遠くで断続的に響く、轟音と振動。  木偶ノ文庫の奥底に軟禁されながら、巫女シウアンは部屋の中を行ったり来たりしていた。外は騒がしく、先程も騎士の一団が武装して走り去る音を聞いた。  そして相変わらず、部屋の外のドアには警護の兵が立っている。  友人のラミューと全く同じ顔をした、生気のない目の人形兵。 「この部屋の外でなにが……グルージャ、ラミュー、みんな……無茶は駄目だよ」  独りごちてシウアンはベッドに身を投げ出す。  こういう時、自分がなにもできない無力な女の子であることが悔しい。ウロビトの里では巫女と祀り上げられていたが、その実自分には戦う力などないのだ。せいぜい、巨人の呪いを癒して治すくらいしか、できない。自身が古文書の謳う巨人の心であると知っても、それは友人たち冒険者を危険に晒すだけの真実だった。  シウアンは今、言い知れぬ不安の中で震えるしかなかったのだ。  その時、不意に外で短い悲鳴が断続的に響いた。  そして、ドアが開かれるとそこには―― 「ふふ、こんばんは。ちょっとお邪魔するわよ?」  普段から勉強や教養、礼儀作法などを教えてくれる家庭教師の女が立っていた。  名は確か、ファルファラ。 「ファルファラ、先生……?」 「もう先生はよして頂戴。……短い間だったけど、楽しかったわ。あなた、優秀な生徒なんですもの。でも、先生ごっこは終わり」  今のファルファラは、褐色の肌も顕な踊り子の衣装に身を包んでいた。そして手には、鉄扇をもてあそんでいる。帝国の洋服を着て眼鏡をかけた、普段の姿が嘘のよう。  だが、すぐにシウアンは理解した。  この姿が、冒険者ファルファラの本性なのだ。 「色々と稼がせてもらったけど、どうやら潮時のようなの。だから、逃げるのよ?」 「逃げる、ですか……?」 「そう。もうじきあの男たちが来るわ……なににも屈せず、なにものも恐れない。そういう人たちの乱痴気騒ぎよ? そうなったらもう、私は仕事どころじゃなくなってしまうから」  なんだか、シウアンにはよくわからない。  だが、目の前のファルファラには邪気がないことだけははっきりと伝わった。  この人は、悪い人ではない。  感情の読めぬアルカイックなスマイルの向こう側に、邪悪な気配は読み取ることができないが……それは、そもそもそうした黒い概念を抱いていないからだとシウアンは信じることができた。  そんなシウアンの視線を感じたのか、ファルファラは肩を竦めて笑ってみせた。 「……鍵を、探してたのよ」 「鍵?」 「そう、鍵……私の目的は、巨人の心臓でも心でも、まして冠でもない。鍵よ、鍵」 「それは、どのような」 「この帝国に封じられた、地獄の門を開く鍵。ふふ、どうしても見つからなかったのが、それだけが心残りね」  シウアンには、ファルファラの言っている意味がわからない。  鍵、とは? 地獄の門を開く鍵……それをファルファラは、いったいなんのために?  だが、それ以上ファルファラは自分の目的に関して喋ろうとしなかった。  代わりに彼女は周囲を見渡すと、油断なく窓の外の闇夜を見詰めて、そしてカーテンを閉じた。そうして密室を作り出すと、シウアンの前で恭しく頭を垂れる。 「さ、今なら騒ぎに乗じてここを出られるわ。巫女様、ご準備を」 「準備……ここを、出る? 逃げられるの?」 「逃してあげるといってるの。まあ……こんなことをしてもなんの意味もないんだけど」  そう言って顔を上げたファルファラは、遠い視線で目を逸らした。  彼女は自分にも言い聞かせるように、シウアンへと言葉を選んでは呟くようにもらす。 「これは、行き掛けの駄賃よ。そう、言ってみれば八つ当たり、というところかしら。本当にね、仕事が上手く運ばないものだから、私はむしゃくしゃしてるのよ? まったく」  それだけ言うと、鉄の扇を開いたその向こうへと、ファルファラは微笑を隠してしまった。  しかし、その言葉をシウアンは信じることができない。  ファルファラを信じるからこそ、敏感に嘘を察知した。 「嘘、ですよね。ファルファラ先生……行き掛けの駄賃だなんて」 「……聡い子ね、シウアン。あなたは優秀な生徒だったわ。でも本当の話、正直もうどうでもいいの。だから……せめて最後くらい、帝国を困らせてあげたいわ」 「それも、嘘。わたし、わかります! ファルファラ先生は、わたしを助けに、きてくれた」  扇の向こうでファルファラが目を細める。  彼女は溜息を零すと、やれやれといった感じで鉄扇をパン! と閉じた。 「まあ、覚えておくといいわ、シウアン。最後に先生が一つ教えてあげる。……嘘は女のアクセサリーよ」 「ファルファラ、先生」 「さ、シウアン。行くわよ? ここを出ればすぐ、タルシスの冒険者たちに出会えるはず。そこまでは私が連れて行ってあげるから」  だが、その時背後で突然ドアが開かれた。  振り返ったシウアンを、即座にファルファラが背に庇う。  現れたのは、この帝国の皇子……バルドゥール。 「その者より離れよ、女」  静かに響いた声は冷たく、シウアンは凍えるように肌を泡立てる。  凝縮された覇気が漲り、バルドゥールの声は空気を戦慄に震わせていた。  だが、ファルファラは全く動じず動かない。 「あら、皇子様。……巨人の心は渡さないわ。たとえ心臓と冠を手に入れても、この子が……シウアンがいなければあなたの事業は成立しない。そうでしょう?」  シウアンは改めて目を見張った。  バルドゥールの頭には今、硝子細工の王冠がいただかれている。あれは確か、以前ワールウィンドを名乗っていたローゲルが、辺境伯から手に入れたタルシスの宝だ。それは間違いなく、太古の昔に巨人より人間が奪い去った、三つの秘宝の一つ……巨人の冠だ。  心臓、冠、そして心。この三つが揃う時、世界樹の巨人は再び蘇るという。 「命までは取らぬ。お主には随分と働いてもらった。だが、巫女は……巨人の心だけは渡さぬ」 「あら、そう? ふふ、男の嘘はみっともないわ」 「余が嘘を? ふっ、馬鹿な」 「先帝の意思を継ぐとか、帝国のための覇業だとか……全部、嘘よ。あなたが本当に欲しいのは――」 「黙れっ! これ以上の侮辱は許さぬ!」  バルドゥールは剣を抜いた。あの機械じかけの、すさまじい威力を誇る砲剣だ。  だが、ファルファラはシウアンの前から一歩も動かない。 「まあいいわ、殿下……この子は、シウアンは渡さない。私、見ての通りの悪い女よ? 皇子様が困るところくらい見せてもらわないと、帳尻が合わないのよね」  ファルファラの背にしがみついて、シウアンは声を張り上げる。  その間もずっと、バルドゥールは剣を構えてじりじりと迫った。 「ファルファラさん、もういいです! わたし、殿下と行きますから、きゃっ!」  その時、突然シウアンはファルファラに突き飛ばされた。  それは、苛烈なドライブの咆哮が響き渡るのと同時。部屋の空気が突風となって逆巻き、割れた窓から吹き込む大気は荒れ狂う夜気の濁流とかした。  シウアンが立ち上がった時にはもう、部屋は半分が消し飛んでいた。  ファルファラが立っていた場所には、あの鉄扇が落ちている。 「あ、ああ……ファルファラ、さん……」 「さあ、来いシウアン! 今こそ散り散りになっていた巨人の秘宝を一つに」 「いや……いやよ、こんな……いやぁぁぁぁぁぁっ!」  泣き叫ぶシウアンの絶叫が、まるまる半分消し飛んだ部屋の外、夜の空に吸い込まれる。  そのままバルドゥールは、シウアンの手を強引に掴むと、ドアの外へと歩き出した。