第六の迷宮、そして最後の冒険の地……暗国ノ殿。  帝国建立の時より、代々皇帝に仕えてこの地を守護してきた特務封印騎士団さえ、その全貌を知らぬままに月日を重ねてきた。先代の皇帝より勅命を賜った現団長、フリメラルダにもわからないのだ。  誰もが理解し、感じていることはただ一つだけ。  この地に眠る災厄を、決して外へと出してはならぬということ。  だが、バルドゥールが犯した伝承の巨神の復活という過ちは、思わぬ形でこの地に変化をもたらしていた。冒険者によって再び世界樹の枝葉に力が戻る一方……暗国ノ殿にも闇の胎動が目覚めたのだ。  今、ポラーレを始めとする五人の冒険者は暗国ノ殿の地を踏む。  静けさだけを満たした薄暗がりの中、乾いた空気のカビ臭さだけが冷たい。 「これが……よぉ、相棒。妙だぜ、こいつぁ。なあ、ヨルン。お前もそう思うだろう?」  既に警戒心も顕に弓へと弦を張るサジタリオに、ヨルンは黙って首肯を返した。手練の冒険者である二人は、一歩脚を踏み入れた瞬間から臨戦態勢だ。  そしてそれは、背後に気を使うポラーレも一緒だった。  決して不安そうな素振りを見せぬファレーナは、しっかりとデフィールに守られ最後尾をついてくる。  ポラーレは錬金生物としての鋭敏な感覚を研ぎ澄まし、未知の迷宮へと気配を解き放つ。  ファレーナが後で声をあげたのは、そんな時だった。 「ポラーレ、ええと……その、あなたは少し変だ」 「……僕がかい?」 「どうしてそんなに殺気立って、剥き出しの敵意で怯えを隠しているのですか?」  ファレーナの言葉に、ポラーレは足を止めて振り向く。  じっと見詰めてくる白い麗人の双眸に、作った無表情の仮面を被る自分が映っていた。その下に隠した、言い知れぬ不安と恐怖が、ファレーナにはお見通しだったのだ。  妙な雰囲気の中、まだ開け放たれた入口から差し込む日差しは、ファレーナの輪郭を輝かせている。闇の中に踏み出したポラーレは、今にも自分がこの墓所のような闇に飲み込まれると感じていた。 「ま、あれだな……ヨルン」 「ああ。ここも迷宮ならば、近くに樹海磁軸があるだろう。必ず入口の側に存在するものだ、探しておこう。デフィール」 「ちょ、ちょっと待ってヨルン! 二人は? ねえ、ちょっと! あなた! サジタリオも」  きっと、気を利かせてくれたのだろう。  サジタリオとヨルンは、何度も振り返るデフィールを連れて奥へ行ってしまった。ポラーレの場所からでも、少し先の暗がりに紫色の光が天井へ昇るのが見える。百戦錬磨の古強者、熟練冒険者の三人だ、すぐそこまでなら大丈夫だろう。  それより、ポラーレはなんだ自分が情けなくて立ち尽くしてしまった。  そんな彼の手を、ファレーナは握って、そして引いてゆく。  ファレーナに促されるまま、暗がりの中でポラーレは壁際の石段へと腰掛けた。改めて周囲を見渡せば、生き物の気配がまるでない。隣に座るファレーナ以外、呼吸も鼓動も感じられないのだ。  それなのに、確かな人の意志というか、祈りと呪いを織り交ぜたような思念が滞留している。  ファレーナも感じているらしいが、彼女が気にしているのはポラーレのことだった。 「怖いのですか? ポラーレ。あなたは少し、いいや、かなり変だ。どうして」 「あ、ああ……その、ええと」 「話してください。わたしで力になれるかはわからないけど、力になりたいわたしは迷惑だろうか」 「迷惑だなんて! そんな、こと、ない、けど」  膝の上に握った自分の拳を、ポラーレはじっと見詰める。  となりの白い手が、その上をそっと覆った。  記憶と感情を整理しながら、ポラーレはゆっくりと言葉を選ぶ。 「この場所は……似てるんだ」 「似てる、というと」 「僕の生まれた場所に。見た目や広さ、この静寂や負の澱み……そういうものじゃなくて、こう、雰囲気が」  ポラーレにも上手く言葉にできない。  持てる語彙の全てを総動員しているが、伝わるという自信がなかった。  だが、しどろもどろながらに声に出してみると、それに相槌を打って頷いてくれるファレーナの存在が不思議と温かい。 「僕が生まれたのは、父さんの……便宜上、父さんと呼んでる創造主の実験室だった」 「確か、あなたの容姿は父君の」 「そう、メルクーリオ博士。試作品として僕を作り、完成品としてクラックスを作った人だ。その人の実験室にここは、似てる。なにが似てるって言うんじゃないんだ、こう」  言葉に詰まるポラーレを急かすでもなく、促しもせずにファレーナは寄り添っていてくれた。そうして、ただ手に手を重ねてくる。  音の死んだ暗黒の世界で、二人は発する言葉を互いの中に逃がすように語らった。 「父君はどんな方だったんですか。ポラーレ、あなたはあまり自分のことを語ってくれない。それなのに、わたしのことをあんなに知りたがって」 「ご、ごめん。でも、なんだかこう……」 「思い出したくないこと、話したくないことがあってもいいんです。わたしは、あなたがなにも言ってくれなくても構わない。知りたいと思う、この気持ちが会見つしなくても、いい」 「僕も、そうだ、けど……だから、ファレーナはいつも僕に優しいの?」 「ええ。……いけませんか? あなたは、皆が思うよりずっと……ふふ、かわいい人だ」  なにを言うんだと思った時にはもう、ポラーレの中の奇妙な怯えが小さくなっていた。  ファレーナはそっと身を寄せ、肩に肩を振れさせそのまま体重を預けてくる。 「あなたは自分を、破壊工作や暗殺、謀略のための錬金生物、化物だと言う。でも、人の涙に猛り、人の悲しみに寄り添い、そうして多くの仲間とあなたは皆のために戦ってきた」 「それは……僕が僕一人じゃなかったからだ」 「そう。誰も一人ではいられないのだと思う。それは、これからずっとそう」 「……生まれた時はずっと、フラスコの中に一人だったよ。一人というか……その、僕という存在しかない空間の中で、多分自我も感情もない状態だったんだと思う」 「でも、あなたはあの娘と出会い、一緒に生きて、さらに生きようとこの土地に来た。タルシスはあなたとあなたの大事な愛娘を、わたしに会わせてくれた」  そう言ってファレーナは立ち上がる。  見れば、向こうから先ほどの三人が戻ってくるところだ。手に地図を持ってペンを走らせ、ヨルンはいつもの鉄面皮で難しい顔をしていた。その隣のデフィールは、周囲の薄気味悪い静けさにおっかなびっくりという様子。そしてサジタリオは、妙な笑みでやってきた。 「よぉ、樹海磁軸はあっちにあったぜ? どうする? ブルッてんなら帰るか?」  ニヤニヤと笑うサジタリオは、答えの決まった問でおどけてみせた。  だからポラーレも、立ち上がると精一杯笑ってみせる。だが、もとより表情というものに頓着がない彼は、唇の橋を引きつらせるだけだった。 「まさか。進もう、みんな。この先に、帝国の……四つの大地の平和を脅かすなにかがいる。それを叩いて潰す……もう、この土地で泣く人を増やしちゃいけないと思うんだ」  頷くヨルンとデフィール、そしてサジタリオ。そして、立ち上がったファレーナが言葉を続けた。彼女は、真顔で皆を見渡し、妙なことを言い始める。 「そうですね、ポラーレ。皆も。行こう……暗くても泣かないで進もう。暗いと……泣く。……うん」 「………………え?」 「………………お、おう」 「ン? どうした、サジタリオ。ポラーレも。お前たちも暗いと泣くなどという、子供じみたところがあるのか?」  ポラーレとサジタリオは目を点にした。  ヨルンには通じていないらいしが、あのファレーナが駄洒落を言ったのだ。子供たちに姉様と慕われ、タルシスの街で憧憬の念を集める美しきウロビトの方陣師が、駄洒落を。  ファレーナは咳払いを一つして、少し恥ずかしそうに俯いた。 「大変な旅がまた始まるかもしれない。だけど、少し皆が硬かったから……その、うん。パッと明るくなるようなことを、言いたかったのだが。駄目だな、わたしは」  そう言って笑うファレーナが、これほど愛しいと思ったことがない……気付けばポラーレは、あの暗く陰気な父の実験室の記憶を振り払っていた。  だが、まだヨルンは駄洒落の意味がわからないらしく、一人で首を捻っている。  デフィールはファレーナの健気さに満面の笑みで、よせばいいのに言葉を続けた。 「そうだわ、暗いのはいけなくてよ? 気持ちは明るく! 気分は、あ! 軽く! そうじゃなくて?」  ――澄んだ静寂が訪れた。  死者の集う冥府のような静けさではない、遠くに飛ぶ鳥の声が木霊しそうな無言の時間。 「……さ、さて、行こうかファレーナ」 「え、あ、はい……あの、ポラーレ」 「いいんだ、いいんだぜファレーナ。おら、相棒! あっちが奥に続いてる。先頭に立ってくれ」 「あ、ああ! 僕たちの冒険はこれからだからね! 行こう、進もう、ドンドンやろう」  わざとらしくポラーレは、さりげなくファレーナの手を引き歩く。笑顔のまま固まったデフィールを振り返りつつも、ファレーナを強引にサジタリオと連れて歩いた。 「ちょ、ちょっと! ポラーレ、サジタリオも! なんでファレーナのはよくて、私は駄目なの! 酷くてよ……ヨルン、あなたもなんとか言って頂戴?」 「……いや、なんの話なのか。……ん? もしかして、言葉を掛けているのか? ああ、そうか。そういう意味があったのか。で? それのなにが面白いのだ」 「……もういいわ、ほらっ! 先に行くわよ」 「うーむ、これは……そうか、お前たちは今、駄洒落を。……何故だ? わからん、理解に苦しむ」  プリプリと怒り出したデフィールと、腕組み首を傾げるヨルンに追われながら……ポラーレの最後の冒険が幕を開けようとしてた。太古の祈りが化石となって、呪いへ堕ちた帝国の暗部への……全ての大地の明日を賭けた旅が始まった。