並ぶ書架が織りなす迷宮、木偶ノ文庫。  突入した冒険者たちを出迎えたのは、機械仕掛の傀儡だった。 「ポラーレ殿っ、行ってください! ここは私が抑えます!」  サーシャは声を限りに叫んで、両手へ印を結んで炎を呼ぶ。彼女の手から放たれた火球は、煌々と燃え盛って冷徹な監視者を火柱へと変えた。だが、不気味なアラートを響かせながら、木偶人形たちは次々と襲い来る。  たたらを踏むポラーレが、最後尾で立ち塞がるサーシャを振り返った。 「サーシャ君、一人じゃ無茶だ。僕たちも手伝うから、一緒に――」 「それでは間に合いません! 時間が経てば経つほどに、帝国の増援が押し寄せてきます」 「でも」 「行ってください、ポラーレ殿。じきにクラッツたちも来ますから……私は大丈夫ですから」  それでもポラーレは、仲間たちと共にそばを離れようとしない。  十人ばかし木偶ノ文庫に突入できたが、今サーシャのそばにいるのはポラーレとグルージャ、そしてファレーナだ。複雑極まる迷宮構造が、自然とラミューやクラッツたちを分かれ道の向こう側へと追いやったのだ。  サーシャは次の印術にルーンを浮かべながら、目元険しくポラーレを睨んだ。 「失礼ながらポラーレ殿。貴方は愚図なわからず屋の臆病者でいやがりますか?」 「サ、サーシャ君?」 「巫女を、シウアンを助けるためです! ……わかったら走れっ! 真っ直ぐ!」 「……うん、わかったよ。でも」  なにか言いたげな仲間たちを連れて、ようやくポラーレは走り出す。その背を見送り、サーシャは扉を閉めてその前で振り返る。有象無象の木偶人形共が、十重二十重の包囲網で迫ってくる。だが、サーシャは一人でも怖くはない。 「ここから先は通さない……糞ったれのゼンマイ人形共っ! かかってくるがいい!」  叫んだ気勢を追うように、ぼんやり光るルーンから雷撃が迸る。  どうやら帝国は、外の警備を強めた反面、建物の中までは手が回っていないようだった。だが、それも時間の問題……正面ゲートはミツミネが抑えてくれているが、もうじき帝国騎士たちが殺到するだろう。  それでもサーシャは、テコでも動かない気概で奥への通路を死守する。  覚悟を決めたサーシャの前に、初めて機械人形以外の敵が現れた。  その手に砲剣を携えたインペリアルだ。 「くっ、侵入者はもう奥か! そこの君っ、君も冒険者だね。悪いことは言わない、こんな暴挙はやめるんだ! 君の生命と権利は、このナルフリードが保証する。だから!」  品の良さそうな顔立ちの、どこか線の細い印象をサーシャは感じた。現れた優男は、砲剣を構えつつ声を張り上げる。だが、サーシャは言葉での返事より先に印術を励起させた。  煌めく氷の刃が、あっという間に騎士へと吸い込まれてゆく。  ナルフリードと名乗った少年は、殺到する氷牙の中に消えたかに思えた、が。 「無駄だよ! この程度の術じゃ、俺は倒せない。さ、降伏するんだ……俺は奥へと他の冒険者も追わなければいけない」  ナルフリードは無数に注ぐ氷柱の雨を、全て砲剣で切り払った。  術を放ったサーシャも、信じられない光景を前に唖然とする。だが、恐怖はそれだけでは終わらなかった。サーシャとて傭兵団シャドウリンクスの、なによりトライマーチのルーンマスターなのだから。  ナルフリードを掠めた氷の礫が、彼の白い肌を切り裂き頬に一筋の赤い疵痕を刻む。 「ッ! ……どうしてこんなことをするんだ。殿下に対して申開きがあるなら、正しい手続きを踏むべきだ。対話を、言葉を! こんなことをしても……ただ力を振るう、だけ……では」  正論に過ぎると同時に、机上の空論だった。それがわかるくらいにはサーシャも冷静だった。だが、ナルフリードは知っているのだろうか? 先日互いに対話をと集まった南の聖堂で、先に剣を抜いたのは帝国の方なのだ。  そう思い出していると、サーシャは不意の悪寒に背筋が凍える。  息を荒らげて顔を手で覆うナルフリードは、小刻みに肩を震わせていた。 「な、なんだ……? おい、貴様っ! 直撃、してはいない。私の術のダメージでは」 「くっ、待って……待ってください、姉様。この者は、勇敢な……乙女、です。そんな、ことは」 「誰と話している! 貴様の相手は、この私だっ!」  サーシャの直感が警鐘を鳴らしていた。この騎士は……危険だ。  もとより殺す気はないサーシャだが、戦闘能力を奪うべく次の印を結ぶ。  その時、不意にナルフリードの気配が黒く暗く激変した。 「……傷を、つけたわね。愛する兄様の、美しい肌に……傷をつけたわねっ!」  突然、ナルフリードの声色が変わった。  次の瞬間、咄嗟にルーンの盾を顕現させたサーシャは、激しい属性攻撃で壁へと叩き付けられる。肺腑の空気が絞り出されて、呼吸が止まった。帝国騎士たちが使う砲剣の力、属性を開放させたドライブの一撃が直撃したのだ。  かろうじてルーンの盾で防いだサーシャは、全身が引き千切られるような痛みに呻く。 「う、うっ……な、なにが? 今、なにを……貴様、は……」  崩れ落ちるサーシャの前に今、冷徹な表情を凍らせたナルフリードが近づいてくる。引きずる砲剣は排熱に白い煙を吹き上げ、切っ先で床に小さな轍を刻んでいた。  様変わりしてしまったナルフリードは、身も凍るような暗い声を噛みしめるように吐き出す。 「この薄汚いドブネズミが……兄様のお顔に傷をつけるなんて! 許せない! ああ、血がこんなに……兄様、愛しい兄様」  ゆらりとなびく長髪をドライブの残滓に揺らしながら、悪鬼羅刹の如き美の戦神が歩み来る。立ち上がって戦おうと試みるサーシャは、自分の身体が既に動かないことに愕然とした。 「くっ、身体が……防御した上でこの威力か。駄目だ、感覚がもう……」  震える身をどうにか起こそうともがくサーシャ。  彼女の目の前には今、髪を振り乱したナルフリードの変貌した姿があった。 「ああ、暑いわ! 熱いの……身体が炙られるよう! ふふ、火照り昂ぶるわ。ねえ、そうでしょ?」  ナルフリードは砲剣の排熱に煽られながら、身につけた鎧を脱ぎ出した。そうして下着もあらわな半裸になると、後ずさるサーシャの眼前にガン! と砲剣を突き立てる。  股の間に赤熱化した刃が、スカートを焦がしながらサーシャを縫い止めた。  まるでそう、今のサーシャは囚われの蝶……無邪気で無慈悲な昆虫採集の餌食。  だが、目の前で肌もあらわなナルフリードに、サーシャは鋭い視線の矢を射る。 「貴様……ッ! 殺すなら殺せ! 私は死など恐れはしない」 「あらそう? いいわよ、殺してあげる。嬲って犯して、その後で殺してからまた犯すの」 「……狂ってる、貴様は……何者だ」 「冥土の土産に教えてあげるわ。私はベルフリーデ、それが貴女の死の名前よ」  狂気に顔を歪めるナルフリードは、その少年と少女が入り混じる肢体でベルフリーデと名乗った。恍惚にも似た愉悦に表情を蕩けさせつつも、ギラギラと光る眼光が獣のよう。  サーシャは畏怖に身体の震えが止まらなかった。  目の前にいるのは、狂奔が具現化した魔性の権化だ。 「ふふ、いいお顔ね……ああ、そうだわ! 罰よ、罰しなければ! 兄様を傷つけた、これは罰……からくりに身も心も噛み砕かれてしまいなさいな」  自らの胸の膨らみを手に、もう片方の手を股間に這わせながら。ベルフリーデが哄笑に頬を歪める。同時に、周囲へ機械音が無数に満ちた。鋼鉄の番犬、慈悲なき排除者……その容赦のない牙と爪とが、四方八方からサーシャへと襲いかかった。  サーシャは着衣を引き裂かれ、組み伏せられて嬲られる。  歯を食い縛って耐える視界が、涙で滲んで歪みながら……その向こうへ一人の少年の姿を見た。それは、気付けば名を呼んでいた彼女の頼れる仲間で、仲間以上の存在だった。