太古の遺跡に満ちる、圧倒的な殺意。  今、暗国ノ殿は濃密な敵意と害意に満ちていた。もともと凶暴で強いモンスターばかりがはびこる迷宮内は、いつにも増して激しい戦いで冒険者たちを飲み込もうとする。  だが、メテオーラは背にグルージャを庇いながら、果敢に敵へと挑んでいった。 「おっ、りゃああああっ! こんにゃろめっ!」  絶叫を張り上げる巨大な獅子へと、メテオーラの剣が唸りを上げる。彼女の振るう古びた剣は、以前に秘宝探索で掘り当てた逸品である。あの、無限の魔女と呼ばれた伝説の冒険者の残した品だ。  メテオーラの渾身の斬撃が、牙を剥く獣の頭蓋を叩き割る。  同時に、その背後から新たな敵意が飛来した。耳障りな羽音を奏でる、巨大な羽虫が迫る。血に濡れた剣を敵の死骸から引き抜くと同時にメテオーラは跳躍する。  それは、背後でぼんやりと光るルーンが輝くのと同時だった。 「グルージャ、あとよろし、くっ!」 「いいわ、メテオーラッ! トドメは任せて」  宙を舞うメテオーラの左手が、腕を覆う円盾を振りかぶる。そのまま彼女は、複眼に無数の自分を映す巨大羽虫をブン殴った。反動で弾かれるように着地した、その瞬間に稲妻が走る。  グルージャのはなった強力な電撃が炸裂して、また一つの命が闇へと消えた。  だが、絶え間なく押し寄せるモンスターを前に、まだここから動くことができない。  焦れる気持ちを心に沈めて、メテオーラは背後を振り返った。 「サーシャ、まだー? そろそろちょっち、限界かも。敵が多過ぎるっ」  背後では巨大な機械が、不気味な鳴動に震えながら稼働している。それは迷宮内のところどころに設置された、謎の装置だ。操作すれば、一定量の溶液を吐き出す仕組みになっている。そして、どうやらそれは旧世紀の人類が、この迷宮を建てた者たちが残した希望らしい。  この地に封じた災禍を討つための劇薬を、当時は開発中だったのだ。  その完成を見る前に、この建物のあちこちで人間たちは死んでいった。そして今は、世界樹による大地の再生を外の世界で生き延びた人類、つまりメテオーラたちが生きている。 「すまん、メテオーラ! もう少しかかりそうだ。機械の調子があまりよくない」 「ほいほい、わかったよー! まー、古いポンコツだからね。えっと、これで五回目?」 「ああ! ここで最後だ!」  機械の前ではサーシャが、ボトルへと溶液を入れている。この機械は迷宮の地下三階に五ヶ所、溶液の数は全部で五種類だ。そして記録によれば、溶液を正しい順序で混ぜ合わせることで、封印されし邪悪の力を弱めることができるという。  嘘か真か、それはわからない。  だが、今は刻を超えて伝わるメッセージを信じるしかない。  改めて身構えると、メテオーラが覚悟を決めたその時だった。 「っしゃあ、クラックス! いっしょ派手に暴れようぜっ!」 「うんっ! メテオーラ、ここは任せて!」  メテオーラの前に、二人の影が躍り出た。  片方は、血に濡れて尚眩しく輝く龍鱗の剣の戦士。そしてもう一人は、両手に短剣を構えて風を纏った異形の夜賊だ。クラッツとクラックスの二人は阿吽の呼吸で、押し寄せる敵の壁を押し返した。  それでようやく一息ついて、メテオーラは呼吸を整える。  背後ではグルージャが、いつになく逼迫した顔に汗を浮かべていた。 「メテオーラ、平気?」 「おーう、へっちゃらだ! わはは、凄い数だよ。地図があって歩き慣れてるのに、全然前に進めないもんね」 「もう少し、一緒に頑張ろう。ここで最後、あとはさっきの中央の広間にあれを届けるだけだから」  ふと、意外な一言にメテオーラは目を丸くした。  自然と頬が緩んで、どうやらにまにまと締まらない笑みでグルージャを見てしまったらしい。アイテムを整理しつつアムリタを飲んでいた彼女は、メテオーラの視線に怪訝な表情を浮かべた。 「……なに? メテオーラ」 「いや、グルージャが頑張ろうなんて言うからさ。エヘヘ、成長したもんだなあ……うんうん。おねーさんはうれしーよ」 「やだ、やめてくれる? ちょっと、気持ち悪い」 「まあまあ、そう言いなさんな。デヘヘ」  グルージャと初めて会ったあの日が、遠い昔のような気がした。  メテオーラにとって彼女は、他の同世代がそうであるように友人、友達だ。そして、そう思ってる自分をちょっとグルージャが苦手に思う時があるのを知っていた。グルージャという少女は、不器用で妙に気を張ってて、そして使い所を知らない優しさを凍らせていた女の子だった。妹みたいだとも思っていた。  だが、冒険の日々が彼女の心を溶かし、温かさを灯していった。  いつしか仏頂面も時には笑うようになり、父にしか許さなかった心の内を素直に口にすることも触れた。そんな彼女が、メテオーラには嬉しかった。  そんなことを思ってると、大げさに肩を竦めてグルージャは溜息を一つ。 「……メテオーラ、知ってる? そういうの、よくないのよ?」 「そなの?」 「あたし、本でよく読むもの。絵草紙でも物語でもそう。そうやって戦いの最中に、昔を懐かしんだりする人は」 「する人は?」 「よく死ぬわ。高確率で、かなり頻繁に。というか、ほぼ確実に」 「嘘ぉん!?」  グルージャはメテオーラをじっと見詰めて、不意に手を伸ばしてきた。彼女は指でつまんだブレイバントを、メテオーラの唇に押し当てた。剣と盾で手が塞がっていたし、強く握っていた手は強張って、自分の意思でなかなか動かない。戦い続きで筋肉が疲労して、極度の緊張状態の連続で硬直しているのだ。  メテオーラは口を大きく開けて、グルージャに小さな飴玉を放り込んでもらう。  すぐに口の中に微妙な味が広がって、美味くはないが力が沸くような気がした。 「おーっし、ちょっとクラッツとクラックスを手伝うとしますか! グルージャ、援護お願い。サーシャを守ってやんないとねー」 「うん。後ろは任せて」 「じゃ、いっちょ揉んでやりま――!?」  その時、ベシャリと濡れた音と共に、足元の床に何かが叩き付けられた。それが、血に濡れたクラッツだと気付いたのは、彼が間髪入れずに立ちあがったから。  立って剣を構え直したクラッツは、顔半分を真っ赤な鮮血で覆っていた。  だが、ギラつく眼光が前だけを睨んで、駆け寄るメテオーラやグルージャを振り払う。 「あー、うっさい! コレくらい屁でもねぇぜ! 女は大げさなんだよ」 「だってさ、グルージャ」 「呆れた……蜥蜴なみの鈍感ね」  そうこうしていると、今度はクラックスが吹き飛ばされてきた。何度も床にバウンドして壁に叩き付けられた彼は、ずるずる崩れ落ちたかと思うや立ち上がる。不規則に明滅する術式が、前進のあちこちに出血する傷のように光っていた。 「その、蜥蜴そのものの僕が言うのもなんだけど……うん、クラッツは鈍いよね」 「おうこら、相棒! 大丈夫か? その口ぶりだと平気だな」 「うん、平気さ」  追い詰められた形で、メテオーラが敵の矢面に立つ。そうして一歩を踏み出そうとした、その時だった。背後でガタゴトと唸っていた機械が停止する。  そして、ボトルを持ったサーシャが戦線に復帰した。 「すまん、遅れた。グルージャ、これを持って中央を突破しろ。私とこの馬鹿二人で援護する。……道はこじ開けてやる、急げ!」 「でも」 「でも、じゃない! このまま五人で戦っても、押し寄せる魔物にいつか飲み込まれる。まだ余力がある今、一点突破でだれかが中央の広場に行くしかないんだ」  ちらりとサーシャは、メテオーラを見た。  無言の瞳が、大きく頷いていた。ここが勝負の賭け時、正念場なのだと。  大きく息を吸って、そして吐き出して……意を決したメテオーラは、歪んで凹んだ円盾を外して捨てる。握った手の指の一本一本が強張っていたが、それをもう片方の手で引き剥がすようにして取り外した。  その左手で彼女は、グルージャの手を握る。 「行こう、グルージャ!」 「さ、早く行け! これを持っていくんだ……なにが起こるかわからんが、古代人とやらがなにかのために残した物だろう。そして今、これを届けられるのはお前しかいない」 「……なら、あたしが残るわ。サーシャ、あなたが」  だが、そのことを口にするグルージャ自身が既に察していた。静かに笑ってサーシャは首を横に振ると、右手でクラッツの二の腕を抱き寄せる。同時に、左手でクラックスの短径を握る手を引き寄せた。  意外そうな顔をする二人が見下ろす真ん中で、サーシャは静かに言い放つ。 「私はこいつらと一緒に残る。最も全員の生還率が高い、合理的な判断だ。……なんだ、おかしいか? グルージャ。私はずっと……こいつらと一緒に、いたいんだ」 「……そ、わかった。行こう、メテオーラ」  獣の咆吼に震える迷宮の奥へと、メテオーラはグルージャの手を引き走り出した。その行く先へと、二人を導くように投刃と印術が走る。並み居る敵の大群の、その壁のように迫る中に開く小さな突破口をめがけて……メテオーラは全力で走り続けた。  必至で剣を振るって、近付く全てを薙ぎ払う先へ走る。  無我夢中で駆け抜ける中、不思議とグルージャの手だけが温かかった。