フリメラルダが地下三階へと到達した時、階段の前には血の海が広がっていた。  おびただしい数の、モンスターの死骸と、成れの果てと。  そして、血肉の臭いが立ち込める血煙の中に、少女が座っていた。  ぎらつく眼光は力強く、満身創痍のその身を照らすように輝いている。  フリメラルダはすぐに掛け寄り、彼女の前に身を屈める。  小さな矮躯は、あの日の……過去の自分にそっくりだった。 「確か、グルージャさん、でしたわね? もう大丈夫ですわ」  優しい言葉で微笑み、そっと手を伸べる。  だが、グルージャと呼ばれた印術師の少女は、硬直して強張る表情に鋭い眼光を宿していた。双眸の湛える光が、見るもの全てを駆逐対象として睨んでいる、そんな寒々しい輝きだった。  やはり、あの時の自分に似ているとフリメラルダは思った。  その少女、グルージャはようやく口を開いた。 「……敵が、来るの。守らなきゃ……あたしが、二人を、守らなきゃ」  彼女の両膝には、二人の少女が膝枕で寝かされていた。共に満身創痍、生きているのが不思議な位の大怪我である。二人が広げる鮮血の赤は、既に床に乾いてグルージャを囲んでいた。  一人は冒険者、たしかメテオーラという名の女の子だ。  そしてもう一人は、ナルフリード……しかし、随分と表情が違う。  力尽きて寝息を響かせる二人に膝を貸して、グルージャは瞬きも忘れて虚空を睨んでいた。まるで、押し寄せるモンスターの全てを、自分一人で迎え撃つかのような気配。そして、それを今まで続けてきたことを示す死骸が、視線の先に折り重なっていた。 「あたしは、二人を……友達を、守るわ。そういうの、初めてだから」 「グルージャさん、大丈夫。もう大丈夫ですわ。今、後続の騎士たちが来ます。保護してもらって、治療を……酷い怪我。わたくしのせいで」  フリメラルダたち特務封印騎士団も、最速で、最善を尽くして戦っていた。イクサビトのモノノフの力を借りれたことも僥倖だったし、全ての力を振り絞って戦った。だが、それと結果とは別で、責任ある者にとっては結果が全てだった。  フリメラルダが決戦に備える中、グルージャたちが出血を強いられた。  それは、いかなる言葉を尽くしても消せぬ真実、そして現実だった。 「……フリメラルダ、さん。薬……薬液を、集めて……投入」 「ええ、ええ。ありがとう、グルージャさん。さ、少し眠って。迎えが来るから、少し休んで頂戴な。……貴女のようないたいけな女の子に、わたくしたちは」 「平気、別に……それに父さんが、もうすぐ……迎えに、来るから」 「……ポラーレ殿が?」 「父さん、本当に心配性なんだから……あたしが駄目になったら、きっと泣いちゃうから。涙も流せないのに、父さんは……だから」  それ以上、言葉は不要だった。  フリメラルダが来たことで、張り詰めていた緊張が解けたのだろう。  眠る二人の少女に折り重なるように、グルージャは崩れ落ちた。致命傷はないし、極度の疲労が原因の昏睡だ。だが、この場所で多くのモンスターを術で屠った、その力を出して出し切り、枯れ果てても戦ったのが彼女なのだ。  フリメラルダはマントを引き剥がすと、それを三人にかけてやる。  静かな寝息を振り返らずに、フリメラルダは奥の扉を開け放った。  薄暗い中へと進む中で、高まる極度の緊張感、そして恐懼の気配。  そんな中で、フリメラルダは過去の自分を思い出していた。  そこにはやはり、先程のグルージャと同じ目をしていた自分がいた。 『陛下に楯突くとは愚かな!』 『反逆した輩は、これを全て処刑するべし! 一族郎党、根絶やしにスべし!』 『忌むべきかな、グリントハイム家! 我らが皇帝陛下に牙を剥くとは愚かな!』 『しかも、娘を差し出し命乞いなど……魔女を贄に生き残る腹積もりか!』  それはもう、十年以上昔の話だ。  盤石の体制で繁栄を築いていた帝国の内部で、当時の賢王たる皇帝に弓引くものたちが現れた。それが、フリメラルダの父だった。酷く単純な虚栄と野望を燻らし、父は勝算のない戦いへと没入していった。  それは、当時の父の言いなりだったフリメラルダも同じだ。  手にする砲剣を血に染め、多くの騎士たちを屠って父に褒められた。  その父が討ち取られた時には、フリメラルダは皇帝の首を取るべく、宮殿の直前まで迫っていた。そのまま捕らえられて鎖で繋がれ、皇帝の前で父の死を知った。  もう、遠い過去……そして、忘れられぬフリメラルダの原点。  あの日、確かに皇帝はフリメラルダにこう言った。 『男も知らぬような小娘が、見事! 此度の反乱、実に愉快……されど、知るがいい。我が治める帝国は、いかなる不当な暴力も、それによる現状の変更や政治的主張も認めぬ! それは、法や秩序ではない……皇帝たる我の裁量、我の意思! 我の道と知れっ!』  今は亡き先代の皇帝、バルドゥールの父は大きな男だった。  器の大きな、大き過ぎた漢だった……そして、義と仁を知る侠だった。  玉座の前で鎖に縛られ這い蹲った瞬間を、フリメラルダは忘れない。  そこにあるのは、怨恨と遺恨ではない……尊敬と敬愛の念だ。  周囲の騎士たちに槍を突きつけられ、裸同然で跪かされたフリメラルダは覚えている……自分を見つめて玉座を立ち、目の前まで歩いてきた皇帝の顔を。その表情を。  父の為を思えば、鎖を引きずりながらも皇帝へと踊り掛かれる距離だった。  その必中の間合いに、躊躇いなく皇帝は歩み寄り、腰の砲剣を抜いた。 『おなごとは思えぬ膂力、そして胆力! なにより、父を信じて戦う迷いなき心の強さ! だが、信ずるものを誤れば、その善なる気持ちも災いをもたらす。故にっ!』  皇帝は、振り上げた砲剣を床へと叩きつけた。  死んだと思った。  反逆者の娘、帝国の騎士や兵を数え切れぬほど殺した自分への罰だと思った。  これで終わりだと思った、その少女時代のフリメラルダが目を固く瞑る。  だが、ややあって瞳を見開いた時……目の前には巨大な砲剣が突き立っていた  そして、自分の両手を封じる鋼の鎖が、断ち割られていた。 『グリントハイムの娘よ! 殺すには惜しい、実に惜しい! 罪を償い我に新たな忠誠を近い、国土と国民のために戦う意思があらば……再び剣を取れ! あらゆる罪を不問とする!』  信じられない言葉だった。  周囲の文官や武官が、一斉にどよめきたって囁きを交わしていたのをよく覚えている。それくらい、皇帝が発した言葉は驚きだった。彼は、自らの砲剣でフリメラルダを縛る鎖を断ち切ったばかりか、自分の部下になれと言ったのだ。反逆者の娘、力を奪われ死を待つだけの少女に、己の力となれと命じたのだ。  その時の、身の毛もよだつ感動と興奮を、決してフリメラルダは忘れない。  実の父でさえ、ゲームの駒のように扱い、敵を倒す道具として暑かった自分を。その生命を自分に狙われていた皇帝本人が、許して取り込むと言い出したのだ。 『さあ! さあ、さあ! 剣を取れ、乙女よ! 我の覇道に、民の安寧に力を貸すのだ……我が帝国は、強き騎士、無双の戦士を欲しておる! ……我が旅立つ前に、その全てを整えねばならぬ。引き裂かれた異種の絆を修復する前に、帝国に封じられし災禍を監視し鎮定する、最強の騎士団を育てねばならんのだ』  そう言って、時の皇帝は身体を揺すって笑った。  処刑を待つだけのフリメラルダは、まだ幼い少女の頃に、その姿に魅入られた。  あっという間に魅了され、虜になった。  その人に向かって、鎖の解けた両手で立ち上がって、はっきりと宣言したことがまるで昨日のよう。フリメラルダは確かに、あの時生まれた……生まれ直したのだ。  立ち上がって、床にめり込み突き立つ砲剣を握った、引っこ抜いた時の高揚感。  それを向けられることなど微塵も考えぬ男、王の器、覇者の気迫……圧倒的な包容力と支配欲に満ちた、強大な皇帝の前での自分をフリメラルダは忘れないだろう。 『皇帝陛下……わたくしは、わたくしは……帝国のために、救われた命を使います。皇帝陛下のため、国土と民のため……死すべき悪逆に堕ちたわたくしを使います! その決意の証を、ここに!』  当時、膝裏に触れる程に伸ばしていた髪を、フリメラルダは手にした砲剣で切った。一切の迷いなく切り捨てて、玉座の間に敷き詰められた真紅の絨毯に散らした。それが、特務封印騎士団の長にして帝国最強騎士の一人、フリメラルダ・フォン・グリントハイムが生まれた瞬間だった。  そして、懐かしい過去を思い出すフリメラルダの思惟が現実に戻される。 「……この時が来ることを、わたくしは知っていました。今こそ、あの方の……皇帝陛下のために、救われ生かされた、拾われたわたくしの命を使う時!」  密室の中に満ちる闇に、苦しげに呻いて蠢く影があった。  それが、災厄の元凶……災禍の化身、旧世紀の者たちが蟲と呼んだ存在。フリメラルダの前に今、無数の脚を蠢かせる巨大な蟲が迫っていた。その身体は光を反射する薬液に塗れて、心なしか動きも鈍い。  だが、太古の人類が手に負えなかった災いの名にふさわしく、絶叫を張り上げる。  グルージャたちが調合して投入した薬の効き目など感じさせぬ、悪意と害意の塊が放つ咆哮。それが満ちて、ビリビリと震える空気の中で……一人フリメラルダは背の砲剣を引き抜き構えた。  それは奇妙な砲剣だった。  機械仕掛けのチャンバーやシリンダーがない、発火装置だけの簡素な鍔元。そのシンプルな構造を見た目で裏切る、まるで鉈のような蛮刀……巨大な刀身は、まるで鬼の首を切り落とす包丁だ。それを両手で握って構えたフリメラルダは、迷わず走り出す。 「皇帝陛下……今、おそばに! 陛下の残されたバルドゥール殿下のために……今こそ、この生命を使う時! ……おさらばですわ!」  大上段に異形の砲剣を振り上げ、フリメラルダが声を張り上げる。  その刃を迎え撃つ巨大な毒蟲は、おぞましい鳴き声を張り上げたが……次の瞬間、恐るべき威力で爆発したアクセルドライブの爆光に消え去っていった。