矢は放たれた。  零れて削れる部品をばら撒きながら、真っ直ぐに翔ぶ気球艇エスプロラーレ。その先には、左手を失いながらも嘆きに歌う伝承の巨神がそびえ立っている。  だが、それすらも全く意に介さず、少女たちは敵の真っ只中へと飛び込んでいった。  そう、少女たちだ……クレーエの鍛え抜かれた目には、五人の乙女たちが見えた。  瞬間、拳を握るクレーエは噛みつかんばかりに声を張り上げていた。 「艦長っ、全速前進だ! 総旗艦を、このフォルテギガスをぶつける!」  クレーエが号令を叫ぶより早く、巨大な艦体が微動に震え出す。艦長以下、ブリッジにいる誰もがクレーエの意志と気持ちの先をいっていた。  帝国でも名うての船乗りたちは、自分たちの命にも等しい乗艦を差し出そうとしていた。  勇敢なる少女たちのために、誰もが一丸となっていた。  空を棲家と決めて生きる男の、侠たちの声がクレーエを押し出す。 「全隔壁封鎖、砲を固定! 対ショック姿勢!」 「本艦はこれより、巨神に対して最後の吶喊を行う! 副長!」 「アイサー! という訳で、クレーエ殿。邪魔です、貴方は貴方のなすべきことを。我々は艦を奴に……なに、誰も死なせはしませんよ」  隻眼の副長が笑う。艦長席で制帽を目深に被った艦長も笑う。操舵手や通信士も皆、笑顔だった。通路へとクレーエを振り返る誰もが、笑顔で見送ってくれた。  そして、窓の向こうには徐々に巨神の右手が視界を奪ってゆく。  今、帝国最大の巨艦フォルテギガスは、その艦首を最大戦速で伝承の巨神へと向けていた。 「すまん、あとは任せる! 俺は……俺は、殿下と帝国のためにも、俺はっ!」  ブリッジを後にしたクレーエは、甲板へと登る階段を駆け上がる。  冒険者たちとの戦いでもう、満身創痍の身は今も激しく痛む。だが、傷が癒える間もなく帝国は未曾有の危機へと投げ込まれ、臣民と国土は風前の灯火だ。  皇子の孤独が独善を育み、そのよかれと思う心の暴走が奴を……伝承の巨神を復活させたのだ。一番側にいながら、それを止められなかったことを悔やむからこそ、クレーエは走る。  全身を貫く痛みに耐え、傷の疼くままに出血も構わず、疾走る。  クレーエがデッキ最上部へと駆け上がった瞬間、激しい衝撃に艦体が傾いた。  巨神の右手を塞いで潰すように、鋼鉄の巨艦が舳先を押し込み衝角を突き立てていた。  揺れる足場に思わずクレーエは、飛び出たデッキの上で転んで飛ばされそうになる。 「クッ、これだけの質量をぶつけても……俺たちは、俺は……なんてもんを蘇らしちまったんだ、ッ!? ……あ、あんたは」  衝撃で浮き上がり、そのまま飛ばされそうになったクレーエ。だが、そんな彼の腕を掴んで握る、真っ赤な影が甲板上に立っていた。その力強い腕力がクレーエを引っ張り、再び鋼鉄の上に立たせてくれる。  燃えるように赤い鎧を身につけたその男は、灼熱の咆哮を歌う砲剣を手に、もう片方の手でクレーエを引き止め引き寄せた。最新式の試作型タービン・アーマーが、排熱に唸りをあげる刃の熱波で、真紅に輝く相転移の力場を生み出している。  そこには、あの日と違わぬ暁の騎士が立っていた。 「あんたは……暁の騎士! レオーネ・コラッジョーゾ! どうしてここに」  驚きに目を見張るクレーエに、眼鏡の騎士は僅かに小さく微笑んだ。 「貴方と同じですよ、クレーエ・"コルヴォ"・アーベント。そして恐らく、彼らと一緒です」  一族に伝わる砲剣を手に、レオーネはにこやかな表情を崩さず首を巡らす。その視線の先に、彼はいた。あるいはもう、彼女であり彼女ら。だが、彼らは二人で一つの身体で傾斜した甲板の上に悠々と立っていた。  そこには、発火用電源に唸る砲剣を構えたナルフリードの姿があった。  彼は今、烈火の炎にも似てギラつく眼光で、血走る目を巨神へ向けている。 「あったまきちゃうわ、あの娘たち……この私を出し抜いて自分たちだけ。ま、いいわ……兄様に免じて許してあげる。……援護してあげるんだから、ヘマこいたら半殺しじゃ済まないから」  既に彼は彼女で、半裸にマント姿のベルフリーデが炯と瞳を輝かせる。  内なる兄とブツブツ喋り続ける彼女の隣に、レオーネもまた轡を並べるように立ってクレーエを振り返った。  激情に昂ぶり殺気を漲らせるベルフリーデとは真逆に、真紅に燃える騎士の表情は冴え冴えと穏やかに凪いでいる。だが、傾斜を増してゆく甲板上で彼らがなにを意図しているかは明白だった。そしてそれが理解できる今、クレーエに恐れも怯えもない。 「さあ、クレーエ殿。今こそ共に帝国騎士として剣を振るう時!」 「待っててやったんだからちゃっちゃと並びなさいよ、優男。ヘマしたらあんたも半殺しよ?」  全速力で巨神の右手へと体当たりを敢行した旗艦フォルテギガスは今、徐々に推力を失い沈み始めている。  だが、これだけの大質量をぶつけたのに、巨神は右手でそれを振り払おうとしていた。  ゆっくりと目の前で、巨大な右腕が持ち上がった。  だが、その時三人は三者三様に剣を構えた。  三振りの砲剣がそれぞれに、異なる排気音で歌い始める。モーターが全力で金切り声を発して、チャンバーとバレルが甲高い重金属音を鳴り響かせた。高め合って響き合う、伝説の再生を破壊する刃の輪唱。  クレーエは不思議と熱くなる高揚感に、自然と全身の痛みを忘れてゆく。  そしてそれは、あの激戦で重傷を負って尚、この場所へ立つことを選んだレオーネも同じだろう。クレーエは今、レオーネと共に剣を構えている瞬間の自分が誇らしかった。  徐々に墜ちゆく艦体の甲板上で、三人は必殺のドライブを手元へと引き絞る。 「……ちょっと、あんた騎士なんでしょ? なにか前口上くらい言いなさいよ」 「お、俺がか? こういうのはやはりレオーネ殿が」 「兄様がおいしいとこ譲るって言ってんの! レオーネ、あんたがやる? どっちでもいいわよ、私は」  見えない鎖に歯噛みする猛犬のように、小さくベルフリーデが唸るような言葉を投げつけてくる。その刺々しさに思わず怯みつつも、クレーエは隣のレオーネを見た。  彼は涼やかな笑みで白い歯を零し、決死の攻防戦の前でさえ余裕の表情を見せてくれた。 「言っておやりなさい、クレーエ殿。我ら三騎士、想いは同じ……今こそ帝国と全ての大地のために!」  大きく頷くや、大見得切ってクレーエは叫ぶ。  今まで闇から闇に影となって生きてきた、掃除屋始末屋と言われての汚れ仕事ばかりだった。そんな隠密騎士である自分が、今。この瞬間、栄えある暁の騎士と共に剣を振るう。暗殺や破壊工作ではない、大義のために……愛する祖国と民のために。 「皇子殿下の御心を伝える! 聞けっ、伝承の巨神よ! あの方は……あの方はっ!」  ジャキン! と三人の砲剣が巨神を睨む。  臨界寸前まで高められたドライブが、今にも切っ先を伝って爆発しそうな中で……クレーエは身を声に叫んだ。今、この場にいない人を……巨神の中へと消えてしまった人を想って、その気持ちを声にする。 「帝国に仇なす全ては、皇子殿下の敵と知れッ! 我ら帝国騎士、いかなるものであれ……帝国の国土と臣民を脅かすものを、斬る!」  ずるり、と足場が喪失する感覚と共に、火を噴く巨大な艦体が沈み込む。総員退艦のサイレンが泣き叫ぶように響く中、いよいよ空へと傾く甲板上を三人は、走った。  クレーエは、仲間と共に今、疾走っていた。  そして三色のドライブが連続で発現し、放たれた火焔と轟雷、そして凍てつく冷気が巨神を切り裂いてゆく。絶叫が木霊する中で、クレーエたちの砲剣は狙い違わず巨大な右手を木っ端微塵に粉砕したのだった。  同時に、ゆっくり沈む旗艦フォルテギガスと共に、不快な浮遊感が三人を包む。  そうしてクレーエは、乙女たちの乗る半壊状態の気球艇を見送った。  最後を託され希望を見出された少女たちは、絶叫を張り上げる巨神の頭部へと飛び込んでゆく。全てを託してクレーエは、得意の軽業で身を翻すや、宙を乱舞する廃材や瓦礫、破片の中へと、甲冑に隠していたワイヤーを走らせ飛ばす。 「レオーネ殿! 手を! 今度は俺が……」  天へと伸ばしたワイヤーが、逃げ惑うように飛び交う冒険者の気球艇の一つに引っかかった。同時にもう片方の手は、レオーネの血に濡れた腕をたぐり寄せる。  だが、レオーネは今、クレーエにぶら下がりながらも大きく身を乗り出して腕を伸ばしていた。その先に、墜ちてゆくベルフリーデの姿がある。 「くっ、また……この、頭痛……最近、いつもこう! なんなの、よ……兄様、頭が……う、姉様……どうして、どちらかが? どうちかしか……? か、身体が」 「いけませんね、ベルフリーデ殿! いや、ナルフリード殿か? どちらにせよ、危険です!」  その時、レオーネはクレーエの手を振り払うと、重力に掴まるベルフリーデへと落下を速める。そうして彼は全身を丸めて縮こまった少女の身体を確保するや、そのまま眼下の大地へ墜ちてゆく。  慌ててもう一本のワイヤーを伸ばしたクレーエは、その先に手応えを感じて安堵の溜息を零すのだった。