初めて訪れる街、タルシス。冒険者で賑わう酒場、踊る孔雀亭を訪れたプレヤーデン・ナカジマは満足そうに周囲を見渡した。  活気と情熱に満ちて、賑やかな喧騒が心地よい。  これが、この熱量が帝国さえ変えて救った冒険者たちの力なのだと感じられた。  そしてそれは、プレヤーデンの前にやってきた男たちも同じようだった。 「お待たせしました、ナカジマ卿。……どうされました?」  きっと、プレヤーデンは笑っていたのだろう。  その笑みに共感するように、鎧の騎士は尋ねてきた。  名は、レオーネ・コラッジョーゾ……暁の騎士の名を持つ男だ。そして、あの帝国と冒険者たちとの戦いで、祖国の為に敢えて裏切り者の汚名を着て戦った男でもある。眼鏡の奥の涼やかな笑みは、それも過去のことだと自然と教えてくれた。 「いえ、冒険者たちを見ていまして……先程面白いものが見れて。とても、素晴らしい。このような若者たちが、我らが帝国の過ちを正してくれたのだと今はわかります」  プレヤーデンは向かいに座るレオーネに語った。  先程、見たのだ……冒険者たちのちょっとした事件を。顔に黒い痣も顕な女剣士が、すらりと長身の美丈夫に気遣われて酒場を訪れた。彼女はスカートから伸びる脚も半袖の腕も同じ痣で、まるでモノクロームの鎖細工……最初は客の冒険者が皆、奇異の視線を向けてどよめいた。だが、一人の少年が啖呵を切るや、あっという間に異様な女剣士を普通のことのように受け入れてしまったのだ。 「まだ少年でした、少しギラギラしてて、無鉄砲だけど血気に逸る若さがあって……先ほどの女性たちのために、本気で怒っていました。これが、冒険者なのですなあ」  しみじみと語るプレヤーデンに、レオーネも静かに頷く。  先ほどの一件を見ただけでもう、プレヤーデンには全てが理解できた。冒険者とは、悪い空気に淀んだ帝国を吹き抜けた一陣の、風。そして今また、帝国の未来を後押しするように吹いている。ならば、その風に帆をあげ船を漕ぎ出し、誰もが先へと進まねばならない。  不思議と清々しい気分のプレヤーデンは、レオーネの笑顔に用事を思い出す。 「おお、そうでした。コラッジョーゾ卿からお預かりした砲剣ですが」 「ええ。いささか無理に振り回しすぎました……手入れには気を遣ってるつもりですが」 「全く問題ありませんな! 素晴らしい一振りですぞ、これは……とても十代の少女が図面を引いた砲剣とは思えない。私は軽くバランス取りをしたのみですな」  プレヤーデンは荷物から一振りの砲剣を取り出し、それを持ち主であるレオーネへと返す。サヴォイアの銘を持つ家宝の砲剣は、まだフリントロック式だった時代からコラッジョーゾ家に代々伝わるものだ。今も優雅な刀身は、由緒正しい当時のままに残されている。  同時に、搭載モーターを換装し強化され、生まれ変わった今の姿は一段と美しい。 「時に、そういえば……あの、モノノフの御仁は? 実は私も、彼の砲剣が気になって」 「ああ、ミナカタ殿ですね。あの方は、凍土の谷へ帰って行きました。弔いと報告があると言い残して」 「そうでしたか……いやしかし、世界は広い。帝国もこれからは、その広がりへと散って入り混じり、皆と共にますます栄えて欲しいものですな」  自らを悔いて改心したバルドゥール皇子が戻ったことで、帝国は本来の健全さを取り戻した。今は、朽ちてゆく大地への対策を講じるとともに、大規模な移民計画も進行中である。こうしている今も、移民団の船は次々とタルシスのある風馳ノ草原へと飛んできている。  プレヤーデン自身も、それに同乗してタルシスへとやってきたのだ。 「ミナカタ殿の剣……あれは、近衛限定砲剣"零"でした。あの剣は」 「かつて皇帝陛下が南へと旅立つ際、共を許された近衛騎士のみが持っていたものですなあ。もはや現存していまいと思っていましたが」  プレヤーデンは今思い出しても、悪鬼羅刹の如きモノノフの凄まじい気迫に身震いする。同時に、一人の剣狼が携える砲剣が、まるで新品同様のような駆動音を奏でていたことも。  あれは、誰かが絶えずこまめに手入れして、常に稼動状態を維持してきた証拠だ。  そしてもう、その誰かはこの世にいないのだろう……プレヤーデンは、異国の地で今は亡き皇帝と共に散った騎士の、その無念の想いに心を巡らせた。  それはレオーネも同じようで、帝国の人間同士の連帯感が静かに漂った。 「女性騎士でモリエガ殿という方だそうです。私の方でも先日、本国へ確認を取りました」 「そうでしたか……今はその死も報われましょうなあ。いや、我々が報いてやらねばなりますまい。復興、そして国と民の平和をもって……報われねば」 「ええ」 「そういえば昔、確かに見ましたなあ……皇帝陛下が連れる近衛の騎士に、見るも麗しい才媛を。当時は女性騎士も珍しくて、あともう一人はまだ小さな女の子で――」  思い出を振り返って、プレヤーデンは腕組みしみじみと頷く。  確かに若かりし頃、皇帝の船出を式典で見送った記憶がある。当時はまだ帝国は、不動で揺るがぬと誰もが信じていた、過信していた時代だ。  そうこうしていると、レオーネが「そういえば」と話題を変えて切り出した。 「ナカジマ卿、帝国の砲剣開発の中枢から身を引かれたとか……先日、エルトリウス殿から伺いました。まだまだ卿のような熟練工の力は必要とされる筈、それが何故」  エルトリウスというのは確か、つい先日プレヤーデンの工房を訪れた盲目の冒険者だ。目は見えずとも心の目は開いてると静かに語り、プレヤーデンが納得するだけの力量を見せてもくれた男である。  彼に渡した普通の量販品が、プレヤーデンが手がけた最後の砲剣になるだろう。  勿論、これからも多くの騎士たちが砲剣を持ち込むだろうし、そのメンテナンスに今後の生涯を賭して挑むつもりだ。だが、もう自分が新規で砲剣を鍛造せぬことをプレヤーデンは悟っていたのだ。 「なに、新たな時代には新たな世代が、そういうことですぞ。いつまでも私のような古参がでしゃばってもいけませんなあ。はは、帝国も若い才能に満ち溢れてる。後進に道を譲るのもまた、年長者の務めでして」 「……よき退き際を得られました、ナカジマ卿。お見事です」 「いえいえ……それに、これからちょっと金鹿図書館にも飛ばねばなりますまい。戦が終わったというのに、あそこの特務封印騎士団が全砲剣のフルオーバーホールをと言ってまして」 「きな臭いですね。しかしあそこは完全独立自治の超法規的騎士団。もしや――」  そんな話をしていた、その時だった。  朝の爽やかな雰囲気に賑わっていた酒場に、突然鎧姿の帝国騎士が駆け込んできた。顔面蒼白で血の気がない表情とは裏腹に、全身は戦傷で血塗れだった。  それでも男は、驚き駆け寄る冒険者たちを見渡して声を張り上げた。 「たっ、たた、大変だ! ド、ドッ、ドラゴンだ! ドラゴンが移民船団を!」  思わずプレヤーデンも椅子を蹴って立ち上がる。  その時にはもう、レオーネは負傷した騎士に駆け寄りその身を抱き起こしていた。息を荒げて肩を上下させる騎士は、息も絶え絶えに喋り続ける。 「殿下が、バルドゥール殿下が……船団を守るため、御一人で……囮になって、御一人で!」 「なんと!」  レオーネ同様、プレヤーデンも目を丸くして息を飲んだ。  ドラゴン……それは各大地を我が物顔で飛び回る、大自然の絶対強者。この風馳ノ草原を支配する巨大な真紅の個体は、偉大なる赤竜の名で恐れられていた。  ドラゴンの前では、人など巨象に挑む蟻にも等しい。  そして、人がそうであるように巨象もまた、足元の蟻など目もくれないのだ。  ざわめきが酒場に広がり、すぐに冒険者たちが慌ただしくなる。先ほどプレヤーデンが見守っていた痣の女剣士も、寄り添う男たちと共にすぐ店を出ていった。  そしてプレヤーデンは、背後で陶磁器が堕ちて割れる音を聞いた。  振り向くとそこには……全身を震わせ立ち尽くす、嘗て帝国の魔女と呼ばれた女性が立っていた。 「あ、あなたは……エクレール殿」  思わずプレヤーデンが呟いた、それが魔女の名だ。今は本来の人格と記憶を取り戻し、エトリアの聖騎士ことデフィール・オンディーヌへと戻っている。  だが、彼女の中でまだ魔女は消えてはいない……小さく薄れゆく中に眠っていたのだ。 「あ、あの子が……殿下、が……ああ! 助けにいかねば、あの子が……ッ!」  髪を振り乱したデフィールは……再びもう、あの頃のエクレールへと戻っていた。ショックも顕な彼女は、気遣い引き止める夫を振り払うようにして、猛然と全速力で酒場を出て行った。  騒然とする踊る孔雀亭で、プレヤーデンは全ての者たちの無事を祈るしかできなかった。