広がる雲海をも見下ろす、天の頂。  星々の海を見上げる蒼穹の彼方で、異形の世界樹はまだまだ伸び続ける。  それは、広がり根ざした大地もろとも、惑星そのものを飲み込もうとしていた。  だが、必死の抵抗を続ける冒険者たちが、まだいた。  たった四人で世界を背負った、最後の勇者たちはまだ立っていた。  その先頭で、ポラーレは中ほどからへし折れた太刀を握っている。南国の深海深くより、禍神の核をもって鍛造された神屠りの刃……それも今、力を失いひび割れている。  それでも、彼の爪と牙とはまだ欠けてすらいない。  心はまだ、屈してはいなかった。 「みんな、気をつけて……いよいよ空気が薄くなってきた。だいぶ、高い空にきたみたいだね」  絶体絶命のピンチでも、ポラーレの白い顔が表情を象ることはない。  こんな時に猛ることもなく、荒ぶることも知らない。  そんな彼を中心に、三人の男女が立ち上がる。 「おう、相棒……なんだか星空が近づいてやがる。頭がクラクラするぜ」 「既にわたしたちは、天空の果てへと……この世界樹は己の闇で、惑星そのものを覆って眠らせる気だ。それは、決して許してはならない」 「ファれーナの言う通りよ! 世界を暗黒に沈めてはならないわ……それを世界樹にさせてはいけない! 誰にも等しく、世界樹は希望! 可能性でなければならないわ」  既にサジタリオは、最後の矢を番えて弱々しく立っている。その横では、ファレーナが肩を上下させて呼吸を貪っていた。デフィールも、ひび割れた鎧の奥から溢れ出る鮮血を手で抑えている。  既にもう、誰もが全力を出すことは難しい。  疲労と負傷は明らかで、余力などないに等しいから。  それでも、熟練の冒険者たちはポラーレと共に立ち上がる。  ポラーレもまた、仲間に支えられて剣を構えた。 「そういう訳だよ、世界樹。世界樹の出来損ない、呪いの元凶。僕は、お前の成り立ちや経緯に興味はない。……僕は、僕たちは、大事な誰かのためなら……まだ、戦える」  折れた天羽々斬を、ポラーレの身体から溢れ出した闇が這い上がる。  それは、既に体組織が漏れ始めたポラーレの、最後の力。自らが普段、投刃等の武器を生む力を、折れた剣へと重ねてゆく。まさに、血肉を砕いて身を削る一撃。  ポラーレの手に、巨大な異形の刃が徐々に伸びる。  それはまるで、吼え荒ぶ怒竜の如き蛮刀だ。  同時に、黒き世界樹もまた変化を見せる。 「チッ、やべえな……おい、相棒! そいつをさっさとぶつけてこいよ! 周りは俺らでなんとかしてやらあ」  サジタリオの声を吸い込む先で、巨大な世界樹の花が咲く。その中央から、神々しい光を放つ巨大な雄蕊が現れた。それは、周囲を固める四つの蕾に囲まれ、不気味な明滅の中でゆっくりと起き上がった。  歪みし豊穣の神樹、その核が意外な姿を見せる。 「あ、あれは……? デフィール、彼女は。いや、彼女などとは」 「心を乱さないで、ファレーナ。邪悪が姿を繕っても、その本性まで変わることはないわ。神を気取るべく選んだ姿が、私たち人間だというのなら……やはり、この世界樹は世界樹ではない……人が造りし幻想、故に人を象っているに過ぎなくてよ!」  デフィールの言う通りだ。  ぼんやりと輝く女性の裸体が、花びらの中央でポラーレたちを睥睨している。  その姿は怖気をもよおす程に美しく、形容し難いまでに禍々しい。  両手を広げた黒き世界樹の女神は、炎雷と氷風を巻き起こした。  同時に、四方を固める蕾が各個に蠢きながら、ポラーレたちに襲いかかる。 「来るぞっ! ……こいつでカンバンだ、ブチ抜けえええっ!」  サジタリオが放った矢が、蕾の一つを穿ち貫く。  耳をつんざく絶叫と共に、蕾が悲鳴をあげて爆散した。  その先へと今、ポラーレは走る。  既に足場すら敵そのもの、駆け上がる黒き世界樹が蠢き揺れる。波打つ大地と化した絶壁を、ポラーレは己を零しながら疾駆した。その手に引き絞る刃が、光を吸い込み漆黒の鉄塊へと膨らんでゆく。 「ファレーナ、方陣を……残りの蕾を一気に叩くわ!」 「三つの種族が生きる大地、無数の民が暮らす世界……何一つ、お前には渡さない。わたしたちの今までも、これからも……デフィール!」  高らかに錫杖を掲げたファレーナから、光が溢れる。  世界を覆うように広がる枝葉の、その暗がりを照らすように方陣が走った。空の彼方まで広がって、この星そのものを包み込むかのように膨れてゆく。その中止で、ファレーナが破陣の声を高らかに謳った。  同時に、イグニッション用のカートリッジを砲剣に叩き込むや、デフィールが翔ぶ。 「我らがウロビトの力は、今この瞬間のために……我が血に代えて、光を!」 「いいかげんっ、そろそろ倒れなさい! ここにもう、貴方が必要な大地も、貴方に縋る者たちもいなくてよ!」  オーバードライブの衝撃波が、砲剣の砕けて割れる音を吸い込み爆ぜる。  その圧倒的な爆風と熱量を吸い込み、ファレーナの破陣が膨れ上がった。  さながら、世界を覆う闇に灯った、巨大なもう一つの太陽だ。  その力が残りの蕾を飲み込み、女神像へと擬態した本体をも襲う。  しかし、舞っていたのは苛烈な反撃、倍返しという言葉すら生ぬるい逆襲だった。仲間たちの最後の力に背を押され、ポラーレは心を無にして馳せる。  飛び交う暴力の塊が、幾度となく身体を擦過し、ポラーレをこそげ落とす。  だが、相棒の声……そう、今や相棒としか思えぬ男の声で、ポラーレはさらなる加速で飛び上がった。零れる自分の体組織が、黒い中に光を点滅させながら尾を引く。 「っしゃあ、相棒! 叩きつけろ! ぶった斬れ!」  相変わらずうるさい男だ、声を張り上げ叫んでいる。  あらゆるリソースを最後の一撃へと注ぐポラーレの、声にならない想いが背中から聴こえる。それを信じて飛び込むポラーレの前で、世界樹の暗き女神が恐怖を顔に浮かべた。美しい表情を浮かべ、虚ろな瞳を見開く。 「力の限り、ブン回せ! 一撃、ただ一撃でいい! 手前ぇの全てをぶつけてやれっ!」  ――ああ、わかってる。  ――わかってるさ。  不思議とどこかで会話が成立していた。  最後の力でポラーレが、自分より巨大になった刃を一閃する。  豊穣の象徴にも似た女体美が、真っ二つになった。そして、あっという間に内側から膨らみ破裂する。  しかし、まだ終わりではない。  ぐずぐずの肉塊と成り果てながらも、まだ異形の世界樹は生きている。  周囲で蕾が再生しつつあるのを察知したが、ポラーレは動けない。  もう力が残っていない。  自分の力は、残っていなかったが。 「上出来だぜっ! 後は……来いっ、相棒!」  気付けば、すぐそばまで相棒が、サジタリオが駆け寄っていた。その血まみれの手は、まだ弓を握っている。弦が切れて矢の尽きた弓を握り締めている。  それだけでもう、ポラーレは全てを理解した。 「ああ、サジタリオ……仕上げといこう。僕と、君と……僕たちで」 「おうっ! ……とっておきだぜ、こいつが……相棒がっ! 俺たちの、切り札だ!」  既に人の姿を維持できなくなったが、ポラーレは不思議と身体が軽かった。既に大半の体組織を失って、質量が減っているだけではなかった。  そしてポラーレは、弓を構えたサジタリオを這い上がり、己の全てで彼の力になる。  切れた弦に変わって光を張り巡らし、失った矢に変わって己を尖らせる。  サジタリオの手に今、巨大な漆黒の剛弓が現れていた。  本当に最後の一撃、外せば後はない……だが、不安も恐れも、ない。 「幕引きだな、相棒」 「うん。……周りが邪魔だね」 「蕾が再生してやがる……まあ、いいさ」 「ああ、大丈夫だ。彼女が、来た」  その時、闇を引き裂く閃光が空へと舞い上がった。  引き絞る剣の光を引きずる、天へと昇る竜の如き羽撃き。  その少女は、眩い輝きを振り上げて、落ちてくる。 「来たな、来やがった。なんて娘だよ、おい」 「いい子だね、サジタリオ」 「ああ、ポラーレ。……クアンの奴め、あとで酔い潰してやる」 「いいね。僕も半分酒代を持つよ」 「近々、結婚式とかありそうだよな。なにを着てくか」 「僕はね……驚かないでよ? 秘密だけど……黒のタキシード」 「いつも黒じゃねえか、バーカ。……今の、冗談か?」 「うん。どう?」 「最悪だ」 「照れるよ」 「はは」 「ふふ」  直後、闇より尚黒い、常夜のような一矢が放たれた。  再生を始めた蕾を薙ぎ払い、邪悪な世界樹の深奥へと食い込み、突き抜ける。  それは、世界樹の祈りと願いを束ねた刃が、光となって炸裂するのと同時。  断末魔を叫ぶ太古の世界樹、人の造りし歪な夢は……一人の少女と勇敢な冒険者たちによって撃破された。その醜悪な巨木は、光の剣で縦に真っ二つになった。