冒険者は驚愕した。  固く門を閉ざした煌天破ノ都の、その脇道へと逸れた先に……不思議な回廊が光をくゆらせていた。メテオーラたちが見つけてきたその奥へと進んで、誰もが驚いたのだ。  そのことを思い出しても今、ポラーレは興奮と感動を禁じ得ない。  自分のような無宿無頼の錬金生物にも、それを感じる心があることも含めて。 「しっかしなあ、まさか煌天破ノ都からよ……繋がってるたあなあ」 「うん。メテオーラたちが見つけてきた通路の先は、木偶ノ文庫に通じてた」 「しかも、さらにその先があるときてやがる」 「僕らを何度も阻んだ、あの石版の仕組みと同じレリーフがあった。謎の騎士団も気になるけど」  世界樹の梢に根ざした最後の迷宮、煌天破ノ都は……過去に踏破してきた木偶ノ文庫と繋がっていたのだ。そしてその先は恐らく、全ての迷宮は一繋ぎに連なっているかもしれない。世界樹を目指すポラーレたちは、知らぬ間に以前から世界樹の迷宮を旅していたのだった。 「まあ、お嬢ちゃんたちが張り切って今、探索してる。巫女の救出のために急ぐ必要があるが……なに、今のお嬢ちゃんたちなら二日とかからんよ。大してでかい迷宮じゃなさそうだ」  酒場のテーブルで書類の整理をするポラーレの横で、同じく伝票の束をバサバサ言わせながらサジタリオが笑う。事務仕事はあまり捗っていない。本当はアルマナがいてくれればいいのだが、彼女は生憎と今日は体調が悪いらしく、タルシスの郊外に借りたアパルトメントから出てきていなかった。  いよいよもってヴィアラッテアとトライマーチ、二つのギルドの人手不足は深刻だった。  だが、新しく仲間になった連中もいてくれて、それはそれで頼もしいのだが。 「おじ様! ちょうどいいとこにいました、これを! 領収書です、精算お願いしますっ!」  ダラダラと乗り気しない会計処理や書類整理をしていた二人の前に、腰に二刀を穿いた細身の影が立った。最近トライマーチに加勢してくれているイクサビト、モノノフのキクリだ。  彼女はニッコニコの笑顔で、手にした領収書と思しき紙片をテーブルの上に置いた。  その金額を覗き込んで、ポラーレは表情こそ変えないが僅かに瞳孔を伸縮させる。 「キクリ君、これは……」 「昨夜の合コン……ん、んっ! ゲフンゲフン! う、打ち合わせの支払いですわ」 「あー、そういや冒険者ギルドの主催で集まりがあったんだってな、昨日」  サジタリオは興味なさそうに、椅子へと背をもたれて冷めてしまった茶をすする。ポラーレの頼れる相棒は、こんな時はてんで役に立たない。弓を持っては無双の狩人も、机の上でペンを握るとただの人だ。やる気がまるでないだけに、それ以下かもしれない。  ポラーレはなんだか腑に落ちないような、納得しかねるような気もしたが、もそもそと革袋から金貨を出してキクリの精算に応じる。気付けば一流ギルドの双璧になっていたヴィアラッテアとトライマーチは、自然と仲間も増えて規模が膨れ上がり、こうした雑務もそれなりの仕事量になってポラーレたちの時間を圧迫してきているのだった。 「ありがとうございますぅ、おじ様」 「……因みに、昨日の打ち合わせではなにか、ギルド長は言ってたかい?」 「え、えっと……そうですねぇ。普段通りガブガブ飲んでましたけど、妙な噂を聞きました。なんか偉い錬金術士さんが、第三大地の凍土、凍れる地底湖から太古の化石を持ち帰ったとか」 「ああ、そういえばクラッツ君たちの報告にあったね。化石、か……ふむ」  流石のポラーレでも、キクリが昨晩なにをしていたかはわからないでもない。社交的な付き合いというのは、人と人とで商売をしている限り発生するし、そういうのが苦手なポラーレとしては率先して引き受けてくれるキクリの存在はありがたい。だから、他のギルドの若者や商工会の青年たちと騒いで飲んで、婚活するのを咎めるようなことはしなかった。  キクリが冒険を手伝ってくれるのは、すべからく婿探しの為なのだった。  だが、受け取った領収書に並ぶ数字を見るのは、少し憂鬱だ。  上機嫌で去ってゆくキクリを見送ると、ポラーレもぬるい珈琲をカップから飲み干す。 「……なあ、相棒。やっぱこういう紙とペンの仕事ぁ、ガラじゃねえよなあ」 「同感だね、サジタリオ。でも、人手が足りないんだ。しょうがないよ」 「人手ね……確かに。深刻な問題だ」  以前の戦いで、しきみはまだ怪我が完治していない。なずなは帝国の工房で新しい義手を作ってもらっている最中だし、エミットはローゲルとの一騎打ちで重傷だ。タルシス中の乙女やお嬢様が、エミットお姉様を心配して押し寄せた時など、何故かフラットな笑顔で固まっていた。レオーネはエクレールとの対決の傷が癒えていないし、ヨルンもその奥方デフィールも、エルトリウスやミナカタも万全の体調とは言えなかった。  必定、今は少年少女とウロビトやイクサビトといった新たな仲間たちだけが頼りだ。 「しきみはでも、確かに養生した方がいいね。ホムラミズチに受けた傷は、思ったよりも深い」 「ああ、あいつか? なぁに、結構ピンピンしてる……ように見えるよ、なあ。でも、うーん……まあ、痛い痛いと泣いて転げるようなタマじゃねえからよ」  そう言ってサジタリオは、カップをひっくり返すように茶を喉の奥へと流し込んだ。 「サジタリオ、しきみはまだ包帯が取れないんだね。でも、この間は少し不思議だったよ」 「あ? なにがだ」 「少し夜遅くだけど、君と酒を飲んで話したいなと思って……部屋へ迎えに行ったんだ」 「な、ななっ、なんだよ急に! お、俺とお前はそういう………ん、んで?」 「疲れてたんだろうね、君は寝てたよ」 「そうか、悪かったな。今夜はじゃあ、一杯やろうぜ? 酒は人生の潤滑油って言うしよ。ヨルンやコッペペも呼んでやろう。……俺だってまあ、お前がそう言うならよ。なあ、相棒」 「あの夜、君を迎えに行ったら、君は寝てて……ドアを開けてくれたのはしきみだった」  サジタリオは突然、盛大に茶を吹き出した。  だが、ポラーレは知ってか知らずか、容赦のない追求をやめようとしない。 「しきみは何故か裸だったよ。包帯姿も痛々しいけど、思ったより元気だった」 「ゲフッ! ゲファ、ゴホ! ……い、いつの話だ、それ!」 「つい先週、まだ木偶ノ文庫をうろうろしてたあたりだよ」 「……あ、そう。別にまあ、俺もしきみも気にはしねえけどな。男女の交わりは世の常ってやつさ」  首を傾げるポラーレに、サジタリオは残念な人間を見るような視線を突き刺してくる。  どういう意味かはわからず、無表情のままポラーレはじっとサジタリオを見詰めた。 「お前なあ……ファレーナとは、どうよ」 「どうよ、というのは」 「惚れてんだろ? それに、惚れられてる。俺の野生の勘が言ってらあ」 「……そう、なのかな。そうだと、嬉しい、けど」  あーもぉ、とサジタリオが赤面しながら髪をバリボリ掻き毟った、その時だった。  二人のテーブルに影がさして、一人の小柄な女性が気付けば立っていた。 「ヴィアラッテアのポラーレ殿でしょうか。ギルド長から紹介を受けて参りました、城塞騎士オルテンシアと申します! 今日は面接、よろしくお願いしますっ!」  ハキハキとよく通る、とても聴き心地のよい声が生真面目さを滲ませていた。華奢な身を重厚な鎧で覆って巨大な盾を背負った、若い女が二人の前でペコリと頭を下げる。  ポラーレはサジタリオの促す視線に、慌てて散らかった書類の束をひっくり返す。 「ああ、補充人員をね……どうしても僕たちは、守りが手薄だ。レオーネはインペリアルだった訳だし、ずっとエミット頼りだったんだけど。その彼女も、しばらく戦線復帰は無理だし」  このオルテンシアというフォートレスの簡単な経歴や戦歴は、確か纏めた書類をアルマナが作ってくれていた筈だ。それを掘り当て手にして、改めてポラーレは彼女に向き直る。  至極真っ当な立ち振舞を感じさせる騎士で、腕はそこそこというのが第一印象だ。  ポラーレは勿論サジタリオも、危険な生業の毎日で相手の力量を見抜く術を得ていた。 「ええと、じゃあ……ファレーナがいてくれたらよかったな、うん。オルテンシアさん、だね。どうしてこのタルシスで冒険者を? 僕たちの仕事は、危険と常に隣り合わせだ」  ポラーレの定型句を繋ぎ合わせた平凡な質問に、オルテンシアは瞳を輝かせる。 「勿論、正義の為です! 騎士の誇りにかけて、悪しき帝国の野望を――」 「あ、それはね、もう終わったんだ。今は、巫女を救出すべく皇子を追ってるんだけど」 「そ、そうでしたか。しかし、巫女殿をお救いするのも我が使命! 必ずやウロビトたちの里へと、かの巫女殿を連れ戻さんとわたしは! ええ、もう心に誓ったのです!」  ――レオーネこそが、いてくれればよかったのに。  ポラーレは内心そう思って、隣で肩を竦めるサジタリオの無言の同意を得る。  だが、オルテンシアの熱弁は止まらなかった。 「あと、聞けばこのタルシスには、恐るべき邪悪な黒き魔物が巣食っているらしいのです。幼い少女をたぶらかして手籠めにし、普段は人の姿を偽っているという……恐ろしい話です!」 「え、あ、はい。……スミマセン」 「わたしは騎士として、善良な民のために魔物を倒すべく国を出ました。聞けばヴィアラッテア、そしてトライマーチはタルシスのために戦ってると……是非わたしをお役立てください!」  ポラーレは思った……僕にはひょっとして、騎士難の相でもあるんじゃないか? と。オルテンシアは、その恐ろしい魔物が目の前にいると知ったら、どうするつもりだろうか。だが、それを聞くまでもなかった。  突如として酒場のドアがけたたましく開かれる。 「たっ、大変だ! りゅ、竜だ……ドラゴンだ! 蘇ったドラゴンが、碧照ノ樹海で暴れてやがる! 森ん中は血の海だ……化石だったバケモノに、みんなやられちまった!」  血相を変えた冒険者は手負いで、その場に崩れ落ちながらも声を荒げる。  ポラーレが椅子を蹴って立ち上がった、その時にはもう遅かった……第一報に酒場中の冒険者が騒然とする中、目の前のオルテンシアはもう走り出していた。盾を背負った小さな背中は、瞬く間に怪我人と入れ替わりに、外の陽光へと見えなくなっていた。