長い長い夜が明け、一つの戦いに終止符が打たれた。  冒険者は木偶ノ文庫を踏破し、バルドゥール皇子は艦隊を率いて北の世界樹へと逃げ去った。放棄された帝都の民は、戸惑いと称賛で冒険者たちを迎える一方で、帝国騎士議会が非常召集されるなど慌ただしい。  そんな中、激戦を終えた冒険者たちはタルシスへと戻っていた。  セフリムの宿は今、怪我人でごった返している。  食堂でアレコレと働いていたラミューも、彼女の呼びかけに応えた者たちが集合したので、エプロンを脱いで厨房から抜け出した。 「おーし、全員せーれつだ! ……意外と集まったような、そうでもないような?」  ずらり並んで周囲の冒険者たちから視線を集めているのは、全てがラミューと同じ顔……計画種の少女たちである。完結した独自の身体能力と生殖能力を持ち、自分たちだけで繁殖してゆく造られた人類……だが、創造主が逃げ出した後に、彼女たちは放り出されたのだ。 「プロト・ゼロ、命令で可能な限りの人員を集めた。指示を願う」 「プロト・ゼロじゃねーし命令もしてねー、オレはラミューだっての。……他の連中は?」 「自己診断に基づく廃棄処置を選んだ者が大半だ。特別な指示がない限り、私たちもそうする予定だったのだが……」  物騒な話だが、実際に大人たちが立ち会って丁重に弔ったらしい。ラミューと同じ顔を持つ少女たちの大半は、彼女が呼びかける前に自らその生命を断った。まるでそう、身勝手な創造主がそう命じた、理不尽な絶対命令に殉じたかのように。  ラミューは隣にクアンが来るのを待って、同じ顔を持つ者たちを……妹たちを見渡した。 「おう、手前ぇら! アレコレやってくれたからには、勝手に死んでもらっても困るんだよ。タルシスにゃー仕事は山程ある。なんでもやりたいこと見つけて、償う気持ちでやりなおせ!」 「ラミューと相談したんだけど、僕たちが全面的にバックアップする。そうだな……なにか聞きたいこととかはないかな? なんでもいい、相談にのるし頼って欲しいんだ」 「おう! 大先輩ラミュー様になんでも聞くんだぜ? やりたいことを探せ、求めて見つけろ! 見つからなかったら作れ……殺しのプロから生きるプロになんだよ」  ラミューとクアンの言葉に、少女たちはざわざわと互いに顔を見合わせた。無理もない……彼女たちは独善的な狂った科学者が造り上げた、絶対服従の人形兵なのだから。命令するべき者を失った今、心なしかその無表情な顔は不安げに見える。  クアンが尚も発言や質問を促すと、三十人ばかし集まった少女たちの中からおずおずと手があがる。まるで学校の先生になったみたいな気分で、しかしガラじゃないと思いつつラミューは彼女を指差した。 「よし、お前! えっと、名前がないと不便だよな……クアン、後で手伝ってくれよ。こいつら一人一人にゃ名前が必要だ。ま、とりあえずなんか喋れ。なんでもいいぞ、言ってみろよ」 「私は第七ロッド、製造番号00087――」 「あー、そういうのはいい、よせって。難しい番号並べんな、頭が痛くならあ!」  ラミューがほれほれと手で煽ると、挙手した少女はおずおずと話し出した。 「海とは、なんですか?」 「は?」 「海というものがあると、帝国の騎士様が以前話してくれました。海とは、どういう物体および現象ですか? 説明と回答を求めます」  意外な質問にラミューは、視線だけで隣のクアンに助けを求める。ラミューだって、海は見たことがない。でかい水たまりとしか形容できず、それ以外の何物をも知らないのだ。 「海は、大陸と大陸……まあ、国の間に横たわる巨大な湖みたいなものさ。海流があって波があるけどね。沢山の生き物がいて、塩分濃度の高い海水で構成されている。一説には、全ての生命は海から来たと言われているね」  簡潔な説明に少女たちはざわめき、ちらほらと手があがった。 「質問します、アイスクリームというのはどういう装備品でしょうか。用途や利点を知りたい」 「私も質問を。以前、帝都で臣民たちに花を貰ったことがある。適切な対処法を求めます」 「待って欲しい、優先順位の高い設問が存在する。私たちは今後どう行動すべきか?」  一つ一つの質問にラミューは丁寧に応えてやり、必要な時はクアンが言葉を添えてくれた。  そんな時、奥の客室から久しぶりに顔を出した人物を見つけて、ラミューは断りを入れるとその場を離れる。その背中は、最初の質問をした少女の声を拾っていた。 「海についての認識を得たと解釈する。……その、海を教えてくれた騎士様とは、また会えるだろうか」  その問に対しての明確な応えを、ラミューもクアンも勿論持っていない。しかし、そうあれと願って日々を生きることは、誰にだってできる筈だ。ここはそう、生きる毎日を求めて開拓者が集う、始まりの街タルシスなのだから。  便宜上の妹たちがクアンを囲むのを尻目に、ラミューはよろけて屈み込む知り合いに駆け寄る。 「ヨルンの旦那! まだ起きちゃ駄目だぜ、傷口が開いちまう」  ラミューが肩を貸して立ち上がらせたのは、氷雷の錬金術士ヨルン……彼は重傷患者で絶対安静だが、上半身裸の包帯姿に脂汗を浮かべながらフロアに降りてきていた。 「ラミューか……片付いたようだな、帝都の方は」 「ああ。それで、その……みんな病院送りになっちまった」 「お前は無事のようだ。先ほどグルージャやリシュリーにも会った。正直、ホッとしている」 「まあ、オレは頑丈だからよ! でも、エミットの姉御やレオーネたちはベッドの上だ。パッセロの兄貴がてんてこ舞いしてたぜ。……レオーネがよ、謝ってた。旦那に、すまないって」  暁の騎士ことレオーネ・コラッジョーゾは、死闘の末に帝国の騎士エクレールを打ち破った。一時呪縛の弱まった彼女は、ようやく本来の素顔……ネの国の聖騎士デフィール・オンディーヌの表情を見せたのだった。だが、そんな彼女をさらって帝国の皇子派残存兵力は北へと去ってしまった。  そのことはもう聞いてるようで、ヨルンも相変わらずのクールな無表情を崩さない。  だが、肌を密着させて肩を貸すラミューには、燃えるような怒りが感じられた。 「構わんさ。決着は俺の手でつける」 「旦那……早まっちゃ駄目だぜ、オレ、オレ……」 「大丈夫だ、あいつは殺して死ぬようなタマではない。それは俺が一番よく知っている」  ラミューも頷き、ヨルンの求めるままに歩き出す。その先では、サジタリオと一緒に事後処理の陣頭指揮を執るポラーレの姿があった。あちらもヨルンに気付いたらしく、作業の手を止めた。そして、そんなポラーレたちの横で、憔悴しきった顔が気丈にも真剣なたたずまいで振り返る。  ラミューたちを出迎えたその男は、帝国の筆頭騎士ローゲルだった。 「ヨルン殿……俺は貴殿に真っ先に謝罪せねばならん。……すまなかった、この通りだ」  ローゲルは真っ先に頭を下げて、誠意を見せてくれた。その誠実な態度は、なんら彼の騎士としての威厳を損なうことはない。そればかりか、頑な一面を持つヨルンの気持ちさえ、氷解させてしまう。男が覚悟を決めて下げた頭を前に、ヨルンもまた一人の男でしかなかった。 「構わん、卿こそ苦労を……うちの連れが世話になったな。今は私怨や私情であれこれ言う時ではない。それはこの街の冒険者たちの総意だと理解している」 「返す言葉もない……帝国は皇子が、皇室が不在のまま新たな動きをみせている。冒険者たちに同調して協力し、混乱を収めたいのだ。我ら帝国の騎士も、全力で支援させてもらう」  戦った時間は永遠にも感じるほど長かったのに、和解の時は一瞬だ。だが、それもまた冒険者のならい……特に、共に死線を戦った者に対して、冒険者は敬意を惜しまない。  顔をあげたローゲルを、ポラーレがちゃんととりなした。 「ローゲルは今後は僕たちに協力してくれる。熟練冒険者ワールウインドの知識と経験に加えて、帝国騎士たちの力も得られた。だが、時間がないのも事実だ」  皇子は国を追われたとはいえ、巨人の心たる巫女シウアンを連れて世界樹にいる。もはや、世界樹の巨人復活は秒読み段階だ。全てのカードは皇子の手の内にあり、冒険者たちが勝負する手札はもう限られている。  それでもポラーレは諦めた様子がなく、それはラミューも一緒だった。 「ポラーレ殿、取り急ぎ世界樹へ……煌天破ノ都へ向かわれるが最善かと。それと、詳しい資料が金鹿図書館に収めてあります。決戦の際に助けになるかと」 「金鹿図書館……確か帝国の北西にある、孤島の図書館だね? それはそうと……煌天破ノ都とは?」 「世界樹の成立と共に大地を離れ、空へと持ち上げられた旧世紀の都です」  ローゲルの説明によれば、気球艇でのみ行ける高度、世界樹の枝葉の中に街があるという。かつて滅びに瀕して救世を望み、願いと祈りを織り上げて世界樹を育てた太古の旧文明……帝国の前身となった古き民の都があるというのだ。  そこが最後の決戦の地になるのか……ラミューは気付けば、ヨルンの震えを肌で感じ取っていた。それは自分と同じ武者震いだとわかる、その程度にはラミューも成長していたのだった。