい連れ込むさ。おーいクラッツ! 朝から痴話喧嘩か?」 「まあ待つのじゃ、サジタリオ。どれ、ちょいと顔を拝んでやるとするかの」  いけない……騒ぎになりすぎて大人たちが駆け付けたようだ。このセフリムの宿は、タルシスの多くのギルドが定宿としている。好奇心旺盛な冒険者たちがドアの向こうに集まり始めていた。  慌ててクラッツは、パンツ一丁でドアを開けつつ身を盾に背伸びする。 「おっ、おはよう旦那! しきみさんも! いやあ、ははは……どうも、お騒がせしちゃって」  引きつる笑いに冷や汗が浮き出る。  だが、クラッツを軽く手でどかせて、しきみがニヤニヤと部屋に入ってきた。どれどれとサジタリオも興味津々で、しかしその時にはもう……部屋の中にクラックスの姿はなかった。  クラッツはほっと胸を撫で下ろしつつ、消えたクラックスを想えば胸が騒ぐ。  その時、最後に部屋へ入ってきたポラーレが、ぼんやりと呟きを零した。 「あれ……クラッツ君。その剣、鞘を新調したのかい? …………いい、鞘だね」  それだけ言うと、ポラーレは眠そうな身を引きずり出て行ってしまった。クラッツの他にはサーシャしかおらず、クラッツとサーシャが一晩というのも、からかうには初々しすぎるので。それで、サジタリオやしきみも笑って出て行ってしまった。  振り向くとそこには……黄金の鞘に包まれた、真竜の剣が転がっていた。