プレヤーデン・ナカジマの日々は多忙を極めていた。  自ら砲剣技師として一線を退いたものの、彼の今は封印の地での戦いと共にある。禁忌の地とされた第六迷宮、暗国ノ殿へと進む冒険者たちのサポートは日夜忙しい。冒険者は既に地下二階へと進み、一階には特務封印騎士団が橋頭堡を築きつつある。  砲剣の稼働率はうなぎのぼりで、整備と部品交換だけでプレヤーデンの一日は暮れていった。  だが、不思議と充実した日々で、自然と腕を振るえば気持ちも軽かった。 「ささ、レオーネ殿。油脂類を全て交換しましたぞ? フルメンテ済みです」 「これはありがたい、プレヤーデン殿」  家宝の砲剣を両手で掲げる青年が、眼鏡の奥で瞳を僅かに細める。その笑顔には、一人の騎士としての凛々しさと共に、名誉ある一族の一振りを担う責任感が見て取れた。同時に、ただ一人の騎士として優れた砲剣を前にした無邪気さも伺える。  そういう笑顔に出会うのが、プレヤーデンはなによりも好きだった。 「素晴らしい仕上がりです、これで私はまだまだ戦える。帝国のためにも、あの暗国ノ殿にて潜む悪を打ち倒しましょう」 「さて、次には、そうですなあ……ええと」  プレヤーデンが帳簿に目を落とした、その瞬間だった。  居並ぶ騎士たちが我先にと押しかけ、作業台の周囲をぐるりと囲んでしまう。皆、特務封印騎士団に選ばれた一騎当千の騎士たちである。完全に治外法権の独立採算、数々の超法規的権限を持つ特務封印騎士団……しかし、そこに集った者たちは皆、帝国の未来を案じる気のいい男たちだった。  勿論、今は四つの大地の全ての民のため、生命を賭して戦っている者たちでもある。 「プレヤーデン殿! 自分の砲剣を見てください! 最近、謎の発熱で思うように……お願いします!」 「待て、貴殿は順番を守らんか! ワシの砲剣を見てくだされ。あと少し、少しばかり軽くなればいいのですが……どうにかなりませぬか、プレヤーデン殿!」 「いやいや、まずは俺のを! どうにも最近、チャンバー内の圧力が低下すんだ。これはきっと酷使し過ぎだな……自分でもメンテしてみるのだが、やはりどうもいかん。プレヤーデン殿!」  周囲にもみくちゃにされつつ、プレヤーデンは笑顔で応じる。  砲剣は帝国騎士にとって己の命、そして全ての命を守るものだ。守るために敵を倒し、敵の命を奪うものでもある。騎士たちは皆、敵にも見方にも敬意を感じるからこそ、その生死を分かつ砲剣を大事にする。  古き良き騎士道は今も、脈々と受け継がれているのだった。  次々と差し出される砲剣を見ながら、プレヤーデンはレオーネの声を聞く。 「おや、フリメラルダ殿。珍しいですね……貴女も砲剣を?」  誰もが顔をあげて、次の瞬間には身を正した。  屈強な強面たちが見詰める先に、一人の女が今日は着飾り立っている。鎧姿の正装か、それともジャージ姿が一般的だが、今日の彼女は夜会にでも行くようなドレスを着ていた。誰もが美貌の騎士団長、フリメラルダ・フォン・グリントハイムの笑みに向き直った。 「そう畏まらないで頂戴。ちょっとお城に出仕してきますのよ? それで、一応レオーネが居てくれれば……ああ、そこに居ますのね。レオーネ」 「ええ。なんなりと、フリメラルダ殿」 「宮仕えというのは面倒なことで、たまにはこうして社交場にも顔を出さないといけませんの。まあ、じじばば相手に世間話をしつつ、来年度の予算や査定のお話を少し。……めんどいったらありませんわ」 「お勤めご苦労さまです。なにか私で力になれることがあれば」 「もう十分よ、レオーネ。冒険者のみんなもよくやってくれてるわ……やっぱり美形の男子が粒ぞろいですもの、顔もいいけど腕もいいわ。しかも、みんな受けも攻めもいけそうですし」 「は? フリメラルダ殿?」 「なっ、なんでもありませんわ! そういうことですので、よろしくして頂戴。それと」  よく見ればフリメラルダは、手に大きな紙の巻物を持っている。それを見詰めるプレヤーデンの視線に気付いて、彼女はポンと放ってよこした。  それを受け取り広げてみて、プレヤーデンは息を飲む。  それは……とある砲剣の設計図だ。  そして、この世でこの一振りは既に現存していない。  設計と基礎理論だけは、遥か太古の昔から存在していた。まだ砲剣がフリントロック式の旧世代の機構だった時代から、理論上は完成を見ていた刃だ。  だが、それを使った者は一人として存在していない。  厳密には、それを使って生き残った者が誰一人としていないのだ。  震える手で設計図を握るプレヤーデンの頭上を、フリメラルダの呆れた声が通り過ぎてゆく。 「それにしても……なんですの? 貴方たち。非番の騎士ばかり、プレヤーデン氏に押しかけて。他にやることがないのかしら」  だが、そう言って笑うフリメラルダの部下に向ける視線は、驚くほどに優しい。  そして、この場に集った騎士たちもまた、彼女の言葉に対して悪びれた様子がなかった。 「この金鹿図書館に、娯楽らしい娯楽はありませんからな!」 「おいおい! 貴様は以前、あれを読むと言っていただろう?」 「ああ、図書館にあるあの本か……いかん、あれはいかん。ただの睡眠薬にしかならん」 「もっと女の子の司書を増やして欲しいなあ、俺は」 「違いない、ムサい顔ばかりで辟易する。さりとて繰り出す花街も酒場もない」 「帝都との定期便は月に一本……島流しみたいなもんでさぁ」  誰もが笑う中、自然とフリメラルダも笑みを柔らかくする。  プレヤーデンにもやっとわかった。鉄の掟と戒律で縛られた、帝国最強騎士団……彼らが最強である理由が今は理解できる。誰もが皆、帝国の防人となるべく集い、この女傑に対して全幅の信頼を預けているのだ。そこには、戦友や家族という言葉ですら生易しい程の、確かな絆が感じられた。  そしてフリメラルダは、意外な言葉を口にした。  それは恐らく、こういう機会でもなければ口にしないであろう、恐らくは彼女の本音で本心。 「……今回の戦いを前に、わたくしは言いましたわね? 激戦死闘は必至、故に配置転換希望者は申し出ること、と。帝都に戻れば近衛騎士も空軍将校も選び放題、歴戦の勇者たる貴方たちですもの。どうして一人として中央に帰ろうとしないのかしらん?」  男たちは顔を見合わせ、ガハハと誰もが巨体を揺すって笑い出した。  レオーネも小さく鼻で笑って、眼鏡のブリッジを指で押し上げる。  やがて、男たちの中でも小柄な少年騎士が、周囲の大人たちに背中をバシバシ叩かれながら声をあげた。まだまだ子供でも、特務封印騎士団の一員……生まれも育ちも、そして腕も一流の騎士だ。 「えっと、えー? 僕が言うんですかぁ? じゃあ……ゴホン! 恐れながら騎士団長殿! 我ら特務封印騎士団、団長殿をこの地に置いて出ていける程、薄情ではありません!」 「まあ……かわいいこと言ってくれるわね」 「この僻地に飛ばされ、ずっと先代皇帝のお言葉を守り続けて幾星霜……嫁にも行かず中央の出世とも無縁、加えて言うなら男旱をこじらせ男色絵巻の収集にうつつを抜かす有様で」  やいのやいのと賑やかな周囲から「収集どころか自分で描いてるぞ!」と野次が飛ぶ。笑いが笑いを呼んで、活況に満ちた中で少年騎士は言葉を選んだ。 「えー、我ら特務封印騎士団団員一同、決して誰一人ここから逃げようなどと思いません! 歴代皇帝が禁地と定めたこの場所を死守し、帝国の防人たらんと……それ以上に、あれですかね。団長一人残して去るのは、それはもう心配で心配で」  クスリと笑ったフリメラルダは、肩を竦めつつ背を向けた。  彼女は手にしたハンドバッグを握り締めつつ、部下たちの視線を浴びて小さく呟く。 「あら、そう……ま、いいわ。好きにして頂戴。あと、私はすぐ戻るから……死守よ。悪いけど死守、死んでも守り通しなさい。あの地に封じられたなにかを……決して外に出さないこと。よくて? いい子でお留守番してたら、御褒美をあげるわ」 「了解であります! ……できたら酒や煙草を内地からもう少し、ヘヘヘ」 「いいわ、運ばせましょう。それじゃ、あとはよろしく頼みましてよ」  それだけ言って、フリメラルダはヒールをカツカツと鳴らしながら行ってしまった。  居並ぶ騎士たちは皆、敬礼でその背が見えなくなるまで見送る。  プレヤーデンは、決してこの世に会ってはならぬ邪道の砲剣を、その設計図を前に溜息を零しつつ……隣のレオーネの言葉に頷くしかない。 「我ら騎士は地位や名誉、富では動きません。ただ帝国の臣民のため戦い、死をも恐れず命を投げ出すでしょう。しかし、だからこそ……そうした騎士たちの首魁たる者には、なによりも得難い全てが求められるのです」 「でしょうなあ……しかし、それが彼女に悲壮な決意をも。因果なものです」  この日、冒険者達は暗国ノ殿の地下二階へと脚を踏み入れていた。不思議な瞬間移動のトラップと、大きな広間を埋め尽くす灼熱の茨の中で……彼らはその先に見出すだろう。生きとし生ける全ての人が対峙するべき、もっとも邪悪な世界の敵を。