帝国の皇子バルドゥールから、クレーエを介して送られた鍵……黄金に輝く鹿をあしらったそれは、金鹿図書館の開かずの扉を開く鍵だという。  そして、その先には新たな冒険が……最後の戦いが待ち受けていると言われた。  既に魔竜より帝国を救い、暴虐の三竜も鎮めたヴィアラッテアとトライマーチ。だが、その先に冒険の舞台が示されれば、いかなる迷宮であろうと挑まずにはいられない。世界樹が見守る冒険者たちとは、元来こうした探求の徒であると同時に、無宿無頼の流離人だった。  今、ポラーレたちは金鹿図書館へと赴いている。  ポラーレの隣を歩く白い麗人が、そっと薄い唇を寄せて耳元に囁いてきた。 「ポラーレ、よかったのですか? クラックスやアルマナに黙って出てきてしまって」 「ああ、うん。彼らには少し、二人の時間を持って欲しくて。……辛く長い日々だったからね。決戦も熾烈を極めたし、ちょっとくらい休んで欲しいんだ」  そんな言葉を返したら、隣のファレーナは意外そうな顔をした。  美貌のファレーナが目を丸くして口も半開きというのは、珍しくて思わずポラーレも振り返ってしまう。よほどじっと見詰めてしまったのだろうか、ふと気を取り直したファレーナが小さく笑った。 「あなたでもそういうことを思いつくのですね」 「うん、まあ、その……お、おかしいかな」 「少し、面白いです。でも、とてもいい」 「そ、そう」  そうして歩く先へと、背後のサジタリオが脚を速めて追い抜いてゆく。彼はその手の指に例の鍵を弄んで、迷わず巨大な書架の前へと歩み出た。  その場所は以前、金鹿図書館を訪れた際に調べ物をした一角だ。  あの時確かに、ポラーレたちは書架の奥へ隠し扉を見つけていたのだ。そして、その先へと進もうとし……恐るべき殺気に進むことを止められたのだった。  今も同じで、例の書架の前で振り向いたサジタリオの目が鋭くなる。 「おっかねえ図書館だぜ、ええ? 最近の司書さんは殺気を飛ばしてくんのかよ。なあ?」  追いついたポラーレも向き直れば、一緒に来てくれたヨルンとデフィールも僅かに身構える。自然と緊張感が満ちる中で、油断なくポラーレは目を凝らす。  気づけばポラーレは、彼を求めるように伸びてきたファレーナの手を握っていた。  そして、隠し扉の前で待ち受けるポラーレたちの前に、この金鹿図書館の主たちが現れる。 「ようやく来ましたわね、冒険者。お久しぶりですわ……活躍は聞き及んでましてよ?」  金鹿図書館の真の姿、帝国の秘匿機関……特務封印騎士団。その長であるフリメラルダ・フォン・グリントハイムが現れた。その横に控えているのは、ブリテンの騎士ナルフリードと共に来た医者のヴェリオだ。相変わらずフリメラルダは、見る者を圧倒する覇気が滲み出ている。  だが、不思議と今は歓迎するような親しみが感じられて、ポラーレも態度を和らげた。  なにより、現れた二人の異変というか、尋常ならざる疲労感に目を見張る。 「皇子から、この場の災厄をどうかと……そう言われて、来たんだけど」 「歓迎しますわ、ええと、確か……ポラーレ、でしたわね? ポラーレ殿、感謝を」 「あ、うん……相当恐ろしいモノがいるようだね。君たち、ボロボロじゃないか」  ヨルンとデフィールも顔を見合わせ頷き合って、サジタリオも意気込みに鼻を鳴らす。ただただ静かに手を握り返してくるファレーナの体温を拾って、ポラーレも身を正した。  だが、どうやらフリメラルダとヴェリオが疲労困憊なのには訳があるようだ。 「こ、これは……違いますのよ、オホホホホホホ……はぁ。ま、まあ、ちょっと趣味ですの」 「酷く悪い趣味ですよ、それを僕は何日も手伝わされて。ポラーレさん、僕たち大変だったんです」 「悪い趣味ってなんですの? わたくしの手に怪我がなければ、印刷所を困らせることもなかったですわ。ま、まあ、それは自業自得なのですけど」 「僕らのことは気にしないでください、冒険者の方々。僕らは……ちょっと寝てないだけなので」  二人になにがあったのだろう?  どうやら皇子の言うこの地の災厄とは関係がないらしいが……だとしたら、なにが? いかなる存在が屈強な特務封印騎士団最強の女傑をこうもやつれさせるのか。見るも美しいフリメラルダは、目の下に黒いクマを作っている。心なしか頬もやつれて見えて、それは隣のヴェリオも同じだ。 「いったいなにが……僕たちで、冒険者で力になれることがあるかい?」  ポラーレは自分でも、人を気遣うような言葉が自然と出たのが意外だった。  長い冒険と戦いの日々で、多くの命と触れ合い、削り合って、磨き合ってきた。その経験がポラーレの中に、事象に対する反射行動である以上のモノを、感情と呼べるレベルで定着させているのだ。それが自分でも意識せずとも勝手に働き、ここ最近はとてもなめらかでしなやかな人格をポラーレに形成させていた。  ポラーレの申し出にヴェリオが、疲れたような溜息を零して肩を竦めてみせた。 「そうだ、ポラーレさんの言う通りですよ。その手があった……フリメラルダさん、どうしてタルシスでクエストにして助けを求めなかったんです? 酒場で受け付けてるそうですよ?」  皮肉めいたヴェリオの物言いに、一瞬フリメラルダは「あっ」という顔をした。  だが、麗しの騎士団長は素知らぬ顔で目を逸らす。 「そ、そんなこと、気付いてましたわ。でも、入稿が間に合ったから別に問題なくてよ」 「手伝わされた僕には大問題です……医者としてあんな不衛生な、それ以前に不道徳な情事は」 「あら、その背徳感がいいんじゃなくて? とりあえず、今回の夏もどうやら越せそうですわ」  ポラーレには話が見えてこないが、その時もう一人の声が現れて教えてくれる。  その声は意外な、そして当然のような響きでポラーレたちを驚かせた。 「同人誌と呼ばれる、一部の愛好者同士で交流目的に書かれた絵草紙……漫画の話よ。久しぶりね、ポラーレ、そしてファレーナ。サジタリオも。ヨルンとエクレール……いえ、デフィールかしら?」  そこには、漂う蝶のようなアルカイックスマイルを湛えたファルファラが立っていた。相変わらず気配を殺しての登場は、ポラーレにすら察知できなかった。 「ファルファラ……ここに、いたのかい?」 「ええ。……あの時のこと、許してなんて言わないわ。嘘や裏切りは女のアクセサリーだと思って頂戴? ただ、貴方たちには賭ける価値があって、勝算があるように思えたの」 「僕たちは、ゲームの駒じゃない」 「私もゲームをやってるつもりはないわ。道楽半分なのは認めるけどね」  その時、プルプルと震えていたデフィールが一歩前へ出た。制止しようとするヨルンを振り切るようにして、ポラーレの隣に並ぶ。  帝国騎士エクレールとして操られていた自分を知るからこその、彼女の義憤。  だが、そういうものがデフィールの中でとっくに解消されていることをポラーレは知る。  そして、知りたくもないエトリアの聖騎士の意外な一面も知らされてしまうのだった。 「ええと、フリメラルダ? だったかしら。そう、同人誌……あれよね、有名な冒険者や王族、果ては物語の騎士や姫君を描いた絵草紙よね。二次創作っていうのよね? 違うかしら?」 「まあ……流石にエトリアの聖騎士と呼ばれた方は博識ですわ。そう、帝国では夏と冬に大規模な同人誌即売会がありますのよ? わたくし、毎回そこで女性向けのBL同人誌を――」  笑顔で喋り続けるフリメラルダの前で、フラットな表情のデフィールからゴゴゴゴゴと謎の音が轟いた。ポラーレは気圧され、自然とファルファラに問うような顔をしてしまう。だが、ファルファラは相変わらずの微笑で肩を竦めるだけだった。 「エトリアの聖騎士と呼ばれて二十年……何度、私がこの手の漫画であんなことやこんなことをされてきたか! 私だけじゃないわ、ヨルンも……氷雷の錬金術士が触手や鞭や蝋燭で!」 「……あら、まあ。でも、需要がありますもの。しょうがないんじゃなくて?」 「私だって貴族よ、民の娯楽には寛容なつもりだわ……でも、でもね、フリメラルダ。エッチなのはいけなくてよ! どうしてああいう薄い本は、何度も私たちを辱めるのかしら!」 「有名人ですもの、そうじゃなくて? それこそ、エトリアの聖騎士が陵辱されたり強姦されたり、あまつさえ言えないようなことをされたり……薄い本がアツくなりますわ」  どうやらデフィールは、若い頃からなにかと、その、同人誌? とかいうのに悩まされてきたらしい。だが、フリメラルダは悪びれた様子もない。  ポラーレが呆れていると、既に我関せずを決め込んだサジタリオとヨルンが鍵を使う。カチリ、と歯車が組み合う音が、二人の御婦人の声に入り混じって光を呼んだ。  隠し扉の先は一本道、そしてその先から陽の光が差してくる。  サジタリオとヨルンは迷わず歩み出て、同然のようにファルファラが続く。ポラーレも、手を取って歩くファレーナに引っ張られてその光の中へと進んだ。  屋外へと出れば、そこには巨大な古びた建造物が聳え立っていた。 「こ、これは……なんだ? なにか……あの建物から、異様な雰囲気を、感じる」 「ポラーレ、あなたも感じますか? わたしは……震えが止まらない。悪寒さえ」 「おいおいヨルン、なんだありゃ? ……へっ、やばいだろこれ。俺の直感にビンビン来やがる。とてつもねえなにかがいるぜ? あそこにゃあ」 「太古の遺跡か。なにかの研究機関だったのか? ……フッ、全ては進めばわかること」  ポラーレたちを出迎えたのは、薄暗い空気を発散する白い建物だ。不思議とその全てが、ポラーレに生まれた研究室を思い出させる。  帝国が長らく封じて秘めてきた、災厄の眠る地……暗国ノ殿は静かに冒険者たちを睥睨していた。