歌うように今、伝承の巨神が吠え荒ぶ。  両手を砕かれ絶叫を張り上げる中へ、その中心へと飛び込む少女たちの姿があった。  その一人、グルージャは不思議と恐れを感じなかった。  ただ、四人の仲間が、友がそうであるように……燃え立つような血潮の滾りだけが熱い。 「エスプロラーレがもう持たないです! ……みんなっ、全速力で走るですぅ〜!」  既にもう、グルージャたちの乗る気球艇エスプロラーレは、失速を始めていた。  もとより応急処置を急いで施した、スクラップ同然の船体だったのだ。それが今、バラバラと部品を空へばら撒きながら再び壊れ始める。  だが、グルージャたちは弾かれたように走り出した。  彼女たちを駆り立てる叫びは今、祈りとなって宙へ方陣を広げてゆく。 「この戦いが終わったら、真面目に勉強するです……ちゃんと修行するです、ファレーナ姉様みたいに頑張るです! だから、だから……お願いですぅ!」  見る間に宙へと広がる方陣が、真っ直ぐ巨神へと伸び始めた。  その上を迷わずグルージャたちは、走る。  目の前にみるみる内に、巨大な人の顔が迫った。  無貌にも似た表情には、いかなる感情も宿ってはいない……嘗て人類が夢見た、楽園の導き手の無慈悲な姿がそこにはあった。 「ああ、シャオが……エスプロラーレが沈んでしまいますの!」 「振り返るんじゃねえ! 真っ直ぐ前だけ見て、疾走れっ!」  必死で走るグルージャの耳朶を、リシュリーとラミューの声が掠めてゆく。  墜ちゆくエスプロラーレから真っ直ぐに、術式が走って方陣を描く。その光の道筋は真っ直ぐに、倒すべき敵へと続いていた。  だから今、何も考えずにグルージャは疾走る。  息が続く限りに、駆け抜ける。 「やっば! なんか来る……こなくそーっ!」  目の前の巨神から、突如として光が迸った。  伝承の巨神が放った原初の炎が、轟! と爆ぜて視界を焼き払う。  咄嗟に突出したメテオーラが、かざした手の盾ごと爆炎に包まれた。だが、彼女は直撃で表面が泡立ち溶けた盾を放り投げるや、身軽になって一歩先を疾駆する。  続いて凍土の槍が注いで肌が凍てつき、破滅の雷は四人の全身を打ち据える。  それでも、誰一人止まることなく、一層強く踏み出す脚で、疾走る。  その中から一人、まるで飛ぶように抜きん出る影があった。 「巫女を、シウアンを……ついでにあの馬鹿皇子を、返せ……返せよッ!」  しなる細剣を抜刀と同時に、ラミューが怒りの咆哮も高らかに疾風になる。彼女が握る剣の切っ先は、燃える炎が宿って煌々と輝いていた。  真っ直ぐに一撃、真正面からラミューが巨神を斬り裂く。  絶叫と共に、巨神に初めて表情が生まれた。それは、痛みに悶て苦しむ形相。  だが、ラミューが放った火焔の一撃は、それで終わりではなかった。 「おっしゃ、もういっちょー! こいつもっ、持ってけぇ!」  メラメラと音を立てて、巨神の顔面に燃え盛る炎。その爆ぜる業火をメテオーラが更に押し込む。彼女が大上段から振り落とした剛剣が、力任せに巨神を縦に割る。炎はメテオーラの剣戟に呼応するように、再び燃え盛って再度巨神を襲った。  炎の術式はリンクとなって連なり、続く者たちの力を何倍にも増幅して敵へと襲いかかる。 「グルージャ! 印術の用意を……持てる全てをぶつけるのですわっ!」  リシュリーの声に応えるように、馳せるグルージャの両手に炎が集束してゆく。手と手に集う力は、術式の励起が肉眼で見える程に強大だ。  それを放った瞬間、剣舞にリシュリーが踊る。  リズムを刻んでテンポを上げてゆくステップと同時に、リシュリーの両手で剣が歌い出した。彼女の連撃は周囲の炎を集めて、より一層強くリンクの烈火を迸らせる。  その中へとグルージャは、練りに練った全力の一撃を押し出した。 「神様だって容赦はしないわ……ここは、この大地は、例え朽ちて滅びようとも……最後まで、あたしたち人間で守るもの。だからっ!」  珍しく声を荒げたグルージャの手から、劫火の大印術が解き放たれた。  全てを焼き尽くす浄戒の焔が、巨大な彗星の如く巨神へと吸い込まれる。  その一撃はリンクの炎を全て飲み込み膨らんで、そのまま周囲を真っ白な閃光で染めて炸裂した。確かな手応えに立ち止まる四人が、手で顔を庇いつつ指の隙間に目を凝らす。  だが……爆風が晴れた瞬間、彼女たちを強力な波動が襲った。 「くっ、姫のリズムが消えやがるっ!?」 「気をつけて、こっちの力を削いでくる! この甘い吐息は、例の呪いの――」  体勢を立てなおしてさらなる追撃にと猛る少女たちを、あの甘い濃密な空気が包む。  消散の吐息でダンサーのリズムをかき消された瞬間、グルージャは全身を貫く激痛と衝撃に舞い上がった。シャオイェンの方陣が進む先、術式で彩られた一本道の上に、四人の少女がバタバタと倒れる。  その背後にはもう、復活した巨大な両手が忍び寄っていた。  恐るべき深緑の聖櫃は、勇気ある乙女たちを苦もなく屠ってしまう。だが、グルージャは辛うじて顔をあげ、這ってでもと手足をばたつかせながら前へ進んだ。  その先には、嘆きと愉悦の入り交じる表情がグルージャたちを見下ろしている。 「返して……シウアンと、バルドゥールを。返して……! まだ、あたしたちは――」  血を吐く思いで這いつくばって、それでも進むグルージャの視界が霞んで滲む。既にもう立ち上がる力は失われたかに思われた。方陣が輝く光の道の上で、落ちそうになったリシュリーも、それを支えて抱きとめるメテオーラも動かない。  万事休す、既に抗う力は失われたかに思われた、その時。 「ざけんじゃねぇぞ、こら……手前ぇ、人間様なめんなよ。手前ぇがあの二人を返すまで……オレはっ! オレたちはっ! 何度でも、何度でもぉ……」  ゆらりと立ち上がった少女から、脱げた赤頭巾が風にさらわれ空に吸い込まれる。金髪も顕なラミューは、血塗れの手で剣を握って立っていた。だが、既に刃は根本から折れており、その切っ先を失った柄から血の雫が溢れる。  それでも、ラミューは自分を引きずるように巨神へと歩き出した。  肩を上下させて呼吸を貪りながら、彼女は荒い吐息の中へ血を吐く様に言葉を連ねる。 「よぉ、シウアン……出てこいよ、なあ? そこは冷たくて暗くて、お前がいるような場所じゃねえんだよ……待ってな、今……引きずり、出して、やらぁ」  気付けば震える脚でグルージャも立ち上がる。膝がガクガクと笑って、込み上げる恐怖に全身が寒気を感じて肌が粟立つ。それでも、グルージャは再び術式を集めて両手の指と指とに印を結び始めた。  少女たちの必死の抵抗を前に、勝利の確信で嗤っていた巨神の表情が一変する。 「おうこら、クソ皇子……手前ぇも男なら、ケジメくらい、つけて、みせろや……オレがブン殴って、やる、から……出てこいよ。出て、きて……面ぁ見せろ、よ。なあ……なあっ!」  その時、巨神の顔が豹変して、不意に硬く閉じた蕾が花咲くように四方へと開放される。それは、よろよろと千鳥足でラミューが走り出すのと同時だった。  巨神の顔の奥から現れたのは、まるで花弁のような剥き出しの精髄。  恐らく巨神の中枢であろう弱点が、不思議と自らその姿を晒し出したのだ。  同時にグルージャは、懐かしいあの声を耳に拾う。それはラミューにも聞こえているのだと信じて、彼女は最後の力で周囲の水分を氷の結晶へと変え始めた。 『冒険者よ……余に、僕に代わってシウアンを……この娘を、どうか元の暮らしへ』 『グルージャ、ラミュー。リシュもメテオーラも、シャオも。声、届いてたよ……早く伝承の巨神を止めて……これ以上、バルドゥールの悲しい妄念に、この大地を壊させないで』  恐らくもう、術を構築して維持する力が失われつつあるのだろう。グルージャの立つ方陣の道は今、徐々に薄れてゆく。振り向くまでもなく、シャオイェンの消耗は明らかだ。だが、だからこそ最後の一撃を両手に集めて……グルージャは言葉にならぬ絶叫と共に、解き放つ。  それは、獣にも似た最後の雄叫びと共に、ラミューが斬り掛かるのと同時だった。 「こいつで終いだっ、喰らって寝てろぉ! 正真正銘、最後の一撃……ブチ抜けェ!」 「シウアン! バルドゥール! ……今、助ける。あたしが、あたしたちが! 」  真っ直ぐ剣を振り上げ翔んだラミューを、グルージャの放った印術が直撃する。  否、ラミューが振りかざす刃の失せた剣へと、グルージャの最後の力が集結してゆく。それは、吹き出すラミューの鮮血を凍らせながら、氷河の大剣となって鋭く光った。  グルージャの力が鋭く尖る、絶対零度の一撃をラミューが振り下ろす。  瞬間、足元の感覚が消失すると共に、グルージャは墜ちながら確かに聴いた……あの二人の声を、確かに聴いた。目を見開いて決着を見届けるグルージャは、四人の仲間と共に重力に掴まり落下し始める中で……伝承の巨神が再び世界樹へと戻ってゆく姿を見るのだった。