第三大地の果ての果て、北東の渓谷地帯にその小迷宮はファルファラを待っていた。  降り積もる雪の密度で気球艇の自由も効かぬ……ここは、凍てついた地底湖。  その最奥に辿り着いて半日、ファルファラは待っていた。なにかを祀り崇めた祭壇の中央、巨大な燭台に火を灯して。それは、風止まぬ書庫から持ちだした黒き炎だ。  そして、待ち人は来る。 「ねえねえ、クラッツ! 依頼主の術士さんが言ってたのって、あれかなあ?」  あのかわいらしい声は、フミヲだ。物陰に隠れて遠くからファルファラが見守れば、ヴィアラッテアとトライマーチの混成パーティが五人で入り口から降りてくる。 「おいクラッツ、貴様! ぼやっとしてないでさっさとサンプルを取れ。愚図が」 「おーこわ。なあ、女の子ってやっぱおしとやかじゃねえとな、旦那! ……旦那?」  毎度お馴染みの光景で、サーシャにどやされクラッツが身を屈める。  彼らの前には今、溶けた氷壁から姿を現した巨大な骨格があった。まるでそう、巨大な竜の骸……彼らの目的は、その調査だろう。太古の化石にも興味はあったが、先程一瞥して金目の物はなかったので、ファルファラは捨て置いたのだ。  だが、見上げる巨躯に感心する少年少女から、二つの人影が離れる。  こちらへ向かってくるので、ファルファラは息を潜めて壁へ身を寄せた。気付かれた訳ではないようだが、なにせ相手は今や熟練の冒険者だ。  見れば、ポラーレの腕を抱いて引っ張りながら、ラミューが眉根を寄せている。  二人の話す声は、自然とファルファラの耳に入ってきた。 「なあ旦那。あのよ……その、クラッツのあの鞘。あれ、ぜってーおかしいぜ」 「え、あ、うん」 「オレ、見たんだ! あの鞘がこう、人の姿になるのを。旦那にそっくりだった……あれは、姉御たちも言ってた」 「ああ、クラックス、だと思う」  なんの話をしてるのだろうか?  あのクラックスが、まだ生きてるとでも言うのだろうか?  思わずファルファラは息を飲んで、その蠱惑的な唇を興味深く歪める。 「放っといていいのかよ、旦那! 犬や猫を拾ったのとは訳が違うんだぜ?」 「それなんだけど……少し、様子をみたいというか、その」  相変わらずポラーレはぼそぼそと、抑揚のない低い声を呟く。  ラミューはチラリと背後を振り返り、クラッツたちを見やりながら言葉を待った。 「ええと、ラミュー君。その、僕もよくわからないんだ」 「へ?」 「僕は、ファレーナを酷い目にあわせた、クラックスが憎い。許せない、と思う。……こういう感情というものが、僕には初めてで、それに」 「それに?」  ファルファラも興味津々で盗み聞きしながら、胸中に呟く……それに? 「僕は最近、わからない。ファレーナは、あんなに辛いことがあったのに……僕に優しいんだ。そんな彼女が、クラックスを殺すなと言った。だから、僕は」  ファルファラは思わず、聞いてて恥ずかしくなり聞こえない溜息を零した。  あの殺戮兵器ポラーレが、なんとセンチメンタルなことだろうか。  だが、ラミューは「その話は聞いてるぜ」と、ポラーレを見上げて身を乗り出した。 「そりゃ違うぜ旦那。ファレーナの姉御は、クラックスを殺すななんて言ってねえ。旦那にクラックスなんかを殺めるなって、罪に手を染めるなって言ったんじゃねえかな」 「……その二つは、どう違うの?」 「そりゃあ、好きな人が後々罪に苛まれたら、辛いだろう?」 「……よく、わからない。そういうものなのかな」  その後も二人は、もだもだとわかりにくい惚気合いを展開し始めた。やれ、ときめきがどうの、愛おしとか慈しみとか。食事に誘いたいとか、一緒の部屋で暮らすのはどうかなど……そこには、熱心にポラーレを励ましながら元気付ける少女の姿があった。  思わず気恥ずかしさに、気付けばファルファラは声をあげて笑っていた。 「……誰だい? そんなに笑える話だったかな、ラミュー君」 「いやあ、一大事だぜ? オレらにとっちゃー大変な重大事だからな。出てこいよ、そこの!」  先ほどまで幼年学校の新入生みたいな顔をしていた二人は、あっという間に冒険者の表情を取り戻す。抜刀の音に呼ばれるように、ファルファラは物陰から身を晒した。 「久しぶりね、二人共。元気そうじゃない?」 「! ファルファラの姉御っ!」 「……どうして、ここに」  二人の問には応えず、ファルファラは優雅にお辞儀をしてみせる。  そうして顔をあげた次の瞬間には、物憂げな微笑から痛烈な言葉が走った。 「随分とこの出来損ないに入れ込むのね。恋の手引をしたって無駄よ? ラミュー……それとも、プロト・ゼロと呼んだほうがいいかしら?」  ビクリ! とラミューが身を硬くする。冒険者と言っても、まだまだ十代の少女だ。表面上は元気を取り戻しているが、その身に巣食った不安と動揺は今も胸の中にわだかまっている。  だが、ポラーレはそんなラミューの頭をポンと叩くと、 「娘の友人を侮辱するのはやめてくれないか。……これは、お願いじゃ、ない」  珍しくポラーレが唸るような声を差し込んでくる。どうやら、自分が出来損ないと呼ばれたことも今は意識の埒外のようだ。変わったものだとファルファラが感心すれば、ふと脳裏に一人の白い妙齢の女が過った。その女の仕業なのか影響なのか、それともその両方なのか。  かくも面白いことになったものだと、ファルファラは笑みを零した。 「姉御っ! どうしてオレらを裏切ったんだ! どうして……姉御みたいな冒険者が」 「お金のためよ」  即答してやったら、ラミューが泣きそうな表情を堪えてみせた。逆にポラーレは、いつもの能面のような無表情を僅かに翳らせる。……やはり、面白い。 「実はね、ラミュー。ポラーレも。私、実は……孤児院の子供たちを大勢養ってるの。だから」  そう言ってやったら、ラミューは勿論だが、ポラーレまで僅かに目元が和らいだ。 「――とでも言えば満足? 嘘よ、嘘。私はお金が目当てで帝国側についたの」 「ッ! 姉御っ! オレは真面目な話をしてんだ!」 「悪趣味、だね」  騒ぎを聞きつけ、クラッツたち三人もやってきたようだ。  多勢に無勢だったし、ファルファラも忙しい……要件のみ手短に済ませるにこしたことはない。それなのに、こうもお喋りをしてしまったことが自分でも彼女は不思議だった。 「巫女シウアンは、木偶ノ文庫よ」 「!」 「木偶ノ文庫……文庫とは名ばかりの、帝国首都の一大拠点。要塞化された中には、無数の無人警備兵がひしめいてるわ。どう? 諦める気にはならないかしら?」  すかさずクラッツがなにかを言いかけたが、その言葉を遮りラミューが口を開く。 「そのことをわざわざオレらに伝えに……? 教えに」 「勘違いしないで頂戴? 帝国の防空網は完璧よ。木偶ノ文庫自体、入り口の巨石兵に守られてる。万に一つも勝算のない、あなたたちの行いは博打。冒険ですらないわ」 「……万に一つだろうがなんだろうが、オレらには十分だぜっ! 友達は絶対に助ける」  ポラーレも頷きながらラミューの言葉に続いた。 「グルージャもそれを望む筈。あの人も、きっと……ならば、僕の取るべき行動は一つだよ」  背後からも肯定の声があがって、シャドウリンクスの子供たちも気炎をあげる。  ファルファラにとっては、とても満足のゆく答だった。  だからもう、この場に赴いた目的は達成できたのだ。  ――この者たちは、冒険者は必ず木偶ノ文庫へと来る。  たとえそこに大軍が待ち受け、無数の騎士団が集結していると知っても。冷徹な機械の衛兵がうろつき、計画種の少女たちがひしめいているとしても。必ずポラーレたちは、救いを待つ巫女の前にやって来るだろう。  その確信を持てるくらいには、ファルファラは冒険者たちを信用していた。  信じるに値する敵だと、確信したのだ。 「そう。……待ってるわ。巫女にも伝えておいてあげる」  それだけ言うと、ファルファラは身を翻した。  ラミューがその背に声をかけようとする気配があったが、無視して彼女は歩き去る。  誰も追ってはこない、そのことだけが不思議な寂しさをファルファラの胸に刻んだ。