走るラミューの向かう先で、蛍のような光がドアの向こうへ消えた。  それは以前も見た、巫女シウアンの光。 「この部屋かっ!」  蹴破るようにドアを開いて、その向こうへと転がり込むラミュー。そこは天井の高いホールになっていた。息せき切って呼吸を整えるラミューの声が、部屋の広さに反響する。  そして、そこに待ち受けていたのはやはりあの男だった。 「来たか、タルシスの冒険者よ……だが、一人でなにができるというのだ? 余の覇業は今まさに成就の時を迎えた。おとなしくそこで見守るがいい」  今や巨人復活の鍵を全て掌握したバルドゥールが、マントをなびかせ振り返る。その手には、巫女シウアンが二の腕を掴まれていた。シウアンの怯えた視線を感じて、ラミューは自らを奮い立たせる。 「ダチを、シウアンを返してもらうぜっ! その上で、手前ぇはオレがブッ倒す!」 「愚か……世界の浄化のために世界樹は残された。ウロビトとイクサビトも、それを支える消費システムに過ぎん。ならば、余が帝国再生のために正しく使うのに、なんの不都合がある!」 「くっ、難しいことグダグダ並べやがって。やいやい、耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ!」  ラミューは声を限りに張り上げると、堂々と啖呵を切った。ラミューはタルシスで育った冒険者だ。学はないし、器量と腕っ節で毎日暮らす無頼の徒だ。だが、だからこそ譲れぬ仁義と挟持があった。 「帝国の土地が死んじまって、なるほど手前ぇは焦ってるかもしれねえ。けどなっ! 犠牲を前提にしていい筈がねえ……そういうのは偽善ってんだ、わかったかこのスットコドッコイ!」  バルドゥールの怜悧な無表情に、ピクリとまぶたを痙攣させる歪みが走る。  それは、彼の隣で震える声が囁かれたのと同時だった。 「そうだよ、バルドゥール。わたしもそう思う。ね? もうよそう? ちょっとやりかたを間違えてる。バルドゥールの国を、民を想う気持ちが飲み込まれてる。だから――」  だが、バルドゥールはシウアンの説得を無視して、激昂に目を見開いた。 「うるさいっ! お前たちに僕のなにがわかるっ! どいつもこいつも……何故、僕を認めないっ! ……他に方法なんかないんだ。こうしている今も帝国の国土は。だから、僕は!」  仮面の下から素顔を覗かせる皇子が、瞳を潤ませ叫ぶ。その悲痛な声を受けて、ラミューは尚も言葉を振り絞ろうとした。今、目の前の青年にはまだ言葉が通じる……そこにいるのは野望へ邁進する帝国の皇子ではない。バルドゥールという名のひとりぼっちな青年だから。  だが、轟音を響かせ、バルドゥールとシウアンの目の前に巨大な影が舞い降りた。  それは、見上げるラミューから言葉を奪ってゆく。 「こ、こいつは……ッ!」 「冒険者よ、お前に揺籃の守護者が倒せるかな? 余に歯向かった愚を呪って死ぬがいい!」  ラミューの目の前に今、巨大な石像が立ち上がった。それはまるで、お伽話に出てくる木偶ノ神像にも似て。口から白い呼気を発する機械仕掛の守護神が、その宝石のような瞳がラミューを睨めつけた。  気圧されつつも抜剣と同時に、ラミューは覆いかぶさってくるような圧迫感に対峙する。  ラミューの名を呼ぶシウアンを連れて、バルドゥールは部屋の奥へと消えていった。 「こいつぁ反則だぜ……で、でけぇ!」  相手がこちらへ敵意を向けてくると同時に、ラミューは脚を使って小刻みなステップに身を揺らす。機動力で撹乱してやれば……そう思う彼女の希望的観測は、繰り出される巨石の拳に打ち砕かれた。  揺籃の守護者はその図体からは想像もできぬ素早さで、今までラミューが立っていた場所をクレーターへと変える。タイルが吹き飛び岩礫が舞う中、ラミューは必死で逃げ惑った。 「クソッタレ、速え! 並みの魔物かそれ以上だ。……っしゃあ、いくぜ!」  次々と乱打が降り注ぐ中を、剣を構えてラミューが踏み込む。当たれば即死は免れない一撃が擦過する度に、彼女の研ぎ澄まされた精神力と集中力が高まってゆく。  何度目かの拳が床をえぐる中、ラミューは高く翔んで一撃を振り絞った。  だが、放たれた刺突が虚しく岩石の装甲に弾かれる。予想通り鉄壁の守りに、ラミューは剣を持つ手が痺れるのを感じた。着地と同時に身を投げ捨てて、カウンターの攻撃をギリギリで避ける。  一人では全く相手にならない。  冷徹で無感情な殺人機械が、徐々に部屋の隅へとラミューを追い詰めていった。 「ちっきしょぉ、一人じゃリンク張っても意味がねえ! かといって、斬った突いたじゃ埒があかねえぜ。……どーすっかな」  手詰まりを嘲笑うかのように、無表情で巨兵はラミューに迫る。  意を決したラミューが駆け出せば、揺籃の守護者は腕から巨大な鉄杭、パイルバンカーを生やすや振りかぶった。鈍色に輝く尖ったパイルバンカーが、走るラミューの頭上に降ってくる。  ギリギリで避けると同時に身を屈め、ラミューが再び空へと舞い上がった、その時だった。  揺籃の守護者のパイルバンカーが、床を崩壊させて無数の破片を空へと巻き上げる。  撃発の余波に体制を崩された空中のラミューは、もうもうと舞い上がる砂煙の中に敵を見失った。揺籃の守護者は無慈悲な虐殺装置であると同時に、高度な知性があるようだ。 「野郎っ! しまった、視界が……!?」  迷宮の破片が乱れ飛ぶ中で、ラミューは揺籃の守護者を見失う。  それでも駆動音を耳で拾って探す中、不意に土砂のベールを突き破って鉄拳が迫った。  回避不能の空中で捉えられ、正面からの直撃を食らったラミューはすっ飛ばされた。そのまま壁へと叩きつけられ、ズルズルと床へ崩れ落ちる。全身を一瞬で覆った激痛は、彼女の肺腑から血の味がする空気を絞り出していた。  一発で脚を殺されたラミューは、震えて笑う膝に手を当て立ち上がる。  だが、そんな彼女へと容赦なく揺籃の守護者は拳を振り上げ、甲高いモーター音と共に回転させる。その一撃に耐えることも逃げることもできぬまま、ラミューは息を飲んだ。  刹那、影が視界の隅を過る。  それは、金髪をなびかせクロークをはためかせる夜賊の疾風。  不意に浮力を感じた時にはもう、ラミューは両腕で抱きかかえられていた。  トドメと放たれた揺籃の守護者の一撃を避けて、その男は悠々と着地する。 「やあ。ええと、ラミュー? だったよね。プロト・ゼロって教授は呼んでたけど。あんまりかわいい名前じゃないな。でも、ラミュー……うん、これはいい響きだ」  そこには、見慣れた色違いの表情が緊張感のない笑みを零していた。  憧れの一流冒険者にそっくりな、しかし表情豊かな男にラミューは身に覚えがある。 「てっ、手前ぇは……クラックス? どうしてここに」 「ずっと、見てた。君たち、冒険者を。……クラッツの側で、ずっと見てたよ。でも、見てられなくなって、見てるだけじゃたまらなくなって……だから、助けにきた」  それだけ言うと、クラックスは静かにラミューを床の上に立たせる。  そうして自分の背にラミューを庇って、両手にどこからともなく雌雄一対の短剣を取り出した。人懐っこい笑みが瞬時に消え失せ、獲物を追う狩人のような緊張感が場に満ちる。  驚くラミューへ肩越しに振り返って、クラックスは妖しく瞳を光らせた。 「それにね、ほら。僕だけじゃないよ。……凄い殺気を感じる。怒ってるんだね、兄さん」  クラックスの言葉が終わるか終わらないか、そんな瞬間の出来事だった。  背後で扉が木っ端微塵に砕かれる。  慌てて振り向けば、そこには漆黒の影が立っていた。全身に緊張感を漲らせるその男は、今しがた自分で破壊した扉を蹴飛ばし乗り越え、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。 「無事かい? ラミュー君。助けに、来た。……クラックスも一緒なんだね」  後から現れたファレーナやグルージャを連れて、ポラーレも戦列に並ぶ。  ポラーレとクラックスは意味深な視線を交わして、互いに見つめ合って暫し無言で佇んでいた。そこには、ラミューでさえ割って入れぬ異様な雰囲気がある。 「やあ、兄さん」 「なんだい、クラックス」 「実は、その、うん……先に謝らないといけない、そう思うんだけど」 「そうかい? 僕にはそういったものは不要だし、僕は君のしたことを忘れない。けど」  相変わらず能面のような無表情で、ポラーレはその手に一振りの太刀を呼び出す。そうして「静かにしててくれないか」と零すや、迫る揺籃の守護者を見もせずなで斬りにした。  一太刀で態勢を崩された巨神は、ぐらりとその巨躯をゆらがせ後ずさる。 「クラックス、ラミュー君を任せる。言葉じゃなくて、態度で示してもらおうかな」 「う、うん……うんっ!」 「じゃあ、いつもの商売を始めよう……みんな、僕ら冒険者がやることはただひとつだ。迷宮に眠るお宝を頂いて、立ち塞がる障害は全て駆逐、撃滅する。こい、木偶人形。戦ってやる」  ラミューも最後の力を振り絞って、合流した仲間たちと並び立つ。  そう、仲間……頼れる仲間のポラーレたちがいて、新たな仲間のクラックスがいた。咄嗟の五人パーティとなったラミューたちの前には、駆動音を高鳴らせる揺籃の守護者が迫っていた。